歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 被災地からのレポート
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被災地からのレポート2015年1月7日 10:38
新年のご挨拶
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新年明けましておめでとうございます。
本年も「歌津小太郎」宜しくお願い致します。
2015年は雪のスタートとなりました。
まだ、雪が残る南三陸町歌津から、
千葉小太郎社長よりご挨拶を皆さんにお届けしたいと思います。
(2015年元日 南三陸町歌津、中山漁港より撮影した初日の出)
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
旧年中は大変お世話になり有難うございました。
おかげさまで、私たちの地域も本格的な復興に向かって日々前進しております。
本年は第二工場建設の大プロジェクトも控え、より一層の飛躍する年となるよう、
従業員一丸となって精進してまいります。
新しき年の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
平成27年1月6日 有限会社 橋本水産食品
千葉 小太郎
(平成27年1月6日 新年初営業日、歌津小太郎製造スタッフ集合写真)
撮影担当 千葉 孝浩
記事担当 渡邊 笑美
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被災地からのレポート2014年12月17日 13:42
復活2年目~お歳暮商戦中間報告と年末年始の予定~応援ファンドの皆さんに感謝~
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
12月も中旬となりまして、こちらのブログをご覧になって下さる皆さまも大変に忙しくされているのではないかと思います。私はというと、昆布巻をはじめとする沢山の商品を営業車に積んで、歌津と仙台の100kmの往復をほぼ毎日、その合間に第二工場の建設の着工準備とで昨年の1.5倍の忙しさをなんとかこなしています。
おかげさまで、私たち「漁師 歌津小太郎」ブランドの復活2年目のお歳暮商戦は、(第二工場建設を計画しているということも加味して…)若干強気で計画していた目標数量をなんとかクリア出来そうな動きでご注文を頂いております。ありがとうございます!!!
昔からの『藤崎』(←仙台市の老舗百貨店です。歌津小太郎の直営店あり)のお客様に加え、今年も首都圏を中心に新たなお客様からご注文を頂くケースが増えて参りました。こちらの『被災地応援ファンド』というチャンネルに加えて、震災をキッカケに「困っているときは、困っているありのままをドンドン発信しよう!」と始めた地域の情報発信の効果で、宮城県の小さな町・南三陸町のさらに小さな小さな漁師町にある歌津小太郎を知って頂く機会を得たことが、こんなにも広がったことに製造スタッフも販売スタッフも大変に驚いています。
特に広がりがあるのはお歳暮ネットショッピングの部門です。歌津小太郎自身では通信販売を行っていないのですが、お歳暮の時期だけ、『藤崎』のサイトに掲載して頂くのです。これは震災前からあったのですが、正直申しまして、以前はこの藤崎ネットショッピングからご注文頂くのはほんの僅かでした。 今年はお歳暮商戦スタート直後に、都内にお住まいの出資者の方がすぐに気がついて下さり、「親戚中に送る分をネットから注文しましたよ!」とご連絡まで頂戴しました。これはホントにスタッフ一同、出荷伝票にお辞儀するくらいの感激でした!
ネットからのご注文は首都圏にお住まいの方からが多いという傾向がありまして、さらに配送先も日本全国津々浦々。そこでスタッフの中ではこんな会話が交わされています。
<とある日のギフト出荷作業>
スタッフA:
『なんとまんづ! コレ、沖縄の住所だっちゃ~』
【すご~い! コレ、沖縄の住所だよ!】
スタッフB:
『沖縄なんてこれまでねがったっちゃね~。こっつぁ~九州だっちゃ~』
【沖縄なんてこれまでなかったよね。こっちも九州だし~】
スタッフA:
『今年は全部の県にギフトおぐらったんでねぇ~』
【今年は47都道府県へのギフト配送、達成したんじゃないか?】
スタッフB:
『歌津小太郎が全国の人に知ってもらって、もうなんだもねぇ~なぁ~』
【歌津小太郎、全国の人が知ってくれてることになるのか。スゴイね~!嬉しいね~!】
只今、包装作業中!!
包装が終了し、山積みになっています。
ヤマト運輸さんが回収に来ました。
これから、全国各地に『歌津小太郎詰合せ』が届けられます。
なお、歌津小太郎の年末年始の予定は次のようになっております。
12月18日(木) 『藤崎』お歳暮ネットショッピングの承り期間終了
12月28日(日)より 『藤崎』年末限定!! 『南三陸名物の水ダコ(お刺身用)』※品薄ですが…
『南三陸歌津産 天然あわび煮』を藤崎で取り扱い
12月30日(火) 製造部門の仕事納め
12月31日(水)17時 『藤崎』の仕事納め
(1月1日だけお休み)
1月2日(金) 『藤崎』初売り
1月5日(月) 歌津小太郎製造部門の仕事始め
2014年も残りわずか! 一人でも多くの皆さんに『歌津の旨いっ!』をお届け出来るようにスタッフ一同頑張ります。
記事担当: 千葉孝浩 -
被災地からのレポート2014年11月18日 14:13
復活2年目~9月と10月のまとめ報告とご連絡~お歳暮商戦に入りました!
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
10月10日より31日までの期間限定でしたが「さんま昆布巻セット」をこちらのサイトで販売させて頂きました。この機会に初めて歌津小太郎の味をお試し頂いた方、出資者特典で既に昆布巻をお試し頂き、リピートでご注文頂いた方など、様々な皆さんに我々の自慢の昆布巻をお届けすることが出来ました。大変ありがとうございました。
「昆布巻、届いたか~い」 の歌津の言葉版
今回の記事では後半に首都圏でのイベント出店の様子を掲載しています。イベントの定番は南三陸産のホタテ焼き。漁師の『うまいっ』を代表する逸品です。
さて、歌津小太郎ではこの時期、11月中旬から12月末までがお歳暮商戦の時期ゆえに年間を通して一番の繁忙期となります。私は歌津と仙台を頻繁に行き来しまして走りまわっていますし、製造スタッフも朝8時には作業を開始、仙台の販売スタッフはいつもよりも常駐の人数を増員して対応します。昨年は復活の初年度ということでの忙しさでしたので、2年目は少し落ち着くかと思いきや、私に限って言えば今年は今年で第二工場の建設も重なりまして、さらにめまぐるしい状況となっております。
そこで、最初から言い訳となってしまい誠にお恥ずかしい次第ですが、今年の2月から月に一度の連載をしておりました歌津小太郎の長い文章のブログ報告のうち、『3年間のふりかえり』の部分は休載させて頂き、当座は直近の出来事のご報告や告知などにとどめたいと思います。要するには、12月末まではパソコンの前で長文を作成する時間が取れなくなるのです。自分で「毎月発信するぞ!」と決めて臨んだのに、本当にカッコ悪いのですが、ご理解を頂ければと思います。
いちおう「休載」という位置づけでして、少々時期を逸してしまうかもしれませんが、繁忙期の12月を過ぎまして来年の1月になってしまいますが、再び『3年間のふりかえり』の“10月版”から“1月版”を順番に書き記したいと思います。私自身、この記事を書き始めまして改めて整理がついたこと、気が付いていなかったけど教訓として身に付いていることなど沢山あり、どちらかと申しますと、皆さまに向けて書いているというよりは未来の自分のために整理していると、そんな風な面が強くなってきていました。
あまりにも長い文章で、皆さまに飽きられていないかという心配もありましたが、時折、出資者の方がご自身のブログで歌津小太郎のこの長文ブログのことを取り上げて下さったり、私のつたない文章を引用して歌津小太郎を紹介して頂いていたりするのを見つけますと、丁寧に読んで頂けていること、思いが伝わっているのだということが判りまして嬉しく感じています。そんなわけで、また1月になりましたら長い独り言のような『3年間のふりかえり』記事におつきあいいただければと思います。
● 2014年9月後半から10月にかけての歌津小太郎活動報告 ~仙台のデパ地下にて昆布巻がぶ~
【今年のさんま昆布巻きは…】
歌津小太郎が直営店舗を設けております仙台市内の老舗百貨店『藤崎』では、9月下旬から『新物さんま昆布巻』が登場しました。
今年のサンマは丸々と太って脂の乗りが良く昆布巻には最高! それを石巻・十三浜の『鵜の助』さんの昆布――これは昆布巻用最高品質のものを厳選して仕入れていますが――その鵜の助昆布で巻きまして、歌津小太郎の秘伝の製法で絶妙な味わいに仕上げています。『新物』が出始めますと、常連のお客様が今年の味の品定めにとすぐにお買い上げ頂きまして、まさに羽が生えているかのごとく飛ぶように売れていきます。私自身も大変に嬉しいですが、それを製造スタッフに報告しますと、自分達の作る味が支持されていることを実感しさらにやりがいを感じているようです。
トロっと昆布がとろけて、さんまの旨味と重なります。ブログでは昆布巻の味をお届けできないのが残念!
10月に入りましてからは、三陸でとれた鮭を使った昆布巻の新物も出始めました。これにニシンの昆布巻も加わりまして、「さんま・さけ・にしん」の昆布巻製品フルラインナップが揃いましたのが10月下旬。これらが揃いますと、歌津小太郎のお歳暮セットの準備が整ったこととなります。
【第二工場建設の進捗】
当初の予定では今月(11月)からの着工を目指し、地元の建設会社さんと1年前より計画を練ってまいりましたが、現在更なる衛生環境の向上と、新しい分野の商品を生み出すための施設にするべく計画の見直しをしています。着工は12月にずれ込んでしまいますが、納得のいく生産施設となるよう今後も万全を期して第二工場建設に臨みたいと思います。尚、この工場では地元で水揚げされる新鮮な魚介類や出来たての歌津小太郎商品を販売する物販コーナーも設ける計画です。地域住民の利便性を高めるのはもちろん、遠方から南三陸町にお越しになる方など交流人口増加にもお役に立てるよう、地域に貢献できる施設を目指してまいります。
【11月2日-3日の首都圏イベント報告(座間市&蓮田市)】
2012年からの恒例イベントとなっていますが、今年も神奈川県座間市と埼玉県蓮田市のイベントに呼んで頂き、歌津小太郎と歌津の地元の美味しいものをお持ちして販売させて頂きました。双方の会場とも用意した品物は全て完売! ありがとうございました~!!!
11月3日、蓮田市イベントの完売達成シーンです。「バンザ~イ!!!」
中央のピンク色のハッピが蓮田市長さんです。
これらのイベントは、震災後の避難所生活の際に歌津・馬場中山地区にボランティアに来て頂いた皆さんとの交流が継続しているものです。誰よりも私自身が一番楽しみにしているイベントです。少しずつの歩みではありますが、我が町である南三陸町が復興に向けて前進していることをご報告できることが本当に嬉しいのです。震災直後は、日本全国のみなさんが自ら車を走らせ支援物資を運んで下さいましたが、今は私自身が『歌津の地元の美味しいもの』をトラックに満載してお返し出来るようになったわけです。
今回の特集写真コーナーではこの2か所でのイベントの様子を掲載しておりますので、イベントの盛り上がりとともに、私の『旨いものをお届けできる喜び』の情景をご覧いただければと思います。
● 2014年11月~12月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報 歌津小太郎にとっては11~12月は昆布巻を中心にしましたお歳暮セットの時期ですが、南三陸・歌津の海のほうは、港での『わかめの種挟み作業』が佳境となるとともに、アワビの開口の時期を迎えます。
我が千葉家でも生粋の漁師、小太郎(父)と、櫂押し歴60年のあさ子(母)、漁師にはなれなかった私(孝浩)、見習い櫂押しの馨(弟)の4人が乗り込んで明け方の海に出港です。この日は絶好の開口日和(波も穏やかで、風もそれほどなく)の中、朝6時~9時までの時間アワビ漁に挑むため、家族が久しぶりに一つの目標に向かって団結しました。結果は専門に海に出ているわけではないので、周りの漁師さん達の半分ほどの水揚げでしたが、私たちにしては十分な漁でした。それよりも箱メガネで海の中を眺めなら、あらためて歌津の海の豊かさを感じる、とても貴重な機会にもなりました。
奥の櫂を押しているのがあさ子(母)、赤い合羽が小太郎(父)、オレンジが私(孝浩)、撮影者が櫂押し見習いの馨(弟)の布陣でアワビ漁に挑みます。(2014.11.16撮影)
午前9時になりました。
漁を終え港に帰ります。(長時間、慣れない体勢でしたので、あっ足が…いっ痛い…)
港に帰ると、規定のサイズに満たされているのか検査を受けます。
※ここ中山漁港の今年最初のアワビ漁の水揚げは昨年よりも厳しく、震災前の約半分の水揚げのようです。
仙台・藤崎百貨店では11月13日(木)からいよいよお歳暮ギフトセンターがオープンしました。昨年のお歳暮商戦から復活した「歌津小太郎手づくり昆布巻」シリーズですが、今シーズンから1アイテム増え、3アイテムでの展開で取り組んでまいります。地元宮城県・仙台にお住いの方はもちろん、webからの受注にも対応していますので、被災地応援ファンドの出資者の皆様もご利用いただけるようになっています…どうぞよろしくお願いいたします。
※藤崎百貨店ホームページは→こちらから
ギフトセットが出そろいました!
<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
震災から3年半を過ぎますと、社会全体の関心はオリンピックであったり、グローバル化であったりと……被災地はどんどん忘れられていくことを感じ、今もときおり直面する困難な状況に、気持ちが折れそうになることもまだまだあります。
そんな合間でしたが、11月2日と3日の首都圏でのイベントでは沢山の助っ人さん達に助けられ、そして沢山のお客様にお会いし、温かい言葉を頂くことが出来ました。やっぱり、このように直接、お声掛けを頂き、そして私も「頑張ります」とお伝えすること、その一言一言が全て自分への宣言となり、元気の素になります。この次に皆さんのところにお邪魔する際には、歌津小太郎としても歌津・馬場中山の地域としてもさらなる復興の歩みを進めた姿をご覧いただけるように頑張りたいと思います。
最後に、私はつくづく自分のこの仕事、特にお客様に直接自慢の美味しいものをお届けする『対面での販売』が好きなんだなと実感しました。仙台の『藤崎』でも、今回の屋外でのイベント販売でも、直接お客様のお顔が見えて、喜んで買って頂ける姿が見える――お客様との会話そのものも楽しいですし、震災後に復活してからはホントに思いやりの深い言葉を沢山頂きました。この対面販売というのはビジネスとしての爆発的な飛躍はないかもしれませんが、歌津小太郎のこのスタイルの本質は変えぬように、自分達が食べて美味しいと思うものをお届けする、そんなシンプルな商売を続けて参りたいと思います。
記事担当 千葉孝浩
■□■□■今月の特集写真コーナー■□■□■□■□■□
●11月2日-座間市でのイベント報告
11月2日の早朝、座間中学校の会場に私の運転するトラック「馬場中山号」が到着です!
座間市イベントの開始前ミーティングです。手作りの垂れ幕を準備して頂いていましたが、温かみがあっていいです!
今回はこんなに広いスペースを用意して頂きました。
座間市イベントの販売の助っ人女性陣です。普段は建設会社で事務などをされている皆さんです。
販売スタッフさんたちに、まず、試食を味わって頂き、お客様への説明内容をレクチャーしています。
こちらは強力な助っ人の弟カオル&カナエさん夫婦に手前がカナエさんの妹・ナナコさん。 ホタテ焼きの担当です。
ホタテ焼きが大人気で焼くのが追いつきません。
カオル&カナエ夫婦に南三陸町の現在の様子を質問して下さっているお客様です。 美味しいものが沢山あるので、是非、いらして下さい――こうして気にかけて下さるのがありがたいのです!
