歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 被災地からのレポート

被災地からのレポート2014年2月28日 10:26

【水揚げのその日に発送!】めかぶ漬けとさんま昆布巻き

【お待たせいたしました!歌津小太郎の商品を販売致します!】
 



【期間限定販売】とれたてをお届けします!!

三陸の今が旬!春一番の磯の香り 初物 めかぶ漬です!!
冷凍しないでお届けするので歯ごたえと香りが違います

 


三陸に春を告げるわかめ漁(わかめ刈り)は、2月中旬から始まります。このまだ寒い時期の新芽の「めかぶ」だけを使って製品にしているのが歌津小太郎の【めかぶ漬】です。今回の商品は、旬の時期だからこそ味わえる磯の香りをご賞味いただけるよう、その日に水揚げした「めかぶ」をその日のうちに製品にしてご発送までするという、茹でたて、出来立ての特別な製造管理のもとでお届け致します!

さらに、震災前からの人気No.1商品【さんま昆布巻き】をセットにしてお届け致します。歌津小太郎の魅力がつまった特別なセット商品になっております。

ご注文を頂いてから水揚げして製造しますので、お届けまで1週間のお時間を頂いております。新鮮な商品をお届けするため、ご注文時にご注文日から1週間以降の日付でお届け日をご指定ください。お振込み決済をお選びの場合は、お振込み日から1週間以降の日付でご指定ください。

旬のめかぶ水揚げ時期だけの限定商品となっており、3月末まで(予定)の限定販売となっております。
 

今しか味わえないとれたての旬のめかぶ、歌津小太郎自慢の昆布巻き、ぜひこの機会にご賞味ください!





 

 
【原材料・成分表記】
 
めかぶ漬:
めかぶ(宮城県産)、醤油、調味料(アミノ酸等)、
保存料(ソルビン酸k)、甘味料(ステビア)、酒精
(原材料の一部に大豆、小麦、ゼラチン、サバを含む)

 

さんま昆布巻:
さんま(三陸産)、昆布(三陸産)、
かんぴょう(栃木県産)、醤油、砂糖、
酒精、みりん、調味料(アミノ酸等)、
(原材料の一部に大豆、小麦、サバを含む) 

 

【賞味期限および保管方法】
 
めかぶ漬:10℃以下で7日間 / さんま昆布巻:10℃以下で60日間

 


歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬とさんま昆布巻きのセット 

【セット内容】
めかぶ漬(200g) x 2
さんま昆布巻き x 1


価格:3,000円(税込・送料込)

 

こちらの商品は3月31日をもって
ご注文受付を終了させて頂きました。
沢山のご注文まことにありがとうございました。 

 



三陸の旬の味覚をどうぞお楽しみください!

 
==========================================================================

 

【お支払い方法】
(1)お振込み
以下の銀行へのお振込みが可能です。
お申込後、当社からお送りする確認のメールに記載の口座へ、以下期日までにお振込をお願い致します。

(2)クレジットカード
VISA、MasterCard、JCB、DinersClub、AMEXのクレジットカードがご利用可能です。

(3)支払留保金のご利用
支払留保金額もご利用頂けます。

※お振込手数料は、ご負担下さい。
※送料は商品代金に含まれます。
※支払留保金額をご利用の際は、申込確認メールに詳細を記載致します。
※クレジットカードをご利用の際は、以下【クレジットカードをご利用頂く場合のご注意】をご確認の上、ご利用下さい。
【お振込期日】
ご注文受付のメールをお送りしてから3営業日以内にお願い致します。
※必ず期日までにご入金頂きますようお願い申し上げます。ご入金期日を過ぎますと、キャンセルとなりますのでご注意下さい。
※購入代金をお振込頂く際は、必ず期日までに、当社からのメールに記載の口座へお振込頂きますようお願い致します。
万が一出資金お振込口座へご入金をされた際は、 返金となりますのでご了承ください。
その際の返金は、振込手数料を除いた額を返金致します。
【商品発送時期】
ご入金確認後、随時発送致します。
※配送は日本国内のみとさせていただきます。
※日時指定の場合、お振込みを頂く5営業日以降でご指定下さい。
※状況によって、多少前後する場合がございます。何卒ご了承下さい。
※遠方など、ご指定頂いた期日の配送が難しい場合は電子メールにて別途ご連絡致します。
【商品発送までの流れ】
1.(お客様)お申し込みフォームより購入情報のご入力
2.(当社)お申込後、振込口座が記載された確認メールを送付
3.(お客様)当社指定の口座へ購入代金をお振込 ※ご注文から3営業日以内
4.(当社)ご入金確認完了のご連絡
5.(当社)随時発送致します。 ※お届け日指定はご入金から5営業日以降でご設定下さい。
【ご注意事項】
※未成年者に対しては、酒類の販売は致しません。申込みフォームにて年齢を確認致します。
※当社理由による不良品(破損等)につきましては、商品到着後7日以内のご連絡にて交換致します。
※お客様のご都合による返品・交換はご遠慮下さい。
また、ご不在やご指定の住所不明など、お客様のご都合により、指定日に商品を受け取れなかった場合、再送や返金は対応致しかねます。
※複数個購入頂いた場合も、送料込の価格×購入セット数の金額となります。
【クレジットカードをご利用頂く場合のご注意】
※ご本人様名義のカード以外はご利用頂けません。
※ご決済は一括払いのみご利用頂けます。
※1商品ごとのご決済となりますので、他商品を合わせて購入頂いた場合も、都度ご決済が必要です。(1商品を複数セット購入頂く際は、まとめてご決済頂けます)
※ご購入代金は、各クレジット会員規約に基づき、ご指定の預金口座から口座振替にてお支払いいただきます。
※クレジットカード決済にあたっては、より安全性の高い環境をサービスとして提供するために、暗号化技術(SSL)を使用しておりますが、当社は、その安全性を保証するものではなく、データ漏洩等の事故が起こった場合、当社はその責任を負いかねますのでご了承ください。

 

※クレジットカードはご注文時に即時決済されるカードとなります。リピート商品など初回ご注文時に複数回の商品代金をいただく場合がございます。また、キャンセル・返品に伴う返金の時期につきましては、お手元のクレジットカード発行会社へお問い合わせください。 

 

この記事だけを表示

被災地からのレポート2014年2月24日 08:57

小太郎社長インタビュー:歌津の漁師

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。 今回は、震災の話題でも歌津小太郎の現状のお話でもないのですが、出資者の方からときおり質問を頂く話題で“歌津小太郎のホームページに掲載している小太郎社長の昔の漁師姿”とそれに関連しまして昭和30年代頃までの昔の歌津の漁師のお話をご紹介したいと思います。



(小太郎社長の漁師姿の写真)


 まず、小太郎社長の漁師姿ですがこれは戦後間もない頃、昭和25年くらいまでの漁師の姿です。歌津だけでなく三陸一帯の漁師がこういったスタイルだったようです。歌津のあたりでは戦後の数年間くらいまで残っていました。子供さんが見ると浦島太郎みたいと思うようです。


写真自体は仙台の藤崎にて常設テナントとして出店するようになってから広告用に撮影したもので、親戚が大切に残していた漁師衣装を借り15年ほど前に撮影しました。写真ではよく映っていませんが、下半身につけているのが「ムグ(モク)」という海藻を干して編み込んだ「ムグ前掛け」という作業衣で、現在の漁師が履いている漁業合羽と同じような役割をしていたらしです。(ムグ前掛けの性能は濡れるし、重たいしで今の合羽とは比べ物にならない作業衣のようですが…)


これまでは父親である小太郎社長に改まって昔話を聞くことなどありませんでしたが、こうして出資者の方に意外な質問を受けたりしたことから、私も興味が湧いてきました。そこで昭和16年生まれの小太郎社長に昔の歌津の漁師の様子をインタビューしてみた次第です。私の解説も含めましてつれづれなるままにご紹介します。


○小太郎社長インタビュー写真①

● 昭和22-25年頃…小太郎社長の小学校低学年時代
2011年の津波で完全に流されてしまった旧・工場の地、宮城県本吉郡歌津町中山(当時の市町村名)の“海まで5歩”というところが元々の家でした。2013年9月10日の被災地レポート「由来」でも触れていますが、すぐそばに海に流れ込む小さな川があり橋がかかっていたので屋号が“橋本”。小太郎社長は“橋本んトコの小太郎”でした。


 この地域がみんなそうであるように千葉家も何代も前から半農半漁で生計を立てていました。小太郎社長は5人兄弟の長男でして、当時、戦争に出兵していた父(私からは祖父)の栄太郎の文字にあやかって、「小太郎」と名付けられたようです。


 歌津町は三陸海岸特有のリアス式海岸という地形であるので、複雑に入り組んだ海岸線があり、船をつけられる入り江や、浜に昔から漁師達が住んでいたわけです。平地が少なく、海岸から300mも入るとすぐに山という地形ですので、林業をなりわいとする人々もいて、半漁半林業という家もありました。いずれにしても“漁”すなわち海となんらかの形で関わっている家ばかりでした。それは現代の歌津もあまり変わりませんね。


