歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 被災地からのレポート
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被災地からのレポート2015年6月16日 11:26
ほやが美味しい季節となりました~歌津の母さん達の想いよとどけ!~
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南三陸町の北部、旧・歌津町周辺では、地域の第一の特産品であるワカメ漁を4月末頃で終えますと、次は『ほや』の旬を迎えます。
“海のパイナップル”とも言われているホヤ
“ほや醤油漬”
”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。美しいリアス式海岸が続く宮城県と岩手県の沿岸部ではもともと天然のほやが多く取れました。そのほやですが、私たちにとってはこの時期になったら食べずにはいられないソウルフードで、子供のころから当たり前に食べていました。それが実は他の地域では全く知名度が低い食材であることを、恥ずかしながら社会人経験を10年以上経てから知りました。
歌津・中山漁港(小太郎社長撮影)
前置きが長くなりましたが、季節限定商品でゆえに数量は『さんま昆布巻』にかないませんが、『ほや醤油漬』が歌津小太郎の代名詞といっても過言でないくらいの大人気商品でした。2013年4月に工場を再建してからも、地域の漁港でのほやの水揚げが十分な量まで戻らなかったので初年度の復活は断念し、一年後の2014年5月にようやく『ほや醤油漬』の復活をさせることが出来ました。そして今シーズンですが、昨年よりもさらにほやの仕入れ量に自信が持つことが出来るまで、すなわちほや漁師さんのほうも漁の復興が進んで参りました。そこで満を持して皆様にお届けすることになりましたのが『歌津小太郎・新物ほや醤油漬と珍味のセット』!!!
期間限定『新物ほや醤油漬と珍味のセット』
5月21日から6月14日までの「被災地応援ファンド」セキュリテセット限定販売でしたが、お客様から「父の日ギフトに使いたい!!」と言う要望が多数ありましたので歌津小太郎ホームページと仙台藤崎百貨店「歌津小太郎コーナー」のみで販売期間をを延長(6月21日(日)まで)することになりました。
※歌津小太郎直筆“お父さんありがとうコースター”もお付けします!!
このセットはあえて『さんま昆布巻』をメンバーから外しました。今回は、ほや醤油漬を“センター”にしまして、お父さん達にお酒のつまみで味わって欲しい、そんな想いで厳選したので、5人(5品)のメンバーの顔触れを検討した結果あえて『さんま昆布巻』を外してみたのです。出来れば、これまで『ほやを食べたことがない』、そういった方に是非とも一度試してほしいと思います。
宮城県人・岩手県人が愛してやまないほやは一度食べたらやみつきになると絶賛する方がいる一方で、その独特の味と、鮮度が悪くなるとたちまち味が落ちてしまう、それも金属臭という特徴ある異臭を放つために“嫌われがちな食材”でもあります。そんなほやですが、歌津小太郎の『ほや醤油漬』は秘伝の味付けで他に類を見ないほどほやの美味しさを最大限に引き出していまして、それがゆえに年齢を問わず熱烈なファンがいるという特徴ある商品です。
水揚げされたばかりのほや
山積みされたほや
商品となったほや
以上、歌津の現場から千葉がお伝えしました。
記事担当: 千葉孝浩
PS 歌津小太郎のホームページではこんなコンテンツもご用意しました。
・漁師の一眼 → こちら
・小太郎の四季 → こちら
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被災地からのレポート2015年5月28日 10:36
歌津の漁師のおかあちゃん
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”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
今回は、これまでにもときおり質問を 頂いていた話題ですが、小太郎社長夫人で歌津小太郎の製品の味を全て決めているあさ子へのインタビューを中心にしまして、歌津の漁師のおかあちゃん達の姿をご紹介したいと思います。
実は2014年2月には『小太郎社長インタビュー:歌津の漁師』というタイトルでご紹介していまして、戦前という時代に漁師町で生まれた小太郎社長の幼少期のインタビューを介して、歌津の昔の漁師の暮らしと当時の子供たちの様子をご紹介したのですが、それを公開した直後から、女性版と申しますか、あさ子のほうのストーリーも知りたいというリクエストを頂いていました。しかし、自分の親に改めてインタビューするのも気恥ずかしいのと、読まれる皆さんの関心がどこにあるのか、身近にいる者としては非常にまとめにくいテーマだと思いまして、長く保留にしていました。
その書きにくいテーマをちょっと工夫をしまして、あさ子へのインタビューはウチの製造スタッフ兼事務兼広報担当の渡邊に任せまして、歌津の昔の暮らしぶりと『食のこと』についてもイメージしてもらえればと思います。
=== 独占インタビュー ===
“小太郎社長の妻・あさ子さんの、(有)橋本水産食品が生まれるまで”
渡 邊:さて今回はあさ子さんに子供の頃のお話しから順に伺いたいと思います。女性に年齢を聞くのは失礼ですが、インタビューという事でお許し頂いて、教えて頂けますか?
あさ子:はい、いいですよ!昭和18年生まれで、兄姉は五人。私は末っ子として生まれたよ。生まれも育ちも※旧歌津町(うたつちょう)・馬場(ばば)だね。
※H17年に歌津町と隣町の志津川町が合併し、現在は南三陸町となっています。
渡 邊:あさ子さんの幼少時代~中学校時代のお話をお聞きします。小さい頃はどんな遊びをしていましたか?
あさ子:そーだねー、かくれんぼや石けり、お手玉、おはじき、縄跳び、馬っこ(まっこ)乗りかな~?
渡 邊:えっっ?馬っこ乗りってなんですか?
あさ子:人数が揃うと馬になる人と上に乗る人を決めて、下に落ちないように次々に飛び跳ねて乗っていくの。落ちたり、馬の形がくずれるとやり直しする遊びだね。馬になる人は大変だよ。増えれば増えるほど重くなっから、つぶされてしまうっちゃ。
※当時の『馬っこ乗り(飛び)』 Ieより
渡 邊:馬になる子は危ないですねぇ。 そんな中、浜生まれの浜育ちのあさ子さんは海とはどのよう関わってきたんですか?
あさ子:そうだね~、小学校三年生頃から両親と一緒に船に乗って行って天然のわかめの「わかめあげ」 を手伝ったなぁ。 当時は半農半漁の生活だったから、学校に行く前に朝仕事として畑に行っては麦ふみをして、海に行ってはわかめあげをしてからでないと学校には行かせてもらえなかったんだよ!
体を動かせばお腹もすくし、かと言って食べる物もないからね。自分の家の仕事の他にも手伝いに行ってはお米をもらったりしてね。高学年になると、海藻とりやウニ・アワビの開口にも連れてってもらったりしてね。
渡 邊:子供なりの役割があって手伝いは必須だったんですね。
あさ子:そうだね、幼い頃から当たり前のようにしてきたから、これが(手伝い)糧となって、今があるようなもんだね。
渡 邊:手伝いの中にも女の子は台所の手伝いもあったと思うんですが、やはりこの頃から料理の手伝いがあったからこそ今の料理上手に繋がるんでしょうか?