そして、あっという間に完売でした!
今回は女川町さんのチームとの合体での出店でして、そちらはサンマ焼きを提供していました。もちろん、サンマもオイシイですよ!
歌津小太郎商品も残りわずか――その後、完売となりました!ありがとうございます。
座間市でのイベントは、神奈川県にお住まいの歌津町出身者の方も沢山立ち寄って下さいました。 ウレシイですね!定番化しているイベントの良いところです!
(ここまで、馬場中山カオル商店HP20141102)
●11月3日-蓮田市でのイベント報告
これはなんだか判ります? 大漁旗を掲げるための竹を切りだしてきて下さいました!
歌津小太郎商品とホタテを満載したトラック「馬場中山号」です。
大漁旗を掲げます。一番目立っています。
イベント開始前に蓮田市長さんがお越しになりました。いつも気にかけて下さり、ありがとうございます! 歌津小太郎のハッピを着ていないと判りにくいかもしれませんが、左が私(千葉孝浩)。
炭火の準備が出来ました。ホタテを焼き開始です!
まずはお客様にお出しする前に、助っ人陣が試食です! 美味しく焼けています。
準備が整いましたので、イベントスタートです!
テレビの取材も入りました。美味しさも写して下さいね!
こちらでもホタテが大人気です。肉厚なのに加え、炭火で焼き立て! 美味しくないはずがありません!
歌津小太郎商品の販売助っ人は“はすだ支援隊”の男性陣です。普段は土木建設業の皆さんが、わかめの説明をして下さっています。もうかなり慣れています。
沢山の助っ人さんのおかげで、私はむしろ呼び込み役となっていました。まもなく歌津小太郎商品も完売です。
イベントの終盤で蓮田市長さんが様子を伺いに来て下さいました。ちょうど完売したところ! 本当にありがとうございます!!!
歌津小太郎売り場担当さんも大満足!
イベント大成功! みんなで記念撮影です! みなさん、ありがとうございました!
大活躍のホタテの焼き台。これは避難所生活のときにも活躍した思い入れのあるモノでした。
焼き台もトラックに積みまして歌津に戻ります。また美味しいものを満載してお邪魔します! ありがとうございました~~~
(ここまでの写真は馬場中山カオル商店HP20141103) -
被災地からのレポート2014年10月28日 10:44
『11/2座間市・11/3蓮田市』歌津の旨いものたっぷり持って行きますよ!
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”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
10月10日より30日まで、セキュリテセットでの『新物さんま昆布巻』の限定販売を致しておりますが、
おかげさまで予想以上のご注文を頂いております。震災前まではほぼ宮城県内のお客様だけにしかお届け出来ていなかった“歌津小太郎の味”を、このような仕組みを通じてより広くそして多くの皆さまにお届けできること、昆布巻の作り手であるベテラン製造スタッフ陣(歌津の漁師のお母ちゃん達)も大いに喜んでおります。
私たちが“歌津小太郎の味”を作ってます!
さて、今回は2012年から恒例となっております11月の首都圏での催事への出店のご案内をさせて頂きます。2日連続で2か所での開催でして、いずれも都心から1時間程度です。
●第一弾: 11月2日(日)神奈川県座間市『座間市民ふるさとまつり』
[会場] 座間中学校
※新宿→座間(相武台前)は小田急線で約50分
●第二弾: 11月3日(月・祝)埼玉県蓮田市『雅楽谷の森フェスティバル』
[会場] 蓮田市役所
※上野→蓮田はJRで約50分
【出店内容】
お持ちする商品は11月2日と3日で共通となりますが、歌津小太郎の商品としましては、わかめ、陸中漬、ひと味ぼれ(ひとみぼれ)などの3品目をメインに。そして目玉商品は、11月1日に水揚げした南三陸産の活きホタテを私がトラックで運びまして、その場で炭火焼きにします『ホタテ焼き』!
水揚げしたばかりのホタテを持っていきますよ(写真は昨年2013年11月のもの)
【11月の催事出店の経緯】
座間市も蓮田市も震災ボランティアで来て頂いたみなさんとのキッカケに交流が深まりました。ボランティアの皆さんはそれぞれ個人的な活動として頻繁に歌津の我々の手助けに来て下さっていたのですが、我々がそのときどきで何に困っていて、被災後の時間の経過とともに次はどんな手助けが必要かを察知して下さいました。そしてなんとか水産加工の商品が作れるようになってからは、地元の自治体や商店街に働きかけて、『買って応援』する場として、2012年よりこの時期のこうしたイベントにお声掛けを頂くようになりました。今年で丸3年となります。
歌津小太郎スタッフ自身が首都圏に直接出向いて販売する数少ない機会ですので、お近くのかたは是非、お越し頂ければと思います。
両日とも私(千葉孝浩)が出店責任者としまして終日おります。いつものように歌津小太郎のハッピを着ていますので、お声掛け下さい。今回の歌津からの助っ人は、歌津小太郎第三の男・弟のカオルとその奥さんのカナエさん。そして、現地の助っ人は、私たち歌津/馬場中山地区の応援団である座間市・蓮田市それぞれのボランティアのみなさんです。(歌津小太郎の長文のブログの中の写真で登場している皆さん達ですよ)
私(千葉孝浩)の催事の際の姿です。店頭では全ての試食商品を味わって頂くのをモットーにしています!遠慮せず、お気軽に声をかけて下さい!(2014年4月の蓮田イベント時)
例年、準備した商品の全てが完売となるのですが、特に人気商品の『ホタテ焼き』は早い時間で無くなってしまう可能性が高いですので、お早目の時間をオススメします! では、天候に恵まれることを祈りつつ、歌津の旨いものの準備にとりかかりたいと思います。 より多くの皆さんとお会いできることを楽しみにしています。
記事担当: 千葉孝浩
追伸 残念ながら、歌津小太郎の看板商品の『さんま昆布巻』もホントは皆さんに試食だけでも味わって貰いたいのですが、現在フル生産中ではありますが、それでも品薄状態が続いているため、この催事にもお持ち出来ません。ゴメンナサイ!
■□■□■特集写真コーナー■□■□■□■□■□
昨年、2013年11月のイベントの様子をご紹介します。
蓮田イベントです(この焼き台…はんぱなく火力が強いんで、すんごく熱いんです!!)
2013.11.3
網にのせて、5分もすれば…
出来上がり!!
大盛況のため、2013年の蓮田イベントでは400個 が2時で完売となりました。 歌津小太郎の出店ブースは大漁旗を掲げていますので、目印にして下さい。
(ここまでの写真は被災地からのレポート20140121「歌津小太郎の11-12月~歌津の
海と仙台のデパ近より~」から再掲載) -
被災地からのレポート2014年10月21日 10:04
歌津小太郎の『由来と沿革2014』
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”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
今回は、昨年秋の『さんま昆布巻』復活から一年を経過したことと、最近になりまして第二工場建設計画をブログの中で触れましてから新規で出資して下さる方が増えて参りましたので、いろんな意味も含めまして改めて“歌津小太郎とは?”をご紹介したいと思います。そこで『由来と沿革2014』というタイトルにしてみました。
2014年4月26日のファンドツアーで訪れたみなさんとの集合写真です。前列の左から2番目が小太郎夫人のあさ子、後列の一番左から私(孝浩)、小太郎社長です。(被災地からのレポート2014年5月13日より)
【歌津小太郎の“愛される昆布巻”とは】
歌津小太郎の看板商品はなんといっても昆布巻でして、さんま・にしん・さけを巻いた3品目があるのですが、中でも歌津小太郎ファンから熱烈な支持を得ているのが『さんま昆布巻』です。多くの方にとって昆布巻は、「お節料理の中でみかけるくらいしか思いつかない」というものかもしれませんが、歌津小太郎では昆布巻は年間を通して販売をしていて不動のナンバーワン商品です。特にこの時期は今年水揚げされた旬のサンマを使った『新物さんま昆布巻』を提供しております。どのくらい人気がすごいかと申しますと、この時期は製造スタッフは9割がた、この昆布巻の製造に集中していまして、残りの1割の時間で昆布巻以外の定番商品を数品目だけ必要最低限の量を作る、9月中旬からお歳暮商戦が終わる12月末まではそういった生産体制となっております。
ベテランの製造スタッフが毎日巻いています! 皆さん料理自慢のお母ちゃん達ばかりです!!
歌津小太郎のさんまの昆布巻は、秘伝の味付けと歌津の漁師のお母さん達の特殊製法により絶妙な味わいとなっており、口に含むと最初に“トロっ”と昆布がとろけ、そのあとサンマの旨味が広がります。骨までまるごと使っていますが、大変に柔らかく煮あがっており、ふだんは魚をあまり食べない子供さんでも好んで食べてくれるのだと言って下さるお客様もいらっしゃいます。
手作りの品ゆえに、めいっぱい頑張っても生産数量が十分ではないために、昆布巻製品は仙台市内にある老舗百貨店の『藤崎』の中の歌津小太郎直営店舗と当社の工場のお隣にあります南三陸町直売所『みなさん館』だけでの販売となります。しかし、これでは実店舗に行くことが出来る宮城県の方にしか、昆布巻をお届けできません!!!
そこで、10月10日にこちらのサイトでもご紹介させて頂いているように10月30日までの期間限定となりますが、セキュリテセットとしても販売を開始しました。宮城県以外の皆様にはそちらでお試し頂けると嬉しいです。
藤崎本館地下2階の歌津小太郎直営店舗です。売り場の半分は昆布巻や煮物製品が占めていまして、さらに一日に何度も補充しています。(2013年12月撮影)
【歌津小太郎の由来とは】
2012年6月にこの被災地応援ファンドに参加してから、多くの方に歌津小太郎を知って頂く機会が増えました。皆さまからよく頂くのが、
「”歌津小太郎”と橋本水産食品の“橋本”と苗字の"千葉"の関連が判らないので教えて欲し い!」
「橋本さんという方が創業者ですか?」
というお声です。確かに判りにくいですね! 自分達にとっては当たり前のことなので、あえてご説明をするという発想が抜け落ちてしまっていることが沢山あるなと気付かされるご質問です。
このネーミング問題に関しては、2013年9月10日に「由来」というタイトルでその説明をしておりますが、一年以上経過しましたので、その3つの名前の関連を改めて再編成してご紹介したいと思います。
◎会社名の有限会社橋本水産食品の“橋本”とは
創業者である千葉小太郎(父)が昭和50年(1975年)に漁師と兼業で水産加工を始めたのですが、その際に社名をウチ(千葉家)の屋号の“橋本”からとりまして有限会社橋本水産食品としました。都会に住む方は屋号というのはなじみがないと思いますが、地方では商売をやっていない家でも屋号を持つということがよくあります。ちなみに千葉家があります南三陸町(旧・歌津町)の馬場・中山地区では、100軒ほどの家族のうち、12軒の千葉さんがいらっしゃいますし、他にも阿部さん、及川さん、佐々木さんという家が多く、苗字だけでは判別できませんので、屋号で呼び合うのです。 我が千葉家の場合は、前の歌津小太郎工場の場所が”橋本”の原点でして、津波で跡かたもなく流されてしまいましたが、明治29年の三陸大津波まで、もともと代々漁師を営む千葉家があり、そこの隣に海に流れる小川にかかる橋がありまして、その橋のたもとということで”橋本”という屋号で呼ばれていたのでした。
震災前までの工場跡地です。 「橋本」由来の場所です。ここが自宅だった昭和の半ば頃は、家の裏に直接小舟をつけていたわけです。遠くに見えるのが歌津半島の先端です。(2011年3月13日撮影)
◎“歌津小太郎”とは?
昭和50年(1975年)に有限会社橋本水産食品を立ち上げましたが、会社といっても本当に小さな家族経営の規模でして、漁師と兼業しながらわかめの塩蔵品などの半加工品や、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」といった加工品をほそぼそと作っていました。当初は盛岡のスーパー等で「むきホヤ」を直接納品に行ったり、近くの産業まつりなどの物産展のイベントに出店したりと、そんな商売をしていました。 いまどきの言葉でいうと、一次産業(漁業)、二次産業(製造業/水産加工)、三次産業(サービス業/小売)の全てを行う六次産業(一次+二次+三次)だったわけです。
やがて私たちが作る味が評判となり、仙台の老舗百貨店の藤崎さんにお声がけ頂くことが出来まして、常設の店舗を構えるようになったのが平成5年(1993年)。その時に、私たち自身のブランド名を作り、その名前を町名の歌津と創業者の千葉小太郎を合わせて“歌津小太郎”と名付けました。直営店舗を持つようになってからは、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」に加えて、海藻類の煮もの製品のラインナップも充実させていきまして、昔は各家庭で作っていたけれど手間がかかるのであまり作らなくなってきた『昆布巻』なども歌津小太郎商品としてお出しするようになりました。この海藻類の煮もの製品は我々にとっては歌津のどこの家庭でも定番のメニューであり、色合いも地味ですからデパートで売れるのかと当初は半信半疑でしたが、仙台という宮城県内での“都会”のみなさんには懐かしい味としてご指示を頂いたのでした。
小太郎社長の昔の漁師姿の写真(15年ほど前に「藤崎」の直営店舗での宣伝用に撮影)
【歌津小太郎の震災前と現在】
歌津小太郎をもっと良く知って頂くために、震災の直前と現在のビフォー・アフターを比較したいと思います。こちらも依然にブログで掲載したものを再編成して、数字を若干、新しくしています。
◎震災前の歌津小太郎(有限会社橋本水産食品-2010)
会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
震災前の住所:宮城県本吉郡南三陸町(旧・歌津町)
歌津字馬場82 (本社、兼自宅)
字中山59-4(工場) ※海まで5歩
従業員数(社長も含む): 14人(うち歌津メンバーが9人、仙台の販売スタッフが5人)
取り扱い商品: 季節商品も含め全30品目
代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ・あなご・たらこ)、めかぶ漬、ほや醤油漬、陸中漬 など
販売チャンネル:
仙台・藤崎における直営店舗での対面販売 7割
提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 2割
その他催事販売、通販など 1割
震災前の3年間の平均売上額: 1.1億円
<<<2011年3月11日、東日本大震災とその後の津波により全ての生産資源を失ったのですが、 全従業員は無事でした!!!>>>
◎震災後の歌津小太郎(有限会社橋本水産食品-2014)
会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
本社住所: 宮城県本吉郡南三陸町(旧・歌津町)歌津字馬場82
(本社兼自宅でして震災前と変わりません)
震災後の新工場住所: 南三陸町歌津字管の浜55-1 (海からは1kmほど内陸)
※震災から丸2年経過した2013年4月27日に新工場を再建しました!
