歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース

被災地からのレポート2015年2月24日 10:01

復活2年目~1月の報告&私たちが第二工場を作る理由~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2015年もあっという間にニカ月が過ぎようとしています。私たちの拠点であります宮城県南三陸町(の北部の旧・歌津町)では、何日か雪が降りましたが積もるというほどではありませんでした。しかし、太平洋に面するこの地域特有の強く冷たい風で寒さは格別です。この寒さが海の中で美味しい宝物を育んでいます。


歌津・馬場地区の港です。吹きっさらしの状態の中ですが、ワカメの収獲に必要な機材を準備している様子です。(馬場中山カオル商店HP20150212)


歌津の海の宝物の一つ、アワビです!  今年初、1月9日の“アワビの開口”での収獲です(馬場中山カオル商店HP20150109)


今回はいつもと趣向を変えまして、前回の長文のブログ(1月21日配信の12月の”お歳暮商戦最終報告と直近3カ月の予定”)でお伝え切れなかった話題、私たちの第二工場建設の話題を先にお伝えし、後半で1月のご報告をしたいと思います。


●『漁師 歌津小太郎』第二工場の地鎮祭~そして建設を決断した理由
先日、短いブログで速報をご紹介しておりますが、1月22日に『漁師 歌津小太郎』の第二工場建設の地鎮祭を執り行いました。第二工場建設に関しては当然、大きな投資となるわけですが、忙しさの中で皆さまに詳しい経緯をご報告出来ないままに突然のご報告となりましたかと思います。誠に申し訳ありません。事後報告となってしまいますが、改めてご説明したいと思います。


2015年1月22日、第二工場の地鎮祭を行いました!


【漁師 歌津小太郎の第一工場と第二工場の概要】
2011年3月11日の津波被害で、私たちは海に面して建っていた工場を含め全ての生産資源を失いました。2年間のブランクを経ましたが、多くの皆様と国や地域行政の支援により、2013年4月に宮城県南三陸町(旧・歌津町)管の浜という地域(そこは海岸線から500mほど入ったところです。)に旧工場の半分くらいの規模の水産加工工場を再建しました。

今回、新たに建設します第二工場は、この管の浜の第一工場と同じ敷地に隣接して建てるものです。機能としては第一工場が震災前の主力商品でした『メカブやホヤなどの生鮮加工食品』を生産するのに対し、第二工場では現在の主力商品である、さんま昆布巻などの『昆布巻専用の生産ライン』を有し、歌津の海で水揚げされたホタテやアワビに牡蠣、そして宮城県人が愛してやまないホヤなどの海産物の『一次加工と急速冷凍加工』を行うという役割の工場となります。ほとんどが手作業で行いますので工場というより『水産加工場(かこうば)』という表現のほうが合っているかもしれません。また、第二工場には小スペースですが、販売できるコーナーも設けて、地域での自社加工商品の利便性も高めて行こうと計画しています。



●第一工場の概要(比較のため)
建屋面積:  182.18平米
完成年月:  2013年4月


歌津小太郎新工場の全景(完成直後に撮影)です。 歌津小太郎HP20130518


●第二工場の概要(および今回建設する付帯設備)
建屋面積:   343.95平米
延べ床面積: 603.14平米
仕様:       鉄骨2階建て(販売スペースを含む)
工事期間:  2015年3月から9月を予定



第二工場完成予想図

【私たちが第二工場建設を決断した理由(わけ)】
第二工場が出来ると、歌津小太郎では震災前には取り扱っていなかった生鮮品の海産物も取り扱うことが出来るようになります! すなわち、ビジネスの範囲が格段に広がります。


この大きな挑戦へのきっかけとなったのには、大きく二つの要因からでした。
一つ目の要因は、支援して下さる皆さんとの交流から生まれた『歌津の旨いっを届けたい!』という強い思いでした。そして二つ目は、震災前の歌津小太郎を再建するという考えだけでは解決できないことがあまりにも多く、その状況から脱したいと切に願ったことからでした。


『支援して下さる皆さんとの交流』とは全国に広がる支援者の皆さんとの交流を全て書き出すと語りつくせないくらいの長文になってしまうので、中でも象徴的な出来事をご紹介します。震災から1年後の2012年4月より、毎年4月・8月・11月の3回、埼玉県蓮田市の地域イベントに呼んで頂き、歌津の漁師さんが食べている旨いものを支援者の皆さんと一緒に販売させて頂いたこと(こちらのブログでも随時報告させて頂いていますが)これが私たちに強い力を与えてくれました。


蓮田市の土木・建設業の組合の皆さん達(その名も“はすだ支援隊”)とは震災直後からその専門性を生かしたボランティア活動で、私たちの避難所である歌津・馬場中山生活センターを支援して頂いたことをきっかけに、その後、避難所が解散となってからも長きに渡って支援を続けて下さった方たちです。そんなご縁から始まりまして、年に3回の地域イベントに呼んで頂くようになりました。最初のうちは、ホントにそれしかなかったという事情もありますが、『南三陸(歌津)特産のワカメ』のみを販売していました。



震災後、間もない時期は、このワカメ一品だけでも、「肉厚でしっかり味がある!これがホントのワカメの味なんだ~!」と大変に好評を頂きましたが。その後、回を重ねるごとに地域イベントにお越し頂いたお客様のご要望がワカメだけではなく、ホタテとかカキとか多種にわたる歌津の海産物であることに気づきました。当時(2012年-2013年頃)の南三陸・歌津の海の復興状況を知っている支援隊の皆さん(←何度も申しますが、本業は土木建設業)は、そのような要望にも「まだ加工施設が整備されてないんでワカメしか販売することが出来ないんですよ~」と、歌津から少人数で来ている私たちを代弁して誠意のこもった対応をしてくださいました。その姿を見て、「いつか必ず歌津小太郎のとっておきのうまいッを持って来よう」そして、支援隊のみんなに「歌津小太郎のこれがうまいんですよ」とか「今回の目玉はこれです」とお客様に自信をもってお勧めできる海産物を一緒に売ろうという意欲が芽生えました。

2014年11月3日、蓮田市イベント(このときは歌津小太郎商品とホタテ焼きを提供)の完売達成シーン――「バンザ~イ!!!」
写真に写っている皆さんが私たちに力を与えてくれる恩人たちです!