あさ子:いやいや、料理は結婚してからだよ。もちろん、台所の手伝いはしてたけどね。
渡 邊:そうなんですね!結婚という言葉が出ましたので、ここからは結婚してからのお話をお聞きしたいと思います。小太郎社長と結婚したのは何歳の時ですか?
あさ子:昭和41年だから、社長が25歳で私が23歳の時だね。どちらの家も漁師の家庭でね。当時の千葉家は網差しや天然ホヤをやってたね。それからかれこれ6年経って長男、孝浩(現在、(有)橋本水産食品専務)が生まれ、その3年後に次男、馨(現在、かなっぺ経営)が生まれたのね。次男が生まれた年に橋本水産食品として創業、その後(有)橋本水産食品として会社を設立。有限会社になってからは私が、ほや、めかぶの原料を各浜に買いにトラックで歩いたね。
この頃のほやの味漬けは小太郎社長だったんだよ。ある方のあるたれとの出会いがあってね、その一品を応用して歌津小太郎の味を作り上げてきたの。煮物や昆布巻なんかは私独自の味で味漬けしてたけどね。それと、採った海藻は社長が市場へ売りに行ってね。
こんぶ炒り作成中のあさ子さん
渡 邊:そうだったんですね。 幼少時代から結婚後までのお話をお聞きする事ができ、ますますあさ子さんファンになりました。有り難うございました。
以上、渡邊がお届け致しました。
歌津小太郎の商品づくりのこだわりを一言で言えば「人」です。
もちろん新鮮な旬の素材や地元でしか食すことのできない料理法など、物「モノ」を通じ味や風味を表現するためのこだわりは当然あります。
しかしながら、この自然豊かな環境で生まれ育った私たちにしてみれば商品を作るうえで物へのこだわりは、当然に備わっている基本的な要素です。それよりも、その自然を熟知している経験や素材の特性を引き立たせる熟練された技術こそ私たちが商品に吹き込まなくてはいけない者「モノ」としてのこだわりです。
今回の記事はそんな私たちのモノづくりの一面を少しでもイメージが膨らむようお伝えできればと思い、歌津小太郎の味付けの原点を築いた創業者の人となりをご紹介しました。現在、製造スタッフ10名ほどで毎日の商品づくりをより「いいモノ」にするべく作業工程を日々工夫し、作り手の立場を楽しみながら業務にあたっています。
現在建設中の新工場も高度な衛生環境にするため、最新の設備が導入される計画で進めていますが、決して大量生産ではない、手づくりのやさしさが伝わる「モノづくり」にとことんこだわり、これからもお客様に必要とされる事業となるよう精進してまいります。
<あとがき>
小太郎夫人のあさ子へのインタビューはいかがでしたでしょうか?
私も知らないことが沢山ありました。最初に出資者の方にリクエストを頂いたときは、どんな記事が書けるか想像もつかなかったのですが、担当した渡邊がうまくその辺を引き出してくれたと感じています。 おかげさまで工場を移転し、限られたアイテムから製造を再開して丸2年を無事に迎えることが出来ました。水産加工に必要な海水の引き込みが依然かなわない状況の中、スタッフ一人一人が持ち得ている知恵と技術でここまでの商品を扱えることが出来ました。もちろん未だにお客様からのご要望にすべてはお答えできていない部分に関しては、何よりも優先させなければいけない課題と捉え、今後は取り組まなければなりません。
正直なところ事業再開から、この半年ぐらい前までは私自身「焦り」、「迷い」、「弱気」と言ったマイナス思考的な考え方がどうしても頭の中の大半を占領していました。もちろん今になってもこの要素は一つも解消できている訳ではありませんが、なんとなく上手に付き合うことが出来るようになってきた気が最近しています。その要因は何なのかを自分に問いかけてみると「期待」、「信頼」、「覚悟」と言う前向きな気持ちを心に持てるようになってきたからなのかと感じています。
これからも皆様からの力強い応援をなによりの原動力に、私たちの最大の武器であるスタッフ一丸のチームワークで自分たちにしか出来ないモノづくりに挑戦してまいります。
これからも応援よろしくお願いします。
記事担当 インタビュー/渡邊笑美、 本文/千葉孝浩
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被災地からのレポート2015年4月23日 14:32
復活2年目~2月・3月の報告:第二工場着工・ホームページリニューアル~
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
『毎月11日に更新するぞ!』と決めて始めたいろいろな思いを盛り込んでご報告する毎月配信のブログがここのところ滞ってしまっておりました。今回は2月と3月の経過をまとめてご報告します。
既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、長いこと動きのなかった歌津小太郎のホームページを2月27日よりリニューアルしました。同時になんとFacebookもはじめました。
ホームページ→http://www.utatsukotaro.co.jp/
facebook→https://www.facebook.com/utatsukotaro
これは、なかなかパソコンの前での作業に時間を取ることができない私に代わって、製造スタッフ兼事務担当の二人が、今年1月の初めからスタートしたプロジェクトの成果です。漁師町の奥様達なので魚をさばくのは得意でも、こうしたパソコン作業はとっても苦手!そこのところをなんとか試行錯誤しながら、得意な人に教わりながら仕上げました。手作り感満載で歌津小太郎らしい出来栄えになっているかと思います。
こうした独自のホームページやFacebookでの情報発信に加えて、ここのところの1年半ほど力を入れていた被災地応援ファンドのこちらのブログでの発信を通じて、より多様な局面から私たち歌津小太郎と私たちが暮らす歌津の地域への理解を深めて頂ければと思います。
さて、今回のブログの主題ですが、既にピークを過ぎてしまってからのご報告で本当にカッコ悪いのですが、歌津小太郎の拠点であります南三陸町・歌津の港では2月下旬からワカメ漁が始まり、3月から4月初旬にかけてピークを迎えました。そのワカメ漁のご報告に始まり、2月と3月の進捗をお伝えしたいと思います。
また、今回は出資者の方から意外な質問、「小太郎社長は最近どうしていますか?」というものを頂きましたので、そちらにお応えしつつ、私たちの現状を踏み込んでお伝えしたいと思います。
●歌津に春到来!
ワカメ漁2015 3月下旬から4月上旬の歌津・馬場中山の港の様子はこんなかんじとなります。
朝日が昇る前から作業をするワカメ漁師さんの船です。
列になって浮かんでいるのは、ワカメ養殖のロープを支える浮きです。
朝日が昇る頃に作業をする船をもう少しズームしてみましょう!
以上の写真2枚馬場中山カオル商店HP20150328
もう少し太陽が昇ってからの写真です。(朝日の写真とは別の日)
港での収穫したワカメの処理作業風景の遠景です。
上記の写真2点とも馬場中山カオル商店HP20150402
漁師さんの家族単位で作業を行っています。 馬場中山カオル商店HP20150330
今年の歌津のワカメは、海水温の低温が影響して生育が遅れたこともあり、思うような収穫が出来ないシーズンとなりました。ワカメそのもののご紹介は、歌津小太郎の商品のご紹介に交えて次の活動報告のなかでお伝えします。
●2015年2月~3月の歌津小太郎の活動報告
【新物めかぶ2015】
今年の2月は天候にも恵まれ、寒い時期のメカブ特有の新芽で柔らかい良質のメカブを用意することが出来ました。その新物メカブと歌津小太郎自慢のさんまの昆布巻をセットにした、春限定のセキュリテセットを今年も販売させて頂きました。おかげさまで82名様から98セットのご注文を頂き、またまた全国に送らせて頂きました。
お買い上げ頂いた皆様には、あらためて感謝感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました!