従業員数(社長も含む): 12人(うち、歌津メンバーが8人、仙台の販売スタッフが4人)
取り扱い商品: 季節商品も含め全20品目くらいまで回復
代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ)、めかぶ漬、陸中漬 など
復活を望まれる商品 ほや醤油漬の通年販売、めかぶ漬の各種アレンジ商品(イカめかぶ等)
販売チャンネル: (割合は2013年6月-2014年5月の概算)
仙台・藤崎における直営店舗での対面販売 7割
提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 1.5割
南三陸直売所『みなさん館』での委託販売 1割
その他催事販売とセキュリテセットなどでの通販 0.5割
震災後の1年間の売上実績: ※ファンド募集期間中なので数字の公表が出来ないのですが、
2013年6月-2014年5月の概算では、震災前の5割強くらいでした。原材料が揃わずに立ち上がりの前半で品数が揃えられなかったため、当初予想を大きく下回りました。
備考: 現在、製造スタッフが9名(8月に一人増員)ですが、全ての製品が手作りという歌津小太郎では、スタッフがフル稼働しても各所から頂くご要望に十分に応えられないというのが現状です。ネックとなるのが、2013年4月に再建した新工場の加工スペースでして、震災前の半分の面積なので製造スタッフを増員するのも厳しい状況です。そこで、南三陸町からの企業に対する補助事業の支援を受けまして、現在の工場のお隣に第二工場を増設する計画を進めています。2015年6月完成予定です。
震災前も後も変わらないのが私たちの作る思いでして、創業者の千葉小太郎が“漁師が食べている「うまいッ」を限りなくそのままをお届けする”ただそれだけを追及して参りましたし、これからも方針を変えずに作り続けて参ります。
こんぶ炒りを調理中のあさ子(小太郎夫人)
また、震災前後で変わらないもう一つは“対面販売”でほとんどを売り上げるという昔ながらの商売です。今は通信販売でなんでも買える時代ですので、時代遅れのビジネススタイルかもしれませんが、顔の見える販売を行っていたことが震災後の再建を後押しする結果となったことから得た教訓です。全く通信販売を行わないというよりは、今後、チャンスがあって通信販売の販路を開拓することになりましたら、出来るだけ“対面販売”の良さを取り入れたスタイルで、私たち“歌津小太郎”を良く知ってくださってからお買い上げ頂くようなそんな運営をしたいと考えています。セキュリテセットでの10月30日までの“昆布巻限定販売”は遠くにいても既に私たちを良く知って下さっている“被災地を応援する皆様”に歌津小太郎のこだわりの味をお届けできるチャンスとして取り組んでおります。
【歌津小太郎のある旧・歌津町とは?】
宮城県の旧・歌津町は大まかな位置関係でいいますと気仙沼と石巻のちょうど中間あたりにあります。歌津半島といって細長く太平洋に伸びる半島があり、その北側の根元あたりに、千葉家の自宅と旧工場のある歌津/馬場・中山地区があります。仙台からでいうと距離で100km、車で2時間程度のところです。
平成17年(2005年)に、歌津町(うたつちょう、人口約5000人)とその南隣の志津川町(しづがわちょう、人口約12000人)が合併して南三陸町が誕生しました。人口比で判るように旧・志津川町のほうに町の行政機関の中心が置かれました。この二つの町はいずれも沿岸漁業が盛んですが、あえて違いを挙げるとすれば、志津川町のほうが比較的平地の面積が大きいために水産加工業が発達したけれども、歌津町のほうはそういった加工場を設ける場所が少ないので、古くからの漁業で生計を立てる家が多いということ、それに加えて、歌津町のほうは山の面積も多い分、林業も盛んである、そういった特徴があります。双方の町もともにわかめ養殖をしており、タコも獲れるのですが、ブランドイメージとしては、志津川町のほうは“タコ”(オクトパス君というキャラクターでも有名)、歌津町は“わかめ”というのが定着しています。いずれにしても合併して誕生した南三陸町全体が海の恩恵を受けて生活を営んでいるのだといえます。
震災の前から抱える南三陸町周辺の課題は、次の世代が働く場所があまりにも少なく、近くに救急病院が無い(石巻の緊急病院まで救急車で1時間かかります)、子供たちの教育環境もなかなか改善されない― ―そこに2011年の震災・津波が押し寄せました。特に働く場所の問題は、この地に住み続けたくても暮らしていけないという諦めにもつながり、働く世代の人口流出となっています。自分たちでは気づきませんでしたが、震災で支援に来た方からの一言が今でも脳裏に焼き付いています…「限界集落」。ここに住み続ける私たちにとって、震災が有る無しに関わらず、早かれ遅かれ免れようのない現実に今、直面しています。地域の疲弊は、私たち歌津小太郎の事業にとっても深刻な問題です。次の担い手となる世代への製造技術や食文化の継承はもちろん、特に深刻な問題は原材料の調達先である地元漁師さん達の後継者不足の問題です。これを解決するには安定した収入源を確保するため、南三陸の素材が持つそもそもの値打ちを、適正に評価される仕組みを地域全体で作り出さなくてはなりません。産業間の垣根を越えて、みんなで支え合うことを大事にしてきた田舎の文化の良さを、今こそ原点に立ち返って見直す必要があると感じています。私たち歌津小太郎としても、その一翼をしっかりと担えるよう、微力ながら地域に貢献してまいります。
【今回のまとめ】
今回の記事、“歌津小太郎の『由来と沿革2014』”を書いていまして、大変に遅ればせながら、昭和50年(1975年)創業ということは、来年の2015年が有限会社橋本水産食品の創業40周年にあたることに気がつきました。同時に、もう過ぎてしまったのですが、昨年の2013年が“漁師歌津小太郎”というブランド名が誕生して20周年であったことに気がつきました。昨年春に新工場で再スタートしてからあまりに目の前のことでいっぱいいっぱいで、大事なことに気がつくのが遅かったことに反省しきりです。
津波で全てを失っても諦めずに再建する道を選んだ一番のきっかけは、仙台/藤崎に何度も足を運んで下さっていた“歌津小太郎ファン”のお客様からの復活を望む声を沢山頂いたことですが、結果として小さい会社ながらも大家族のような従業員のこの地での生活を守れたことを改めて感慨深く思い起こしました。
小太郎社長と母のあさ子が一念奮起して漁師自ら海の幸を加工して販売するという商売に踏み切った40年前。それから長い年月が経ちましたが、今も変わらず笑顔で調理場に向かい“漁師が食べている「うまいッ」”を作り続ける製造スタッフさんを見ますと、津波で失ったのは形のあるモノだけであって、歌津小太郎の味を作りだす“無形の生産資源”は全く失っていなかったと思えてきました。津波被害を受け、丸2年間のブランクを経たものの復活させることが出来た無形の「うまいッ」資源を50年目、60年目の歌津小太郎につなぎ続けていくべく、頑張りたいと思います。
引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします!
記事担当: 千葉孝浩
2012年6月、元の歌津小太郎工場の場所で撮影した写真です。
津波で海の中にもガレキが沈みましたが、漁師さんが海中清掃を行い、豊かな海が戻ってきています。 千葉家は専業での漁師はやめましたが、この地に古くから住む既得権として地域の漁港周辺での“漁業権”を今でも持っています。そして今でも年に数回だけ、アワビ漁などで海に出ます。 (奥から小舟を操作する母のあさ子、オレンジ色のカッパを着た小太郎社長、アワビカギを使って海中うぃ覗き込んでいる私(孝浩)、写真を撮影しているのが弟・カオル。海での家族写真です。2013年12月撮影)
歌津/馬場中山地区の高台からは海から上がる太陽がキレイに見えます。豊かな海とこの風景――震災直後は、絶対にこの地での暮らしを諦めないと日の出に向かって何度も誓いました。(馬場中山カオル商店HP20141009) -
被災地からのレポート2014年10月3日 10:03
復活2年目~8月のまとめ報告と“9月”~なりわいの復興に向けての歩み
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
8月下旬から9月は全国各地で大雨の被害が報告されていますが、皆様の地域では大丈夫でしたでしょうか? 2011年に津波被害を受けました南三陸町/歌津・馬場中山地区の元の工場がありました場所は地盤沈下していることもあり一時的に冠水したところもありますが、幸いにも大きな被害はありませんでした。現在の工場があります管の浜(海岸線より1kmほど内陸)は被害を受けることなく通常業務を行っています。
9月初旬、波の荒い日の様子です。 馬場中山カオル商店HP20140903
さて、秋といえばサンマですが、歌津小太郎では『新物サンマ昆布巻』の季節となります!
写真は2011年9月のもの。アウトドア好きでテントで過ごすボランティアの方に歌津の漁師さんたちがサンマを差し入れたときのものです。こうやってワイルドに焼いて食べるのもオイシイです。 馬場中山地区HP20110918
本当は毎月11日前後の配信を目標にしていますが、今回の記事はすっかり遅くなってしまい、とうとう10月になってしまいましたので直近の歌津小太郎の活動報告は8月後半と9月前半の分をお伝えします。震災後の3年間の振り返りでは震災から半年を経過した9月くらいになりますとそれぞれの『なりわいの復興』に向けて取り組むようになりましたので、そういった話題に重点をおいてお伝えしたいと思います。このブログでは紹介しきれないほど沢山の出来事がありました。歌津小太郎だけでなく南三陸町/歌津・馬場中山地区での生活を絶対に諦めないと決め、それぞれの仕事・暮らしを粛々と取り戻していこうとする地域の皆さんの姿を、嬉しいことももちろんですが辛いことも含め、出来るだけありのままにお伝え出来ればと思います。
● 2014年8月(および9月前半)の歌津小太郎活動報告 ~今年もサンマが来てくれました~
昨年は異常気象(海水温が高い)の影響でサンマの南下が遅くなりましたので、今年はどうなることかとやきもきしながら、8月後半から北海道でのサンマの水揚げのニュースに地元の漁師さん達の最新情報にとアンテナを張り巡らせていました。幸いにも今年のサンマは丸々と太って脂の乗りが良いとのことで昆布巻には最高の品質! そんなサンマの初荷が9月12日に届きました。サンマが届いたとなると製造スタッフも私も『新物サンマ昆布巻』の作業に集中します。
一本一本愛情を込めて巻きます。
そして、歌津小太郎秘伝の手法で味付けし、煮上げてパック詰めし完成!
9月下旬より仙台市内の老舗百貨店『藤崎』と南三陸町の『みなさん館』(歌津小太郎工場のお隣)で『新物サンマ昆布巻』販売をしております。出資者の皆様で、昨年のシーズン中に出資者特典発送期間の後に参加された皆様、そして追加出資の皆様には10月上旬から特典の発送をさせて頂きます。是非、是非、楽しみにしてお待ち下さい。
首都圏で歌津小太郎商品を扱って下さっています(株)加藤物産さんによる10月の販売は、小田急百貨店新宿店、伊勢丹浦和店を予定しています。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。
……しかし……誠に申し訳ないのですが、『新物サンマ昆布巻』は生産数量が限られる関係で首都圏での販売では扱っていない場合がほとんどです。旧・歌津小太郎工場の半分の規模の生産設備しかないという現状ゆえに看板商品さえも満足な数量を作れないというのが実情なのです。これまでにも加藤物産さんの販売スタッフから「昆布巻が欲しいという要望が来ている」と何度も報告を受けているのですが、対応できておらずに本当にゴメンナサイ! ただいま改善のための第二工場増設計画に入っておりますので、ご理解頂ければと思います。
また、順番が前後してしまいましたが、8月23日(土)に開催されました『はすだ市民祭り』での販売の様子も、後半の写真特集のほうで掲載していますのでご覧頂ければと思います。
●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。
歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった公共施設・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。一階の天井まで津波を被った千葉家でしたが、6月中旬にはなんとか修復して住める状態になりましたので、避難所を出ることが出来ました。これまでの報告では7月には地域の全員が仮設住宅や元の家に戻るなどしまして、7月11日(震災の日からちょうど4ヶ月)の日に避難所の解散となりましたことをお伝えしました。バラバラとなった地域の人々がその後どうなっていったか、私たちのストーリーに是非じっくりお付き合いいただければと思います。
とある日、支援センターではボランティアさんが撮影してきた歌津中学校(旧・歌津町唯一の中学校)の運動会の映像と写真を見せて貰いました。この後、閉会時の映像で不意に流れてきた中学校の校歌を聞いて、地域の男性陣は涙ぐんでいました。 馬場中山HP20110905
☆ 2011年9月: それぞれのなりわいの復興に向けて
2011年9月の出来事を思い出すと、あまりにも沢山のことがあり、どのように整理しようかと悩ましく、それが今回の記事をなかなかアップできなかった理由の一つです。そんなわけで大変にごちゃ混ぜな状態でご紹介することをお許しください。
この頃の大きな出来事の一つが9月10日に我らが歌津/馬場中山地区の強力な応援団である“はすだ支援隊”の埼玉県蓮田市さんから直々にご招待いただき、我々の被災の状況からこれまでの半年の歩みをお話しする場を作っていただきました。題して、『どっこい生きる!!馬場・中山地区』――この“どっこい生きる”というキャッチフレーズと申しますか枕詞は、実は被災した当初、4月か5月頃にNHKさんが我々の孤立集落状態2週間という経験談をつぶさに取材した結果、ニュースで長めに取り上げてくださったときにつけられたタイトル、『孤立集落、どっこい生きる!』からきています。それ以来、追加取材を頂いて放映されるたびにこの“どっこい生きる!”という表現がよく使われました。
会場の蓮田市役所前です。こんなに立派な看板まで用意して頂きました。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110910
蓮田市の中野市長です。市長も我々のことを非常によく知ってくれています。
馬場中山地区から参りました4人です。大勢の前で話すことはないので緊張しています。
埼玉はすだ支援隊リーダーのトシさんの質問に答える形で進行します。
左から、私(千葉孝浩)、お隣がスリムで精悍な若手漁師のカズヒコさん
この写真の左より、震災の時が漁師3年目だったというヒデユキさん、そして右はしが弟の千葉馨です。
未来道の説明を航空写真で説明しています。どのように道が分断され、孤立集落となったか、航空写真での説明が一番わかりやすいです。未来道プロジェクトでは“はすだ支援隊”の方といっしょに汗を流しました。
こんな大きな会場いっぱいの参加者です。
漁師さんのお二人は馬場中山の漁師のなりわいについてお話させて頂きました。津波で多くの船が失われたこと、港の設備が破壊されたこと、あまりの津波の脅威にヒデユキさんは一時は海を見るのも辛かったといいます。
後半にはサプライズがありました! 漁師のカズヒコさんはいち早く新しい漁船を手に入れて、間もなく進水式のため、はすだ支援隊より大漁旗を頂きました。
みんなで記念撮影です。
この写真は……津波の波の引いた後、あちこちで煙が上がっている写真です。今見てもあのときの絶望感を思い出す悲しい写真の一つです。この写真をご覧いただいたのちに、会場のみなさんに黙とうをして頂きました。
多くのみなさんに我々の本当の状況を知っていただくことが出来ました。そして、遠くからも我々を気にかけて頂く沢山の『思い』を頂くことが出来ました。
会場の外では“はすだ支援隊”のみなさんが馬場中山地区で活動している様子を写真展示して下さっていました。
参加して下さった蓮田市の行政側の方々や一般市民の皆様にも直接、温かい言葉をかけて頂くことが出来ました。このときから馬場中山地区応援団は、蓮田市エリアの土木建設業のみなさんを中心にした約20人の“はすだ支援隊”から、人口62,000人の“拡大はすだ支援隊”になったように思います。
終了後、市役所の外に出たところでも参加者の方に声をかけて頂きました。若手漁師さん二人が説明をしています。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20110910
このように直接私たちの話を聞いていただく機会を得たことが、その後、年に3回(4月・8月・11月)の蓮田市でのイベントにお声がけ頂けるキッカケとなり、震災から3年半を経た現在も続いています。もちろん、つい先日の今年の8月23日のイベントにも沢山の蓮田市民にブースに立ち寄って頂きました。本当にありがたいことです。
[漁師達のなりわいの復興]
7月中には避難所が解散し、仮設住宅で暮らす人々は慣れない仮住まいながらも最低限の家財道具を一通り揃えますと、地域の皆さんはようやくそれぞれの家族単位で今後の暮らしをどう再建していくかを考えられるようになってきました。歌津/馬場中山地区の9割ほどは漁師さんですから、遠い仮設住宅のくじを引いてしまった方などは10kmも内陸から馬場地区・中山地区の漁港に通い、作業することになります。
これまでも漁師さん達は、漁協の管理下のもと、共同で漁場の清掃作業を行ってきました。9月に入りますと例年であればワカメ養殖の準備がスタートするのですが、3月の津波で大小合わせておよそ100隻あった船のうち、無傷だったのは3隻。あとは津波にさらわれてどこに行ったか皆目判らないものもあれば、小船に船外機がついたくらいのものは、多くは港の中に沈みました。ごくごく簡単な造りの船は、船体に傷がついていなければ、船外機を取り替えれば使えますから、極力、海から引き上げてなんとか使える船を増やしていきました。
7月のことでしたが、船外機を支援頂いたこともありました。我々のニーズをしっかりとらえた支援の品に漁師さん達が大感激した瞬間でした。 馬場中山地区HP20110704