さらには、震災前からの歌津小太郎直売店舗(仙台市内)のお得意様から復活を待ちわびている商品、特に人気なのがホタテやホヤやアワビなどを使った商品ですが、そういった商品に対しての声がたくさんあるのにも関わらず、全く手を付けられていない不甲斐なさ…応援してくれている皆さんをいつまで待たせなくてはならないのか…そんな心のうちでの葛藤があり何とかして実現しなくてはと言う自分でもびっくりするほどの強い気持ちを持てたことでした。


大きな挑戦へのきっかけとなった二つ目の要因ですが、再建に向けた道のりのなかで何度も壁にぶつかった経験から、これまでのような自分たちの役割だけ、すなわち震災前の歌津小太郎に戻ろうとするだけでは全く前に進めないという現実に直面した時でした。

宮城県の中でいうと、気仙沼や石巻は町としても港としても規模が大きく、専門的に言うと『拠点港』という位置づけですので、復興は第一優先で行われました。しかし、ホントに小さな漁港が海岸線に点在していた南三陸町では、津波で被災した後の港の設備の再建が大幅に遅れています。そのため、漁師さんが採った海産物の『一次加工処理(魚介類の洗浄→規格品の選別)』を行うという部分が現在もほとんど機能していません。従って、これまで常識だった『地域の漁港で水揚げ後すぐに一次加工処理をし、衛生管理をしっかり行った流通を行う』ということが出来なくなっています。


2014年8月上旬、歌津・中山地区での震災後初のホタテの水揚げです。といっても港に設備(洗浄・冷蔵庫・選別場etc)がないので、水揚げ後すぐに別の地域の加工場に移して、一次処理を行います。



以前であれば、私たち歌津小太郎のような水産加工場は『二次加工(下処理→味付け→包装)』の仕事だけをしていたのですが、私たちの仕事の上流側である『一次加工処理』が停滞していたのでは商品が作れませんので、現在は不便ながらも我々のほうで一次加工処理も行っています。


『海産物の一次加工』というのと、歌津小太郎の現在の工場の違いというのも一般の方には判りにくいかと思います。歌津小太郎では、海藻類や魚や魚介類を調理してパック詰めし、2週間とか1カ月とか3カ月の賞味期限のものを作りますので、衛生管理を徹底して行っています。そのような体制を『二次加工』と言います。この二次加工の調理場の中に、海から水揚げされたそのままの魚介類を持ち込むのは衛生管理上、あまり好ましくありません。ホタテを例にとりますと、水揚げされたそのままのホタテは、貝殻に藻などが沢山ついていますので、多様な海の微生物と食品二次加工のスペースを共通で使うのは、衛生面でのリスクが高まるためです。


もう少し詳しく申しますと、震災前は、歌津の小さな漁港のそれぞれが、一次加工施設を持っていたので、そういったところで一次加工したもの、ホタテでいえば貝柱の状態で歌津小太郎工場に仕入れていたわけです。その一次加工施設がないので、現時点では、キッチリと衛生管理に配慮しながら、歌津小太郎の現在の工場内でその一次加工も行っているのですが、このままでは衛生面だけでなく生産性も大変に悪いのです。その結果、これまでのブログの中でもときおり触れておりましたように『港の一次加工施設の整備まで、まだ復興の手が回っていないため、歌津小太郎の得意とするところ(二次加工)に全力投球出来ない』というわけです。我々、歌津小太郎が震災前と質と量で同様くらいの商品ラインナップにまで戻すには何をしなくてはないのか…「公共投資での整備が待てないならば、歌津小太郎の一次加工施設を作れないだろうか?」そう強く思い始めるようになりました。

「なんとかしなければ!」とモヤモヤした気持ちでいたときに、南三陸町から地域産業の復興に向けた補助事業の公募を目にしました。歌津小太郎の工場再建からちょうど1年後の2014年5月初旬のことでした。

「これだ!これしかない!!」藁にも縋る思いとはこのことだと直感しました。これからやらなくてはいけない私たちの事業像や地域水産業の将来の姿について、積りに積もった思いのたけを申請書に敷き詰めました。国と町が審査する補助事業のため、取り決めの項目や施設環境の条件など、詳細な制約を一つ一つクリアしながら申請受付最終日の昨年(2014年)5月31日、締切ぎりぎりの1時間前に何とか提出することが出来ました。


各申請書類のファイルです。



その後、お中元やお盆商戦の繁忙期でも審査の結果が気になって仕事がうまく手につかないでいた昨年(2014年)8月、役所から郵便で届いた「採択」の通知に、ホッとして一気に体から力が抜けたことを今でも覚えています。

それから、今年(2015年)の1月22日の地鎮祭を迎えるまでの約5か月間は更なる試練の連続でした。施設、設備業者さんとの話し合いはほぼ毎日と言った感じでしたし、保健所、道路、排水、漁港などの関係機関との相談など、自分たちの理想の工場にするためには、これほどまでの確認作業があるのかと思い知らされました。

現在は今年(2015年)3月の工事着工を目指し、工事関係者の皆さんと協議をしながら最終の詰めの判断をする段階に来ました。まだまだ課題や難題を抱えていて簡単には建てられそうもない歌津小太郎第二工場ですが、これまでも何とか努力して解決してきたことを思い出し、理想の商品づくりを追い求め、次のステージへ向かって前進するよう取り組んでまいります。


長くなりましたが、以上が私たちが第二工場(一次加工施設)を作る理由(わけ)となります。現在の工場が2013年4月に復活しましたが、それから1年たっても震災前の売上の半分程度までにしか戻せていなかった2014年5月という時期に、さらなる大きな投資に挑戦しようと思いましたのは、『次の世代にもこの地に軸足をしっかり固めて歌津の旨いものを作り続けて欲しい』という願いと申しますか、強い決意表明なのでした。



●2015年1月報告
歌津小太郎の唯一の直営店である、仙台藤崎百貨店が今年(2015年)12月に開業する地下鉄東西線一番町駅の連絡通路の開通工事に伴い、食品フロアの全面改装工事が1月29日より始まりました。 本館地下2階にありました私たちの売場も、現在は本館地下1階の仮スペースに移転しての営業となっていて、お客様には多々ご迷惑をお掛けしているところであります。歌津小太郎コーナーの場所は仙台名産品コーナーの一角に構えており、これまでと変わらない品揃えを展開し営業しています。 こちらのコーナーには今年(2015年)4月の中旬までの期間営業し、改装工事が終了しだい新しい歌津小太郎コーナーとして本館地下2階に移る予定です。
歌津の第二工場建設と仙台の歌津小太郎コーナーのリモデルとが同時に計画が進められているので、頭の切換えが難しく、右往左往する毎日が続いていますが、これもいつものことと思うようにして、逆に楽しんで新しい取り組みに挑戦して行こうと思います。



本館地下1階の仮スペースでの売り場


<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
(すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

2015年の大プロジェクト『第二工場建設』、その決断に至る経緯をようやくご説明できました! 漁港や水産加工の世界の事情など、一般の方には判りにくいこともあろうかと思いますが、なんとなく判って頂けたのではないかと思います。

今後は、第二工場に併設する直売所的な販売スペースの構想に関しても、その運営の手法に対して支援して下さる皆様の楽しいアイディアを取り入れていければなと思っております。

前回のあとがきと重複しますが、もっと便利に歌津小太郎商品をご利用いただけるようwebサイト(通販事業)の整備や、首都圏でのデパ地下販売会にもこれまで以上出店するよう計画しています。時間の経過と共に、私たちの地域の環境も復興に向かって着実に前進していることを感じ取れるようになっております。私たちが目指す事業が地域の発展に少しでも貢献できるよう、お客様から必要とされる商品をしっかりご提案できるよう精進して2015年に挑みたいと思います…頑張ります!!