【第二工場建設】
1月22日に地鎮祭を行いました歌津小太郎第二工場ですが、諸般の事情で着工はそれから一ヵ月以上後の2月26日からとなりました。第一工場のお隣に出来ますので私も他の製造スタッフみんなもワクワクしながら工事の進捗を見守っています。
地盤改良工事が始まりました。2015.2.26撮影
2015.3.3撮影
2015.3.26撮影
2015.4.14撮影
2015.4.22撮影
●歌津小太郎への素朴な疑問 Q&A
仙台・藤崎の常連のお客様からは、
「歌津小太郎さんの姿をお店で見なくなったけど、今はどうしていますか?」
ファンドの出資者の方からは、
「小太郎社長の姿をブログの中ではあまり見かけないけど、お元気ですか?体調など崩されていないでしょうか?」
あるいは、半分冗談ではありますが、
「千葉さん(孝浩)は『2代目・漁師の歌津小太郎』を“襲名”されたりしないのですか?」
といったお声をときおり頂きます。
「あれれ、もしかしたら小太郎社長の存在感がここのところ薄くなっていたかも?」と、気付かされました。ご心配をおかけしてすみません!
小太郎社長はもちろん元気にしておりますが、お客様の前に姿を見せることが少なくなった、その理由をご説明したいと思います。
小太郎社長は10年ぐらい前までは仙台・藤崎の直営店舗にほぼ毎日店頭に立っておりました。(私がお伝えするのも手前味噌ではありますが)実は、藤崎の常連のお客様の中には、『歌津小太郎商品のファン』というよりは『小太郎社長ファン』という方も少なからずいらっしゃいました。その後、体力的にも歌津~仙台を毎日通うことが厳しくなり、小太郎社長の代打で店に立つ私に、「あれ、今日は小太郎さんは?」と問いかけられる方が多かったので、『小太郎社長ファン』というのは言い過ぎではないと思っています。
2011年の震災・津波で被災してからは生産資源を全て失ったので、販売するものも無くなってしまいましたから、そのような形で小太郎社長がお客様の前に姿を現すことはなくなってしまいました。その後、2013年3月に仙台・藤崎の直営店舗が復活し、さらにその一ヵ月後に歌津・管の浜の現在の工場が出来てからは、実は小太郎社長には歌津での重要な任務、それも小太郎社長にしか出来ない特殊任務的な作業があり、仙台の店舗のほうにはなかなか顔を出すことが出来なくなってしまいました。
「その重要な任務とは…?」
…実は『海水汲み』なんです。
通常期ですと毎日500ℓの水を2往復、取り扱い原料によっては毎日5往復も海水を汲んでは軽トラックで工場に運んでいるのです。
以前の工場は海の目の前に建っていましたので、原料を洗うための海水は海から直接くみあげていましたが、現在の工場は内陸に500mほど入ったところにありますので、このような海水汲みの作業が必要になりました。
そもそも、なぜ真水ではなく海水を使うのか?
海産物の下処理は真水を使ったのでは製品になりません。私が言うまででもありませんが、素材の良さを引き出すためには出来るだけ自然に近い状態で作業しなければなりませんし、細胞や繊維を壊さないためにも水産加工では海水での下処理は基本中の基本です。例えば、めかぶ漬の下処理でメカブを洗浄する工程がありますが、この作業を真水でした場合、メカブの鮮やかな緑の色や独特のねばりが極端に損なわれてしまいます。また、一日の作業を締めくくる清掃作業では作業場の床や壁の洗浄も海水で洗い流すと、次の日の朝の状態が全然違います。
震災前工場があった近くの中山漁港で、海水汲み
に取り掛かる、小太郎社長
『海水汲み』の作業を終え、海を見ながらくつろぐ小太郎社長です。 馬場中山カオル商店HP0326
この『海水汲み』ですが、現在の第二工場建設と合わせて、海水を引き込む工事が出来るように行政に申請し調整中なのですが、いまだに最終判断が出ていません。この件のネックは港の整備の進捗なのですが、今後の歌津小太郎の商品製造の生産性に影響する重要事項なので、引き続き働きかけを行って参りたいと思います。
<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
現在、第二工場建設対応で本当にバタバタでして、すぐには全てに対応出来ないと思いますが、少しずつ皆さんのご要望にお応えしつつ、歌津小太郎のありのままをご理解頂けるように努めたいと思います。
ときおりこのあとがきで現在の歌津小太郎の復興の進捗度合いを登山に例えて参りました。前のブログを読み返してみると、2014年4月18日配信の記事でちょうど2014年の第一四半期を終えた時点での進捗として「登山に例えると6合目まできた」という報告をしていました。それからちょうど1年が経過しましたが、この間は6合目からなだらかに長く続く7合目を目指して歩み続けてきたといったところです。
実は首都圏のデパートなどから催事販売への出店のお声掛けなども頂いているのですが、まだまだ生産体制が十分でないため、直営店舗の『仙台・藤崎』、工場のお隣の『みなさん館』、そして震災前からの販売代理店である加藤物産による小規模な催事販売という既存のこの3つの販路への供給を間に合わせるだけで精一杯という状況でしたので、泣く泣く断念していました。ビジネス用語的に申しますと、ボトルネックが『生産体制』でして、具体的には本来は水産加工の『二次加工』を行う設備で、『一次加工』も行わなければならなかった故に効率の悪さが原因でした。(ちなみにこの『一次加工』に海水を沢山使っているわけです)
そのボトルネックですが、この秋にオープンの第二工場が完成すると一気に状況が変わります。登山に例えるならば、7合目の先には斜面60度の難関が待っているというイメージでしょうか。第一工場の倍の生産量に増やすことが出来るのですが、一方ではそれを支える製造スタッフを増員しなければなりません。秋からのボトルネックが『製造スタッフ』となることが明確なので、その準備を今からしております。
…と、ここまで書いたところで、(いつものことですが)あとがきなのにとても長くなってしまいましたので、今回はここまでで締めたいと思います。
まだまだ沢山のハードルを抱えながらの事業再建ではありますが、引き続き応援を宜しくお願いします。
記事担当: 千葉孝浩 -
被災地からのレポート2015年4月15日 11:52
行って来ました!