 この当時は戦争中ということもあり日本全体が食糧難の時代でした。歌津は海の幸には恵まれていましたから、男の子は小学生になると浜の軽作業の手伝いを始め、海藻を干したり磯の貝を採ったりと、おかずになる食糧調達の一部を担っていました。また、女の子も台所の手伝いや、兄弟たちや近所の子供たちの世話など大人と同様の家事を任されていました。


 ○小太郎社長インタビュー写真②

「海の幸があっても食糧は足んねがったなぁ~、
よく近所の柿だの大根だの採って食べだっけなぁ~」…小太郎談話

ちなみに、歌津には小学校が二つあり、歌津町の東側にあたる馬場地区・中山地区(私たちが住む)あたりは名足小学校(なたり)に通っていました。もう一つは町の西側地区の人が通う伊里前小学校(いさとまえ)で、中学生になると町で唯一の歌津中学校で両方が一緒になります。歌津で生まれたならば必ず中学校でみんな一緒になるわけです。だから同学年も上下の学年もほとんど顔見知り。今でも下の名前やあだ名(ニックネーム)で呼び合っています。家業の漁の手伝いだけでなく、小学生だけで磯のものを採ってはおやつ代わりに食べていた、子供がそうやって食べる分には暗黙の了解で怒られることはなかった、そんな時代でした。


 ●昭和26-30年頃…小太郎社長の小学校高学年~中学生時代


海には漁師の厳しいルールが沢山あります。そのなかでも沿岸で漁を行う者に一番重要なのが「開口(かいこう)」。(今でも漁業権を持つ世帯にのみ与えられた、漁を許されている権利)
 「明日は朝5時から8時までウニを採ってよい」、「今日は12時まで磯草を採ってよい」、そういったルールがあって地域の漁協が、海産物の収穫時期と海の透明度や天候などの要因から厳密に漁の出来る日時を決めていました。乱獲を防ぎ資源を守るためというのが主な目的ですが、天候の悪い危険な日に一人だけで出漁しないようにという安全のためでもあります。

 養殖が始まる前は、天然モノを限られた時間でいかに多く採れるかが勝負です。そこで小学校高学年であっても「開口」となると、授業に遅れてでも親の船に乗り、漁の手伝いをしていたので、立派な稼ぎ手に数えられていました。学校側も判っていて認めていたようです。多いときで年間に100日間も海に出てから学校に通っていたと言います。都会で生まれ育った方には、なんともおおらかに感じられますかね? (開口で学校が公休扱いになるのは、私が小中学生の時代もありましたし、現代の学生にも通用します。) ________________________________________


※今シーズンのアワビの開口の写真を何枚か紹介します。(2013.12・8撮影)



 箱メガネでアワビを探しています。


 こちらでは、長竿の先にあるカギに引っ掛けたアワビを引き上げています。


 「アワビカギ」…このカギでアワビを引っ掛けます。


 採れたてたてのアワビは箱にくっ付くと、はがれないので網を掛けおかないと大変なことになります。



(もちろん我が家でもアワビ漁に〝いざ出陣!!〟手前で竹竿を構えているのが私、オレンジの合羽が小太郎社長、奥の櫂(かい)押しがおふくろのあさ子 撮影者が弟の馨)  

________________________________________


 箱メガネを使い、海のなかを覗きこみながら狙いを定め、あわび漁には「アワビカギ」、ウニには「ウニカギ」、ワカメには「ワカメ刈りカマ」と昔ながらの道具を使って漁をしました。網を使うときは重労働ですが、それ以外は子供でもセンスがよければ大漁を狙える、そんな漁法が多かったのです。それぞれの家で、海産物ごとに良く採れる漁場を知り、他の漁師には絶対に教えませんから、おのずと親兄弟で漁をすることになるわけです。


 採ったものは地元の漁協を通して業者が買い上げます。アワビは特に高額で売れるので自家消費用に回すことはほとんどありませんが、海藻類は乾燥すれば保存できるので沢山取れたら自家用に残しました。だから歌津の漁師の食卓は海藻料理がのぼることが多かったのです。


 ○小太郎社長インタビュー写真③

 「昔は多いときでアワビが4時間で80kgも採れだんだぁ~。そんな大漁のときや冠婚葬祭のときだけは我が家でもアワビを食べだっけなぁ~」…小太郎談話


当時の漁師は、このアワビ漁(11月~12月頃)で向う半年分の収入源を確保していたそうです。今でもアワビの開口はありますし、震災後も再開しています。しかし、当時と今とでは比べようがないほど水揚量が違いすぎています。少なくても、現在はアワビ漁だけでは1ヶ月の生活費にもならないことだけは確かです。


 いかがでしたでしょうか? 昔の歌津の漁師ばなし…
 今後も皆様からいただいた疑問にお答えしながら、もっと歌津小太郎を知っていただけるような記事もお伝えしていきたいと思います。今回は小太郎社長の幼少期を通じて、当時の歌津の文化や習慣をイメージしていただければと思って、記事にしてみました。



これかも、応援よろしくお願いします。

 (記事担当 千葉孝浩)

この記事だけを表示

被災地からのレポート2014年2月12日 13:46

歌津小太郎の復活2年目~1月のまとめ報告と“2月”~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。 2014年もあっという間に一ヶ月が過ぎました。宮城県南三陸町の歌津地区は今が一番寒い時期。半島になっている分、周りの地域よりも少しだけ温かいのがこの地の特徴ですが、さすがに先週の大雪は想像を絶する降り方で、今でも雪がたくさん残っています。歌津の漁師さんたちにとっても、益々寒さがこたえる時期ですが、この寒さが旨さを育んでいます!…2月後半には“初物わかめ”の収穫がはじまりますよ~!

 さて、今回からは出来るだけ毎月ご報告をアップして参りたいと思いまして、後半のほうにちょっと工夫をしています。一か月分の内容をまとめて報告ですのでまた長くなってしまいましたがお許し下さい。

●2014年-歌津の初日の出とお正月 ぜひ、地図で確認して頂きたいのですが歌津/馬場中山地区は東向きの海に面しているので初日の出を見るには絶好のポイントです。今年の元日は曇り模様でしたが、初日の出の時間だけ雲が晴れました。  

(1月6日のブログ、2014年元日 南三陸町歌津、中山漁港より撮影した初日の出)  


 さて、お節料理にかかせない“昆布巻”を作っている歌津小太郎の千葉家のお正月料理の定番は何かと申しますと、実は漁師町である歌津の地での習慣としては、もちろん海の幸をメインとしたご馳走を、お正月というよりは大晦日(年越し)に頂くというのが通例でして、特に今年は、南三陸町の名物でもあるタコ(水タコ)を大歳の市で販売したこともあって、我が家用にもいくらか残っていましたので、久しぶりに懐かしい味を楽しむことが出来ました。(もちろん昆布巻もいただきました!)


● 2014年1月の歌津小太郎活動報告
歌津小太郎復活1年目の12月はおかげさまで31日まで大賑わいの仕事納めとなりました。元旦の一日はお休みしましたが、歌津小太郎が直販コーナーを設ける仙台市内の老舗百貨店「藤崎」での初売りは1月2日朝8時ですので、すぐに2014年が始動!!!
「もっと休めたら良いのにね~」と言って頂くこともありますが、デパ地下にお店があるということは年末年始のお休みは元旦だけというのが普通のこと。それに歌津小太郎売り場には、大晦日に来ていただいたお客様の多くが初売りにも顔を見せてくれますから、小太郎社長か私(孝浩)が必ずお店に立ちます! 「年末商戦+初売り」を3年ぶりに経験するのですから、久しぶりのこの感覚を小太郎社長ともども楽しみました。

さて、12月は完全に土日返上パワー全開で昆布巻作りに奮闘してくれた製造スタッフのほうは1月6日より仕事始めとなりました。  

(1月6日ブログの集合写真)

 1月の製造スケジュールは12月分の休日の消化ということもあり少しペースダウンしての営業となりました。その一方で、原材料調達の関係で2013年中に復活させることが出来なかった商品を、どのように優先付けして復活させるか、以前の工場に比べ広さも機材も不足な現状で、品目数を増やすにはどうしたらよいか、漁師の奥さん達でもあるので、南三陸の旨いものと、そのシーズンを熟知しているベテラン製造スタッフと相談しながら模索しました。1月にちょっと進展したのは地元産の「焼きのり」が初入荷しまして、商品アイテムにまた一つ仲間が増えました。ほんの少しの変化ですが、積み重ねて一歩でも着実に震災前の状況にまで回復させていきたいと思います。

● 震災から3年、今思うこと
2014年1月26日付けでミュージックセキュリティーズさんによる事業者への共通アンケート「震災から3年。現在の課題と求められるもの」歌津小太郎の場合 をアップして頂きました。

当社の場合は2013年4月に念願の工場が再建できましたので、それまでの2年間に比べ2013年は大きく前進することが出来た一年でした。直面している課題などそちらのほうで詳しく書いていますので、是非、ご覧頂ければと思います。

