北海道網元浜中丸サケファンド ファンドニュース
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被災地からのレポート2012年7月30日 22:27
あれから500日 これまでのこと、そして現在の状況
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北海道網元浜中丸サケファンドへ出資いただいております皆様、本当にありがとうございます。昨年の津波から500日、またファンドの立ち上げから8ヶ月になろうとしています。これまで説明会へ出席させていただきながら、直接今までの経過や気持ちを話させていただきましたが、話しきれなかった事、話せば愚痴になってしまうので話してこなかった事を含めて報告させていただきます。<津波からファンドの立ち上げまで(国や道から無視され続けた被害)>昨年、加工場が津波の直撃を受け、設備・在庫・資材が全滅するという被害を受けました。「どうしよう」と言う絶望的な気持ちと、反面これだけの災害なんだから何らかの援助はあるだろうと、一部楽観的な気持ちも持っていました。しかしその後、私としては信じられない現実に直面しました。震災当初、まず「災害救助法適用地域」が被災地の基準となりました。北海道は適用外となっていたため、直接厚生労働省へ電話して確認したところ、「北海道から申請がない限り適用にはならない」とのことでした。北海道庁に問い合わせしましたが、この時点から北海道庁は震災被害への認識が低く、不明確な返答しかありませんでした。北海道庁もまさか浜中町まで被害がおよんでいることとは思いもしなかったんでしょう。それでも2011年4月に被災者向けの経営相談会を開催してくれましたが、その際、北海道庁の金融担当者に既存の災害資金(北海道資金・セーフティーネット資金より条件が悪い)を、この度の被害に向けて内容を変更してくれるよう、お願いしましたが「この内容で充分。変更するつもりはない」との返答で、後日、資金名にのみ、「東日本大震災」の文字が入りました。5月に、東日本大震災財特法が制定され、その中で市町村の公共被害に対応する「特定被災地方公共団体」と個人や企業等、民間の被害に対応する「特定被災区域」が制定されました。しかし、北海道の市町村は1ケ所も入れてもらえませんでした。これ以降、国の支援策は「特定被災区域」ベースで進められて行きましたので、国からは完全に見捨てられることとなりました。愕然とし、焦りました。内閣府へ直接電話し、メールも送り、各政党や北海道知事へ要望書を送りました。どこからも返答はありません。8月に浜中町が「特定被災公共団体」に指定されましたが、公共被害に対応するだけで、民間被害に対応する「特定被災区域」には指定されません。国の金融支援策を何とか受けようとして、北海道経済産業局に問い合わせをしても、「直接被害ではなくて、間接被害で申請して下さい」と言われてしまいました。それでも何とか復旧しようと銀行と交渉を続け、最低限の設備復旧を目指し、保証協会付資金と日本政策金融公庫の協調融資で、復旧を目指すこととしました。保証協会付融資が内定しましたが、公庫からは「災害は分かるけれど、今の借入はどうするの?」、「今回は見送らせてもらいます」とされ、その後、保証協会も「国が助けないのに協会だけで支援はできません」となり、融資による復旧は100%無理となりました。会社設立後、「旨さ」を求め愚直に独自技術の確立を目指し、それに傾倒しすぎていたこと、また、震災前の取引上のトラブルから、経営状態も良くない状態での被害でしたので、もっともと言えばもっともなのですが。年内の倒産を覚悟しました。しかし、震災直後から、これまでのお客様が「半年でも1年でもいつまでも待っているから」、「浜中丸の魚じゃなきゃダメなんだ」と言ってくれ、そんなお客様の声が忘れられず、このまま諦め切れませんでした。それと時を同じくして、苦労をかけっぱなしで、これまで私と共に歩んできてくれた妻が生死に係わる大病になってしまいました。支えてくれているお客様や妻の為にも、何としてでも復旧したいとの想いで、わらをもつかむ想いでミュージックセキュリティーズさんへ電話しました。「北海道で津波被害にあったんですけど、北海道じゃだめですか?」、「えっ、北海道ですか?」直ぐに北海道へ飛んで来てくれました。「一緒にがんばりましょう」ファンドの立ち上げが決まった時、真っ暗闇の海で遭難寸前の船が、灯台の光を見つけたようでした。本当に本当に希望の光が見えて来ました。<ファンドの立ち上がりから、現在の状況>■営業の状況2011年11月25日にファンドの募集を開始して以来、それまでの暗く沈んだ流れが徐々に変わって行きました。