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遅くなりましたが・・・
埼玉県蓮田市・第25回商工祭さくらまつりが4/4(土)行われ
(有)橋本水産食品より千葉孝浩が歌津小太郎の代表として行って来ました。
今年のさくらまつりは、天気が心配されましたが、 まつりが始まる少し前には雨があがり、
まつり中は 何とか降らずに持ちました。
きっと何処かにお天気男・お天気女がいたのかな~と思います。
当日の祭りの様子
毎年のことながら、沢山の人で賑わいます。
今回のさくらまつりも毎年お世話になっている“はすだ支援隊”の 皆さんの応援があり、
おかげ様で持参した商品はすべて完売となりました。
本当に有り難うございました。
蓮田の皆さんの協力と支えがあってこそ、歌津小太郎の今があります。
今後も深いお付き合いを続けていくと共に、皆さんの応援にこたえて いけるよう、
三陸・歌津の『うまいッ!』をお届けしていきたいと思います。
目印の大漁旗
トレードマークの、歌津小太郎ハッピにバンダナ帽の千葉と、
“はすだ支援隊”のリーダー、小森さん。
試食の提供をしている、千葉
ブースの外でも・・・
お子様連れのお客さんもたくさんきて頂きました。
南三陸町・歌津 馬場・中山地区キャラクター“海藻戦隊・わかめんジャー”は
残念ながら登場しませんでしたが、
蓮田市のマスコットキャラクター“はすぴぃ”が来てくれました。
子供達も大喜び!
また、毎年8月に行われる、“はすだ市民まつり”にも、出店する予定でおりますので、
夏にも『歌津小太郎』の旬の味を持って皆さんに会いに行きたいと思います。
今後共、宜しくお願い致します。
記事担当 渡邊 笑美 -
被災地からのレポート2015年4月2日 11:29
今年も行きます!さくらまつり!
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今年もさくらの季節がやってきました。
『歌津小太郎』にとって4回目の出店となるさくらまつり。
(有)橋本水産食品・千葉孝浩がトレードマークの歌津小太郎ハッピに バンダナ帽を身にまとい、皆さんに会いに行きます。
↑こちらは去年の様子。わかめの試食とセールスに追われる千葉。
昨年同様、この機会に歌津の地域と歌津小太郎の復興の進捗もお伝えできればと 思っています。
今回は、
・新物 湯通し塩蔵わかめ
・新物 めかぶ漬
・陸中漬
・ひと味ぼれ/ほたて
・さんま昆布巻 の5アイテムが小太郎ブースに並びます。
南三陸町歌津の旬の味と地元漁師のお母さん達が作るおふくろの味をお持ちしますので、
皆さん是非!イベント会場へ足を運んで頂ければと思います。
■埼玉県蓮田市・第25回商工祭さくらまつり
日 時: 2015年4月4日(土) 午前10時~午後4時 ※雨天順延
場 所: 元荒川河川敷公園(蓮田駅より徒歩10分程度)
会場までは、蓮田駅東口よりのぼり旗を目印にご来場いただけます。
(会場付近の混雑緩和の為、公共機関をご利用ください)
詳しくはこちら↓
http://www.nihon-kankou.or.jp/saitama/detail/11238ba2210115879
↑去年のさくらまつりの様子。
絶好のさくら日和でした。
↑海藻戦隊・わかめんジャー。 今年は来てくれるかな~?
【解説】 私達、歌津小太郎のある南三陸町の馬場中山地区と蓮田市さんとは震災を機に深くおつきあいをさせていただいています。蓮田市と白岡町の建設業者さんの有志により結成された“はすだ支援隊“の皆さんが初めて馬場中山地区のボランティアに来ていただいたのが2011年4月下旬。それ以来、ガレキ撤去、炊き出しに始まり、第二避難所建設、道路建設といった大きなプロジェクトも私達・地域のメンバーを導き奮い立たせながら協同で活動してくださいました。震災から4年を経過した今もなお、ご支援を継続して頂いています。
記事担当 渡邊笑美 -
被災地からのレポート2015年3月25日 14:01
『震災から4年 東北の食を楽しむランチ&トークイベント』参加報告
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
先日の週末、3月21日(土)に『震災から4年 東北の食を楽しむランチ&トークイベント』に参加して参りましたのでご報告します。
震災から丸4年を迎えましたこの3月、私たち歌津小太郎にとっては2013年4月に工場を再建してから“丸2年”を迎えようとするこの時期ですので、歌津小太郎のナンバーワンの人気商品である『さんまの昆布巻』と今が旬の『めかぶ漬』をお持ちして伺いました。
『さんまの昆布巻』と今が旬の『めかぶ漬』。4月中旬までセキュリテセットとしても販売中!
実はこれまで、ミュージックセキュリティーズさんから何度も東京でのイベントにお誘い頂いていたにも関わらず、日々の製造と仙台の直営店舗での販売、そして新たなる挑戦に向けた様々な業務に忙殺され、なかなか東京まで出向くことが出来ずにいました。前回、歌津小太郎が東京でのイベントに参加させて頂いたのが、工場再建直後の2013年7月、その頃はまだ原材料が揃わないという事情で看板商品の昆布巻の復活が果たせておらず、事業再建はしたもののヨチヨチ歩きという段階でした。今回は、ようやく歌津小太郎を温かく支援して下さる皆さんの前で、自慢の昆布巻とともにご挨拶することが出来たわけです。
イベント会場内の様子
ゴメンナサイ。ちょっと暗くて判りませんが、私(千葉)です。
今回は、10社くらいの事業者さんが参加するイベントで、立食パーティー形式でしたが、全員の前でお話 させて頂く時間も5分ほど頂きました。 …が、残念なことにちょっと舞い上がってしまい、重点的にお伝えしなければならないこと、本来は歌津小太郎の新たなる挑戦である第二工場のこともう少し詳しくお話すべきでしたがうまくお伝えしきれないままに終わってしまいました。こういった場に慣れていないなと大反省。
しかし、イベント全体が約3時間半とたっぷりの時間をとって頂いたので、歌津小太郎の試食コーナーにお越しいただいた多くの皆さんと十分にお話をさせて頂くことが出来ました。どういった期待をこめて私たち歌津小太郎を応援して頂いているか、そういったお話も直接お会いして出資者側の思いを伺うことが出来た貴重な体験でした。本当にありがとうございます!