記事担当 千葉孝浩


震災前までの工場跡地で、古くはココが千葉家の自宅でした。昭和の半ば頃は、家の裏に直接小舟をつけていたわけです。遠くに見えるのが歌津半島の先端です。(震災直後の2011年3月13日撮影)


現在の海の様子


2015年1月9日、アワビの開口(収穫して良い日)のときです。(馬場中山カオル商店HP20150109)


私たちの地域では、震災後もほとんどの漁師さんが以前と同様に漁師を続ける選択をしました。
…辛いことも沢山ありましたが、代々漁師をしていたご先祖から受け継いだこの歌津の地での暮らしを絶対に諦めません!

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被災地からのレポート2015年1月23日 13:38

第二工場 地鎮祭

2015年1月22日、第二工場建築に伴い、地鎮祭が執り行われました。
あいにくの雨模様と、気温が低い中での地鎮祭。
小太郎社長はじめ、専務の千葉、工事関係者を合わせ、
計8名にて今後の工事の無事をお祈りいたしました。


只今、地鎮祭の会場準備中



安全祈願が始まりました。










斎鎌(いみかま)を使い刈初をする、小太郎社長“え゛い”


神前に玉串を奉る、専務の千葉




千葉に続き、工事関係者の皆さんも奉り、




最後にお神酒を頂き、地鎮祭終了。


参加して頂いた、工事関係者の皆さん、寒い中足を運んで頂き 有り難うございました。

また今後の予定や、新しい動き・情報がありましたら、 随時発信していきたいと思いますので、
宜しくお願いします。




記事・撮影担当  渡邊笑美






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被災地からのレポート2015年1月21日 13:16

復活2年目~12月のお歳暮商戦最終報告と直近3ケ月の予定~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
2015年、新しい年がはじまりまして早くも半月が過ぎました。昨年末は爆弾低気圧の影響などで南三陸も雪の降る日が例年に比べ多く、荒れた天候が続きましたが、新年を迎えてからからここ最近は穏やかな天候となっています。本年の工場の仕事始めが1月6日(火)からでしたが、小太郎社長の年頭の挨拶にスタッフ一同、気持ちを引き締め、歌津小太郎が今年一年やるべきことを確認し合いました。


平成27年1月6日 仕事始めの歌津小太郎製造スタッフ集合写真
(撮影当日、不在だった渡邊と、カメラ担当の私・千葉孝浩を含め13名体制です)


思えば、2年前、2013年の今頃は新工場の完成を目前にし、あれやこれやと震災後の2年間のブランクを取り戻すべく再出発の準備に明けくれ、その合い間に仮の工場である『みなさん館』のレンタル工房で歌津小太郎商品を作っていました。1年前の2014年の今頃は震災後初のお歳暮商戦を乗り切り、忙しいながらもスタッフのみんなと喜びを分かち合っていました。


そして今はと申しますと、1年前の今の時点では構想も出来なかったのですが、なんと『第二工場』を建設するべく、準備が着々と進んでおります。お伝えしなければならないことが沢山あるのですが、順番に整理しましてお話したいと思います。書き始めたら、またものすごく長くなりそうでしたので、今回は、2014年のお歳暮商戦の最終報告までに留めました。


そのあと、次回のブログの発信のタイミングでのご報告となりますが、現在の歌津/馬場中山地区と現在の工場があります管の浜周辺の状況をご報告させて頂きます。そのうえで、歌津小太郎がなぜ『第二工場』の建設に到ったのか、ご説明したいと思います。

●お歳暮商戦報告1~広がりに喜びを見出す・歌津小太郎ギフトを沢山お届けしました! 昨年12月17日に中間報告をさせて頂きましたが、改めて2014年のお歳暮商戦を総括してみたいと思います。


主力商品が『昆布巻』、すなわち、お節料理の定番ということもありまして、歌津小太郎は一年を通じて一番売上が多いのが11月から12月にかけてのお歳暮や年末年始のご自宅用の需要となります。この2ヶ月間の売上が年間売上の4分の1くらいですので、かなりこの時期に集中するのだということが判って頂けると思います。

(写真は2013年お歳暮ギフトカタログより)


2013年度のお歳暮商戦では、4月に工場再建したということもあり『歌津小太郎の昆布巻』の復活を待ち望んでいて下さっていたお客様に支えられまして予想以上の実績を上げることが出来ました。 復活の2年目となる2014年度はどうであったか――震災から丸3年が経過し、全国的には徐々に東日本大震災の報道がされなくなってきていますから、『被災地を応援するために東北のモノを買おう!』といった気運は2014年のお歳暮商戦ではもう多くを見込めないであろう悲観的な要素と、『歌津の漁師が食べている本当の旨いもの』を提供し続ければ、きっと沢山の人に想いが届くだろう、そんな楽観的な発想とが入り混じりながら、2014年度のお歳暮商戦の売上目標を“前年比+10%くらい”と掲げてみました。

結果は、残念ながら前年比97,3%。数字としてはもっと頑張れたらなぁという結果ではありますが、実は内容的には嬉しいこともいくつかありました。12月17日の中間報告にも取り上げましたが、震災前はギフト配送は宮城県内へのお届けが大半で、わずかに関東近県向けがあった程度でしたが、今回は47都道府県の全てにお届けすることが出来ました。


12月中旬、「ニッコリ笑って~」と声をかけられないくらいのスピードで包装作業をしていました。

震災前と現在とで歌津小太郎が明らかに変わったのは、“大きな広がり“です。こちらの『被災地応援ファンド』に参加することで、全国の多くの皆さまにファンド募集のサイトを通じて、歌津小太郎の名前を知って頂くことが出来たこと、それに加えまして、震災直後の避難所生活の際に始めた歌津/馬場中山地区の情報発信(その目的は避難所で“今すぐ必要”なモノと支援の手をリアルタイムで伝えること、そして、その支援のお礼をお伝えすることでして、2012年11月まで毎日続いたもの)により、我々の地域を知ってそして支援してくれたボランティアの方が全国に広がったこと、この2つのチャンネルにより、震災前に比べて『歌津小太郎』に気が付いてくれた方が増えたことが広がりの理由かと思います。