 震災から3年を経過しますと、一般の皆さんから震災の記憶や関心が薄れると同様に、我々も直面している課題の近視眼的な解決だけにとらわれてしまい、震災の記憶を決して忘れることはないのですが震災直後に感じた強い思いや教訓が日々の暮らしの流れのなかで薄まってきているように思います。

 そんなわけで今回のブログより、3年前・2年前・1年前の“今月”はそれぞれ何をしていたか思い出して書き綴りたいと思います。歌津小太郎のことに加えまして地域のこともお伝えしたいと思います。

● 3年間の振り返り
 ☆2011年2月のこと
3年前の2月は当然ながら震災前のこと。歌津小太郎では、こんな商品ラインナップを展開していました。 <歌津小太郎売上No1>
昆布巻(さんま・鮭・にしん・)→2013年10月に復活しました!
 特徴: いわずと知れた歌津小太郎の看板商品です! (…他にも、あなご・たらこがありました)  

(昆布巻の写真)

 <売上No2>
ひと味ぼれ(ひとみぼれ)(ほたて・かき)→2013年8月にホタテ入り、11月にカキ入りが復活!
特徴:昔ながらの素朴な味で作る「やわらかい昆布のお煮しめ」として、単品販売数では昆布巻をしのぐ人気商品です。

(ひと味ぼれの写真)

 <売上No3>
いかめかぶ→2013年3月にめかぶ漬として復活! ファンド資金を活用した「めかぶスライサー」で仕込み作っています!
 特徴:そのままの味で、ごはんにかけて「めかぶ丼」が一番のオススメ!! 薄味なので、お好みの味(お酢を加えたり、めんつゆを少々加えたり)に調節して、自分だけのオリジナルの味としても楽しめます!

(いかめかぶの写真)

<売上No4>
 ほや醤油漬→2014年6月、復活予定! 今シーズンからが震災後、初水揚げの予定です。
 特徴:歌津小太郎ファンからの復活を待つ声ではナンバーワンの「ほや醤油漬」。ホヤは臭くないのだと言うことを証明できる驚きの味です。

<売上No5>
 焼うに→ほや醤油漬にも言えることですが、港の荷さばき場(1次加工処理施設)が整備されていないので、水揚げは6月からの予定ですが、製品に出来るのかは不透明な状況です。
 特徴:ウニそのものが持つ濃厚な甘みを引き立たせるためにも、特殊な技術を使って直火で焼き上げました。旬の大粒のウニで盛り付けるのが歌津小太郎流です。


 ざっとこんな感じで季節商品も合わせると、全30品目からなる商品ラインナップで営業していました。 今後の予定としては、2月から磯草(ふのり、まつも、ひじき等)が収穫できる時期なので、初物の海藻類も入札が始まります。歌津小太郎では天日干しの状態で、乾物商品として扱っています。

☆2012年2月のこと
2011年3月11日の大震災後の津波で、“海から5歩”という歌津/馬場中山地区にあった歌津小太郎工場は全ての生産資源を失ってしまいました。当時、小太郎社長と専務の私(孝浩)がともに不在の中、従業員はなんとか全員生き延びてくれたのがせめてもの救いでした。

 震災からおよそ1年後の2012年2月の時期は、2011年11月の時点でいわゆる「グループ補助金」の申請を行い、ある程度の再建資金を国と県から補助して頂けることが決まったものの、地域全体の被災状況が甚大でしたので再建を進めるための土建工事の見積もりにも着手できない状況でした。もともと千葉家の家族を中心に全部で十数名、従業員の多くは近隣の漁師の奥様というアットホームな小さな小さな水産加工会社である歌津小太郎は、この震災で解雇せざるを得なかった従業員の皆さんがバラバラになってしまうのが一番辛く、一日でも早い再建を目指し気持ちだけが焦っていました。本当に思うようにはコトが進まず、心が折れそうになることの連続でした。
 一方、歌津/馬場中山地区の地域全体としての状況を思い出しますと、震災直後に数週間の「孤立集落状態」を経験し、震災直後は約200名で始まった避難所生活が、その年の8月くらいまでには50名ほどになりましたが、地域の集会所で集団避難生活を送っていたときに苦労を分かち合ったことから、それぞれが修復した自宅や避難所に移ってしまってからも強い結束力を維持していました。諸問題を地域全体で解決しようという気運がおこり、沢山の困難がありましたが様々な「プロジェクト」を行いました。

 震災直後から地域にボランティアで入っていただいた、多くの皆さん達の強力な支援があって、わかめの養殖を細々ながら再開できていましたので、2月の下旬には震災後初のわかめ収穫にまでこぎつけることができました。こちらは「福福わかめ」と名付け、地域の海産物の復興第一号として売り出しました。

 2012年2月の頃にチャレンジし始めたのが、手芸が得意な女性達に地域のオリジナルキャラクター「ワカメンジャー」の編みぐるみを作ってもらい、それを販売しようというプロジェクト。これは首都圏の手芸作家さんの提案で始まりました。

 編みぐるみもわかめも、震災ボランティアで馬場中山地区に来てくれたことをキッカケにその後も気にかけてくれている日本中の皆さんたちのご好意で購入して頂くところからスタートしました。震災直後から馬場中山地区の情報発信を毎日行い、こういった企画商品の販売のWebサイトも運営していたのが、震災前は歌津小太郎の従業員で“第三の男” であった弟のカオル。 (注: 歌津小太郎は社長と私とカオル以外は全て女性の力で運営していました)
いずれも1個(1袋)数百円というものですが僅かながらでも現金収入を得る最初の一歩となりました。 全体でみれば、港の復興も進まずに決して芳しい状況ではなかったですが、小さな喜びの数を数えている、そんな暮らしぶりでした。

 「なじょにかなるさ~」(なんとかなるさ~)
 これが地域のプロジェクトのネーミングの一つですが、私も何度となく、「なじょにかなるさ~」と言い聞かせ、地域の皆さんとともに一歩ずつ進んでいました。

 ☆2013年2月のこと: 歌津小太郎新工場の内装工事中!
 一年の単位で経過を見ますと、ものすごく進捗があると感じますが、震災から丸2年という2013年の2月は元の工場から3kmという位置に新工場を建設しており、ちょうど内装工事に入っているところでした。震災後にようやく心からの喜びを感じられるようになってきました。
 (ここに至るまでの詳細な経緯は、今後、毎月ご報告していきたいと思います)

 また、この頃には震災前に歌津小太郎の直販コーナーを設けていた仙台の老舗デパートの「藤崎」にコーナーを2年ぶりに復活させる計画が決まっており、再開に向けた打合せで仙台を頻繁に訪れ、昔のデパ地下の仲間の皆さん達に激励を頂いていました。

●2014年2月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
そして今は――歌津の浜では、これからが1年でも1番活気づく季節「初物わかめ」の収穫(わかめ刈り)を迎えます。以前の工場があった場所(南三陸町歌津 馬場、中山地区)でも港の復旧(わかめの作業が出来る程度)が整い、漁を待つばかりとなりました。例年ですと、早い方は漁がはじまっている時期にもなっていますが、今年はわかめの生育が少し遅れているようで、漁師さん達も気をもんでいるようです。

(現在の港の写真)


(船引き場はあの時のままです。)

 歌津小太郎でも「初物わかめ」の収穫に合わせて、直営店の藤崎でもいち早く「湯通し塩蔵わかめ」の販売を予定でいます。さらに、わかめの「めかぶ」だけをシンプルに味付けした、春一番の磯の香りたっぷりの人気商品「めかぶ漬」の販売も始まります。わかめは2月から4月までが収穫期ですので、「めかぶ漬」はこの時期に1年分の仕込みを済ませます。特に、歌津小太郎では新芽のやわらかい時期の素材(地元漁師が食べている「めかぶ」)にこだわって仕込むため、3月中旬には完了させなくてはなりません。そして現在、「初物めかぶ漬」を「買って応援、セキュリテセット」での販売を目指し計画しているところです。旬の時期でしか味わえない逸品として、是非、皆様の食卓にお届けできるよう実現したいと思います。


(めかぶ漬、ご飯と一緒の写真)
 【セキュリテセットでの販売は3月中旬の予定です。】


今回、「被災地応援ファンド」のシステムを使わせていただくことで、皆様からのご要望にやっとお応えできる通販事業として、震災後、初めて発信できるようになります。今できる私たちの技術を存分に発揮して、自慢の磯の宝たちを驚きの鮮度でお届けすることをお約束いたします。どうぞご期待ください!

今回の報告はこのへんで閉めさせていただきます…これからも応援よろしくお願いいたします!!

<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる 出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。 自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師 の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂けれ ば今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

○記事担当 千葉孝浩

この記事だけを表示

被災地からのレポート2014年1月21日 08:40

歌津小太郎の11-12月~歌津の海と仙台のデパ地下より~

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。 こちらの被災地からのレポートでは2013年10月に前編と後編に渡って震災のあの日から看板商品である昆布巻が復活するまでを長々とご報告させて頂きました。
その後、あまりご報告が出来ないまま3ヶ月が過ぎてしまい、皆様にはご心配をかけていたのではないかと思います。

 言い訳になってしまいますが、この間、実はあまりにも多くの出来事がありまして、パソコンに向かう時間がほとんどとれないままでした。大変に遅くなってしまい申し訳ありませんが、まとめてご報告させて頂きます。


 ●11月-12月のお歳暮商戦のご報告  ~最高のステージに戻ってきた喜び~
 三陸の海の幸をふんだんに使って“昆布巻”を中心とした水産加工品を製造販売します歌津小太郎では、例年11月と12月がお歳暮や年末年始のご自宅用にということで活気づく時期となります。2011年のあの日以来、そういったお歳暮商戦からは遠ざかっていたのですが、3年ぶりに歌津小太郎のお歳暮セットが戻ってきたわけです!