会場内に設けた『歌津小太郎試食コーナー』
商品以外の話題なのですが、実は一番多かったお声がけが、
「ブログを読ませて頂いています。文章がウマイですね!」
というもの。嬉しいような、気恥ずかしいような…すなわち、こちらに書かせて頂いている長文のブログのことです。多くの方にこうして反響を頂きましたので、この場を借りて歌津小太郎ブログに関して補足しておきたいと思います。
長文ブログの後半にもいつも書いていますが、『被災地からのレポート』に私たちの本音の思いも含め沢山のことを綴るようになりましたのは、出資者の方からのアドバイスによるものでした。
・会社の名前が“有限会社橋本水産食品”で、
・私の苗字が“千葉”で、
・ブランド名が“歌津小太郎”で、、、
この3つが関連づかずに判りにくいので、そこをブログ記事で説明してはどうか? こういったアドバイスを皮きりに、「出資者の目線で見ると歌津さんのココが判りにくいから。。。いい商品なのに伝わっていないから。。。こういう表現で伝えると都会の人にも判りやすいのでは。。。」といったように効果的な発信のためのアドバイスを頂くようになりました。その結果生まれたものが歌津小太郎の長文ブログなのです。
そんなわけで、私自身の文章がウマイのではなく、なかなか出資者の皆さんの前で“歌津小太郎”の全容をご説明する機会を持てなかった私たちを“広報(後方?)支援”の位置づけでサポートして下さるようになった出資者の方との合作が、うまく読者の側に届いているということなのです。
ブログに関するお声がけを頂いた皆様には、そのような出資者の方とのコラボ記事であることをお伝えしまして、従業員10数名の小さな会社である我々にとっては、遠くにいても『出来ることを出来る範囲で支援して下さる力』、すなわち出資者の皆さんのお力を得たことが、事業再建の一番の推進力となっていることを感謝の気持ちとともに述べさせていただきました。
もちろん、ブログの話題だけではなく、『さんまの昆布巻』と『めかぶ漬』をご試食頂いての感想や、“首都圏で昆布巻を買えるようにならないのか?”といった嬉しいお声掛けも沢山頂きました。ありがとうございます。
4年たって徐々にあの大災害の記憶が風化していく中、私たち東北の事業者のために集まって下さった皆さんに本当に感謝します。
歌津の海岸は、現在、ワカメ漁の最盛期でして4月下旬まで収穫が続きます。気候が良くなって参りますこれからの季節、東北を旅行される際には、是非、南三陸町・歌津にお立ち寄り頂ければと思います。
有限会社橋本水産食品 千葉孝浩
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被災地からのレポート2015年3月6日 09:54
ホームページがリニューアル!
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しばらくの間、動きの感じられないホームページでしたが、
遂に!!
常に新しい情報が目に見えるホームページが誕生しました。
これまで(旧ホームパージ)から、生まれ変わるまでの日は事務所スタッフが
ホームページ作成チームとして、日々活動してきました。
写真の撮影から始まり、文章の校正・レイアウト、また自身が思っている意見を
お互いに 出し合いながら、1月中旬から2月下旬にかけて作りあげてきました。
・・・とある作業風景での会話
校正スタッフ「この写真はどうでしょう?」
撮影スタッフ「う~ん、もう少し中央によせた方がいいかな・・・」 etc.
こんな感じの会話が1か月半続き、納得がいくまで意見を出し合い、
ようやく、Newホームページが出来上がりました。
また、新たな試みとして、初めてfacebookも始めました!
是非こちらも、活用して頂ければと思います。
詳しくはこちらまで↓
facebook→https://www.facebook.com/utatsukotaro
ホームページ→http://www.utatsukotaro.co.jp/
記事担当 渡邊笑美
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被災地からのレポート2015年2月24日 10:01
復活2年目~1月の報告&私たちが第二工場を作る理由~
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2015年もあっという間にニカ月が過ぎようとしています。私たちの拠点であります宮城県南三陸町(の北部の旧・歌津町)では、何日か雪が降りましたが積もるというほどではありませんでした。しかし、太平洋に面するこの地域特有の強く冷たい風で寒さは格別です。この寒さが海の中で美味しい宝物を育んでいます。
歌津・馬場地区の港です。吹きっさらしの状態の中ですが、ワカメの収獲に必要な機材を準備している様子です。(馬場中山カオル商店HP20150212)
歌津の海の宝物の一つ、アワビです! 今年初、1月9日の“アワビの開口”での収獲です(馬場中山カオル商店HP20150109)
今回はいつもと趣向を変えまして、前回の長文のブログ(1月21日配信の12月の”お歳暮商戦最終報告と直近3カ月の予定”)でお伝え切れなかった話題、私たちの第二工場建設の話題を先にお伝えし、後半で1月のご報告をしたいと思います。
●『漁師 歌津小太郎』第二工場の地鎮祭~そして建設を決断した理由
先日、短いブログで速報をご紹介しておりますが、1月22日に『漁師 歌津小太郎』の第二工場建設の地鎮祭を執り行いました。第二工場建設に関しては当然、大きな投資となるわけですが、忙しさの中で皆さまに詳しい経緯をご報告出来ないままに突然のご報告となりましたかと思います。誠に申し訳ありません。事後報告となってしまいますが、改めてご説明したいと思います。
2015年1月22日、第二工場の地鎮祭を行いました!
【漁師 歌津小太郎の第一工場と第二工場の概要】
2011年3月11日の津波被害で、私たちは海に面して建っていた工場を含め全ての生産資源を失いました。2年間のブランクを経ましたが、多くの皆様と国や地域行政の支援により、2013年4月に宮城県南三陸町(旧・歌津町)管の浜という地域(そこは海岸線から500mほど入ったところです。)に旧工場の半分くらいの規模の水産加工工場を再建しました。
今回、新たに建設します第二工場は、この管の浜の第一工場と同じ敷地に隣接して建てるものです。機能としては第一工場が震災前の主力商品でした『メカブやホヤなどの生鮮加工食品』を生産するのに対し、第二工場では現在の主力商品である、さんま昆布巻などの『昆布巻専用の生産ライン』を有し、歌津の海で水揚げされたホタテやアワビに牡蠣、そして宮城県人が愛してやまないホヤなどの海産物の『一次加工と急速冷凍加工』を行うという役割の工場となります。ほとんどが手作業で行いますので工場というより『水産加工場(かこうば)』という表現のほうが合っているかもしれません。また、第二工場には小スペースですが、販売できるコーナーも設けて、地域での自社加工商品の利便性も高めて行こうと計画しています。
●第一工場の概要(比較のため)
建屋面積: 182.18平米
完成年月: 2013年4月
歌津小太郎新工場の全景(完成直後に撮影)です。 歌津小太郎HP20130518
●第二工場の概要(および今回建設する付帯設備)
建屋面積: 343.95平米
延べ床面積: 603.14平米
仕様: 鉄骨2階建て(販売スペースを含む)
工事期間: 2015年3月から9月を予定
第二工場完成予想図
【私たちが第二工場建設を決断した理由(わけ)】
第二工場が出来ると、歌津小太郎では震災前には取り扱っていなかった生鮮品の海産物も取り扱うことが出来るようになります! すなわち、ビジネスの範囲が格段に広がります。
この大きな挑戦へのきっかけとなったのには、大きく二つの要因からでした。
一つ目の要因は、支援して下さる皆さんとの交流から生まれた『歌津の旨いっを届けたい!』という強い思いでした。そして二つ目は、震災前の歌津小太郎を再建するという考えだけでは解決できないことがあまりにも多く、その状況から脱したいと切に願ったことからでした。
『支援して下さる皆さんとの交流』とは全国に広がる支援者の皆さんとの交流を全て書き出すと語りつくせないくらいの長文になってしまうので、中でも象徴的な出来事をご紹介します。震災から1年後の2012年4月より、毎年4月・8月・11月の3回、埼玉県蓮田市の地域イベントに呼んで頂き、歌津の漁師さんが食べている旨いものを支援者の皆さんと一緒に販売させて頂いたこと(こちらのブログでも随時報告させて頂いていますが)これが私たちに強い力を与えてくれました。
蓮田市の土木・建設業の組合の皆さん達(その名も“はすだ支援隊”)とは震災直後からその専門性を生かしたボランティア活動で、私たちの避難所である歌津・馬場中山生活センターを支援して頂いたことをきっかけに、その後、避難所が解散となってからも長きに渡って支援を続けて下さった方たちです。そんなご縁から始まりまして、年に3回の地域イベントに呼んで頂くようになりました。最初のうちは、ホントにそれしかなかったという事情もありますが、『南三陸(歌津)特産のワカメ』のみを販売していました。
震災後、間もない時期は、このワカメ一品だけでも、「肉厚でしっかり味がある!これがホントのワカメの味なんだ~!」と大変に好評を頂きましたが。その後、回を重ねるごとに地域イベントにお越し頂いたお客様のご要望がワカメだけではなく、ホタテとかカキとか多種にわたる歌津の海産物であることに気づきました。当時(2012年-2013年頃)の南三陸・歌津の海の復興状況を知っている支援隊の皆さん(←何度も申しますが、本業は土木建設業)は、そのような要望にも「まだ加工施設が整備されてないんでワカメしか販売することが出来ないんですよ~」と、歌津から少人数で来ている私たちを代弁して誠意のこもった対応をしてくださいました。その姿を見て、「いつか必ず歌津小太郎のとっておきのうまいッを持って来よう」そして、支援隊のみんなに「歌津小太郎のこれがうまいんですよ」とか「今回の目玉はこれです」とお客様に自信をもってお勧めできる海産物を一緒に売ろうという意欲が芽生えました。
2014年11月3日、蓮田市イベント(このときは歌津小太郎商品とホタテ焼きを提供)の完売達成シーン――「バンザ~イ!!!」
写真に写っている皆さんが私たちに力を与えてくれる恩人たちです!