実は震災前には、『販路を増やそう!』という発想はそれほど強くなく、年に4-5回ほど宮城県外のデパートでの催事販売に出向く以外はほとんど手つかずの状態でした。しかし、全てを失い再出発してからは、少しでも早く震災前の数字(売上)に戻すこと、さらには、ファンド出資者の皆さまの我々への期待にお応え出来るようにと考えたときに、これまでのように『宮城県の人なら誰でも知っている歌津小太郎』というだけではダメなのだと気がつきました。その点から申しますと、全国の人に歌津小太郎の味をお届け出来たという2014年の結果は大きな成果といえるのです。本当にありがたいことです。

また数字に関してですが、売上目標を“前年比+10%くらい”と強気に計画してみたものの、実は前年比と同様であったとしても、それは製造スタッフにはかなり無理をしてフル生産をしなければならないという限界値でした。昨年に比べ製造スタッフは増員しているものの、その他の制約、例えば作業スペースに、原料や完成品の保管スペースや、毎日の配送スケジュールに間に合うかどうかなどといったことを勘案しますと、前年比97.3%は、胸の張れる結果と捉えています。


そんなわけで製造スタッフの方は通常期、毎週土日がお休みのところ、毎週土曜日も製造を行うという無理のない範囲の『繁忙期体制』で臨み、12月30日に2014年の仕事を無事に終えました。
 (ちなみに1月にはゆったりと代休を消化するようにしています)



●お歳暮商戦報告2~歌津小太郎直営店舗では~ 仙台市内の老舗百貨店『藤崎』の歌津小太郎直営店舗を受け持つ販売スタッフのほうも前年よりも人数を増やしましたので、繁忙期であるのに加えて、デパートの地下の売り場ということからお店自体のお休みが本当に少なく大変な職場ではありますが、チーム力で非常に頑張ってくれました。


こちらが12月の歌津小太郎直営店舗(藤崎の地下2階)


こちらの写真は7階の催事場(ギフトセンター)です。

お歳暮商戦の時期の直営店舗では、昆布巻が本当に飛ぶがごとく売れてゆきます。多くは毎年ご購入頂く歌津小太郎ファンの皆さまです。デパ地下での対面販売の特徴でもありますが、提供しております商品のほぼ全てを試食出来るようにしていますので、12月の店頭はお客様が途切れることがないという活気が続きます。現在の販売スタッフは4名でして、それに加えて歌津から仙台への商品搬入も担う私(千葉)が12月中は出来るだけ店頭にも立つようにしています。以前(震災前)に比べ、こうして店頭に立つ時間が少なくなった私を見つけると、古くからのお客様が声をかけて下さり、歌津の様子を尋ねられるということも多く、そしてまた他のお客様が足を止められて一緒にお話しを聞いて下さる――そんな風景が12月の歌津小太郎店舗なのでした。   


普段は歌津小太郎直営店舗で生鮮品を扱わないのですが、例年、年末の3-4日間だけ『南三陸名物の水ダコ(お刺身用)』をご用意しています。こちらも昆布巻同様に年末年始のご馳走用に大人気の商品でして連日完売!(今年は水タコが不漁のため、品薄の中での販売となり午前中でほぼ完売でした) 今回から『南三陸歌津産 天然あわび煮』も年末の店頭商品として追加してみました。震災前にも年末限定の商品として販売していましたので、こちらも店頭に出して数時間後には完売となりました。


中山漁港で水揚げされた天然アワビです。

今回のご報告はここまでに留めたいと思います。
近いうちに、『南三陸町の今~歌津/馬場中山地区・管の浜地区』、『歌津小太郎が“第二工場”を作る訳』といった流れでご説明を加える予定でおります。



●今後の3カ月計画
 今回のブログでは、まだご説明が足りない部分が多いかと思いますが、今後の3カ月は次のような予定があります。
随時、ご報告して参りたいと思います。


1月…・第二工場の地鎮祭  1月22日(木)   
・仙台藤崎の地下食品フロアの全面改装着工(1月27日で地下2階のフロア閉鎖)
※工事期間は4月中旬頃まで、その期間は地下1階の仮設売り場にて営業

2月…・第二工場建設工事着工予定(寒い時期なので3月からに変更する場合も有り調整中です)  
・新物めかぶ製造(今回より「いかめかぶ」復活、めかぶ漬も継続する)

3月…・新物わかめ入荷



<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

2015年は大プロジェクト『第二工場建設』が控えています。この『第二工場建設』という決断に至った経緯を、忙しさにかまけて出資者の皆さまにもまだ丁寧に説明出来ていませんでしたので、それを説明したかったのですが、いろんな思いを詰め込んだ結果、12月のご報告だけでもくどく・長くなってしまいましたので、続編として近いうちにご説明したいと思います。

予定よりは多少遅れての工事着工となりますが、ファンド資金を最大限活用して、新しい分野にも挑戦する環境を整えていきます。今回の施設では生産施設としてだけではなく、直売所的な販売スペースも設け、南三陸の新鮮な海の幸や、自社製品を地元から発信し、広げて行く事業にも挑戦してまいります。

また、もっと便利に歌津小太郎商品をご利用いただけるようwebサイト(通販事業)の整備や、首都圏でのデパ地下販売会にもこれまで以上出店するよう計画しています。時間の経過と共に、私たちの地域の環境も復興に向かって着実に前進していることを感じ取れるようになっております。私たちが目指す事業が地域の発展に少しでも貢献できるよう、お客様から必要とされる商品をしっかりご提案できるよう精進して2015年に挑みたいと思います…頑張ります!!



記事担当 千葉孝浩



1月9日の早朝6時、今年初めて千葉家がアワビ漁に出た日の朝日です。
今後のブログでは歌津の海のことも沢山紹介して参ります。お楽しみに!

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被災地からのレポート2015年1月7日 10:38

新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。
本年も「歌津小太郎」宜しくお願い致します。

2015年は雪のスタートとなりました。
まだ、雪が残る南三陸町歌津から、
千葉小太郎社長よりご挨拶を皆さんにお届けしたいと思います。


(2015年元日 南三陸町歌津、中山漁港より撮影した初日の出)

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。

 旧年中は大変お世話になり有難うございました。
おかげさまで、私たちの地域も本格的な復興に向かって日々前進しております。
本年は第二工場建設の大プロジェクトも控え、より一層の飛躍する年となるよう、
従業員一丸となって精進してまいります。
新しき年の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

平成27年1月6日 有限会社 橋本水産食品
千葉 小太郎



(平成27年1月6日 新年初営業日、歌津小太郎製造スタッフ集合写真)


撮影担当 千葉 孝浩
記事担当 渡邊 笑美

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被災地からのレポート2014年12月17日 13:42

復活2年目~お歳暮商戦中間報告と年末年始の予定~応援ファンドの皆さんに感謝~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
12月も中旬となりまして、こちらのブログをご覧になって下さる皆さまも大変に忙しくされているのではないかと思います。私はというと、昆布巻をはじめとする沢山の商品を営業車に積んで、歌津と仙台の100kmの往復をほぼ毎日、その合間に第二工場の建設の着工準備とで昨年の1.5倍の忙しさをなんとかこなしています。

おかげさまで、私たち「漁師 歌津小太郎」ブランドの復活2年目のお歳暮商戦は、(第二工場建設を計画しているということも加味して…)若干強気で計画していた目標数量をなんとかクリア出来そうな動きでご注文を頂いております。ありがとうございます!!!