船外機とはこのトラックに乗っている船でいいますと、船尾についているコレです。馬場中山地区HP20110704
8月にその概要に触れました「なじょにかなるさープロジェクト」は、まずは歌津/馬場中山地区の漁業の中心であるワカメ養殖をなんとか2014年シーズンに向けて復興させようということで、複数の支援団体が協力を申し出てくれてスタートしたものでした。プロジェクトに参加する漁師さんは主に4人。震災前まではそれぞれが良い意味でライバルとして、競い合っていた漁師仲間でした。ワカメ養殖の『仕込み』の始まりは10月です。ですから、何が何でも5トンという規模の養殖に使える船を1隻、9月中に手に入れたかったのでした。
8月にかすかな情報を頼りに訪れた北海道でなんとかその5トンの船を手に入れられる道筋が出来、各種の手続きを経て、いよいよ北海道から歌津へ船を回送します。こうして、手に入れた船は福が倍になって帰ってくるようにと『福福丸』と名付けられました。この福福丸関連の写真は、後半の特集写真のコーナーにまとめて掲載します。
北海道の港を出る直前の『福福丸』です。馬場中山地区HP20110910
[ガレキ除去×未来道プロジェクト]
8月にはほぼ完成した未来道ですが、2011年も9月に入って雨が降ったりやんだりという日が続きました。最低限の出来る範囲でルート全体に砂利を敷き詰めた未来道は、少しの雨でもぬかるんで水がたまったままのところがところどころ出来ます。しかし、まだまだ物資が乏しい中、行政の力を借りずに地域住民で作った未来道には充分な砂利を敷き詰めるお金がありません。にわか工事の避難道としてはこれで充分かと思っていたのですが、そこにまたプロの助言が届きました。
「砂利は買わなくても良い。地域のアチコチにころがる大型コンクリート片を砕いて敷き詰めれば良いのだ」と――。歌津/馬場中山地区にこれまでにも沢山の支援物資を提供してくれた福井県・大野市の建設業組合の名物社長の一人、石塚さんは説明をするよりも早く、コンクリートクラッシャーをトレーラーで運んできてくださいました。
9月4日朝、2台の輸送車に乗せられてコンクリートクラッシャーがやってきました。馬場中山地区HP20110904
石塚さんのすごいところはスピードです。私たち地域のものが困ってマゴマゴしているうちに、石塚さんが経験を持っていて大得意とするところは、驚くべき速さでスマートにプロジェクトを前進させてくれることでした。そんな強力な支援のおかげで、地域のあちらこちらに転がるコンクリート片を片付けると同時に、未来道に敷き詰める砂利が出来ていったのでした。後から道路建設のプロにきくと、平常時であれば建設資材として売っている砂利を買ったほうが安かったのだと言います。しかし、いずれにしてもどこかにどかして処理しなければならない、堤防の残骸などと大きなコンクリート片をこのように処理することが出来たのは、未来道の砂利確保とコンクリート処理の一石二鳥どころではなく、塞ぎがちなあの時期に共同作業に没頭できた喜びと、その目に見える効果を加えると三鳥も四鳥も得られた、それが「未来道プロジェクト」の後半戦でした。
大きな塊だったコンクリート片をあっというまに砕きます。後半の写真特集で、砕くまでの工程をご紹介します。馬場中山地区HP20110904
[地域の伝統行事と生活]
9月といえばお彼岸です。私たちの地域は漁師町ということが強い理由だと思いますが、やはり昔から操業中の事故で命を落とす人が少なくなかったので、お彼岸の地域行事が根強く残っています。彼岸の中日は女性たちの行事として『お念仏』を行います。後半の特集写真のコーナーではそういった地域行事の写真なども取り上げてみました。
☆ 2012年9月: 震災から1年半――事業再開に向けてスタッフミーティングを開催しました!
震災から1年半を経過した頃は、陸上のガレキは片づけられていましたが、まだ護岸の改修にまでは手がつけられていませんでした。秋は台風の襲来で海が荒れる日が増えます。
2012年9月撮影の海岸線の様子です。多くの海岸線は大きな土嚢で応急補修をしているだけという状況です。歌津小太郎HP20120915
波が高い時の入江の様子です。台風のときはこんなものではありません。歌津小太郎HP20120915
そんな地域の状況ではありましたが、2012年9月14日、歌津小太郎再開に向けて大きな節目がありました。10月より南三陸直売所「みなさん館」のオープンに伴い、そのなかのレンタル工房をお借りして歌津小太郎の商品を作ることが出来るめどがたったことをお伝えするため、再び元従業員のみなさんに集まって貰いました。
レンタル工房の図面と見ています。元の工場の1割くらいの規模での再スタートです。
歌津小太郎再スタートのメンバーです。歌津小太郎HP20120915
震災前の従業員数が13名でしたが、それぞれの事情で歌津の地を離れてしまった方もいらっしゃいます。 家族同様で長年いっしょに働いてきたメンバーの数人はこの場に集まれなかったのですが、いつかまた環境が変化し一堂に介することが出来るように、少しずつ歌津小太郎を震災前以上に盛り上げていこう、そう誓った日でした。
☆ 2013年9月: 3年ぶり、『さんま昆布巻』の復活に涙
2013年4月には歌津小太郎新工場が再開できましたが、原材料が揃わず看板商品の『さんま昆布巻』を作れずにいました。9月になりますと、初物のさんまを使って『さんま昆布巻』のフル生産体制に入れるのですが、2013年は肝心のさんまがなかなか来てくれませんでした。鵜の助さんの最高品質の昆布を用意して準備万端の体制で臨んでいたのに! 海水温が高い状態が続き、さんまが南下してくるのが遅くなったのです。
この間、仙台・藤崎/歌津小太郎売り場では、うまいものの時期を知っている常連のお客様が「昆布巻はまだ…?」と何人もやってきました。ここに来て看板商品である昆布巻をさらにお待たせすることになるとは…。
最終的には計画よりも3週間ほど遅れて、9月下旬からさんまの昆布巻作りに取りかかりました。藤崎に訪れる歌津小太郎ファン(特に昆布巻ファン)のお客様たちには、9月の終わり頃ようやく昆布巻をお届けすることが出来ました!
「この味を待っていたのよぉ!」
お客様のお声を頂き、ようやく歌津小太郎復活の第一段階をクリア出来たように思い、同時に涙が溢れてきました。製造を担うベテラン従業員さん達も、長年培った自分たちの技術が、まだまださびれていないことを確認できて、ほっと一安心といった感じでもありました。
写真は2012年12月の仙台/藤崎の歌津小太郎売り場です。『昆布巻』が復活してようやく歌津小太郎らしくなってきました。 被災地からのレポート20130121
● 2014年9月~10月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
9月下旬から三陸沖では漁船漁業に携わる漁師さん達による秋サケ漁が漁期に入り、南三陸町志津川市場は秋の味覚の訪れで、震災前と変わらぬ賑わいを取り戻しています。歌津小太郎でもこの秋サケを使った『さけ昆布巻』も『さんま昆布巻』同様、新物の時期を迎え、工場スタッフの生産体制も連日フル稼働の状況です。皆さんご存知のようにサケは3年をかけて自分の生まれた川に戻ってくる習性があります。3年前と言えば震災の年にあたりますので、サケが順調に水揚げできるのかと、漁師の皆さんは不安の中での操業を今年は強いられています。3年半を過ぎた今なお、震災の爪痕が漁業にも大きく残っているのだと思うと、改めてこの災害の大きさを思い知るところでもあります。
20141002撮影 脂の乗ったサケが今日は大漁です。
20141002撮影 1匹が8kgを超える大物を漁師のお母さんたちの熟練の技でさばきます。
歌津小太郎では10月下旬より仙台藤崎百貨店と南三陸直売所みなさん館にて『新物さけ昆布巻』が店頭に並び始めます。『さんま昆布巻』共々、今後控えるお歳暮商戦、年末商戦には欠かせない商品として万全の態勢で臨みたいと思います。
<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
今回の教訓ですが、2011年9月10日に蓮田市でお話をさせていただいたことが、参加した4人にとってはちょうど『合宿』のような効果があったように思います。合宿のイメージは学生の頃の部活などで泊まりがけでトレーニングに行くといったことに代表されると思いますが、とにかく普段と環境を変えた一泊二日の時間というのは大変に多くの貴重な体験となって印象に残ります。
2011年3月11日のあの日から、私自身の生活の多くは歌津と仙台を往復し物資の調達を、そしてこの頃、9月になってからは歌津小太郎の再建に向けての相談で地方事務所のある気仙沼市へと、この3ヶ所以外に行くことはほとんどないという生活でした。他の3人は歌津から出ることもほとんどなかったと思います。そんな4人がガレキだらけの宮城県沿岸部を出て他県の『本当に日常の風景』の場所に行きますと、別世界に降り立ったような感覚というか、いやいやこれが普通の状態なのだと再認識するというか、長い道中で同行したメンバーととりとめのない話をしたり、数年先の歌津のことを話し合ったりなど、とにかくいろんな話をしました。
蓮田市での夜の部では、今回のブログに写真は掲載しませんでしたが、はすだ支援隊のみなさんと遅くまで語り合いました。その時に語り合ったことが3年を経て実現できていること、まだ未完のことなど様々ですが、あの合宿的な経験があったからこそ、その後、進みが早まったことが沢山ありました。年代は近くとも経験値・分野が大きく異なる土木建設業の“はすだ支援隊”のみなさん達は、とにかくいろんな悩みに直面する我々を第三者の視点で導いてくれる『良きコーチ』でした。物事の節目節目でのこうした合宿的経験を良きコーチを迎えて行うのは、何か停滞したような場面で大変に重要だと感じました。
2011年9月はこの他にももっと沢山の出来事がありましたがあまりに長くなるので、多くの重要場面を割愛してしまいました。またの機会に再び振り返ってご紹介したいと考えております。ここまでおつきあい頂きありがとうございました!
記事担当 千葉孝浩
■□■□■今月の特集写真コーナー「なりわいの復興に向けて歩む」■□■□■□■□■□
いつも後半に特集写真のコーナーを設けています。「なりわいの復興に向けて歩む」と題しまして、2011年9月の地域の皆さんの姿とそれを支えて下さる強力な支援者の方をご紹介したいと思います。写真素材は全て、馬場中山地区ホームページ(歌津小太郎第三の男・カオルが運営)の中でご紹介したものを再掲載しています。今回は、地域の者にとっては当たり前の姿の地域の行事の様子も取り上げてみました。
[1.わかめ養殖の復活を目指した“なじょにかなるさープロジェクト”編] まずは地域の漁師さん達の9月頃の日常の様子です。
もちろん、震災前は個々のお宅で車を持っていましたが、まだ、このころは全員が車の調達が出来ていたわけではないため、こんな風に集合します。これが津波被害沿岸部のあちこちでの日常だったと思います。ここからの写真は、馬場中山HP20110909
中山地区の海岸の休憩所です。あのはすだ支援隊の作品です。手前は万能選手の『暖助』。暖も取れるし煮炊きに焼き物も出来る薪ストーブです。馬場中山HP20110909
9月30日、この日の作業は―― 馬場中山HP20110930
自分達で出来ることは自分達でやります! 自ら漁港の船着き場にセメントを埋めていました。
船着き場作業の後、一旦、大きな仕事が終わった打ち上げで、バーベキューをしました。 避難所生活以来、こうした外での食事の手際が早くなっています。 ここまで、馬場中山HP20110930
ここからが『なじょにかなるさープロジェクト』のメンバー、船を取りに行く写真です。
出発の日、9月9日です。馬場中山地区HP20110909
仙台のフェリー乗り場まで送って行きました。ここまで、馬場中山地区HP20110909
9月10日、これが『福福丸』です。 馬場中山地区HP20110910
天候の見込みを考慮すると、すぐの出港が最良ということで、歌津に向けて港を出ました。
北海道の島影が遠くなっていきます。 ここまで、馬場中山地区HP20110910
『福福丸』を回航中の漁師さん達から、携帯がつながるタイミングで写真が届きます。津軽海峡は一日で越えられました。馬場中山地区HP20110911
海峡を越えたころから海が荒れ始め、こんな写真も届きました。馬場中山地区HP20110911
早朝に港に立ち寄ると、いました!『福福丸』です。 馬場中山地区HP20110913
近くでみるとこんな感じです。養殖作業で活躍するクレーンがついています。
船上はこんなかんじです。
北海道から帰ってきた漁師さん達がくつろいでいます。みなさんには判りにくいことかもしれませんが、沿岸漁師さんは船の操縦免許は持っていても、いつもは見慣れた山影の見える沿岸海域で操業するだけ。「航海」という経験は全くなかったので、この4日間の津軽海峡越えの航海は大冒険だったのでした。 馬場中山地区HP20110913
[2.未来道プロジェクト編]
9月4日、早朝にすごいものが届きました。またまたこの方の登場。福井県大野市の石塚さんです。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110904
届けられたものは、想像をはるかに超えるすごいものでした。
本当に大きいです。一般道をよく通れたなと驚きます。
左手奥にコンクリートクラッシャー、そして砕いたコンクリート片をコンベアで持ち上げて、トラックの荷台に直接落とし込むのが手前の部分です。
あっという間に位置決めして設置していきます。
コンクリートクラッシャーの試運転用にコンクリート片を運びこみました。
判りにくいですが、コンクリートクラッシャーの投入口を覗き込んで試運転準備中です。
砕かれたコンクリートが出てきました。
コンクリートクラッシャーを運んできたのは、超低床トレーラーという特殊車両です。荷台部分は地上から50cmくらい。背の高い設備を運ぶ専用車です。役目を終えると颯爽と帰っていきました。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20140904
まとまった量のコンクリートガレキ製の砂利が出来上がったところで、未来道への砂利敷き作業を再開しました。 馬場中山地区HP20110912
8月の作業では道の中心部に砂利を敷いたので、今回追加する砂利は道の崖側を補強するように敷きます。中央で後ろ姿を見せているのが私(孝浩)です。
重機できれいにならしています。オペレーターさんが器用です。
[3.地域の生活と伝統行事編]
ある日の夜、高台への集団移転についてのお話を聞くための集会がありました。
南三陸町全体に共通するお話です。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110904
場所は、馬場中山生活センター(避難所だったところ)です。
お話はすばらしい歌津をつくる協議会会長さんからでした。話し合いは夜遅くまで続きました。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20110904
ここからは地域の行事の様子です。
9月23日、彼岸の中日ということで馬場地区の女性陣が『お念仏』を行っていました。馬場中山地区HP20110923
大きなお地蔵様を正面にして、
輪になって座り、綱をつかんでいます。
久しぶりに地域の女性たちがこれだけの人数集まります。ご先祖様を思い、そしてこの地の再建を見守って欲しい、そんな願いを込めて祈り、念仏を唱えます。ここまで、馬場中山地区HP20110923
次の話題は『苗プロジェクト』
こちらは別の日です。苗プロジェクトの蛯名さんがいらして、今後の苗プロジェクトの運営方法に関して話し合いを提案しています。話し合いの場は支援センター(旧・第二避難所)です。馬場中山地区HP20110904
蛯名さんです。苗プロジェクトを立ち上げたときの個人としても思い、そしてそれに賛同して下さった有志の方々の思いを伝えています。苗プロジェクトを資金面で支援しているのは、神戸を中心に阪神淡路大震災で全国の人にお世話になったからその恩を『恩送り』という形で返したい――そういった関西エリアの個人の方や中小企業経営者の方が多いのだということでした。
仙台市の沼田種苗さん(中央)です。沼田種苗さんは、仙台市内沿岸部で農家を営んでいた多くの顧客が津波の塩害でしばらく耕作できなくなってしまったのだそうです。野菜の苗を生産する農家さんたちは仙台の内陸部が多かったので被害を受けていませんが、野菜苗を作っても売り先がない、そういった状況だったのでした。
ざっと数えて20人ほどの女性達が苗プロジェクトの話し合いに集まりました。話し合いの論点は、いかに公平にルールを決めて堆肥を分配するかです。苗に関しては希望数をとりまとめ役が聞いて、苗プロジェクト運営者にお伝えしていましたが、堆肥は早いもの順で好きなだけ持っていくということで、これまでルールがなかったのです。それぞれの畑の規模がバラバラですし、全員が避難所にいた6月の頃と違い、近くの元の家に住む者と遠い仮設に住む者では苗プロジェクトの堆肥分配の情報が届くにも情報格差があります。重たい堆肥を運ぶにも、高齢で車を運転できないおばあさんも多くいます。話し合いは当事者である女性たちで行って貰いました。
苗プロジェクトの運営をしているみなさんの集合写真です。左から苗屋さんの二人、有機農家さん、堆肥を作るお二人、とそれぞれ青空の下で汗を流すことが多く、いっぺんに集まることはめったにないそうです。女性たちの話し合いがまとまり、支援する側と支援を受ける側とで今後もうまく運営できそうです。
トラック満載の苗です。
堆肥も荷降ろしします。
秋に植えるものといえば、白菜です。(箱はレタスですが…)
早速、植えつけます。
ざっと数えて20人ほどの女性達が苗プロジェクトの話し合いに集まりました。遠くの避難所にいて参加できなかった人も含めると、約60名(60軒)ほどが苗プロジェクトの苗と堆肥を活用して、自給用の野菜を作っています。 ここまでの写真は、馬場中山HP20110904
[4.今年(2014年)の8月23日 はすだ市民祭り編]
今回は歌津から漁師の佐々木英幸さんが助っ人で参加してくれました。(真ん中のピンクのタオルを首に巻いたのが佐々木くんです)
今年で3年目ですので、はすだ支援隊との役割分担もきっちり…息もピッタリです!!