さらには、震災前からの歌津小太郎直売店舗(仙台市内)のお得意様から復活を待ちわびている商品、特に人気なのがホタテやホヤやアワビなどを使った商品ですが、そういった商品に対しての声がたくさんあるのにも関わらず、全く手を付けられていない不甲斐なさ…応援してくれている皆さんをいつまで待たせなくてはならないのか…そんな心のうちでの葛藤があり何とかして実現しなくてはと言う自分でもびっくりするほどの強い気持ちを持てたことでした。
大きな挑戦へのきっかけとなった二つ目の要因ですが、再建に向けた道のりのなかで何度も壁にぶつかった経験から、これまでのような自分たちの役割だけ、すなわち震災前の歌津小太郎に戻ろうとするだけでは全く前に進めないという現実に直面した時でした。
宮城県の中でいうと、気仙沼や石巻は町としても港としても規模が大きく、専門的に言うと『拠点港』という位置づけですので、復興は第一優先で行われました。しかし、ホントに小さな漁港が海岸線に点在していた南三陸町では、津波で被災した後の港の設備の再建が大幅に遅れています。そのため、漁師さんが採った海産物の『一次加工処理(魚介類の洗浄→規格品の選別)』を行うという部分が現在もほとんど機能していません。従って、これまで常識だった『地域の漁港で水揚げ後すぐに一次加工処理をし、衛生管理をしっかり行った流通を行う』ということが出来なくなっています。
2014年8月上旬、歌津・中山地区での震災後初のホタテの水揚げです。といっても港に設備(洗浄・冷蔵庫・選別場etc)がないので、水揚げ後すぐに別の地域の加工場に移して、一次処理を行います。
以前であれば、私たち歌津小太郎のような水産加工場は『二次加工(下処理→味付け→包装)』の仕事だけをしていたのですが、私たちの仕事の上流側である『一次加工処理』が停滞していたのでは商品が作れませんので、現在は不便ながらも我々のほうで一次加工処理も行っています。
『海産物の一次加工』というのと、歌津小太郎の現在の工場の違いというのも一般の方には判りにくいかと思います。歌津小太郎では、海藻類や魚や魚介類を調理してパック詰めし、2週間とか1カ月とか3カ月の賞味期限のものを作りますので、衛生管理を徹底して行っています。そのような体制を『二次加工』と言います。この二次加工の調理場の中に、海から水揚げされたそのままの魚介類を持ち込むのは衛生管理上、あまり好ましくありません。ホタテを例にとりますと、水揚げされたそのままのホタテは、貝殻に藻などが沢山ついていますので、多様な海の微生物と食品二次加工のスペースを共通で使うのは、衛生面でのリスクが高まるためです。
もう少し詳しく申しますと、震災前は、歌津の小さな漁港のそれぞれが、一次加工施設を持っていたので、そういったところで一次加工したもの、ホタテでいえば貝柱の状態で歌津小太郎工場に仕入れていたわけです。その一次加工施設がないので、現時点では、キッチリと衛生管理に配慮しながら、歌津小太郎の現在の工場内でその一次加工も行っているのですが、このままでは衛生面だけでなく生産性も大変に悪いのです。その結果、これまでのブログの中でもときおり触れておりましたように『港の一次加工施設の整備まで、まだ復興の手が回っていないため、歌津小太郎の得意とするところ(二次加工)に全力投球出来ない』というわけです。我々、歌津小太郎が震災前と質と量で同様くらいの商品ラインナップにまで戻すには何をしなくてはないのか…「公共投資での整備が待てないならば、歌津小太郎の一次加工施設を作れないだろうか?」そう強く思い始めるようになりました。
「なんとかしなければ!」とモヤモヤした気持ちでいたときに、南三陸町から地域産業の復興に向けた補助事業の公募を目にしました。歌津小太郎の工場再建からちょうど1年後の2014年5月初旬のことでした。
「これだ!これしかない!!」藁にも縋る思いとはこのことだと直感しました。これからやらなくてはいけない私たちの事業像や地域水産業の将来の姿について、積りに積もった思いのたけを申請書に敷き詰めました。国と町が審査する補助事業のため、取り決めの項目や施設環境の条件など、詳細な制約を一つ一つクリアしながら申請受付最終日の昨年(2014年)5月31日、締切ぎりぎりの1時間前に何とか提出することが出来ました。
各申請書類のファイルです。
その後、お中元やお盆商戦の繁忙期でも審査の結果が気になって仕事がうまく手につかないでいた昨年(2014年)8月、役所から郵便で届いた「採択」の通知に、ホッとして一気に体から力が抜けたことを今でも覚えています。
それから、今年(2015年)の1月22日の地鎮祭を迎えるまでの約5か月間は更なる試練の連続でした。施設、設備業者さんとの話し合いはほぼ毎日と言った感じでしたし、保健所、道路、排水、漁港などの関係機関との相談など、自分たちの理想の工場にするためには、これほどまでの確認作業があるのかと思い知らされました。
現在は今年(2015年)3月の工事着工を目指し、工事関係者の皆さんと協議をしながら最終の詰めの判断をする段階に来ました。まだまだ課題や難題を抱えていて簡単には建てられそうもない歌津小太郎第二工場ですが、これまでも何とか努力して解決してきたことを思い出し、理想の商品づくりを追い求め、次のステージへ向かって前進するよう取り組んでまいります。
長くなりましたが、以上が私たちが第二工場(一次加工施設)を作る理由(わけ)となります。現在の工場が2013年4月に復活しましたが、それから1年たっても震災前の売上の半分程度までにしか戻せていなかった2014年5月という時期に、さらなる大きな投資に挑戦しようと思いましたのは、『次の世代にもこの地に軸足をしっかり固めて歌津の旨いものを作り続けて欲しい』という願いと申しますか、強い決意表明なのでした。
●2015年1月報告
歌津小太郎の唯一の直営店である、仙台藤崎百貨店が今年(2015年)12月に開業する地下鉄東西線一番町駅の連絡通路の開通工事に伴い、食品フロアの全面改装工事が1月29日より始まりました。 本館地下2階にありました私たちの売場も、現在は本館地下1階の仮スペースに移転しての営業となっていて、お客様には多々ご迷惑をお掛けしているところであります。歌津小太郎コーナーの場所は仙台名産品コーナーの一角に構えており、これまでと変わらない品揃えを展開し営業しています。 こちらのコーナーには今年(2015年)4月の中旬までの期間営業し、改装工事が終了しだい新しい歌津小太郎コーナーとして本館地下2階に移る予定です。
歌津の第二工場建設と仙台の歌津小太郎コーナーのリモデルとが同時に計画が進められているので、頭の切換えが難しく、右往左往する毎日が続いていますが、これもいつものことと思うようにして、逆に楽しんで新しい取り組みに挑戦して行こうと思います。