昔からの『藤崎』(←仙台市の老舗百貨店です。歌津小太郎の直営店あり)のお客様に加え、今年も首都圏を中心に新たなお客様からご注文を頂くケースが増えて参りました。こちらの『被災地応援ファンド』というチャンネルに加えて、震災をキッカケに「困っているときは、困っているありのままをドンドン発信しよう!」と始めた地域の情報発信の効果で、宮城県の小さな町・南三陸町のさらに小さな小さな漁師町にある歌津小太郎を知って頂く機会を得たことが、こんなにも広がったことに製造スタッフも販売スタッフも大変に驚いています。

特に広がりがあるのはお歳暮ネットショッピングの部門です。歌津小太郎自身では通信販売を行っていないのですが、お歳暮の時期だけ、『藤崎』のサイトに掲載して頂くのです。これは震災前からあったのですが、正直申しまして、以前はこの藤崎ネットショッピングからご注文頂くのはほんの僅かでした。 今年はお歳暮商戦スタート直後に、都内にお住まいの出資者の方がすぐに気がついて下さり、「親戚中に送る分をネットから注文しましたよ!」とご連絡まで頂戴しました。これはホントにスタッフ一同、出荷伝票にお辞儀するくらいの感激でした!
ネットからのご注文は首都圏にお住まいの方からが多いという傾向がありまして、さらに配送先も日本全国津々浦々。そこでスタッフの中ではこんな会話が交わされています。

<とある日のギフト出荷作業>  
スタッフA: 
『なんとまんづ! コレ、沖縄の住所だっちゃ~』
【すご~い! コレ、沖縄の住所だよ!】

スタッフB:
『沖縄なんてこれまでねがったっちゃね~。こっつぁ~九州だっちゃ~』
【沖縄なんてこれまでなかったよね。こっちも九州だし~】

スタッフA:
『今年は全部の県にギフトおぐらったんでねぇ~』
【今年は47都道府県へのギフト配送、達成したんじゃないか?】

スタッフB:
『歌津小太郎が全国の人に知ってもらって、もうなんだもねぇ~なぁ~』
【歌津小太郎、全国の人が知ってくれてることになるのか。スゴイね~!嬉しいね~!】



只今、包装作業中!!

 
包装が終了し、山積みになっています。




ヤマト運輸さんが回収に来ました。
これから、全国各地に『歌津小太郎詰合せ』が届けられます。



なお、歌津小太郎の年末年始の予定は次のようになっております。
12月18日(木)      『藤崎』お歳暮ネットショッピングの承り期間終了

12月28日(日)より    『藤崎』年末限定!! 『南三陸名物の水ダコ(お刺身用)』※品薄ですが…
『南三陸歌津産 天然あわび煮』を藤崎で取り扱い

12月30日(火)      製造部門の仕事納め
12月31日(水)17時  『藤崎』の仕事納め  
(1月1日だけお休み)

1月2日(金)        『藤崎』初売り
1月5日(月)        歌津小太郎製造部門の仕事始め


2014年も残りわずか! 一人でも多くの皆さんに『歌津の旨いっ!』をお届け出来るようにスタッフ一同頑張ります。

記事担当: 千葉孝浩

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被災地からのレポート2014年11月18日 14:13

復活2年目~9月と10月のまとめ報告とご連絡~お歳暮商戦に入りました!

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
10月10日より31日までの期間限定でしたが「さんま昆布巻セット」をこちらのサイトで販売させて頂きました。この機会に初めて歌津小太郎の味をお試し頂いた方、出資者特典で既に昆布巻をお試し頂き、リピートでご注文頂いた方など、様々な皆さんに我々の自慢の昆布巻をお届けすることが出来ました。大変ありがとうございました。

「昆布巻、届いたか~い」  の歌津の言葉版


今回の記事では後半に首都圏でのイベント出店の様子を掲載しています。イベントの定番は南三陸産のホタテ焼き。漁師の『うまいっ』を代表する逸品です。

さて、歌津小太郎ではこの時期、11月中旬から12月末までがお歳暮商戦の時期ゆえに年間を通して一番の繁忙期となります。私は歌津と仙台を頻繁に行き来しまして走りまわっていますし、製造スタッフも朝8時には作業を開始、仙台の販売スタッフはいつもよりも常駐の人数を増員して対応します。昨年は復活の初年度ということでの忙しさでしたので、2年目は少し落ち着くかと思いきや、私に限って言えば今年は今年で第二工場の建設も重なりまして、さらにめまぐるしい状況となっております。
そこで、最初から言い訳となってしまい誠にお恥ずかしい次第ですが、今年の2月から月に一度の連載をしておりました歌津小太郎の長い文章のブログ報告のうち、『3年間のふりかえり』の部分は休載させて頂き、当座は直近の出来事のご報告や告知などにとどめたいと思います。要するには、12月末まではパソコンの前で長文を作成する時間が取れなくなるのです。自分で「毎月発信するぞ!」と決めて臨んだのに、本当にカッコ悪いのですが、ご理解を頂ければと思います。

いちおう「休載」という位置づけでして、少々時期を逸してしまうかもしれませんが、繁忙期の12月を過ぎまして来年の1月になってしまいますが、再び『3年間のふりかえり』の“10月版”から“1月版”を順番に書き記したいと思います。私自身、この記事を書き始めまして改めて整理がついたこと、気が付いていなかったけど教訓として身に付いていることなど沢山あり、どちらかと申しますと、皆さまに向けて書いているというよりは未来の自分のために整理していると、そんな風な面が強くなってきていました。

あまりにも長い文章で、皆さまに飽きられていないかという心配もありましたが、時折、出資者の方がご自身のブログで歌津小太郎のこの長文ブログのことを取り上げて下さったり、私のつたない文章を引用して歌津小太郎を紹介して頂いていたりするのを見つけますと、丁寧に読んで頂けていること、思いが伝わっているのだということが判りまして嬉しく感じています。そんなわけで、また1月になりましたら長い独り言のような『3年間のふりかえり』記事におつきあいいただければと思います。