 (藤崎百貨店 歌津小太郎コーナー 12月の売場の様子)

私達が直売コーナーを設けておりますのは、仙台の老舗百貨店「藤崎」の地下2階、いわゆる“デパ地下”ですが、こちらでの店頭(7階ギフトセンターを含む)と藤崎デパートが運営するお歳暮期間限定の通信販売という2つのチャンネルで歌津小太郎お歳暮セット小(3,150円)、大(5,250円)を販売させて頂きました。


 (藤崎百貨店2013お歳暮カタログより)


 3年ぶりということで以前のお客様は既に忘れてしまっているかもしれない、そんな不安を抱えながら贈答用の化粧箱の発注数をどうしようか、原材料の調達は間に合うだろうか、作りすぎて在庫を抱えたら――などと模索しながら藤崎のバイヤーさんはじめ取引先様と入念な協議を行い、万全の準備で11月14日より店頭受付と通販サイトを開始!


 結果は、おかげさまで計画していた以上のご注文を頂くことができました! 3年前は仙台を中心に宮城県内にお住まいの方が、県外のご親戚や関係先に贈られるのがほとんどでしたが、今回は県外にお住まいの方からのご注文も増えてきたように思います。こちらのファンドのお客様やその他の震災をきっかけにした情報発信により3年前よりも歌津小太郎を知ってくださったおかげではないかと推測しております。いずれにしてもありがたいことです。

 このお歳暮商戦の約1ヶ月半の間、私は一週間のうち歌津と仙台を2-3往復(通常期は1往復)し、工場では製造管理と、お客様の注文に応じた配送業務の管理や伝票管理、仙台では店頭での顔なじみのお客様からのお歳暮ご注文の受付にと〝てんやわんや〟の状態でした!正直、配送伝票が1,000枚近く溜まった時期(期間指定伝票などのため)は本当に商品を発送できるのか不安な時期もありました。


 (こんな感じで包装されてお届けしました)

お客様からは、  
「東京に嫁いだ娘に贈るのよ~」
「お節料理のメインにするのよ~」  
「田舎に帰省する時のおみやげに~」
 といったお声を頂き、3年ぶりのお歳暮復活をいっしょに喜んで下さいました。

 工場では、12月に突入と同時に土日も返上で製造作業にあたる毎日でした。ある程度多めに仕込んではいたものの、その想定を上回る受注を11月から承ったので、1日250本しか作れない3種類ある昆布巻を、いかに効率よく製品にしていくかが勝負どころでして、ベテランスタッフと新人スタッフがそれぞれの役割を担いながら、何とかチームワークで乗り越えることができました。




 (昆布巻はすべての工程が手作業です)

 歌津小太郎の製造スタッフのほうは12月30日に仕事納め、藤崎の直売コーナーは12月31日17時の閉店の時間直前までお客様にお立ち寄り頂き、最後まで活気に溢れた歌津小太郎復活1年目の仕事納めとなりました。


●10月26日 被災地応援ファンドツアーのご報告  ~我が家の家族でお出迎え~
11月-12月のお歳暮商戦のご報告と時系列が前後してしまいましたが、遅ればせながら10月26-27日に開催された被災地応援ファンドツアーのご報告を致します。


今回のツアーでは合計6箇所の被災地応援ファンドの事業者をまわられるということで、歌津小太郎には2日目、10月27日(日)の午前中にお越しいただきました。 前回の歌津小太郎へのツアーは2012年12月のまだ工場が基礎工事中だった頃でしたので、完成した工場を見て頂くのは今回が初めてとなります。


 日曜日でしたので工場は休日のため製造スタッフは居りませんでしたが、専務である私(孝浩)と母のあさ子(歌津小太郎の全ての商品の味はこの母が決めています)家内(歌津小太郎では主に経理部門を担当)と小学1年生の息子と千葉家の4人で歌津小太郎の新工場をご案内いたしました。肝心の小太郎社長(父)は私の代打で藤崎の店頭に立っておりましたので、皆様にお会いすることが出来ずに残念にしておりました。


10月の「復活物語」のブログ記事のほうで、こぶ巻き復活までのストーリーを読んでくださっていた方も多かったため、しみじみと“さんま昆布巻”を味わって下さいました。そう! この昆布巻には鵜の助さんの昆布を使っていますから、そういったつながりにも関心を持って頂きました。 当日の参加者の中には、歌津小太郎の出資者の方もいらっしゃいまして、改めて激励の言葉を頂きました。


 同時に、歌津小太郎工場のお隣にあります南三陸直売所“みなさん館“にもお立ち寄り頂き、嬉しいことに多くのみなさんが、歌津小太郎の昆布巻をはじめ、他の出品者さんが作る歌津の旨い特産品を沢山お買い上げ頂きました。その後、整理してみましたらなんとこの日はみなさん館始まって以来の最高売上を歌津小太郎として記録しました。(みなさん館販売スタッフもビックリ!) 遅くなりましたが、ご参加の皆様、本当にありがとうございました!!!
(南三陸直売所みなさん館は、震災復興のために地域のNPOで作った直売所でして、私も地域の一員としてみなさん館の運営に携わっています)


 (南三陸直売所 みなさん館)


 歌津小太郎で1時間ほど視察された後、次の目的地の気仙沼方面に向かわれるということで、歌津小太郎の千葉家4人、精一杯、手を振ってお見送りしました。小学1年生の息子にとっても人生初の家業のお手伝いでしたが楽しい一日になったようです。


● 11月3日-4日 蓮田市(埼玉)・座間市(神奈川)でのイベント参加報告 ~歌津小太郎応援団との再会~
2012年に引き続きまして、毎年恒例のイベントになりました蓮田市(埼玉)と座間市(神奈川)のイベントに参加して参りました。

(蓮田イベントの様子 2013.11.3)

 (この焼き台…はんぱなく火力が強いんで、すんごく熱いんです!!)




(網にのせて、5分もすれば…)


(出来上がり!!)

 (大盛況のため、2時で400個 完売!!)

 (座間イベントの様子 2013.11.4)



(小雨交じりの天候でも、この盛況ぶり!)

(焼くのが間に合わない…?)

 (今年も最前列でお神輿を担がせてらいました!!)

 どちらのイベントも震災支援が縁で参加2年目の出店になる今回は、お世話になった皆様に少しでも元気になった南三陸を知っていただきたくて、生きたままのホタテをその場で 食べてもらえるように、歌津小太郎製品と合わせてホタテの炭火焼を販売しました。
 
なお、両会場でご用意したホタテ各400枚ですが、11月1日の朝に水揚げしたものを私がトラックで直送したもので、歌津の漁師仲間にお願いして、このイベントのためだけに準備したものでした。




(水揚げしたばかりのホタテ達…口をパクパク 生きてます!!)

 
またまた長くなりましたので今回の記事はこのくらいで締めさせて頂きます。2013年10月の記事では、歌津小太郎の復興の達成度を「登山に例えると3合目」とお伝えしました。


2013年の年末商戦を終えまして、最重点課題として取り組んで来ました、お歳暮商戦にもギフト商品の販売が出来るようになり、11-12月期は予想以上の実績を計上することが出来ました。おかげさまで、何とか自分たちが目指す商売が出来るようになってきたかなと、登山に例えるならば、なんとか5合目までたどり着けたのかなと感じられるようになりました。


事業再開2年目を迎える2014年は、本当の意味で真価を問われる1年になると思います。海の状況も徐々に回復してまいりました。震災以前にあったような品揃えに近づけていくことはもちろん、震災があったからこそ実現できたと言えるような、新しい分野の商品づくり、情報発信にも挑戦してまいりたいと考えています。 出資者の皆さまには、新しく生まれ変わった歌津小太郎の2014年にご期待をいただきながら、温かく見守っていただければと思います…がんばります!!
(記事担当、千葉孝浩)

この記事だけを表示

被災地からのレポート2014年1月6日 11:38

新年のご挨拶


(2014年元日 南三陸町歌津、中山漁港より撮影した初日の出)


謹んで新年のお慶びを申し上げます。


     旧年中は大変お世話になり有難うございました。
     昨年4月からの営業再開より、沢山の皆様からご支援、ご協力をいただきま
した。
     おかげさまで、昨年の年末商戦は、自分たちが計画した以上の実績を計上す
ることが出来ました。これも、「被災地応援ファンド」にご支援いただいた皆様の
ご尽力の賜物と、心より感謝申し上げます。

     新しき年の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
     本年も宜しくお願い申し上げます。  


(集合写真)

(平成26年1月6日 新年初営業日、歌津小太郎製造スタッフ集合写真)

                                               平成26年1月6日 有限会社 橋本水産食品                                                                                                         千葉小太郎

この記事だけを表示

被災地からのレポート2013年11月2日 19:29

秋のイベント出店情報

皆さんこんにちは、歌津小太郎の千葉孝浩です。
今週末(明日から)、南三陸の海産物と、歌津小太郎の加工品を持って、震災支援で大変お世話になった皆さまの地域のイベントに参加いたします。

開催の日時や場所は下記のとおりです…

○埼玉県蓮田市 「雅樂谷の森(うたやのもり)フェスティバル」
日時 11月3日(日) 午前10時~
場所 埼玉県蓮田市 蓮田市役所特設会場




(去年の雅樂谷の森フェスティバルの様子)


○神奈川県座間市 「座間市民ふるさとまつり」
日時 11月4日(月) 午前9時~午後3時
場所 座間中学校、市役所ふれあい広場




(去年の座間市民ふるさとまつりの様子)

※いずれの地域にも、震災復興支援で大変お世話になりましたのが縁で、今回も南三陸町歌津 馬場、中山地区を代表して出店いたします。

今回は、な…なんと

今朝、水揚げされたばかりの「活ほたて」を炭火焼にして販売する予定です。もちろん私も、一生懸命ホタテを焼きますよっ!!