夕方4時 最後のお客様は蓮田市の郵便局員さんでした…ありがとうございます。
完売御礼…みんな集まってバンザーイでイベントを締めくくりました。 -
被災地からのレポート2014年9月22日 11:29
秋です!『初物さんま昆布巻』はじめました~!!!
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の渡邊です。今回は歌津と100km離れた仙台をめまぐるしく行き来する専務の千葉に代わりまして、普段は製造と事務を担当しております私がご報告いたします。
9月に入りましてこちらはめっきり涼しくなり秋の景色となりました。“秋”といえばサンマです! 歌津小太郎では9月12日に今シーズン初となるサンマが到着しました。サンマが届いたとなると我々製造スタッフは小太郎夫人のあさ子さんを筆頭に臨戦態勢に入ります。そうです!絶大なファンの方がいらっしゃる『新物さんま昆布巻』作りがいよいよ始まるのです。
取れたてのさんま登場!
昨年は海水温が高かった影響でサンマの南下が遅くなったために9月の後半まで皆さんをお待たせし、そのままお歳暮商戦に突入しましたので、てんやわんやの状態でしたが、今年は昨年よりも10日ほど早く取りかかることが出来ました。正直、ほっとしております。
サンマの昆布巻作りは他の商品に比べ手間がかかりますので、昆布巻きを作る日は朝から製造メンバー全員が昆布巻だけを作ります。いつもいつも丁寧に作ってはいますが、特にこの『初物』を作るときには、新鮮なサンマの柔らかな身を傷つけないようわが子に衣を着せるような気持ちで昆布を巻きます。
一本一本愛情を込めて・・・
みんなで作り上げていきます。
この後は歌津小太郎秘伝の調理方法で時間をかけてゆっくり煮まして、夕方に完成となります。 そんな風に作りました昆布巻の仕上がり具合を早速味見しました。 今年は昆布の質感が冬場の積雪量の影響で例年に比べ若干柔らかいため、多少の微調整が必要となりましたが、その辺は熟練スタッフの特殊技術で納得の出来栄えに仕上がりました。昨年よりもトロっとした食感でサンマの旨みがギッシリ詰まった昆布巻に満足度120%です!!
こちらは、煮あがった状態の昆布巻です。
というわけで今シーズンの『新物さんま昆布巻』のご用意が整いました! 9月23日(火)より仙台市内の老舗百貨店『藤崎』と南三陸町の『みなさん館』(歌津小太郎工場のお隣)で販売をしております。皆様、是非いらしてください。
最後に、
“今の時期のサンマは丸々と太って、脂の乗りがなんだもね~(脂の乗りは文句のつけようのない出来だ~)”
スタッフみんなで、『新物さんま昆布巻、食べてけさい~ん。』
記事担当: 渡邊@製造兼事務担当 -
被災地からのレポート2014年8月22日 09:12
復活2年目~7月のまとめ報告と“8月”~あの夏、共に汗を流した仲間たち
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
お中元シーズンの7月を乗り越えまして8月も半ばを過ぎました。学生さんは7月中旬くらいから夏休みですし、社会人の方も長期休暇を取られる時期ですので、我らが南三陸町/歌津・馬場中山地区には2011年以来、リピーターとなってくださったボランティアさん達(私は馬場中山地区応援団と呼んでいますが)が続々と訪れ懐かしい顔を見せてくれています。
8月上旬、中山地区の漁師さん達が震災後初めてとなるホタテの水揚げ作業を行っていました。 少しずつ、海のモノが復活してきています。 馬場中山カオル商店HP20140804
今回の記事ではお中元商戦の話題を中心に7月の報告を致しまして、震災後の3年間の振り返りでは、夏休みに入ったことでより活発となった馬場中山地区を応援するボランティアさんと我々の復興に向けた活動にはじまりまして、その後の強力な応援団達の活動をご紹介したいと思います。このブログでは紹介しきれない沢山の出来事がありましたので全てをご紹介することは出来ませんが、震災後のあの夏から始まった私たちの強固なつながりのその訳を皆さんと共有したいと思います。
また、後半のほうで詳しくご紹介していますが、8月23日(土)に埼玉県蓮田市でのイベントに馬場中山地区を代表して歌津小太郎が出店しますので、首都圏の皆さんでお近く方は是非お越しいただければと思います。
● 2014年7月の歌津小太郎活動報告 ~歌津小太郎自慢の“こぶ巻”、沢山お届けしました!~
6月11日より歌津小太郎が常設の販売コーナーを構えております仙台の老舗百貨店『藤崎』のお中元商戦が始まりまして7月31日まではその対応に集中しておりました。
歌津小太郎自慢のお中元セットの広告写真です。ブログではお味をお届けできないのが残念です。
昨年の今頃はまだ歌津小太郎の新工場が立ち上がったばかりで品数が揃わずにお中元セットを作れなかったので、3年間のブランクを経てのお中元復活となりました。昨年のお歳暮商戦では震災後ようやく復活した“歌津小太郎のこぶ巻”に対しまして予想以上に沢山の皆様からご用命頂きましたが、仙台の夏の贈り物には笹かま、牛タンの名産品に始まり、果物や冷たいお菓子とかがお中元に好まれるだろうと感じますし、藤崎本店のデパ地下には美味しいものが沢山並んでいますから、今回のお中元商戦に関しては控えめの予想をしておりました。
結果は――本当にありがたいことに、震災前の2010年の頃とほぼ同等くらいのご注文を頂くことが出来ました。藤崎の販売コーナーではそれまでの1日二人体制から、このお中元商戦に向けて専任スタッフを、もう一人増員して対応準備をしました。歌津小太郎ではほぼ全ての商品をご試食できるようにしていますので、お立ち寄り頂いたお客様には常連さんにも初めての方にも全て味わって頂いてからお選び頂くようにしています。そうしますと、お店の前に人だかりが出来まして、それを見てまたお客様が足を止められる――まずはご試食頂くことが歌津小太郎の販売スタイルなのです。味わってさえ頂ければ、我々が自信を持ってお送りしている歌津小太郎の味のファンになって頂ける自信があるのです。
藤崎スタッフの稲田さん
こちらは稲田さん(左)と櫻井さん(右)
そんな歌津小太郎の味を全て決めているのが小太郎夫人のあさ子(私=孝浩の母)です。私にとっては自宅の食卓でもなじんでいる歌津の家庭の味ですが、漁師と兼業で水産食品加工を始めて以来、変わらぬ味を作り続けています。
こんぶ炒りを調理中の、あさ子さん
我々の店舗の写真をご覧になると判ると思いますが、ワカメもこぶ巻もその他の海藻商品も遠めに見ると全部が真っ黒! 見た目が本当に地味なのです。ですから、おそらくどんなに腕の良い写真家さんに“こぶ巻”の販売促進用の写真をキレイに撮って頂いたとしても、写真だけで判断してお選び頂くような通信販売には向かないと思っています。それゆえに頑なに対面販売にこだわって、店頭で直接味わって頂いてからお買い上げ頂く歌津小太郎のスタイルが定着したのですが、顔の見える販売を続けていたことが、結果的に我々の復活の大きな後押しとなったことは前回の「6月報告と“7月”」でもお伝えした通りです。 夏の帰省シーズンは都会に戻る親族に“こぶ巻”や“めかぶ漬”を買って持たせる、そういった需要でやはり藤崎の直営店舗は大賑わいでした。
藤崎本館地下2階“歌津小太郎コーナー”
首都圏で歌津小太郎商品を扱って下さっています(株)加藤物産さんによる8月後半から9月にかけての首都圏での販売は、伊勢丹浦和店、小田急百貨店新宿店、東急百貨店東横店を予定しております。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。
●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。
歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった公共施設・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。一階の天井まで津波を被った千葉家でしたが、6月中旬にはなんとか修復して住める状態になりましたので、避難所を出ることが出来ました。前回の報告では7月には全員が仮設住宅や元の家に戻るなどしまして、7月11日(震災の日からちょうど4ヶ月)の日に避難所の解散となりました。バラバラとなった地域の人々がその後どうなっていったか、私たちのストーリーに是非じっくりお付き合いいただければと思います。
☆ 2011年8月: あの夏、共に汗を話した仲間達
7月に避難所を解散してから6箇所の仮設住宅地区と全壊を免れて元の家に留まった住民とでバラバラに暮らす我々は、いつかはまた「馬場・中山地区」としてコミュニティーを復活させることを強く願っていました。「未来道プロジェクト」は馬場中山地区が津波被害により海岸線の道路が寸断され孤立集落を経験したことから、津波の影響を受けない高台を通る避難道を作るプロジェクトとして自ら計画して進めたプロジェクトでした。8月はそれに加えて「なじょにかなるさープロジェクト」、これは漁師さん達の生業であるわかめ養殖の復活を推進するプロジェクトですが、こちらのほうも活動がスタートしました。沢山の出来事がありまして情報満載ですがお付き合い下さい。
[未来道プロジェクトの8月]
前回の「6月報告と“7月”」の記事で概要をお伝えしております未来道プロジェクトですが、7月いっぱいでルートはつながりましたが、土が露出したままでしたので、少しの雨でも地盤が緩み、車が通れる状態を維持できなくなります。8月はその砂利を敷き作業を中心に進めました。こちらは説明よりも写真で見たほうが伝わると思いますので、後半の特集写真コーナーで[未来道プロジェクト8月編]でまとめておきます。
前回記事の繰り返しとなりますが解説しますと、今回の津波では海沿いを通る道路が分断されたため孤立集落となり、最初の一週間ほどは命を繋ぐ水・食料の確保がままならない状態でした。唯一残った道は高台を通るとても狭い農道(道とは呼べないくらいのもの?)でした。そのルートを使って、今後の避難道として、あるいは高台への集落移転地区(予定地)への幹線道路として使い、百年先の世代まで安心して暮らしていける地域の再建をしようと立ち上げられたのがこの「未来道プロジェクト」です。
この未来道プロジェクトの活動の様子は、避難所生活の頃、震災からちょうど1ヶ月後の4月11日に立ち上げてそれから毎日を写真で綴った「馬場中山地区ホームページ」で発信し続けたことで多くの方からの共感を頂き、次々と広がりを生み出していきました。この頃からテレビニュースの取材も多く入るようになりまして、当時の私たちは自分達が取り上げられているニュース映像を見ている余裕がなくて、何が起こっているかあまり理解していませんでしたが、とにかくいろんな方面から新たな申し出が増えてきたことに驚きを感じていました。
[なじょにかなるさープロジェクト始動!]
「なんとかなるさ」をこちらでは「なじょにかなるさー」と言います。 馬場中山地区の漁業の中心はわかめ養殖でした。太平洋の海流に育まれた肉厚のわかめは最高品質で知られていました。そのわかめ養殖を復活させようというのが「なじょにかなるさープロジェクト」です。今回はその第一章にあたる「わかめ養殖に必要な漁船探し」の写真を後半の特集写真コーナーにまとめております。
なじょにかなるさープロジェクトのメンバーが北海道に到着しました。馬場中山HP20110802
「なじょにかなるさープロジェクト」をご理解頂くためには、まずはわかめ養殖の一年間のサイクルを説明したいと思います。今回のブログの中ではあまりにも長くなるので、次回の記事のなかで詳しく触れたいと思います。
順番が逆になってしまいますが、なじょにかなるさープロジェクトの成果であるわかめ養殖復活の様子はすでにこのブログシリーズの中の2014年3月10日配信版『復活2年目~2月のまとめ報告と“3月”~歌津の新物わかめ&めかぶ』でご紹介しているので、ご関心のある方はそちらをご覧いただければと思います。
[8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々]
地域全体の大きな動きとしては「未来道プロジェクト」と「なじょにかなるさープロジェクト」ですが、その他にも6月からスタートしている「苗プロジェクト」(推進代表者はお隣の登米市の有機農家さん)やその他の団体や個人の方がそれぞれの思いで、それぞれの得意な分野で知恵を使って工夫を凝らして我々の地域を支えてくれました。
こちらも説明文よりも写真のほうが伝わると思いますので、後半の特集写真コーナーの中でまとめております。当事者の私たちが見ると、あの夏のいろいろな思いがよみがえり、改めて応援してくださったみなさんに感謝の気持ちをお伝えしたくなる写真ばかりですが、つたない文章のキャプションでなんとか伝われば幸いです。
☆ 2012年8月: 歌津のわかめの早期復活をPR!