本館地下1階の仮スペースでの売り場
<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
2015年の大プロジェクト『第二工場建設』、その決断に至る経緯をようやくご説明できました! 漁港や水産加工の世界の事情など、一般の方には判りにくいこともあろうかと思いますが、なんとなく判って頂けたのではないかと思います。
今後は、第二工場に併設する直売所的な販売スペースの構想に関しても、その運営の手法に対して支援して下さる皆様の楽しいアイディアを取り入れていければなと思っております。
前回のあとがきと重複しますが、もっと便利に歌津小太郎商品をご利用いただけるようwebサイト(通販事業)の整備や、首都圏でのデパ地下販売会にもこれまで以上出店するよう計画しています。時間の経過と共に、私たちの地域の環境も復興に向かって着実に前進していることを感じ取れるようになっております。私たちが目指す事業が地域の発展に少しでも貢献できるよう、お客様から必要とされる商品をしっかりご提案できるよう精進して2015年に挑みたいと思います…頑張ります!!
記事担当 千葉孝浩
震災前までの工場跡地で、古くはココが千葉家の自宅でした。昭和の半ば頃は、家の裏に直接小舟をつけていたわけです。遠くに見えるのが歌津半島の先端です。(震災直後の2011年3月13日撮影)
現在の海の様子
2015年1月9日、アワビの開口(収穫して良い日)のときです。(馬場中山カオル商店HP20150109)
私たちの地域では、震災後もほとんどの漁師さんが以前と同様に漁師を続ける選択をしました。
…辛いことも沢山ありましたが、代々漁師をしていたご先祖から受け継いだこの歌津の地での暮らしを絶対に諦めません! -
被災地からのレポート2015年1月23日 13:38
第二工場 地鎮祭
-
2015年1月22日、第二工場建築に伴い、地鎮祭が執り行われました。
あいにくの雨模様と、気温が低い中での地鎮祭。
小太郎社長はじめ、専務の千葉、工事関係者を合わせ、
計8名にて今後の工事の無事をお祈りいたしました。
只今、地鎮祭の会場準備中
安全祈願が始まりました。
斎鎌(いみかま)を使い刈初をする、小太郎社長“え゛い”
神前に玉串を奉る、専務の千葉
千葉に続き、工事関係者の皆さんも奉り、
最後にお神酒を頂き、地鎮祭終了。
参加して頂いた、工事関係者の皆さん、寒い中足を運んで頂き 有り難うございました。
また今後の予定や、新しい動き・情報がありましたら、 随時発信していきたいと思いますので、
宜しくお願いします。
記事・撮影担当 渡邊笑美
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被災地からのレポート2015年1月21日 13:16
復活2年目~12月のお歳暮商戦最終報告と直近3ケ月の予定~
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2015年、新しい年がはじまりまして早くも半月が過ぎました。昨年末は爆弾低気圧の影響などで南三陸も雪の降る日が例年に比べ多く、荒れた天候が続きましたが、新年を迎えてからからここ最近は穏やかな天候となっています。本年の工場の仕事始めが1月6日(火)からでしたが、小太郎社長の年頭の挨拶にスタッフ一同、気持ちを引き締め、歌津小太郎が今年一年やるべきことを確認し合いました。
平成27年1月6日 仕事始めの歌津小太郎製造スタッフ集合写真
(撮影当日、不在だった渡邊と、カメラ担当の私・千葉孝浩を含め13名体制です)
思えば、2年前、2013年の今頃は新工場の完成を目前にし、あれやこれやと震災後の2年間のブランクを取り戻すべく再出発の準備に明けくれ、その合い間に仮の工場である『みなさん館』のレンタル工房で歌津小太郎商品を作っていました。1年前の2014年の今頃は震災後初のお歳暮商戦を乗り切り、忙しいながらもスタッフのみんなと喜びを分かち合っていました。
そして今はと申しますと、1年前の今の時点では構想も出来なかったのですが、なんと『第二工場』を建設するべく、準備が着々と進んでおります。お伝えしなければならないことが沢山あるのですが、順番に整理しましてお話したいと思います。書き始めたら、またものすごく長くなりそうでしたので、今回は、2014年のお歳暮商戦の最終報告までに留めました。
そのあと、次回のブログの発信のタイミングでのご報告となりますが、現在の歌津/馬場中山地区と現在の工場があります管の浜周辺の状況をご報告させて頂きます。そのうえで、歌津小太郎がなぜ『第二工場』の建設に到ったのか、ご説明したいと思います。
●お歳暮商戦報告1~広がりに喜びを見出す・歌津小太郎ギフトを沢山お届けしました! 昨年12月17日に中間報告をさせて頂きましたが、改めて2014年のお歳暮商戦を総括してみたいと思います。
主力商品が『昆布巻』、すなわち、お節料理の定番ということもありまして、歌津小太郎は一年を通じて一番売上が多いのが11月から12月にかけてのお歳暮や年末年始のご自宅用の需要となります。この2ヶ月間の売上が年間売上の4分の1くらいですので、かなりこの時期に集中するのだということが判って頂けると思います。
(写真は2013年お歳暮ギフトカタログより)
2013年度のお歳暮商戦では、4月に工場再建したということもあり『歌津小太郎の昆布巻』の復活を待ち望んでいて下さっていたお客様に支えられまして予想以上の実績を上げることが出来ました。 復活の2年目となる2014年度はどうであったか――震災から丸3年が経過し、全国的には徐々に東日本大震災の報道がされなくなってきていますから、『被災地を応援するために東北のモノを買おう!』といった気運は2014年のお歳暮商戦ではもう多くを見込めないであろう悲観的な要素と、『歌津の漁師が食べている本当の旨いもの』を提供し続ければ、きっと沢山の人に想いが届くだろう、そんな楽観的な発想とが入り混じりながら、2014年度のお歳暮商戦の売上目標を“前年比+10%くらい”と掲げてみました。
結果は、残念ながら前年比97,3%。数字としてはもっと頑張れたらなぁという結果ではありますが、実は内容的には嬉しいこともいくつかありました。12月17日の中間報告にも取り上げましたが、震災前はギフト配送は宮城県内へのお届けが大半で、わずかに関東近県向けがあった程度でしたが、今回は47都道府県の全てにお届けすることが出来ました。
12月中旬、「ニッコリ笑って~」と声をかけられないくらいのスピードで包装作業をしていました。