● 2014年9月後半から10月にかけての歌津小太郎活動報告 ~仙台のデパ地下にて昆布巻がぶ~
【今年のさんま昆布巻きは…】
歌津小太郎が直営店舗を設けております仙台市内の老舗百貨店『藤崎』では、9月下旬から『新物さんま昆布巻』が登場しました。
今年のサンマは丸々と太って脂の乗りが良く昆布巻には最高! それを石巻・十三浜の『鵜の助』さんの昆布――これは昆布巻用最高品質のものを厳選して仕入れていますが――その鵜の助昆布で巻きまして、歌津小太郎の秘伝の製法で絶妙な味わいに仕上げています。『新物』が出始めますと、常連のお客様が今年の味の品定めにとすぐにお買い上げ頂きまして、まさに羽が生えているかのごとく飛ぶように売れていきます。私自身も大変に嬉しいですが、それを製造スタッフに報告しますと、自分達の作る味が支持されていることを実感しさらにやりがいを感じているようです。

トロっと昆布がとろけて、さんまの旨味と重なります。ブログでは昆布巻の味をお届けできないのが残念!

10月に入りましてからは、三陸でとれた鮭を使った昆布巻の新物も出始めました。これにニシンの昆布巻も加わりまして、「さんま・さけ・にしん」の昆布巻製品フルラインナップが揃いましたのが10月下旬。これらが揃いますと、歌津小太郎のお歳暮セットの準備が整ったこととなります。

【第二工場建設の進捗】
当初の予定では今月(11月)からの着工を目指し、地元の建設会社さんと1年前より計画を練ってまいりましたが、現在更なる衛生環境の向上と、新しい分野の商品を生み出すための施設にするべく計画の見直しをしています。着工は12月にずれ込んでしまいますが、納得のいく生産施設となるよう今後も万全を期して第二工場建設に臨みたいと思います。尚、この工場では地元で水揚げされる新鮮な魚介類や出来たての歌津小太郎商品を販売する物販コーナーも設ける計画です。地域住民の利便性を高めるのはもちろん、遠方から南三陸町にお越しになる方など交流人口増加にもお役に立てるよう、地域に貢献できる施設を目指してまいります。

【11月2日-3日の首都圏イベント報告(座間市&蓮田市)】
2012年からの恒例イベントとなっていますが、今年も神奈川県座間市と埼玉県蓮田市のイベントに呼んで頂き、歌津小太郎と歌津の地元の美味しいものをお持ちして販売させて頂きました。双方の会場とも用意した品物は全て完売! ありがとうございました~!!!

11月3日、蓮田市イベントの完売達成シーンです。「バンザ~イ!!!」
中央のピンク色のハッピが蓮田市長さんです。

これらのイベントは、震災後の避難所生活の際に歌津・馬場中山地区にボランティアに来て頂いた皆さんとの交流が継続しているものです。誰よりも私自身が一番楽しみにしているイベントです。少しずつの歩みではありますが、我が町である南三陸町が復興に向けて前進していることをご報告できることが本当に嬉しいのです。震災直後は、日本全国のみなさんが自ら車を走らせ支援物資を運んで下さいましたが、今は私自身が『歌津の地元の美味しいもの』をトラックに満載してお返し出来るようになったわけです。

今回の特集写真コーナーではこの2か所でのイベントの様子を掲載しておりますので、イベントの盛り上がりとともに、私の『旨いものをお届けできる喜び』の情景をご覧いただければと思います。

● 2014年11月~12月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報 歌津小太郎にとっては11~12月は昆布巻を中心にしましたお歳暮セットの時期ですが、南三陸・歌津の海のほうは、港での『わかめの種挟み作業』が佳境となるとともに、アワビの開口の時期を迎えます。

我が千葉家でも生粋の漁師、小太郎(父)と、櫂押し歴60年のあさ子(母)、漁師にはなれなかった私(孝浩)、見習い櫂押しの馨(弟)の4人が乗り込んで明け方の海に出港です。この日は絶好の開口日和(波も穏やかで、風もそれほどなく)の中、朝6時~9時までの時間アワビ漁に挑むため、家族が久しぶりに一つの目標に向かって団結しました。結果は専門に海に出ているわけではないので、周りの漁師さん達の半分ほどの水揚げでしたが、私たちにしては十分な漁でした。それよりも箱メガネで海の中を眺めなら、あらためて歌津の海の豊かさを感じる、とても貴重な機会にもなりました。


奥の櫂を押しているのがあさ子(母)、赤い合羽が小太郎(父)、オレンジが私(孝浩)、撮影者が櫂押し見習いの馨(弟)の布陣でアワビ漁に挑みます。(2014.11.16撮影)


午前9時になりました。
漁を終え港に帰ります。(長時間、慣れない体勢でしたので、あっ足が…いっ痛い…)


港に帰ると、規定のサイズに満たされているのか検査を受けます。
※ここ中山漁港の今年最初のアワビ漁の水揚げは昨年よりも厳しく、震災前の約半分の水揚げのようです。

仙台・藤崎百貨店では11月13日(木)からいよいよお歳暮ギフトセンターがオープンしました。昨年のお歳暮商戦から復活した「歌津小太郎手づくり昆布巻」シリーズですが、今シーズンから1アイテム増え、3アイテムでの展開で取り組んでまいります。地元宮城県・仙台にお住いの方はもちろん、webからの受注にも対応していますので、被災地応援ファンドの出資者の皆様もご利用いただけるようになっています…どうぞよろしくお願いいたします。

※藤崎百貨店ホームページは→こちらから




ギフトセットが出そろいました! 


<あとがき>
歌津小太郎のブログは、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

震災から3年半を過ぎますと、社会全体の関心はオリンピックであったり、グローバル化であったりと……被災地はどんどん忘れられていくことを感じ、今もときおり直面する困難な状況に、気持ちが折れそうになることもまだまだあります。
そんな合間でしたが、11月2日と3日の首都圏でのイベントでは沢山の助っ人さん達に助けられ、そして沢山のお客様にお会いし、温かい言葉を頂くことが出来ました。やっぱり、このように直接、お声掛けを頂き、そして私も「頑張ります」とお伝えすること、その一言一言が全て自分への宣言となり、元気の素になります。この次に皆さんのところにお邪魔する際には、歌津小太郎としても歌津・馬場中山の地域としてもさらなる復興の歩みを進めた姿をご覧いただけるように頑張りたいと思います。

最後に、私はつくづく自分のこの仕事、特にお客様に直接自慢の美味しいものをお届けする『対面での販売』が好きなんだなと実感しました。仙台の『藤崎』でも、今回の屋外でのイベント販売でも、直接お客様のお顔が見えて、喜んで買って頂ける姿が見える――お客様との会話そのものも楽しいですし、震災後に復活してからはホントに思いやりの深い言葉を沢山頂きました。この対面販売というのはビジネスとしての爆発的な飛躍はないかもしれませんが、歌津小太郎のこのスタイルの本質は変えぬように、自分達が食べて美味しいと思うものをお届けする、そんなシンプルな商売を続けて参りたいと思います。

記事担当 千葉孝浩


■□■□■今月の特集写真コーナー■□■□■□■□■□
●11月2日-座間市でのイベント報告

11月2日の早朝、座間中学校の会場に私の運転するトラック「馬場中山号」が到着です!