(ホタテがパクパクと動いてます!!)

お近くにお住いの方は、是非ご来場ください…お待ちしてまーす!!

この記事だけを表示

被災地からのレポート2013年10月24日 10:45

歌津小太郎の復活物語 (後編) 2013年10月まで

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
前編に続きまして歌津小太郎の復活物語の後編、
2012年8月以降に関しましてご紹介します。
前編はこちら

 前編は、2012年6月28日からこちらミュージックセキュリティーズさんの
ご支援により“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始したこと、7月中旬には
工場は無いながらも自宅の台所で作った「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」を
仙台/藤崎さんの特設売り場で販売させていただいたというところまで、
2012年7月までの出来事をご紹介しました。
後編もついつい長くなってしまいましたがお付き合いください。

 ● 2012年8月…新工場建築確認申請と歌津小太郎応援団
2012年12月より新工場建設の計画を始めまして、ようやく建築確認申請提出(気仙沼土木事務所)
にまでたどり着きました!
当初計画は4月には建築確認申請、6月着工でしたが4ヶ月ほど遅れたことになります。
建設費の高騰や建設資材調達の遅れなどさまざまな理由から、建設事業計画を何度も
見直した結果ですが、針生承一建築研究所さんのご尽力になんとかここまで参りました。
気持ちばかりが焦っていた日々でしたが、一つずつ問題を解決しながら進めておりました。

(気仙沼土木事務所に申請書類提出)

 一方で、ものすごく嬉しいこともありました!
 8月中にも2日間だけですが仙台/藤崎百貨店での販売をいたしまして、
さらに埼玉県蓮田市でのイベントにも出店出来ました。
蓮田市さんとは歌津地区にボランティアに来ていただいたことでご縁ができまして
「はすだ市民祭り」にお呼び頂いたのでした。
驚くことにはすだ支援隊のみなさんだけでなく、歌津/馬場・中山地区への
ボランティア参加がご縁で親しくなりました福井・静岡・神奈川・東京からも
「歌津小太郎応援団」として遠路はるばる駆けつけイベントを盛り上げて下さいまして、
大成功に終わりました。
 この頃から自宅台所工房はフル稼働! 家族総出でわかめを袋詰めしていました。



(はすだ市民まつり)

● 2012年9月…南三陸・略して“みなさん”―南三陸直売所「みなさん館」 震災から1年半を迎え、
復興もあまり進まない状況の中、小さな町の報道がされなくなってきたことを感じはじめたのがこの頃です。
 しかしこの時期、目に見える復興の気配が一つ。歌津小太郎新工場のお隣に建設中の南三陸直売所「みなさん館」の工事は着々と進んでいました。 9月中旬には歌津小太郎の元従業員の皆さんにも再び集まって頂きました。遅れております歌津小太郎新工場完成の前に、「みなさん館」のレンタル厨房を借りて再スタートする計画を伝えるためでした。震災前の規模の十分の一の規模からの再出発。家族同然の仲間たちと再び仕事が出来る日が近づいた喜びは言葉に出来ないくらいのものでした。 9月中もお彼岸の頃の3日間だけ仙台/藤崎さんでの出店。久しぶりにお会いするお客様にも、「みなさん館」での仮の工場再開をお伝えすることが出来ました。

(工事中のみなさん館 店内)

(お借りする予定のみなさん館 レンタル工房)

 ● 2012年10月…南三陸町・歌津地区の復興のさきがけ「みなさん館」 10月7日、南三陸直売所「みなさん館」がオープンしました。私(千葉)も地域のメンバーの一人としてこのプロジェクトに1年以上関わって参りましたので、竣工式でもご挨拶させて頂くなどスタッフ側で出席しました。 ここでは、地域の農産物・水産物に加工品や手工芸品などを販売します。南三陸町の北側の歌津地区(旧・歌津町)は人口5000人の小さな漁師町。決して観光客が訪れるようなところではなかったので、広い駐車場も備えたこのような直売所などありませんでした。これからは「みなさん館」が地域の特色ある品々の発信の場となります。遠方からのお客様にも足を運んで頂くことを期待していますが、大きなスーパーなどが少ないこの地では地元の人々にとっても日常の買い物や地域のイベントなどの交流の場になります。 そして何よりも歌津小太郎にとってはここのレンタル厨房が新工場完成までの仮の製造設備となるのです。




(みなさん館 レンタル工房にて磯人漬 復活!!)

この「みなさん館」のオープンまでにも様々な方のご支援を頂きました。なかでもNPO法人故郷まちづくりナイン・タウンさんと公益社団法人アジア協会アジア友の会さんには、地域をまとめて事業を興すという立ち上げから始まり、長きにわたって助言を頂き、ここまでたどり着くことが出来ました。


(プロジェクト仕掛人のお二人 左の男性がナインタウン 伊藤寿郎さん 右の女性がアジア協会 松井聡子さん)

 ● 2012年11月…蓮田市と座間市でイベント 11月は埼玉県蓮田市と神奈川県座間市でイベントに呼んで頂きました。いずれも南三陸にボランティアで来ていただいたご縁です。 こちらに関しては詳しくは沢山の写真とともにご紹介している“歌津小太郎ホームページの活動日誌2012年11月20日”をご覧下さい。


 ● 2012年12月…「石巻・南三陸ツアー」の皆さんと交流 12月15日、被災地応援ファンドの「石巻・南三陸ツアー」のみなさんがやってきました。 歌津小太郎は建設中の新工場の様子、といっても基礎工事中ですので図面とともに構想を説明し、歌津小太郎をはじめこの地の特産物は「みなさん館」でご紹介しましてお買い物を楽しんで頂きました。
 歌津小太郎にとってはこれが出資者のみなさんにお会いするのは初めての機会でした。引率役のほやファンドの三陸オーシャン/木村社長にマルセン食品の三浦さん、さけファンドの伊藤さん、山内鮮魚店の山内さん、かまぼこファンドの及善商店の及川さんといった我々と同じように復興に向けて頑張っている皆さんにも初めてお会いできました。それぞれの事業再建のお話を伺うことが出来まして、工場再建がこれからとなる我々にとって参考になることが多かったです。
 出資者のみなさんからは温かい励ましの言葉を頂き、元気が出ました。何よりもこうして南三陸の地まで足を運んで下さること、遠くにいても永きに渡って気にかけて頂けること、それが事業を続ける励みになります。

(ファンド事業者の皆さん 「南三陸 さんさん商店街」にて)

肝心の新工場のほうは12月中に基礎工事を終えました。スケジュールが厳しい為に、寒い中、工事関係者のみなさんには本当に苦労をかけました。

● 2013年1月…工場の上棟
新工場建設が着々と進みまして上棟を行うところまで参りました。目に見えて柱が立っていく様子に期待が高まります。本来であればここで上棟式を行うのが通例ですが、まだまだ復興のめどがたたずにいる皆さんのことを考慮しお祝いの行事は行わないことにしました。



(工場の棟上げ 平成25年1月17日 大安)


 ● 2013年2月…新工場は内装工事に入りました
新工場は外装工事が終わり、内装工事に取りかかりました。邪魔にならないように覗き込んでは、ここにあの設備を置いて、ここにあれが来て…と想像力が膨らみます。



(工場 内装工事)

● 2013年3月…あの日から2年―歌津小太郎売り場が復活しました
 震災の日から丸2年の節目を迎える3月11日に仙台藤崎百貨店の「歌津小太郎コーナー」の常設テナントが再開となります。全従業員を集めた決起集会を3月1日に開催しました。この日から元・従業員から再び歌津小太郎で働く仲間となりました。総勢13名です。 藤崎百貨店の友の会の会報でも我々の再出発を取り上げて頂き、再開初日には多くの歌津小太郎ファンの方が懐かしいお顔を見せてくださいました。たくさんの皆様の応援があって、この場に戻って来られたのです! その日は感慨ひとしおの中、以前と変わらない環境で仕事ができる感謝の気持ちと、この日を目標にしてやってきたのが間違っていなかったのだと、あらためて確認することが出来ました。不安だらけの再出発でしたが、お客様の笑顔が、これから進む険しい道のりを乗り越える、大きな自信となりました。