震災前と現在とで歌津小太郎が明らかに変わったのは、“大きな広がり“です。こちらの『被災地応援ファンド』に参加することで、全国の多くの皆さまにファンド募集のサイトを通じて、歌津小太郎の名前を知って頂くことが出来たこと、それに加えまして、震災直後の避難所生活の際に始めた歌津/馬場中山地区の情報発信(その目的は避難所で“今すぐ必要”なモノと支援の手をリアルタイムで伝えること、そして、その支援のお礼をお伝えすることでして、2012年11月まで毎日続いたもの)により、我々の地域を知ってそして支援してくれたボランティアの方が全国に広がったこと、この2つのチャンネルにより、震災前に比べて『歌津小太郎』に気が付いてくれた方が増えたことが広がりの理由かと思います。
実は震災前には、『販路を増やそう!』という発想はそれほど強くなく、年に4-5回ほど宮城県外のデパートでの催事販売に出向く以外はほとんど手つかずの状態でした。しかし、全てを失い再出発してからは、少しでも早く震災前の数字(売上)に戻すこと、さらには、ファンド出資者の皆さまの我々への期待にお応え出来るようにと考えたときに、これまでのように『宮城県の人なら誰でも知っている歌津小太郎』というだけではダメなのだと気がつきました。その点から申しますと、全国の人に歌津小太郎の味をお届け出来たという2014年の結果は大きな成果といえるのです。本当にありがたいことです。
また数字に関してですが、売上目標を“前年比+10%くらい”と強気に計画してみたものの、実は前年比と同様であったとしても、それは製造スタッフにはかなり無理をしてフル生産をしなければならないという限界値でした。昨年に比べ製造スタッフは増員しているものの、その他の制約、例えば作業スペースに、原料や完成品の保管スペースや、毎日の配送スケジュールに間に合うかどうかなどといったことを勘案しますと、前年比97.3%は、胸の張れる結果と捉えています。
そんなわけで製造スタッフの方は通常期、毎週土日がお休みのところ、毎週土曜日も製造を行うという無理のない範囲の『繁忙期体制』で臨み、12月30日に2014年の仕事を無事に終えました。
(ちなみに1月にはゆったりと代休を消化するようにしています)
●お歳暮商戦報告2~歌津小太郎直営店舗では~ 仙台市内の老舗百貨店『藤崎』の歌津小太郎直営店舗を受け持つ販売スタッフのほうも前年よりも人数を増やしましたので、繁忙期であるのに加えて、デパートの地下の売り場ということからお店自体のお休みが本当に少なく大変な職場ではありますが、チーム力で非常に頑張ってくれました。
こちらが12月の歌津小太郎直営店舗(藤崎の地下2階)
こちらの写真は7階の催事場(ギフトセンター)です。
お歳暮商戦の時期の直営店舗では、昆布巻が本当に飛ぶがごとく売れてゆきます。多くは毎年ご購入頂く歌津小太郎ファンの皆さまです。デパ地下での対面販売の特徴でもありますが、提供しております商品のほぼ全てを試食出来るようにしていますので、12月の店頭はお客様が途切れることがないという活気が続きます。現在の販売スタッフは4名でして、それに加えて歌津から仙台への商品搬入も担う私(千葉)が12月中は出来るだけ店頭にも立つようにしています。以前(震災前)に比べ、こうして店頭に立つ時間が少なくなった私を見つけると、古くからのお客様が声をかけて下さり、歌津の様子を尋ねられるということも多く、そしてまた他のお客様が足を止められて一緒にお話しを聞いて下さる――そんな風景が12月の歌津小太郎店舗なのでした。
普段は歌津小太郎直営店舗で生鮮品を扱わないのですが、例年、年末の3-4日間だけ『南三陸名物の水ダコ(お刺身用)』をご用意しています。こちらも昆布巻同様に年末年始のご馳走用に大人気の商品でして連日完売!(今年は水タコが不漁のため、品薄の中での販売となり午前中でほぼ完売でした) 今回から『南三陸歌津産 天然あわび煮』も年末の店頭商品として追加してみました。震災前にも年末限定の商品として販売していましたので、こちらも店頭に出して数時間後には完売となりました。
中山漁港で水揚げされた天然アワビです。
今回のご報告はここまでに留めたいと思います。
近いうちに、『南三陸町の今~歌津/馬場中山地区・管の浜地区』、『歌津小太郎が“第二工場”を作る訳』といった流れでご説明を加える予定でおります。
●今後の3カ月計画
今回のブログでは、まだご説明が足りない部分が多いかと思いますが、今後の3カ月は次のような予定があります。
随時、ご報告して参りたいと思います。
1月…・第二工場の地鎮祭 1月22日(木)
・仙台藤崎の地下食品フロアの全面改装着工(1月27日で地下2階のフロア閉鎖)
※工事期間は4月中旬頃まで、その期間は地下1階の仮設売り場にて営業
2月…・第二工場建設工事着工予定(寒い時期なので3月からに変更する場合も有り調整中です)
・新物めかぶ製造(今回より「いかめかぶ」復活、めかぶ漬も継続する)
3月…・新物わかめ入荷
<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
2015年は大プロジェクト『第二工場建設』が控えています。この『第二工場建設』という決断に至った経緯を、忙しさにかまけて出資者の皆さまにもまだ丁寧に説明出来ていませんでしたので、それを説明したかったのですが、いろんな思いを詰め込んだ結果、12月のご報告だけでもくどく・長くなってしまいましたので、続編として近いうちにご説明したいと思います。
予定よりは多少遅れての工事着工となりますが、ファンド資金を最大限活用して、新しい分野にも挑戦する環境を整えていきます。今回の施設では生産施設としてだけではなく、直売所的な販売スペースも設け、南三陸の新鮮な海の幸や、自社製品を地元から発信し、広げて行く事業にも挑戦してまいります。
また、もっと便利に歌津小太郎商品をご利用いただけるようwebサイト(通販事業)の整備や、首都圏でのデパ地下販売会にもこれまで以上出店するよう計画しています。時間の経過と共に、私たちの地域の環境も復興に向かって着実に前進していることを感じ取れるようになっております。私たちが目指す事業が地域の発展に少しでも貢献できるよう、お客様から必要とされる商品をしっかりご提案できるよう精進して2015年に挑みたいと思います…頑張ります!!
記事担当 千葉孝浩
1月9日の早朝6時、今年初めて千葉家がアワビ漁に出た日の朝日です。
今後のブログでは歌津の海のことも沢山紹介して参ります。お楽しみに!
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