座間市イベントの開始前ミーティングです。手作りの垂れ幕を準備して頂いていましたが、温かみがあっていいです!


今回はこんなに広いスペースを用意して頂きました。


座間市イベントの販売の助っ人女性陣です。普段は建設会社で事務などをされている皆さんです。


販売スタッフさんたちに、まず、試食を味わって頂き、お客様への説明内容をレクチャーしています。


こちらは強力な助っ人の弟カオル&カナエさん夫婦に手前がカナエさんの妹・ナナコさん。 ホタテ焼きの担当です。


ホタテ焼きが大人気で焼くのが追いつきません。

カオル&カナエ夫婦に南三陸町の現在の様子を質問して下さっているお客様です。 美味しいものが沢山あるので、是非、いらして下さい――こうして気にかけて下さるのがありがたいのです!


そして、あっという間に完売でした!


今回は女川町さんのチームとの合体での出店でして、そちらはサンマ焼きを提供していました。もちろん、サンマもオイシイですよ!


歌津小太郎商品も残りわずか――その後、完売となりました!ありがとうございます。
座間市でのイベントは、神奈川県にお住まいの歌津町出身者の方も沢山立ち寄って下さいました。 ウレシイですね!定番化しているイベントの良いところです!  
(ここまで、馬場中山カオル商店HP20141102)

●11月3日-蓮田市でのイベント報告

これはなんだか判ります? 大漁旗を掲げるための竹を切りだしてきて下さいました!


歌津小太郎商品とホタテを満載したトラック「馬場中山号」です。


大漁旗を掲げます。一番目立っています。


イベント開始前に蓮田市長さんがお越しになりました。いつも気にかけて下さり、ありがとうございます! 歌津小太郎のハッピを着ていないと判りにくいかもしれませんが、左が私(千葉孝浩)。


炭火の準備が出来ました。ホタテを焼き開始です!




まずはお客様にお出しする前に、助っ人陣が試食です! 美味しく焼けています。


準備が整いましたので、イベントスタートです!


テレビの取材も入りました。美味しさも写して下さいね!


こちらでもホタテが大人気です。肉厚なのに加え、炭火で焼き立て! 美味しくないはずがありません!


歌津小太郎商品の販売助っ人は“はすだ支援隊”の男性陣です。普段は土木建設業の皆さんが、わかめの説明をして下さっています。もうかなり慣れています。


沢山の助っ人さんのおかげで、私はむしろ呼び込み役となっていました。まもなく歌津小太郎商品も完売です。


イベントの終盤で蓮田市長さんが様子を伺いに来て下さいました。ちょうど完売したところ! 本当にありがとうございます!!!


歌津小太郎売り場担当さんも大満足!


イベント大成功! みんなで記念撮影です! みなさん、ありがとうございました!


大活躍のホタテの焼き台。これは避難所生活のときにも活躍した思い入れのあるモノでした。


焼き台もトラックに積みまして歌津に戻ります。また美味しいものを満載してお邪魔します! ありがとうございました~~~  
(ここまでの写真は馬場中山カオル商店HP20141103)

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被災地からのレポート2014年10月28日 10:44

『11/2座間市・11/3蓮田市』歌津の旨いものたっぷり持って行きますよ!

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
10月10日より30日まで、セキュリテセットでの『新物さんま昆布巻』の限定販売を致しておりますが、
おかげさまで予想以上のご注文を頂いております。震災前まではほぼ宮城県内のお客様だけにしかお届け出来ていなかった“歌津小太郎の味”を、このような仕組みを通じてより広くそして多くの皆さまにお届けできること、昆布巻の作り手であるベテラン製造スタッフ陣(歌津の漁師のお母ちゃん達)も大いに喜んでおります。


私たちが“歌津小太郎の味”を作ってます!  


さて、今回は2012年から恒例となっております11月の首都圏での催事への出店のご案内をさせて頂きます。2日連続で2か所での開催でして、いずれも都心から1時間程度です。


第一弾: 11月2日(日)神奈川県座間市『座間市民ふるさとまつり』
   [会場]  座間中学校    
              ※新宿→座間(相武台前)は小田急線で約50分


●第二弾: 11月3日(月・祝)埼玉県蓮田市『雅楽谷の森フェスティバル』   
     [会場]  蓮田市役所    
            ※上野→蓮田はJRで約50分



【出店内容】
お持ちする商品は11月2日と3日で共通となりますが、歌津小太郎の商品としましては、わかめ、陸中漬、ひと味ぼれ(ひとみぼれ)などの3品目をメインに。そして目玉商品は、11月1日に水揚げした南三陸産の活きホタテを私がトラックで運びまして、その場で炭火焼きにします『ホタテ焼き』!


水揚げしたばかりのホタテを持っていきますよ(写真は昨年2013年11月のもの)


  【11月の催事出店の経緯】
座間市も蓮田市も震災ボランティアで来て頂いたみなさんとのキッカケに交流が深まりました。ボランティアの皆さんはそれぞれ個人的な活動として頻繁に歌津の我々の手助けに来て下さっていたのですが、我々がそのときどきで何に困っていて、被災後の時間の経過とともに次はどんな手助けが必要かを察知して下さいました。そしてなんとか水産加工の商品が作れるようになってからは、地元の自治体や商店街に働きかけて、『買って応援』する場として、2012年よりこの時期のこうしたイベントにお声掛けを頂くようになりました。今年で丸3年となります。

 
歌津小太郎スタッフ自身が首都圏に直接出向いて販売する数少ない機会ですので、お近くのかたは是非、お越し頂ければと思います。
両日とも私(千葉孝浩)が出店責任者としまして終日おります。いつものように歌津小太郎のハッピを着ていますので、お声掛け下さい。今回の歌津からの助っ人は、歌津小太郎第三の男・弟のカオルとその奥さんのカナエさん。そして、現地の助っ人は、私たち歌津/馬場中山地区の応援団である座間市・蓮田市それぞれのボランティアのみなさんです。(歌津小太郎の長文のブログの中の写真で登場している皆さん達ですよ)

私(千葉孝浩)の催事の際の姿です。店頭では全ての試食商品を味わって頂くのをモットーにしています!遠慮せず、お気軽に声をかけて下さい!(2014年4月の蓮田イベント時)

例年、準備した商品の全てが完売となるのですが、特に人気商品の『ホタテ焼き』は早い時間で無くなってしまう可能性が高いですので、お早目の時間をオススメします! では、天候に恵まれることを祈りつつ、歌津の旨いものの準備にとりかかりたいと思います。 より多くの皆さんとお会いできることを楽しみにしています。

記事担当: 千葉孝浩

追伸 残念ながら、歌津小太郎の看板商品の『さんま昆布巻』もホントは皆さんに試食だけでも味わって貰いたいのですが、現在フル生産中ではありますが、それでも品薄状態が続いているため、この催事にもお持ち出来ません。ゴメンナサイ!  