(再開した仙台藤崎 歌津小太郎コーナー)

 また3月初旬でしたがミュージックセキュリティーズさんと東京・丸の内にあります新丸の内ビルディングさんのご協力で「被災地ウィークス」というイベントを開催していただきました。その中で歌津小太郎の商品を特別にレストランでご使用いただいたり、社長の千葉小太郎がトークイベントに出させていただいたりしました。

 震災以降、自社の再建とともに歌津の地域の復興に全力を注いでいたもので、実は社長も私もほとんど都心に出ることなく、過ごしていたこの丸二年間でしたので、都内で出資者のみなさんにお会いするイベントに参加するのも、この時が初めてでした。 小太郎社長いわく、「熱心に応援してもらっている皆さまに、お礼を言いたくてこのイベントに参加したつもりが、ついつい皆様の熱意につられて自分達がしてきたことを話し過ぎてしまい、最終の新幹線で帰るのを断念したんだ。でもじっくり話ができたんで行って来て本当に良かった。」と誇らしげに土産話をする姿を見て、皆様と過ごした有意義な時間にとても満足そうでした。

 ● 2013年4月…待ちに待った新工場オープン!
 4月2日(大安)、待ちに待った歌津小太郎新工場の引渡しを受けました。55坪木造平屋の真新しい工場です。工事関係者の皆様には厳しいスケジュールをご対応頂き、なんとかここまでたどり着きました。 新工場の建設費は国と県から補助金が支給される制度(通称グループ補助金)を活用しています。当初、何が何でも平成24年度中(2013年3月31日)までの完工でないと補助金が下りないという縛りがありましたので、材料不足・人材不足で計画通りにはいかない現状を、なんとかみなさんが頑張って下さいました。
(補助金制度の工事期限はその後、若干緩和されるようになり事業者にとって使いやすい制度になりました)
 建屋の完成を待って、新品の厨房機器やパック詰め機械に冷蔵庫など生産に最低限必要な機器を据付け、4月22日(大安)に新工場稼動となりました。 製造はベテラン従業員を中心に6名、そして4月から入社しました事務兼庶務を含む新人3名の総勢9名が工場を切り盛りしてくれます。
(ちなみにこのくらいの規模でも旧・歌津町のなかではベスト10に入る従業員数を誇ります)

(工場前での再出発 記念写真)

 ● 2013年5月…新工場での商品復活―難題が山積み
 待ちに待った新工場が出来、新しい環境に少しずつ慣らしていきながら歌津小太郎の商品を復活させております。加工品のうち早期に復活したのが「陸中漬」(くきわかめの漬物)と「磯人漬」(海藻4種類の和え物)。
5月末には、お客様からのリクエストの多い「さんま昆布巻」も試作してみました。ところが…
何十年も昆布巻を作っているのになんと大失敗! 同じようなレシピで同じように作っているのに違う。理由は簡単、さんまも昆布も納得のいく素材を揃えられなかったのです。震災前のこれらの原材料は、取引先もその産地もまだ復興しておらず手に入りません。 さあどうするか!

 ● 2013年6月…理想の昆布は案外すごく近いところにありました
 納得のいく材料を探し、小太郎社長も私も北は岩手県大船渡から南は宮城県石巻まで、三陸海岸を右往左往。解決策はなんと被災地応援ファンドの中にありました。30年来のおつきあいのあるタツミ食品遠藤社長から「こぶ巻にするならあのしたづ(あの人たち)の昆布が最高だ!」とご紹介いただいたのが鵜の助さん。そう、“鵜の助4人の漁師ファンド”の彼らの昆布でした。

タツミ食品、遠藤社長の写真 (タツミ食品 遠藤社長と小太郎社長)
詳しくは企業秘密で申し上げられないですが、簡単に言うと、昆布巻に適した昆布というのは、肉厚で弾力があるにも関わらず、柔らかくなけれがばならないため、昆布の刈り取り時期や養殖をする海域など、特別な条件で水揚げされた昆布だけを用意してもらいました。
しかし昆布は手に入っても昆布巻のもう一つの主役、さんまは手に入りません。シーズンとなる9月までは昆布巻の生産を断念することにしました。

(鵜の助の皆さんと小太郎社長)

●2013年7月…歌津におしゃれなカフェがオープン―歌津の元気発信基地 7月の出来事ですが、まずは千葉家の身内のことではありますがとても嬉しいことを 一つご紹介します。次男の馨(カオル。私=孝浩の弟)が夫婦でカフェをオープンし ました。旧・歌津小太郎工場のあった海岸を見下ろせる高台です。

 なぜ突然カフェの話か…きっかけは震災なのでした。馬場中山地区の200人が暮らす 避難所に震災ボランティアとしてやってきたのがカオルの奥さんカナエさん。東北に は全く接点がなかったのに報道を見ていてもたってもいられないと、妹のナナコさんとともに横浜からやってきました。女性ならではの細かい気配りで支援してもらい、何度も何度も継続的に歌津に訪れて、我々の避難生活を明るく盛り上げてくれました。誰が名づけたか「草刈り姉妹」。我々の手の回らない雑草退治を汗だくになりながらやってくれる姿に賞賛の気持ちと親しみを込めつけられた名前なのでした。

(草刈姉妹の二人)

 ただ彼女達が活躍できるようになるには最初の頃は問題が―歌津のおじいさん・おば あさんたちの強い方言が理解できなかったのです。その“通訳役”となったのが弟・ カオル。ここから先は長い話となるのでこのくらいで割愛しますが、詳しくはカオル が運営するホームページ“馬場中山カオル商店”をご覧下さい。

 カオル&カナエさんの“カフェかなっぺ“は馬場中山の地元の方と遠方から訪れる方 が集まれる場所を用意することで活気づけていくことを目指しています。早速「馬場 中山に行ってみようプロジェクト」を立ち上げ、さまざまな仕掛けをご用意していま す。こちらもぜひ見守って下さると嬉しいです。

(カオル&カナエ)

 さて、歌津小太郎の活動に話を戻します。
7月30日にはミュージックセキュリティー ズさんの企画で3事業者合同の被災地応援ファンド事業者報告会を開いて頂き、40名 ほどのみなさんに現在の歌津小太郎の状況を説明させていただきました。八木澤商店 の河野さんや寒梅酒造の岩崎真奈さんにも初めてお会いしました。我々は工場を再建 したばかり、次々に新しい課題に直面しているのですが、他の事業者の方も同様に悩 みをかかえていること、そんななかでもファンドの出資者の方の強力な応援に助けら れていること…事業者として同じような痛み、同じような志を、みなさんがお持ちであることを確認し、想いを分かち合えた貴重な機会となりました。

 ● 2013年8月…はすだの皆さんと再会
8月24日、昨年に引き続き埼玉県蓮田市の「はすだ市民祭り」に南三陸町の地域を代表して特産品の販売を行いました。
 震災直後から南三陸町歌津馬場・中山地区に支援に入っていただいた「はすだ支援隊」の皆さんにはこの2年半、お世話になりっぱなしでした。
(詳しくは歌津小太郎ホームページの活動日記2012年7月1日) 昨年は歌津小太郎の商品としては半加工品の「湯通し塩蔵わかめ」だけしかお持ちできなかったのですが、今回は封を開ければすぐに食べられるご飯のお供、「陸中漬(りくちゅうづけ)」と「ひと味ぼれ(ひとみぼれ)」もお持ちしました。
海のない埼玉県蓮田市の皆さんと、海の幸だけはどこにも負けない宮城県南三陸町の私たち。直線距離で350kmを超える距離、震災前は何の接点もなかったこの二つの地域ですが、地域ぐるみの大きな親戚同士みたいなおつきあいが続いています。

(埼玉県蓮田市 中野市長さんと、はすだ支援隊の皆さん)

● 2013年9月…さんまを待ちわびる日々―そして“昆布巻 復活!
“ 9月は想定外の問題が発生しました。例年この時期は、初物のさんまを使って「さんまのこぶ巻き」のフル生産体制に入るのですが、肝心のさんまが来ないのです。鵜の助さんの昆布を用意して準備万端の体制で臨んでいたのに! 今年は海水温が高い状態が続き、さんまが南下してくるのが遅くなったのです。
 この間、仙台・藤崎/歌津小太郎売り場では、うまいものの時期を知っている常連のお客様が「昆布巻はまだ…?」と何人もやってきました。ここに来て看板商品である昆布巻をさらにお待たせすることになるとは…。
最終的には計画よりも3週間ほど遅れて、9月下旬からさんまの昆布巻作りに取りかかりました。藤崎に訪れる歌津小太郎ファン(特に昆布巻ファン)のお客様たちには、9月の終わり頃ようやく昆布巻をお届けすることが出来ました!
「この味を待っていたのよぉ!」
お客様のお声を頂き、ようやく歌津小太郎復活の第一段階をクリア出来たように思いました。製造を担うベテラン従業員さん達も、長年培った自分たちの技術が、まだまださびれていないことを確認できて、ほっと一安心といった感じでもありました。

(仙台藤崎 店頭の様子)

 ● 2013年10月…そして今の状況は “歌津小太郎こぶ巻ファンド“。ファンドの名前に掲げている看板商品のこぶ巻が2年7ヶ月ぶりに店頭に戻ってきました。出資者のみなさんにも真っ先のお届けしたくて、フル生産を行いまして、なんとか10月中旬までに出資者特典を発送し終えることが出来ました!