[歌津のわかめの復活を発信する機会を頂きました]
7月に引き続き 8月中にも2日間だけですが仙台/藤崎百貨店での販売をいたしました。さらに埼玉県蓮田市でのイベントにも出店出来ました。蓮田市さんとは2011年4月後半に“はすだ支援隊”のみなさんが馬場中山地区にボランティアに来ていただいたことにはじまりご縁ができまして「はすだ市民祭り」にお呼び頂いたのでした。驚くことにはすだ支援隊のみなさんだけでなく、歌津/馬場・中山地区へのボランティア参加がご縁で親しくなりました皆さんが「歌津小太郎応援団」として福井・静岡・神奈川・東京などから遠路はるばる駆けつけて下さいました。大勢の方にイベントを盛り上げて頂き、大成功に終わりました。
この頃から自宅台所工房はフル稼働! 家族総出でわかめを袋詰めしていました。
2012年8月25日 はすだ市民まつり 被災地からのレポート 20131023記事より
[歌津小太郎新工場の建築確認申請]
2011年12月にはいわゆるグループ補助金制度に応募しまして新工場建設の計画を本格的に開始していたのですが、建設費の高騰や建設資材調達の遅れなどさまざまな理由から、建設事業計画を何度も見直した結果遅れに遅れたのですが、ようやく建築確認申請提出(気仙沼土木事務所)にまでたどり着きました! 針生承一建築研究所さんのご尽力になんとかここまで参りました。気持ちばかりが焦っていた日々でしたが、一つずつ問題を解決しながら進めておりました。
気仙沼土木事務所に申請書類提出。こうした役所もプレハブ作りの仮設庁舎です。
[ファンド募集開始してみたら]
2012年6月28日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始していましたが、地域の仕事やわかめ製品を人海戦術で作るなどで目の回るような忙しさゆえに、ときおりお声がけを頂く東京での事業者説明会にはなかなか参加できずにいました。そして工場がないのだから歌津小太郎の主力商品をご説明することも難しい状況でしたので正直申しましてどのくらい皆さんに歌津小太郎の姿が伝わっているか想像が出来ませんでした。後から確認してみますと、ファンド募集の開始直後に出資者として応援いただいた方には宮城県内の方が多かったことが判ります。宮城県内の中でも自分達も地震被害を少なからず受けているが津波被害を受けていないという地域の方々が、我々のような壊滅的に被災してしまった小さな企業の応援をして下さる、宮城県の中での『共助』といいましょうかそういった気持ちを読み取ることが出来、大変に嬉しく思いました。
☆ 2013年8月: 歌津小太郎商品を蓮田のみなさんにお届け
[はすだの皆さんと再会 ]
8月24日、昨年に引き続き埼玉県蓮田市の「はすだ市民祭り」に南三陸町の地域を代表して特産品の販売を行いました。 震災直後から南三陸町歌津馬場・中山地区に支援に入っていただいた「はすだ支援隊」の皆さんにはこの2年半、お世話になりっぱなしでした。 (詳しくは歌津小太郎ホームページの活動日記2012年7月1日)
昨年は歌津小太郎の商品としては半加工品の「湯通し塩蔵わかめ」だけしかお持ちできなかったのですが、今回は封を開ければすぐに食べられるご飯のお供、「陸中漬(りくちゅうづけ)」と「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」もお持ちしました。海のない埼玉県蓮田市の皆さんと、海の幸だけはどこにも負けない宮城県南三陸町の私たち。直線距離で350kmを超える距離、震災前は何の接点もなかったこの二つの地域ですが、地域ぐるみの大きな親戚同士みたいなおつきあいが続いています。
(埼玉県蓮田市 中野市長さんと、はすだ支援隊の皆さん)
[歌津小太郎の8月]
前回の記事に盛り込めなかった7月の話題ですが、大変に遅ればせながらとなりますが、2013年4月27日に開業した歌津小太郎新工場の3ヶ月遅れの開業祝の昼食会を弟の馨(カオル)の夫婦がオープンした“カフェかなっぺ”で開催しました。(正確には7月27日のかなっぺオープンよりも前に団体客受け入れのトレーニングも兼ねてのものでした)
この日、残念ながら小太郎社長も私(孝浩)も参加できなかったので、歌津小太郎製造スタッフのみ7名の“女子会”となりました。 馬場中山カオル商店HP20130723
トレーラーハウスを使った店内の様子は、厨房コーナーから見るとこんな大きさです。 厨房ではカナエさんがパスタを盛り付けているところです。 馬場中山カオル商店HP20130723
普段の仕事姿は帽子にマスクをしているのと、恥ずかしがってブログ用の写真をなかなか撮らせてくれませんので、製造スタッフの普段着姿は貴重な写真です。手前が母のあさ子です。
昼食後は午後の仕事に戻りました。カフェかなっぺの入口から海を臨むとこんな感じです。ちょっと判りにくいですが海岸線からは急な坂を10mくらい登ったところにあります。右手のトレーラーハウス(宿泊用)の左に見える海岸線のあたりが旧・歌津小太郎工場のあった場所周辺です。 ここまでの写真は馬場中山カオル商店HP20130723
● 2014年8月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報 8月15日北海道根室港にサンマ漁の主力となる小型棒受け網漁船の初水揚げのニュースを見てホッとしました。先月から始まった北海道沖での流し網漁が不良との情報でしたので、来月から製造する新物のさんま昆布巻にどれほどの影響があるのかと、最悪の場合、今年はさんま昆布巻の製造が出来ない事態にもなりかねないとの思いもありました。サンマ漁はこれからが本格的な漁期に入りますので昨年のような不漁のシーズンでないことを心から願っております。
それから、地域の情報として復興に向けて大きな出来事がありました。8月1日(金)南三陸町では初めてとなる災害公営住宅の入居が始まりました。震災から約3年半、仮設住宅からやっと自分たちの住まいで生活が始まります。今後は戸建て住宅の建設なども始まり、新しい居住区が続々と生まれてきます。
それから、書き出しの部分で触れていましたが、8月23日(土)に埼玉県蓮田市でのイベントに馬場中山地区を代表して歌津小太郎が出店しますので、首都圏の皆さんでお近く方は是非お越しいただければと思います。場所は、「蓮田駅東口のくぼ通り」です。今回はまだ暑い日が続く中の屋外イベントですので、わかめ製品を中心に3-4品の歌津小太郎商品をお持ちして伺います。私(孝浩)が歌津から、そしていつものように“はすだ支援隊”の皆さんがいっしょに盛り上げて下さいますので、上野駅からは一時間弱ですので、お近くの方は是非いらして頂ければと思います。
<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
今回の教訓では、「善意を表明する的確な場さえあれば人は純粋に善意を示す」ということをご紹介したいと思います。震災発生の2011年3月から今回の記事にあります8月まで、概ね最初の6ヶ月の間に我々に支援の手を差し伸べて下さった皆さんとは現在も継続しておつきあいを頂いています。食べるものも水もトイレも不足していた避難所生活の当初の頃だけに留まらず、我々をこうして応援してくださる方々に対し、大変ありがたい反面、「自分だったら縁のなかった被災地域に対してここまで親身に時間も費用もかけて支援を継続できるだろうか」と思いました。それは私だけでなくカオルもそのように感じていたようです。
長くボランティアさん達の受け入れの窓口をしてくれていたカオルの言葉を借りると「そもそも人間には困った人をただ助けたいという気持ちが備わっていて、純粋に助けたいだけなんじゃないか」といいます。当初はなぜボランティアの皆さんが何の見返りもなしにわざわざこんな所まで支援物資を運んで来たり ボランティア活動をしに来てくれるのか理解できませんでした。馬場中山地区全体が避難所生活をしていた頃、不足していた日用品などをホームページで募集した際にそれを手配してくださった方から「支援する機会を与えてくれてありがとう。」というメッセージをいただいたことがあります。そういったメッセージを数多く頂いて、「純粋に助けたい気持ちのあらわれ」だと思うようになったといいます。
こちらの地区に対する行政からの支援が遅れる中、馬場中山生活センターのみんなはこの純粋な善意に支えられたおかげで被災直後の大変な時期を生き抜いてこれました。その善意を与える側と受け止める側のマッチングが非常にうまくいったのが我々の馬場中山地区であったのだと、あの震災から3年5ヶ月を経てようやくそのように振り返ることが出来ました。
まだまだ我々の地の漁業を中心とした正業(なりわい)も生活の復興も課題が沢山ありますが、全国の方からの善意に支えられてここまで加速して立ち上がることが出来ました。ようやくみなさまの善意へのお返しをするにはどうしたら良いか考えられるようになったのですが、私に出来ることは歌津小太郎商品だけに限らず歌津の魅力である“旨いもの”を広くお届けすることであろうと思い到りました。そんな訳で今回も長くなった次第ですが、ここまでおつきあい頂きありがとうございました!
記事担当 千葉孝浩
■□■□■今月の特集写真コーナー「あの夏、共に汗を流した仲間達の笑顔」■□■□■□■□■□
いつも後半に特集写真のコーナーを設けています。「あの夏、共に汗を流した仲間達の笑顔」と題しまして、2011年8月に馬場中山地区に来ていただいたボランティアの方の写真をテーマ別にご紹介したいと思います。写真素材は全て、馬場中山地区ホームページ(歌津小太郎第三の男・カオルが運営)の中でご紹介したものを再掲載しています。集合写真と皆さんの驚嘆の「仕事ぶり」を中心にピックアップしてみました。
テーマは、1.未来道プロジェクト8月編、2.なじょにかなるさープロジェクト始動編、3.8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々編 の順に並べております。それぞれの日付は写真のキャプションに年月日を8桁で記載していますので、もっと写真を見たい方は、馬場中山地区ホームページから日付で探してみてください。
[1.未来道プロジェクト8月編]
高台を通る未知未来道から海を眺めるベストショットです。遠くに島のように見えるのが歌津半島です。 馬場中山地区HP20110811
埼玉はすだ支援隊のトシさんと中山さんです。深夜の2時に到着し日帰りで未来道の様子を見に来てくれました。 馬場中山地区HP20110731
7月中に大まかにルートを切り開くところまで進んだ未来道を確認しています。この日の私は緑色のツナギ(一番右)です。 馬場中山地区HP20110731
自分達で建てた第二避難所(この頃は支援センターと言っていました)で未来道や今後の復興について話し合っています。 馬場中山地区HP20110731
8月2日、朝から未来道工事開始です。 馬場中山地区HP20110802
役場の方が未来道工事の様子を見に来ました。町の復興計画とうまくリンクさせるために頻繁に話し合ったほうが良いとアドバイスです。 馬場中山地区HP20110802
この日(8月2日)はテレビ局の取材も入っていました。 馬場中山地区HP20110802
ボランティア活動のために全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。 馬場中山HP20110806
木こりさんや草刈機で草を刈る方々です。 馬場中山HP20110806
写真では見えませんが木こりさんが根元をチェーンソーで切っています。 馬場中山HP20110806
10分後、あっとゆうまに木を伐採しました。馬場中山HP20110806
8月7日もボランティア活動のため全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。ありがとうございます。 馬場中山HP20110807
8月8日もボランティア活動のため全国から集まった有志の皆さんが未来道の作業を手伝うために来てくださいました。ありがとうございます。
こちらの皆さんは後に長いお付き合いとなる神奈川県座間市の『かおる建設工業』の皆さんたちでした。きっかけは、南三陸ボランティアセンターから「馬場中山地区では地域で自主的に避難道を整備している」という情報をキャッチし、“道路建設は本業だから力を貸すよ!”ということで来て頂くことになったのでした。 馬場中山HP20110808
8月28日朝、集中砂利敷き作業前の写真です。前日夜遅くに到着したはすだ支援隊は短い仮眠をとっただけ。 馬場中山地区HP20110828
未来道プロジェクトに初参加に人もいるので、作業前に未来道の全容を下見に行きます。 馬場中山地区HP20110828
別のボランティア団体の皆さんです。未来道プロジェクトに対して炊き出しをしてくださるとのことです。 馬場中山地区HP20110828
未来道で一番地盤の高いところ、見晴らしの良いところから砂利を敷き始めます。 馬場中山地区HP20110828
木々のすき間から海が見えます。 馬場中山地区HP20110828
快晴に恵まれ未来道工事日和です。この日もテレビニュースの取材が入っています。 馬場中山地区HP20110828
未来道が二股に分かれるところです。 馬場中山地区HP20110828
馬場中山地区HP20110828
少しずつ砂利を敷いていきます。 馬場中山地区HP20110828
林を切り開いた場所も立派な道になってきました。 馬場中山地区HP20110828
汗だくの作業の後には、こんなおもてなしを用意しました。馬場中山名物となっていた五右衛門風呂の復活です。入浴シーンの写真はこちらのブログには不適切なので掲載していません。 馬場中山地区HP20110828
8月29日、二日目の集中砂利敷き作業です。まずはトラックから重機を使って砂利を敷きます。 馬場中山地区HP20110829
地元のメンバーがスコップを持って砂利をならしていきます。女性たちも参戦です。 馬場中山HP20110829
馬場中山HP20110829
馬場中山HP20110829
昼食時のくつろぎ風景です。 馬場中山HP20110829
この日の昼食はやきそばにおにぎりと前夜の残りの焼き鳥、そしてデザートにスイカでした。 馬場中山HP20110829
はすだ支援隊のリーダー、トシさんの笑顔です。 馬場中山地区HP20110829
馬場中山生活センター前で海をバックに記念撮影です。未来道への集中砂利敷き作業を率いてくださったはすだ支援隊の皆さんが戻られる前にその場にいた全員が集まりました。 馬場中山HP20110829
[2.なじょにかなるさープロジェクト始動編]
なじょにかなるさープロジェクトのメンバーが北海道に到着しました。馬場中山HP20110802
わずかな情報を頼りに漁港をめぐり、わかめ養殖に使えそうな漁船を探します。こういった船が停泊しているところに行き、事情を説明し売りに出ている船がないか直談判で探しました。 馬場中山HP20110802
北海道に漁船探しに訪れていたメンバーが戻りました。書類を広げて精算作業をしています。 畳の上にダイニングテーブルと、不釣合いではありますが、ここはみんなで作った第二避難所の中でして有効に使われています。馬場中山HP20110804
北海道に行ってきた4人の若手漁師さんです。欲しい船が見つかりましたが、どのように調達するかを話し合っています。 馬場中山HP20110804
右のお二人が「なじょにかなるさープロジェクト」に支援を申し出てくれているホープインターナショナルさんのスタッフの方です。左側の漁師さんたちが漁船探しの視察の結果を報告しています。馬場中山地区HP20110805
なじょにかなるさープロジェクトで行った北海道視察についての報告書をまとめていました。
漁師をなりわいとする皆さんはパソコン操作や文章作成に使い慣れていません。そういった苦手なところもホープインターナショナルさんがサポートして下さっています。 馬場中山HP20110809
[3.8月、馬場中山地区のつながりを支えてくれた人々編]
後ろの女性二人が横浜市からボランティアで来た伊藤姉妹です。後に草刈り姉妹と名付けられ大活躍します。 馬場中山地区HP20110811
伊藤姉妹は大阪市内の有志の方から地域の子供達のためにと花火を沢山持参していました。 馬場中山地区HP20110813