2011年12月に入り、今後の復興の基礎となる、「復興特区法」が成立し、復興特区1号指定地域に浜中町が指定され、やっと被災地として対応してもらえる可能性が出てきました。2011年12月27日には、皆様に出資していただいたお金で夢にまで見た真空機がドイツから届きました。皆様の気持ちの固まりの真空機に抱きつき、泣きながら心の中で何度もお礼を言いました。皆様に出資していただいたお金で、真空機以外の設備も徐々に導入させていただいたおかげで、生産可能商品も増加し、生産可能なアイテム数は70%程度にまで回復してきました。しかし、多額の費用が必要となる、冷凍冷蔵設備が手つかずのため、生産量自体は未だ40%程度となっています。現在は最高気温が16℃~20℃位なので何とか対応できていますが、これ以上気温が上がると、昨年同様、生産を大幅に縮小しなければなりません。また、原料魚の手当も資金不足から震災以前の様な手当ができず、これまでの品質を維持するための新たな製法等の対応をしなくてはならない状態です。現在、お中元ギフトの生産に追われていますが、昨年、資材も全て失ってしまい、以来ギフト用の資材も現金仕入れしなくてはいけない状態となっており、経営を維持する事が本当に大変な状態です。2012年2月に、弊社の商品「時不知鮭焼ほぐし」が、北海道より「北のハイグレード食品」に認定されました。通常販売されている鮭フレークとは異なり、時不知鮭と塩のみで作る、焼鮭のフレークです。現在北海道が販売促進をしてくれている事もあり知名度が上がり、売上が急増しています。しかし、設備状況から生産が追いつかず、新規の注文に対応できない状態です。今後、設備を整える事ができれば、弊社の大きな商品の柱となると考えています。■国・道の支援ファンドの説明会等に出席させていただく度に、様々の人と交流を持たせていただき、その度に復旧、復興への想いを強くさせていただいています。また、交流を持たせていただいた方々の中には政府等、中央省庁の方々もおられます。東北の被災県と比べ、北海道は道庁が札幌にあるせいか、道は漁業被害以外の私達民間被害に対して、どうしたらいいのかわからない部分もあったかと思います。そのまま何も支援が無いままの状態が続きました。そのため、自分自身で行動しなくては国の支援等は受けられません。ここで「セキュリテ被災地応援ファンド」のつながりから、ミュージックセキュリティーズさんに同行していただき復興庁や東日本大震災事業者再生支援機構に直接相談させていただくことができました。その結果、北海道は対象外と思っていた中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業(グループ化補助金)が北海道でも対象となる事が分かり、北海道庁へ民間企業の弊社から直接働きかけて、やっと北海道が動いてくれました。現在、浜中町以外の市町へも北海道から補助金の紹介がなされ、6市町が応募し、北海道負担分の道の補正予算も道議会で可決されて、後は事業計画を国と道で審査する事となるようです。承認されれば、ほとんどの設備の復旧に75%の補助が受けられ、復旧の大きな力になります。可能であれば自己負担分の25%をファンド資金を充てたいと思います。また、再生支援機構にも、相談させていただいていますが、直接同機構に相談に行った事業者の例は少なく、他県は金融機関自体が積極的で、銀行から相談が持ち込まれる例が多いそうですが、北海道は弊社一社のみだからか、地元金融機関は、非常に被災に対して動きが取りにくい状況があり、実際、弊社の場合も債権買取り後の支援金融機関がまだ見つかりません。ファンドの募集金額が集まれば、支援金融機関と同等に見なされる様ですが、現在は、その確証がないため、債権買取り後の事業計画を見直す等の作業を進め、東日本大震災事業者再生支援機構の支援を受ける為の支援金融機関を探さなければなりません。いずれも、現在はまだ不確定なため、見込みでしかありませんが、この二つの支援を受ける事ができれば、急速に復旧・復興できる事となります。以上、まとまりのない、つたない文章ですが、これまでの事と現在の状況を報告させていただきます。<お願い>皆様のおかげで絶望のふちから立ち上がり、前を向いて歩んでいく事が出来ています。現在も非常に厳しい状況ですが、皆様の気持ち、お客様の気持ち、従業員の気持ち、そして病気になってしまっても前向きに私と共に歩んでくれる妻の気持ちを支えに、出来る事は何でもやりながら、絶対に負けずに復旧・復興を成し遂げるつもりです。今後とも御支援・御協力お願い致します。北海道きりたっぷ 網元 浜中丸株式会社ヤマジュウ代表取締役 工藤文彦=========================