現時点で500名強の方々が歌津小太郎を応援して下さっています。商品の大半を仙台の百貨店の売り場で対面販売していた“歌津小太郎“ですから、これまで知らなかった出資者の方のほうが多いのではないかと思います。名も知らぬ小さな水産加工会社の我々を、永く応援してくださる皆さんのお一人お一人にご挨拶したい気持ちを込めて、自信作の昆布巻をお送りしました。

 うんと長くなってしまいましたので、後編はここまでに致します。工場を再建した、看板商品の昆布巻を作れるようになったものの、生産設備の規模は震災前の半分以下、こだわりの原材料はなかなか揃わない、そんな状況ですので、登山に例えるとようやく3合目にたどり着いたくらい。震災前の状態に戻るにはまだまだ上り坂が続きます。

 しかし我々歌津小太郎は、従来からのお客様にお取引先様、震災後にご縁が出来た歌津地区&歌津小太郎を応援する全国の応援団、さらに応援ファンドの皆さまと多くの方が応援してくださっています。

今後も、皆さまからの厚い信頼にお応えできるよう、自分たちにしか作れない「三陸のうまいッ」を心を込めて作ってまいります。そしてお客様には、うれしくなるような感動を、従業員には、うれしくなるようなやりがいを創造していく企業を目指して、地域と共に発展してまいります。

これからも応援よろしくお願いします!!



-----------------------------------------------------------
(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 


この記事だけを表示

被災地からのレポート2013年10月19日 10:36

歌津小太郎の復活物語(前編)2012年7月まで

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
9月下旬からようやく看板商品の昆布巻をみなさんにお届けすることが出来るようになりました! あの震災の日から2年と7ヶ月。ここに至るまでの出来事を簡単にご紹介したいと思います。(ちょっと長くなっちゃいました…)

≪みなさん館 歌津小太郎コーナー≫


(10月から歌津小太郎 専用コーナーが設けられました!)


(復活したさんま昆布巻です!!)



(みなさん館スタッフ 酉抜(トリヌキ)さん 2013/10/18)

まず震災前の歌津小太郎はどんな風だったか、一言で申しますと創業者の千葉小太郎が“漁師が食べている「うまいッ」を、限りなくそのままお届けする”ただそれだけを追求してまいりました。昭和50年に漁師と兼業しながら、わかめの塩蔵品などの半加工品や、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」といった加工品を作るようになりました。当初は盛岡のスーパー等で「むきホヤ」を直接納品に行ったり、近くの産業まつりなどの物産展のイベントに出店したりと、そんな商売をしていました。
やがて私たちが作る味が評判となり、仙台の老舗百貨店の藤崎さんにお声がけ頂き、常設の店舗を構えるようになったのが平成5年。その時に、私たち自身のブランド名を作り、その名前を「歌津小太郎」と名付けました。
その後も、徐々に歌津小太郎の味が評判となり、週に一度は必ず足を運ばれるようなファンがつくまでになりました。加工品の中でも、煮物製品の味に高い評価をいただくようになり、特に昆布巻が人気でして、年間を通じて一番みなさんに愛される看板商品でした。本当に本当に順風満帆でした。

会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
震災前の住所:宮城県本吉郡南三陸町
(旧・歌津町)歌津字馬場82  (本社、兼自宅)
字中山59-4(工場) ※海まで5歩
震災後の新工場住所:南三陸町歌津字管の浜55-1
従業員数(社長も含む): 14人
取り扱い商品: 季節商品も含め全8品目
代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ)、めかぶ漬、陸中漬 など
販売チャンネル:  仙台・藤崎における直営店舗での対面販売       7割
提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 2割
その他催事販売など  1割
震災前の3年間の平均売上額:  1.1億円 

なお、小太郎社長は昭和60年頃までは漁師との兼業を続けていましたが、加工・販売が軌道に乗ってからは周りからの勧めもありまして、50代で漁師を引退しました。(本人は続けたかったらしいですが、年齢・体力的に社長業との兼業はムリということで…)

歌津小太郎は現代には珍しい“対面販売”でほとんど売り上げるという昔ながらの商売をして参りました。私自身も仙台/藤崎の歌津小太郎コーナーの責任者として、売り場に立ってお客様と商品のご説明に、世間話にと楽しみながら販売をしていました。時代遅れのビジネススタイルかもしれません。しかし、震災後はそれが歌津小太郎を再建に導いたのです。

では、ここからが震災のあの日からの出来事になります。

●    2011年3月11日(金)14時46分地震発生からの2週間
その日、歌津小太郎工場では社長の千葉小太郎、専務の私(孝浩)も不在の中、従業員の12名は散り散りになりながらも、逃げ延びました。地震発生時、仙台にいた私が歌津にたどり着いたのは2日後の13日深夜、従業員全員の無事を確認出来たのが、それから一週間後のことでした。
海の目の前に建っていた工場は高さ、15mを超える津波に跡形もなく流され、海岸から200mほど入った、馬場地区にある自宅は流されはしなかったものの一階の天井まで津波を被り全壊の判定となりました。
さらには、自社の生産資源だけでなく、原材料と製品の委託保管先でした冷凍庫会社も全壊し流失しました。全て失ってしまい事業再建を断念せざるを得ない状況に、再起と再開を誓い合いながらも、従業員の生活を守ることを最優先に判断した結果、断腸の思いで離職証明書(←これにより失業保険が得られる)を手渡しました。一番長い方では勤続30年を超える方など、歌津小太郎とともに歩んで来てくださったみなさんでした。歌津小太郎の存在が無くなってしまった瞬間でした。

≪津波が工場襲う瞬間≫


2011年、お正月の爆弾低気圧の写真                (2011/01/01/ 16:17)

ここからが、3月11日の写真です。


(2011/03/11 15:20)


(2011/03/11 15:21)


工場は基礎ごと津波で流されました。        (2011/03/11/ 16:26)

●    2011年4月~7月
震災当時の報道で、みなさんもご覧になったと思いますが、南三陸町は庁舎も壊滅的な被害を受けました。従って震災後の数ヶ月は会社の再建に必要な手続き、例えば新工場を建てるには様々な届出が必要ですが、そういった手続きは一切進めることができませんでした。それ以前に最低限の生活を送ることもままならなかったのです。震災から3週間ほどたった日の夜、自宅1階はぐちゃぐちゃでしたが、津波の被害から逃れた2階で、私と親父、弟の3人で会社のこれからや、家族のこれからについてロウソクを囲んで本音で話し合いました。事業を再開するには工場の再建よりも前に、地元の漁業の復興が不可欠であること、大切な家族や身内の方を亡くした方たちが身近にたくさんおられたことなど、今は自分たちの事をするよりも地域のことに専念するべきと意見がまとまり、「私たち家族は、これからの1年間は地域に貢献することを仕事とする。」という結論に至りました。


(自宅1階の写真 2011/03/13)


(馬場、中山生活センターの写真 2011/04)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月1日版)で沢山の写真と、どんなに感謝しても足りないくらいお世話になった皆さんの姿を紹介しています。

震災直後から地域の人々、約80世帯・200人が共同生活を送ったのが馬場・中山生活センターです。地域の中でも高台にある公共施設でして、ここは津波を被りませんでした。
私はこの避難所で避難生活を送りながら、物資調達班としてガソリン不足の中、仙台の宮城復興支援センターに何度も伺いました。歌津小太郎の仕事で仙台-歌津の往復に慣れていましたのでこの任務を自然に分担していただいたわけです。とにかく生活のすべての物資が足りませんでしたから、日本中からの支援物資が大変にありがたかった!なかでも、我々の避難所は歌津小太郎のご縁で、仙台/藤崎百貨店さんのネットワークで様々な物資を我々の避難所宛に直接ご支援頂くなどありましたので、避難所のなかでは恵まれていたように思います。

この間、避難所の男達が何をしていたか…なんと地域の人々とボランティアの方で未来につながる道“未来道”を行政主導ではなく自分達自身で作っていました。 私たちが計画した“未来道”は「今後いつかはまたこのような災害が必ず来ることを、私たちの子孫に伝えるためにも、救急車が国道から通れる道をつくって将来にそなえよう。」と言う最低限、自分たちの命だけは守れる地域の大事な財産として建設しました。
(※未来道の詳しい内容についても、2012年7月1日版をご覧ください)