泊りがけでボランティアに来ていただいた方には、みんなで作った第二避難所を簡易宿泊施設として開放していました。馬場中山地区HP20110814
ボランティアの伊藤姉妹の主催で花火大会が開催されました。 馬場中山地区HP20110814
花火のあとはスイカが振舞われました。 イベントが終了した後もボランティアさんと地元のみんなとの会話が盛り上がりなかなか解散しませんでした。 ここまで馬場中山地区HP20110814
伊藤姉妹による草刈り活動の開始です。馬場中山地区HP20110817
プロのカメラマンさんのボランティアさんは家族写真を撮影してプリントしてお渡しするプロジェクトを行っていました。 馬場中山地区HP20110813
馬場中山地区HP20110814
仮設住宅の前でもパシャリ。その時々のありのままの家族の姿をテーマにしています。馬場中山地区HP20110814
馬場中山支援センターでは、支援物資で頂いたパソコンが有効に使われるようになっていました。 全くパソコンに縁のなかった漁師さんのなかにも避難生活中で見よう見真似でキーボード入力が出来るようになり、簡単な情報検索が出来るようになった人が複数います。 馬場中山地区HP20110810
こちらは中山地区の海辺の休憩所です。はすだ支援隊による6月の“作品“です。漁師さん達を中心に有効に使われています。 馬場中山地区HP20110818
苗プロジェクトの第4便が届きました。秋野菜の苗と堆肥が中心です。すげ傘を被っているのが苗プロジェクトを主催する蛯名さん、右の女性が馬場中山の地域のメンバーの要望を取りまとめています。 馬場中山地区HP20110818
希望していた苗の分配を確認します。 馬場中山地区HP20110818
よく見えないかもしれませんが、苗プロジェクトで頂いた苗で育ったスイカです。 馬場中山地区HP20110818
ボランティアさん達が苗プロジェクトの苗から作ったトマトのおすそ分けを食べています。フルーツのように甘いトマトでした。馬場中山地区HP20110817 -
被災地からのレポート2014年8月8日 08:46
南三陸・歌津の海の幸&歌津小太郎商品の取り扱い店舗「みなさん館」情報
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
前回、7月29日にこちらのブログにアップした記事に対して、早速、反響とご質問がありましたので補足してご説明したいと思います。
まずは質問ですが、歌津小太郎工場のお隣にあります「南三陸直売所 みなさん館」に関してです。
2014.7.27 撮影
左:ほや 150円 右:ホタテ 150円 2014.7.27 撮影
この2枚目のホタテの写真に関しての質問ですが、「殻付き活きホタテ 1枚150円」が大変にお得で魅力的ということで、ギフト配送出来ないかというものでした。残念ながら「みなさん館」では生鮮魚介類は店舗での販売のみで配送の対応はしておりません。いずれはそういったことも出来るようになりたいのですが、現在は生鮮魚介類の取扱量そのものが少ないので、配送の為の発砲スチロール容器とか、生鮮品ゆえの配送への配慮の徹底ですとかそういったことの対応がまだ不十分なのです。
生鮮品以外、例えば歌津小太郎商品のように水産加工品全般は配送可能ですので、「南三陸直売所 みなさん館」のホームページからご覧になってみてください。
順番が逆となりますが、改めてこの「南三陸直売所 みなさん館」の解説をしておきたいと思います。
●「南三陸直売所 みなさん館」について
みなさん館は東日本大震災から一年半が経過した2012年10月7日に南三陸町の北部(旧・歌津町)の管の浜という場所でオープンしました。(歌津小太郎工場のお隣です)
「南三陸(みなみさんりく)」の「みなさん」が力を合わせて地域づくりをしていく場として『みなさん館』と名付けられたこちらの直売所では、町民が中心となり自然豊かな魅力ある南三陸の地場の農産物や海産物、それらを活用した味噌や漬物、弁当やお惣菜、お菓子などを製造販売しています。小規模ですが飲食コーナーもありまして、地元女性のグループが南三陸ならではのお食事を提供しています。
歌津小太郎ももちろん地域の一員として『みなさん館』の設立メンバーとして参加させて頂いており、私自身はその運営組織であるNPO法人夢未来南三陸の代表も務めさせて頂いております。また2012年10月から2013年4月までの間、歌津小太郎工場が完成するまでの7ヶ月間は『みなさん館』の中に作られたレンタル工房〔20平米〕を歌津小太郎の仮工房として使わせて頂きましたし、歌津小太郎の復興にはなくてはならない存在でした。そんなわけで、こちらのブログでも『みなさん館』は頻繁に登場しております。
南三陸町の中では、南側(旧・志津川町)の南三陸町の役場などがある中心地のエリアに「南三陸さんさん商店街」(みなさん館から車で10分の距離)という仮設店舗商店街がありますので、全国的にはそちらのほうが有名でして『みなさん館』はちょっと地味な存在です。しかし、震災以前にはそのような地元の産品を販売できる直売所がなかったので、この『みなさん館』が出来たことは地元にとっては大きな飛躍の場となりました。これまで商売をしたことがなかった女性たちもそれぞれが得意な分野を活かして『みなさん館』の運営に携わっています。
『みなさん館』ならではのヒット商品は、地元のお母さん達のグループが製造している「田舎風味噌」やみなさん館 館長自らが、土や水にこだわって生産した南三陸米(ひとめぼれ)など。食材以外では、女性たちが得意とする手芸作品も販売しています。 夏の期間限定商品としては、冒頭の写真にありますように殻つきホヤに活ホタテ、ウニの開口の日に当たればウニ(殻つき)など。
この時期限定のお食事メニューは、“ほやうどん”。また、年中のメニューとして、“油ふ丼”や“タコ刺定食”といったものをご用意しております。
夏休みで東北に足を運ばれる方は是非、『みなさん館』にお立ち寄り頂ければと思います。南三陸の自慢の食材の多くは試食できるようになっていますので、まずは味わってからお買い物を楽しんで頂けると嬉しいです。歌津小太郎商品も常に全商品ラインナップを置いていますよ!
みなさん館内の様子 2014.8.7撮影
館内にあるお食事処“むすび庵”。
メニューはこちら↑ 2014.8.6撮影
こちらは、“歌津小太郎コーナー”(冷蔵ケース)
こちらも“歌津小太郎コーナー”(冷凍ケース)
新・カタログも登場!
“感謝の想いを込めてお届けします。”
歌津小太郎は地域の復興とともに歩んでおります。是非とも多くの皆さんに歌津の地にお越し頂き我々の歩みをご覧いただければと思います。 記事担当 千葉孝浩 -
被災地からのレポート2014年7月29日 09:59
復活2年目~6月のまとめ報告と“7月”~「未来道プロジェクト」・「ファンド募集」
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”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
7月も最終週になり、すでに梅雨明けしたのではと感じるほどの酷暑に耐えながら毎日を過ごしています。本当は“毎月11日”を目標にこのブログをアップできるよう準備を進めているのですが、今回はかなり遅くなってしまいました。
いいわけとなりますが、この時期はどうしてもパソコンの前に向かう時間を取れなくなります。そう! お中元商戦の時期なのでした。
こちらは、藤崎本館地下2階歌津小太郎コーナー
今回の記事ではそのお中元商戦の中間結果をご報告しまして、震災後の3年間の振り返りでは7月の出来事である「’11年―未来道プロジェクト」、「’12年―被災地応援ファンド募集開始」、「’12年―自宅キッチンでの製造再開」といった内容を中心にご紹介します。いつも長~くなってしまうこのブログですが、この3年間に歌津小太郎だけでなく歌津/馬場中山地区を支えてくれた強力な支援者の皆さんの活動をご紹介することで、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいということを秘かに狙った結果なのです。最後までお付き合い頂けると嬉しいです!
● 2014年6月の歌津小太郎活動報告
~お中元商戦の中間報告、主役はやっぱり“こぶ巻”です!~
6月11日より歌津小太郎が常設の販売コーナーを構えております仙台の老舗百貨店、藤崎のお中元商戦が始まりました。昨年の今頃は、4月の工場再開から日が浅くて充分な品揃えが出来なかったため、お中元セットをご用意出来ませんでしたので、お中元商戦としては3年間のブランクを経て今回より復活となりました。今回は、3,240円、4,320円、5,400円(いずれも税込)の3種類のセットをご用意しました。
お中元でも“こぶ巻”を選んで下さるお客様は日本人らしい気遣いを意識していらっしゃる方が多いです。こぶ巻は「喜ぶ」につながることと、“巻物”という姿が昔でいうところの書物にあたるので「勤勉に学問に励む」ということ、この二つの縁起をかついで贈り物の“絶対的定番”として考えて頂いているのです。だからこそ、「歌津小太郎がなくなると困るのよ~!」と。昨年のお歳暮の際にそのようなお声がけ頂いたのですが、再び贈り物のシーズンとなり、にっこりと微笑んで「この3年間、違う贈り物を探すのが大変だったわ!」とおっしゃって頂いたときには、また目頭が熱くなりました。
もう一つ、6月の嬉しい報告があります。前回の“5月報告と6月”のブログ記事の中で首都圏で歌津小太郎商品を扱っているところとして代理店契約をしている(株)加藤物産さんでの販売会のお知らせをしましたら、「歌津小太郎の応援団です!」と名乗って買っていかれる方が何人もいらしたという連絡を受けました。本来ならば私たちが出資者の皆様お一人お一人にお礼に伺いたいところなのですが本当にありがたいことです。震災前は全売上の9割以上は宮城県内のお客様という本当にローカルで小さな小さな水産加工屋の歌津小太郎ですので、首都圏にいらっしゃる出資者の方は、我々を全く知らなかったと思いますが、こうして被災地応援ファンドの仕組みをきっかけにご縁が出来て応援してくださること、本当に嬉しく、未来に向けて前に進むための励みとなります。
(株)加藤物産さんによる7月後半から8月にかけての首都圏での販売は、横浜、吉祥寺、新宿を予定しております。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。
●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。
歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった公共施設・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。一階の天井まで津波を被った千葉家でしたが、6月中旬にはなんとか修復して住める状態になりましたので、避難所を出ることが出来ました。震災から4ヶ月を経過した2011年7月の出来事からご覧下さい。
☆ 2011年7月: 避難所の解散、未来道プロジェクト
[避難所の解散]
3月11日の震災・津波発生の日から丸4ヶ月を経過しました7月11日、我らが歌津/馬場中山地区の避難所である馬場中山生活センターはその避難所の役目を終え解散しました。海岸沿いの道路が寸断され孤立集落の状態で200人もの地域住民は明日がどうなるか判らぬままこの高台のセンターに集まり避難生活が始まりました。沢山のものを失い、大切な家族や友人まで失い、この地に未来があるのだろうかとガレキの山を前に落ち込む日々もありました。一方、辛い目にあったのは自分ひとり、自分の家族だけではないので、集団生活の中で助け合いながら、生活の再建を目指しました。避難所を出られるようになることが第一段階の目標でありましたので、それぞれに複雑な思いを胸にしまいながら、避難所の片付けを行いました。そして馬場中山生活センターはひっそりと静かに元の地域の集会所の役割に戻ったのでした。
避難所としての最後の晩餐会は7月9日に開催されました。馬場中山地区HP20110709
晩餐の食卓にあるのは、
つい先ほど捌いたお刺身でした。ここまで、馬場中山地区HP20110709より
馬場中山生活センターの中です。個人の荷物が全て運び出されたのでピンク色の敷物を4ヶ月ぶりに剥がします。馬場中山地区HP20110711
元の姿は板の間でした。そこにゴザとクッション性のあるシートを敷き、夜は布団を敷き詰めて寝ていたのでした。馬場中山地区HP20110711
震災から4ヶ月目の7月11日、馬場中山生活センターは元の集会所という役割に戻りました。馬場中山地区HP20110711
[未来道プロジェクト]
6箇所の仮設住宅地区と全壊を免れて元の家に留まった住民とでバラバラに暮らす我々は、いつかはまた「馬場・中山地区」としてコミュニティーを復活させることを強く願っていました。そのためには、次にまた同じような大規模な天災が起こったとしても、誰一人を失うことなく、そして集落が孤立することなく、すぐに家族全員の無事を確認できるようにしよう!!!――避難生活の中で沢山の話し合いを続けてきました。
話し合いの早い時点から持ち上がったテーマが避難道の確保でした。今回の津波では海沿いを通る道路が分断されたため孤立集落となり、最初の一週間ほどは命を繋ぐ水・食料の確保がままならない状態でした。唯一残った道は高台を通るとても狭い農道(道とは呼べないくらいのもの?)でした。そのルートを使って、今後の避難道として、あるいは高台への集落移転地区(予定地)への幹線道路として使い、百年先の世代まで安心して暮らしていける地域の再建をしようと立ち上げられたのがこの「未来道プロジェクト」です。
「高台を通る道」…といってもこんな風でした。馬場中山地区HP20110717
馬場中山地区にとってこの避難道の確保は絶対的に必要なものであることは明白でしたが、震災後3~4ヶ月を経過した時点では、行政側に要望を出しても全く手の回る状況ではありませんでした。南三陸町は役場自体も被災していましたし、職員で亡くなられた方も沢山いましたから無理もありません。そこで我々は、元々ある農道を活用して車が通れるくらいに幅を広げ、傾斜やカーブを緩めてと、「未来道」のルートを自分たちで話し合って決め、さらに全ての地権者(多くは避難民の方々)の了解を取りました。その上で、行政側への了解を取り、地域のメンバーと強力な支援者の皆様とともに、自分達で、自分達が生き残り安心して暮らしていくための道「未来道」の工事に着手しました。
この「未来道」の第一期工事は、多くの住民が避難所生活を脱した2011年6月中旬からルート検討を始め、本格的な工事は7月16日に着工、8月下旬頃には砂利道ながらも立派な避難道として完成しました。今回の後半の特集写真は、「未来道プロジェクト」を取り上げておりますので、のちほどゆっくりご覧下さい。
未来道のルートです。この写真でいうと、逆Y字型になります。現在の生活の拠点である馬場仮設と中山仮設から未来道を通り、県道を経由して国道45号線に抜ける全長が1.3kmの避難道です。 (馬場中山地区 未来道プロジェクトサイト)
自分達が生きるために作った「未来道」。このプロジェクトは立ち上がりの早い時点から馬場中山地区を応援してくださる支援者の方達の中でも、土木建設業を営む方々が推進して下さったおかげで実現しました。ベースとなる農道はありましたが道のないところは森を切り拓き、重機で道を広げ、津波で破壊されたコンクリートのガレキを砕いて砂利にして敷き詰めました。未来道工事に必要なものはあっというまに集まりました。例えば重機は支援者の中で土建業者さんが自社の重機を無償で差し出してくれたものを始め、「レンタル費を支援します」、「重機のガソリン代を支援します」、「ダンプの運転が出来ます」と、考えられないくらい多くの支援者の方がそれぞれの得意分野を生かした支援の手を差し伸べてくれたのでした。
我々、馬場中山の地域のメンバーは道路を作るのは初めてですが、多くが漁師を本業としますから力仕事ならなんだって出来ます! 沢山汗を流して、重機の届かない細かい部分の作業を行いました。私も普通免許で運転できる大きさのトラックで砂利をいっぱい運びました。この頃の写真はいつもツナギを着て、首にタオルを巻いていましたね。
