開発の経緯(その1)難病がきっかけであるおじさんに出会った話
2017年5月19日
百薬の長 栄養アルコールドリンクファンド
今回、開発に至ったバックグラウンドを少しばかり綴らせて頂ければと存じます。
人生の転機
全ては6年前、私が20歳の大学在学中に難病を発症した事がきっかけです。
突然息が出来なくなり、病院でレントゲンで撮影した所肺に穴が空いていました。
この症状自体は、気胸と呼ばれる病気です。特殊な病気ではなく、痩せ型の成人の方がなりやすい病気です。
私の場合、この症状が2年弱の間に15回程繰り返したことで、一般的に言われる気胸とは少し違うのでは?というお医者さんの見解から精密な検査をする事で、約100万人に一人のある難病であるという事が発覚しました。
現実逃避
正直、これまで何不自由なく過ごしてきた私にとって、自分の病気は受け入れることが出来ない事実でした。
全ての物事から逃げるようにそして、人との関わり合いが嫌になりました。
心配をしてくれる人に対して、どうせ他人事で何故心配してくれるのかが分からず他人が心配してくれることすら窮屈に思えました。
自分を塞ぐことでそのきっかけを無くすことがベストだと考えていました。
その時にずっと考えていた事があります。
それは自分の死についてです。
何も答えは出ないけれど、無常感で自分を見つめ直す事が出来、ただひたすらに悲しく不安になりました。
気が紛れる一時
四六時中そんな事を考えていましたが、唯一楽しかった、ワクワク出来るような時がありました。
それはある焼き鳥屋の店主が夢を語っている時でした。
80歳を超えている方なのですが、死生観から何を自分は残していくのか?そんな事を考え、日々事業に取り組んでいるおじさんです。
話を聞いていると、「死生観」を自分自身へ問いかける事で生きる原動力になるのではないか?
と考えるようになりました。
少し長くなりましたので、また後日この続きを綴らせて頂きます。次は、死生観を自分に問いかける事で、実際に行動へ繋がった事を書きます。
拙いなぐり書きの文章でしたが、ここまで読んで頂き有難うございました。
人生の転機
全ては6年前、私が20歳の大学在学中に難病を発症した事がきっかけです。
突然息が出来なくなり、病院でレントゲンで撮影した所肺に穴が空いていました。
この症状自体は、気胸と呼ばれる病気です。特殊な病気ではなく、痩せ型の成人の方がなりやすい病気です。
私の場合、この症状が2年弱の間に15回程繰り返したことで、一般的に言われる気胸とは少し違うのでは?というお医者さんの見解から精密な検査をする事で、約100万人に一人のある難病であるという事が発覚しました。
現実逃避
正直、これまで何不自由なく過ごしてきた私にとって、自分の病気は受け入れることが出来ない事実でした。
全ての物事から逃げるようにそして、人との関わり合いが嫌になりました。
心配をしてくれる人に対して、どうせ他人事で何故心配してくれるのかが分からず他人が心配してくれることすら窮屈に思えました。
自分を塞ぐことでそのきっかけを無くすことがベストだと考えていました。
その時にずっと考えていた事があります。
それは自分の死についてです。
何も答えは出ないけれど、無常感で自分を見つめ直す事が出来、ただひたすらに悲しく不安になりました。
気が紛れる一時
四六時中そんな事を考えていましたが、唯一楽しかった、ワクワク出来るような時がありました。
それはある焼き鳥屋の店主が夢を語っている時でした。
80歳を超えている方なのですが、死生観から何を自分は残していくのか?そんな事を考え、日々事業に取り組んでいるおじさんです。
話を聞いていると、「死生観」を自分自身へ問いかける事で生きる原動力になるのではないか?
と考えるようになりました。
少し長くなりましたので、また後日この続きを綴らせて頂きます。次は、死生観を自分に問いかける事で、実際に行動へ繋がった事を書きます。
拙いなぐり書きの文章でしたが、ここまで読んで頂き有難うございました。