●    2011年8月
全壊の判定を受けながらも、なんとか持ちこたえた自宅は、ボランティアの方々や、地域の皆さんの協力で瓦礫がキレイに撤去されましたので、その後、知り合いの大工さんにもお願いして、当面は人が住める状態まで直してもらい、自宅での生活に戻りました。
このころには馬場・中山生活センターに当初避難していた200人の人々も徐々に少なくなり、8月中旬には、全ての方が仮設住宅に住めるようになりました。
また、役場のほうも落ち着きを取り戻しましたので、復興に向けた対応を取れるようになってきましたので、歌津小太郎もようやく再建に動き出しました。

●    2011年11月
事業再開に向けて申請していたグループ補助金(3次募集)が、採択を受けて本格的に歌津小太郎が再出発できる環境を模索し始めました。中でも、工場の建設地がなかなか決まらずに、何度か暗礁に乗り上げそうになりました。地権者の方との賃貸借契約を済ませたのは、申請書類の提出期限2日前でした。


(工場予定地の写真 2012/09)

●    2012年4月
新工場の設計図面が出来上がり、いよいよこれからという段階になって、工事費の大幅な高騰や、町の復興計画の遅れによって、計画の見直しを強いられることになります。そんな絶体絶命の時に、工場の設計を始めから見直すことから引き受けていただいたのが、仙台の針生承一建築研究所の針生承一先生です。特に建設資金に問題を抱えていたため、針生先生からの強い勧めもあって、今回取り組んでいる、ミュージックセキュリティーズ㈱ 「被災地応援ファンド」に取り組もうと決意しました。今思うと、歌津小太郎のターニングポイントはこの時でした、ピンチからチャンスに状況が大きく変わったのは…

●    2012年6月
ひさしぶりに元従業員のみなさんに集まってもらいました。会社再建に向けての話し合いのためです。
仙台/藤崎デパートさんのご好意で、工場もない我々のために短期間ですが販売会を開催していただくことになり、自宅の台所で出来る範囲での商品作りを行うことになったのです。
元々、漁師の食卓にのぼるおかずを商品化したわけですから、台所でも商品は作れるのです! 出来る範囲からの再建の大きな一歩になりました。
話し合いののち、元の工場の場所に行きました。地盤沈下により半分は海面下となってしまった敷地で再起を近い写真撮影をしたのがこの写真です。みんな嬉しそう!自然と笑顔になりました。


(2012/06)

工場建設に関してですが、地元、南三陸町の山庄建設㈱の協力もあって、海岸より1kmほど内陸にはいった管の浜(くだのはま)という地域に建設することになりました。
歌津小太郎の工場に隣接して、南三陸直売所「みなさん館」を建設することも決まり、6月中には地鎮祭が執り行われました。こちらは公益社団法人アジア協会アジア友の会さんにご協力頂きここまでたどり着きました。完成後にはもちろん歌津小太郎の商品も扱っています。


(みなさん館オープンの写真 2012/10)

そして6月28日、この日からミュージックセキュリティーズさんによる“歌津小太郎こぶ巻きファンド”の募集を開始しました。

●    2012年7月
自宅の台所で作った商品で1年4ヶ月ぶりに仙台/藤崎B1階の“歌津小太郎コーナー”が復活しました。7月12日-16日の5日間だけ、商品も「三陸歌津産湯通し塩蔵わかめ」だけですが大きな一歩でした。顔なじみのお客様と沢山の再会に目頭が熱くなりました。
これが実現したのは藤崎さんの多大なるご支援ですが、そのバックには歌津小太郎ファンのみなさんの多大なるお力添えがありました。


(藤崎、売り場写真 2013/03/11)

詳細は、歌津小太郎ホームページの活動日誌(2012年7月7日、11日、19日版)をご覧下さい。
=======

簡単にまとめようと思いましたが、これまであまりに沢山の出来事がありまして、みなさんのお力添えに感謝する気持ちを全部お伝えしたくて、長くなってしまいました。
前編はここまでにしまして後編に続きます。
今回の記事の多くの部分は歌津小太郎ホームページの活動日誌にも詳しく掲載されています。合わせてご覧下さいませ。

震災支援で大変お世話になった皆さんです。(ほんの一例です)


(宮城復興支援センターの皆様と地域の皆さん 2011/04)


(福井県建設業会の皆様 2011/07)


(埼玉はすだ支援隊の皆様 2011/08)


(神奈川県座間市 ㈱かおる建設工業の皆様 2011/08)


(仙台市 ㈱藤崎百貨店の皆様 2011/04)


>>後編を読む




-----------------------------------------------------------
(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

この記事だけを表示

被災地からのレポート2013年10月9日 11:07

感謝祭

2013.10.6(日) お隣の南三陸直売所・みなさん館では、
1周年感謝祭が開催されました。



昨年のオープンより、多くの皆さんから暖かいご支援と
ご愛顧をいただいたおかげで、1周年を迎える事が出来ました。

この日も多くの皆さんに足を運んでいただき、
本当にありがとうございます。




秋と言えば、食欲の秋!(^-^)

今が旬のサンマ焼きやホタテ焼き、豚汁が登場!








皆さん、自然と笑顔がこぼれていました!(^^)!




杵と臼を使った昔ながらの餅つきもあり、
つきたてのお餅が皆さんに振る舞われました。


(・・・おじいちゃんと一緒に、「よいしょ!」)

この日は、トラ模様のネコまで登場!!(このネコはしゃべります。)


(・・・只今、子供達はとらネコとたわむれ中!
その後ろでは、餅つき中!)     

 
また1周年を記念して、みなさん館前には顔出し看板が出来ました。



 お買い物に来た際には、是非、記念撮影してけさいーん(*'▽')

(記事担当:渡邊)

この記事だけを表示

被災地からのレポート2013年9月30日 21:38

いよいよ 販売開始!!

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。待ちに待ったさんまが9月下旬よりようやく調達できるようになりまして看板商品である”さんま昆布巻”を作れるようになりました。製造を担うベテラン従業員のみんなも張り切っています。


(完成品!! 「さんま昆布巻」○右と「にしん昆布巻」○左)

■さんまの昆布巻が愛される理由
多くの皆さんにとっては「お正月のお節料理でみかけるくらい」、それが昆布巻だと思います。
漁師の食卓のおいしいものを作り続けてきただけ…南三陸・歌津の小さな小さな水産加工食品会社の我々ですが、仙台の老舗百貨店の藤崎さんとそのお客様をはじめ多くの方が歌津小太郎のこぶ巻きを熱烈にそして辛抱強く待っていてくれました。
「たかが昆布巻になぜ?」
正直、昆布巻を作って売っている私自身も判りませんでした。
震災後の半年が過ぎた頃、ようやく工場再開に向けて活動を始めた時、
多くのみなさんから昆布巻の復活を待つ激励の言葉を頂くようになりました。

み なさんがいうには歌津小太郎のこぶ巻きは、お正月のおせち料理にはもちろん、お弁当のおかずや来客の際のもう1品と言う時には欠かせないとおっしゃってい ただきます。中でも、お盆やお正月にふるさと宮城に帰省された子供さんやお孫さんに是非食べさせたいとか、お土産で持たせてあげたいなど、ご身内でのご利 用が圧倒的に多いのが、他の商品と大きく違う点です。


(南三陸直売所 みなさん館 歌津小太郎コーナー 9月27日撮影)


(仙台 藤崎百貨店 歌津小太郎コーナー 9月29日撮影)

私にとっては子供の頃からなじんでいた昆布巻の味ですので普通のことでしたが、その”三陸の普通の昆布巻の味”がみなさんに愛されていたのでした。

■出資者の皆様へ
製造再開となりましたさんまのこぶ巻きですが、9月中は充分なさんまが揃わずに、まだまだ充分な量が作れていません。
しかし、出資者特典は10月初旬より順次、発送しますのでもう少々お待ちくださいませ。

■みなさまへ
歌 津小太郎ファンのみなさまの中でも、何よりも待ち望まれる声が多かった「さんま昆布巻」が私たちの納得する出来栄え(歌津小太郎の味)でよみがえりまし た。皆さまには、待たせに待たせてしまい本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。心を込めてつくりました…感謝の想いを南三陸からお届けいたします…。


(仙台藤崎百貨店 での写真は、特別にご許可頂き掲載しております。)

これからも応援よろしくお願いします。



-----------------------------------------------------------
(宮城県南三陸町)
歌津小太郎こぶ巻ファンド(1口1万500円)の詳細・お申込はこちら:
皆様の資金は、
昆布巻、めかぶ漬等を製造する工場の設備費用や、原材料の購入費用等に充てられます。

 

この記事だけを表示

【ご留意事項】
当社が取り扱うファンドには、所定の取扱手数料(別途金融機関へのお振込手数料が必要となる場合があります。)がかかるほか、出資金の元本が割れる等のリスクがあります。
取扱手数料及びリスクはファンドによって異なりますので、詳細は各ファンドの匿名組合契約説明書をご確認ください。
ミュージックセキュリティーズ株式会社 第二種金融商品取引業者 関東財務局長(金商)第1791号 加入協会:一般社団法人第二種金融商品取引業協会
Copyright (C) 2024 Music Securities,Inc. All Rights Reserved.