かくして馬場中山地区を未来につなげたいという思いが「未来道」という形になりました。
☆ 2012年7月: 被災地応援ファンド募集開始、みなさん館建設開始、自宅キッチンでの塩蔵わかめ製造開始
最初に少し、前回の記事に盛り込めなかった「2011年6月」の話題をお知らせします。 (前回の記事もあまりに長くて割愛してしまった部分です)
歌津小太郎は震災で全ての生産資源を失ったため、どんなに復活を望む声が多くとも、資金面で不安要素を抱えていたため乗り越えられない壁にぶつかっていました。しかし、被災地応援ファンドで資金を調達することが決まると、いろいろな懸案も前向きな方向で決まっていくようになりました。工場建設計画は、地元、南三陸町の山庄建設㈱の協力もあって、海岸より1kmほど内陸にはいった管の浜(くだのはま)という地域に建設することになりました。工場の計画が決まり、再建後の販売計画も立てられるようになると、物事は好転して進むようになり、ファンド募集に必要な各種の数字も埋められるようになりました。
そして2012年6月28日、この日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始したのでした。
自然と笑顔になりました! 歌津小太郎HP20120601
今振り返っても、この頃はいろんな「計画」でものすごく忙しかったです。実は、歌津小太郎の工場に隣接して、南三陸直売所「みなさん館」を建設することも決まりまして、こちらのほうが歌津小太郎の工場よりも先行して進んでおり、6月中には地鎮祭が執り行われました。完成後にはもちろん歌津小太郎の商品も扱って貰います。こちらは地域でNPOを立ち上げて運営していくものでして、私(孝浩)も地域のメンバーとして重要な役割を担っています。公益社団法人アジア協会アジア友の会さんにご協力頂き、NPOの立ち上げの最初からサポート頂きここまでたどり着きました。
みなさん館の地鎮祭です。 歌津小太郎HP20110726
地鎮祭の数日前の会議です。この当時は「夢未来南三陸」という名で任意団体として活動を開始していましたが、直売所のオープンに向けてNPOの認可を取得するべく話し合いを行っています。歌津小太郎HP20110726
歌津小太郎の話題に戻ります。
「工場がなくちゃ商品が作れない!」そう思い込んでいた私たちに、歌津小太郎ファンの皆さん達は良い意味で“ムチャぶり”をして下さいました。「震災から1年以上経つけど、歌津小太郎はいつ復活するの?」と藤崎デパートへの問合せに、「商品が作れるようになったらすぐに買うから連絡が欲しい」というお手紙。歌津小太郎の売り場を100%元の姿に復活させることは出来ないけれど、小太郎社長が漁師をやりながら最初に販売を手がけた当時のスタイルである本当に簡単な一次加工品の製造、すなわち「湯通し塩蔵わかめ」や海藻の乾物類ですが、これならば袋詰めの機械だけあれば小さなスペースでも作れますから、とりあえず出来るところから再建をスタートしようということになりました。
工場が再開するまで自宅キッチンが作業場です。 歌津小太郎HP20120707
小さな一歩ですが1年4ヶ月ぶりに歌津小太郎の商品が出来ました!歌津小太郎HP20120707
そんな経緯で「自宅の台所」で作った商品で1年4ヶ月ぶりに仙台/藤崎B1階の“歌津小太郎コーナー”が復活しました。7月12日-16日の5日間だけ、商品も「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」だけですが我々には大きな一歩でした。顔なじみのお客様と沢山の再会を果たすことが出来ました。 これが実現したのは、藤崎さんの多大なるご支援があればこそですが、そのバックには我々の復活を待ち望む歌津小太郎ファンのみなさんの多大なるお力添えがあったのでした。
この写真は2011年3月14日、震災から3日後に藤崎の売り場撤退作業後に撮影したものでした。工場が跡形もなく流されましたので、売り場を維持するわけにいきません。みんながピースサインをしていますが、心情としてはとても悲しい日でした。 歌津小太郎HP20120719
その後、1年4ヶ月、この小さな貼り紙がそこにかつて歌津小太郎店舗が存在していたことを知らせていました。 歌津小太郎HP20120719
そして2012年7月12日、5日間だけですが、歌津小太郎が復活しました!チラシでも広く告知して頂きました! 歌津小太郎HP20120719
仙台/藤崎の地下1階、短期間ではありますがこの場に戻ってきました! 歌津小太郎HP20120719
☆ 2013年7月: “カフェかなっぺ”オープン!―歌津の魅力発信基地
1年前の7月の出来事ですが、千葉家の身内のことで恐縮ですがとても嬉しいことを一つご紹介します。次男の馨(カオル。私=孝浩の弟)が夫婦でカフェをオープンしました。旧・歌津小太郎工場のあった海岸を見下ろせる高台です。
かなえさんとカオル 歌津小太郎被災地からのレポート20131102
トレーラーハウスを使った小さなお店です。 馬場中山カオル商店HP20140626
こんな風に海を見下ろすカウンター席があります。暗いですが後姿は小太郎社長です。馬場中山カオル商店HP20140624
なぜ突然カフェの話か…きっかけは震災なのでした。2011年の夏の、馬場中山地区にボランティアとしてやってきたのが後にカオルの奥さんとなるカナエさんと妹のナナコさん。東北には全く接点がなかったのに報道を見て自分達でも何か出来ないかと長めの休暇をとって二人で横浜からやってきました。女性ならではの細かい気配りで支援してもらい、何度も何度も継続的に歌津に訪れて、明るく盛り上げてくれました。誰が名づけたか「草刈り姉妹」。我々の手の回らない雑草退治を汗だくになりながらやってくれる姿に賞賛の気持ちと親しみを込めつけられた名前なのでした。
ただ彼女達が活躍できるようになるには最初の頃は問題が―歌津のおじいさん・おばあさんたちの強い方言が理解できなかったのです。その“通訳役”となったのが弟・カオル。ここから先は長い話となるのでこのくらいで割愛しますが、詳しくはカオルが運営するホームページ“馬場中山カオル商店”をご覧下さい。
カオル&カナエさんの“カフェかなっぺ“は馬場中山の地元の方と遠方から訪れる方が集まれる場所を用意することで活気づけていくことを目指しています。早速「馬場中山に行ってみようプロジェクト」を立ち上げ、さまざまな仕掛けをご用意しています。こちらもぜひ見守って下さると嬉しいです。
あまりにも千葉家の内輪の話なのでこちらの被災地からのレポートでご紹介するか、ちょっとためらいがあったのですが、やはり嬉しいことなので取り上げておきます。 2013年4月の話に遡りますが、4月下旬は歌津小太郎工場の再開に加えて、こんなお祝い事がありました。
2013年4月29日、カオル&カナエさんの結婚イベントが行われました。参列者のドレスコードは「普段着」。この日、バラバラに暮らす地域の皆さんの多くが再び集いました。 馬場中山支援センター(ボランティアさんといっしょに作った台に避難所)前にて集合写真
お色直し後、「未来道」の一番見晴らしの良いところに会場を移して再び入場です。軽トラックがリムジンに見えてきます。
「未来道」の砂利道の上に白いバージンロードが作られました。遠くに海が見えます。
再びお色直しで「普段着」となり、ケーキではなくマグロに入刀です。
最後は、この日集まってくださった地域の方やボランティアの方に新郎の父である小太郎社長からお礼の言葉をお伝えしました。
この日、テレビニュースの取材も入っていました。「南三陸町の夫婦 地元の復興へ 特別な思いで企画した結婚式」と紹介されました。 ここまで馬場中山カオル商店20130429より
一方、そんなわけでこのブログの中で、「歌津小太郎の第三の男・カオル」と紹介していますカオルのマンパワーは“カフェかなっぺ“を拠点にした歌津・馬場中山地区を応援する各種プロジェクトに向くようになり、歌津小太郎の男性陣は実質、小太郎社長と私(孝浩)の2名だけになりました。それが歌津小太郎の現在の懸案の”人員不足“の要因でもありますが、それでも良いのです! 2011年4月上旬、千葉家の男性陣3人でロウソクの火を囲んで話し合った結論である「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする!」をそのまま千葉家を代表して継続してくれているわけで、見方を変えれば千葉家の業務範囲が広がったということなのですから! それに歌津小太郎の商品の多くは歌津周辺の海藻を原料にしていますから、この地の漁業が完全復活となってこそ、歌津小太郎も完全復活といえるわけなのです。
さて、歌津小太郎の活動に話を戻します。
7月30日にはミュージックセキュリティーズさんの企画で3事業者合同の被災地応援ファンド事業者報告会を開いて頂き、40名ほどのみなさんに現在の歌津小太郎の状況を説明させていただきました。八木澤商店の河野さんや寒梅酒造の岩崎真奈さんにも初めてお会いしました。我々は工場を再建したばかり、次々に新しい課題に直面しているのですが、他の事業者の方も同様に悩みをかかえていること、そんななかでもファンドの出資者の方の強力な応援に助けられていること…事業者として同じような痛み、同じような志を、みなさんがお持ちであることを確認し、想いを分かち合えた貴重な機会となりました。
● 2014年7月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
この時期は、ホヤやウニと言った三陸を代表する海の幸が豊富に出荷される時期なのですが、各港に整備されるはずの荷さばき場(1次処理施設)の整備の遅れで、思うような水揚げが出来ずに今シーズンを終えようとしいています。歌津小太郎でも先月に復活した「ほや醤油漬」の仕込みが7月上旬に終わり、予定では10月末ぐらいまで販売できる数量を何とか確保できました。(本当はもっと仕込みたかったのですが、お中元シーズン対応に作業ラインを組み替えなければならず、震災前の3割程度の数量を仕込むのが精一杯でした)…それでもホヤは今でも水揚げされています!! 歌津小太郎に隣接する「南三陸直売所 みなさん館」では地元志津川地区の漁師さんが、その日売れる分だけを毎日出荷してくれるので、8月末ぐらいまでは店頭に並んでいます。もちろん「みなさん館」ではお昼の時間帯など、むきたてのホヤもメニューにありますので、こちらにお越しになられた際には是非ご賞味されてはと思います。
2014.7.27 撮影
これからの南三陸は一年でも一番賑やかになる時期、お盆を控えています。歌津小太郎商品も出品している「みなさん館」がたくさんの方に利用いただき、地域に必要な施設としてより活用されるよう、歌津小太郎として地元からも盛り上げて行こうと思います。
2014.7.27 撮影
<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)
2014年も半年が経過しました。いまの時点での歌津小太郎の復興の度合いは登山に例えると6合目を超えてなだらかな尾根が続く7合目を目指しているところかなというところです。強力な応援団がその登山に同行してくれ、ときには重い荷物の一部を担いで下さるおかげで、一歩ずつ、長い上り坂の歩みを進めることが出来ている、そんな気がします。被災地応援ファンドの支援者の方はなんと660人を超えました。こちらの皆さんも一緒に歩んで下さっているように思っております。本当にありがたいです。
今回の教訓ですが、「未来道プロジェクト」によって地域のみんなも私自身も「明確な目的があれば何だって出来るのだ」ということを身をもって体験しました。現代の生活では公共の仕事は役所がやることと思い込んでいますが、昔々は確かに道路作りも港の整備も人海戦術で地域の人々でやっていたのだから、自分達が必要なことは自分達でやっても良いのだし、出来るのだという単純なことに気がつきました。
ただ、人海戦術ではなく現代は重機などの文明の利器を使うわけですが、それらをその道のプロの方が支援者として手をさし伸ばして下されば、自分達だけの力では効率の悪さゆえになかなかゴールが見えないようなことでも、意外に簡単に道が拓けるのだということが判りました。「何だって出来る!」を後押しして下さった支援者の皆さんには本当に感謝しております。
記事担当 千葉孝浩
■□■□■今月の特集写真コーナー「未来道プロジェクト」■□■□■□■□■□
ブログの本文中に写真を沢山入れると間延びしてしまうので、5月ブログから後半に特集写真のコーナーを設けています。今回のテーマは「未来道プロジェクト」。 7月17日から本格的に着工し、8月下旬には砂利道ではありますが車が通過するのに支障がない程度に道を整備できました。そのため、今回は“7月”に拘らずにこの期間の写真をご紹介します。
(再掲)未来道のルートです。この写真でいうと、逆Y字型になります。全長が1.3km (馬場中山地区 未来道プロジェクトサイト)
未来道工事の初日です。気合が入っています。 歌津小太郎HP20120701
最初はこんな状態の道なき道でした。ここからの写真は7月17日の様子です。馬場中山地HP20110717
重機が入ります。
重機に近づいてみましょう!
その先の森の中でチェーンソー隊の皆さんが木を切っています。
黄色い重機の先端はハサミ状になっていて、切り倒した木を効率よく運び出します。
別のチームはバケット状の重機で道を広げる作業をしています。
作業が早いです。
チェンソー隊(木こりチーム)の作業も早いです。森だったところにあっという間に一本の道筋を通しました。
お昼は山の上で食べました。おいしいおにぎり・漬け物・ポテトサラダは馬場中山の女性陣チームが作ってくれました。 ここまでの写真は馬場中山地区HP20110717
ここからは7月18日です。作業二日目のチェンソー隊(通称、木こりチーム)です。
こちらの男性が「未来道プロジェクト」の立役者のIさんです。どんな重機でもスマートに扱います。栄養ドリンクを飲んでやる気満々です!
馬場中山地区のベテラン重機オペレーターも負けていません!
こちらも我々の地域の男性ですが彼は震災を機に重機オペレーターの免許を取りました。たのもしい即戦力です。
ここは昨日までは道ではなかった場所です。
未来道の終点は元々ある舗装道路に抜けます。
早々に担当するチェンソー仕事を終えた木こりチームの皆さん達、高台から合流する舗装道路を見下ろしています。体を張って仕事をする皆さん達、立ち姿がカッコいいです。ここまでの写真は馬場中山地区HP20110718
ここからは7月19日の写真です。作業3日目の朝、朝食後の姿です。彼らは福井県大野市の建設業会会員の有志の方でした。
3日目のボランティアさんは福井県のIさん一人を残し、それぞれの地域に戻られました。この日からは地域の男性陣がバリバリ動きます。
先端にハサミ状のものをつけていた重機は木を運ぶ作業を終えたので、バケット型に取り替えます。 重たいのですごく大変。左側でグレーのツナギを着ているのが私(孝浩)です。 ここまでの写真は馬場中山地区HP20110719
ここからはコンクリート破砕機、その名も「ガラパゴス」を紹介します。
コンクリート粉砕機(ガラパゴス)です。 ここからは、歌津小太郎HP20120701
コンクリートを砕いて、
いっぱい敷き詰めました。歌津小太郎HP20120701
ここからは8月28日の砂利敷き作業日の様子です。 馬場中山地区HP20110828
砂利を丁寧に広げる作業は人海戦術でやっています。
この日は女性たちもスコップを持って参戦です。
お昼はあの避難所だった建物、馬場中山生活センターの中も外も使って振舞いました。
林の中の道にも砂利を敷きます。 ここまで馬場中山地区HP20110828
8月28日-29日の二日間、集中して砂利式作業をしていただいたのはあの“はすだ支援隊”。 作業を終えて帰る前の集合写真です。ありがとうございました。 馬場中山地区HP20110829
[もっと知りたい方へ]
今回の特集写真コーナーで取り上げた「未来道プロジェクト」をもっと知りたい方は、以下のリンク先を参照下さい。
●馬場中山地区未来道プロジェクト 概要
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