■□■□■特集写真コーナー■□■□■□■□■□
昨年、2013年11月のイベントの様子をご紹介します。

蓮田イベントです(この焼き台…はんぱなく火力が強いんで、すんごく熱いんです!!)
2013.11.3


網にのせて、5分もすれば…


出来上がり!!

大盛況のため、2013年の蓮田イベントでは400個 が2時で完売となりました。 歌津小太郎の出店ブースは大漁旗を掲げていますので、目印にして下さい。
 (ここまでの写真は被災地からのレポート20140121「歌津小太郎の11-12月~歌津の
海と仙台のデパ近より~」から再掲載)

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被災地からのレポート2014年10月21日 10:04

歌津小太郎の『由来と沿革2014』

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
今回は、昨年秋の『さんま昆布巻』復活から一年を経過したことと、最近になりまして第二工場建設計画をブログの中で触れましてから新規で出資して下さる方が増えて参りましたので、いろんな意味も含めまして改めて“歌津小太郎とは?”をご紹介したいと思います。そこで『由来と沿革2014』というタイトルにしてみました。


2014年4月26日のファンドツアーで訪れたみなさんとの集合写真です。前列の左から2番目が小太郎夫人のあさ子、後列の一番左から私(孝浩)、小太郎社長です。(被災地からのレポート2014年5月13日より)




 【歌津小太郎の“愛される昆布巻”とは】
歌津小太郎の看板商品はなんといっても昆布巻でして、さんま・にしん・さけを巻いた3品目があるのですが、中でも歌津小太郎ファンから熱烈な支持を得ているのが『さんま昆布巻』です。多くの方にとって昆布巻は、「お節料理の中でみかけるくらいしか思いつかない」というものかもしれませんが、歌津小太郎では昆布巻は年間を通して販売をしていて不動のナンバーワン商品です。特にこの時期は今年水揚げされた旬のサンマを使った『新物さんま昆布巻』を提供しております。どのくらい人気がすごいかと申しますと、この時期は製造スタッフは9割がた、この昆布巻の製造に集中していまして、残りの1割の時間で昆布巻以外の定番商品を数品目だけ必要最低限の量を作る、9月中旬からお歳暮商戦が終わる12月末まではそういった生産体制となっております。

ベテランの製造スタッフが毎日巻いています! 皆さん料理自慢のお母ちゃん達ばかりです!!

歌津小太郎のさんまの昆布巻は、秘伝の味付けと歌津の漁師のお母さん達の特殊製法により絶妙な味わいとなっており、口に含むと最初に“トロっ”と昆布がとろけ、そのあとサンマの旨味が広がります。骨までまるごと使っていますが、大変に柔らかく煮あがっており、ふだんは魚をあまり食べない子供さんでも好んで食べてくれるのだと言って下さるお客様もいらっしゃいます。


手作りの品ゆえに、めいっぱい頑張っても生産数量が十分ではないために、昆布巻製品は仙台市内にある老舗百貨店の『藤崎』の中の歌津小太郎直営店舗と当社の工場のお隣にあります南三陸町直売所『みなさん館』だけでの販売となります。しかし、これでは実店舗に行くことが出来る宮城県の方にしか、昆布巻をお届けできません!!!


そこで、10月10日にこちらのサイトでもご紹介させて頂いているように10月30日までの期間限定となりますが、セキュリテセットとしても販売を開始しました。宮城県以外の皆様にはそちらでお試し頂けると嬉しいです。


 藤崎本館地下2階の歌津小太郎直営店舗です。売り場の半分は昆布巻や煮物製品が占めていまして、さらに一日に何度も補充しています。(2013年12月撮影)



 【歌津小太郎の由来とは】
2012年6月にこの被災地応援ファンドに参加してから、多くの方に歌津小太郎を知って頂く機会が増えました。皆さまからよく頂くのが、

       「”歌津小太郎”と橋本水産食品の“橋本”と苗字の"千葉"の関連が判らないので教えて欲し い!」
      
       「橋本さんという方が創業者ですか?」

 というお声です。確かに判りにくいですね! 自分達にとっては当たり前のことなので、あえてご説明をするという発想が抜け落ちてしまっていることが沢山あるなと気付かされるご質問です。

このネーミング問題に関しては、2013年9月10日に「由来」というタイトルでその説明をしておりますが、一年以上経過しましたので、その3つの名前の関連を改めて再編成してご紹介したいと思います。


◎会社名の有限会社橋本水産食品の“橋本”とは
創業者である千葉小太郎(父)が昭和50年(1975年)に漁師と兼業で水産加工を始めたのですが、その際に社名をウチ(千葉家)の屋号の“橋本”からとりまして有限会社橋本水産食品としました。都会に住む方は屋号というのはなじみがないと思いますが、地方では商売をやっていない家でも屋号を持つということがよくあります。ちなみに千葉家があります南三陸町(旧・歌津町)の馬場・中山地区では、100軒ほどの家族のうち、12軒の千葉さんがいらっしゃいますし、他にも阿部さん、及川さん、佐々木さんという家が多く、苗字だけでは判別できませんので、屋号で呼び合うのです。 我が千葉家の場合は、前の歌津小太郎工場の場所が”橋本”の原点でして、津波で跡かたもなく流されてしまいましたが、明治29年の三陸大津波まで、もともと代々漁師を営む千葉家があり、そこの隣に海に流れる小川にかかる橋がありまして、その橋のたもとということで”橋本”という屋号で呼ばれていたのでした。


震災前までの工場跡地です。 「橋本」由来の場所です。ここが自宅だった昭和の半ば頃は、家の裏に直接小舟をつけていたわけです。遠くに見えるのが歌津半島の先端です。(2011年3月13日撮影)



◎“歌津小太郎”とは?
昭和50年(1975年)に有限会社橋本水産食品を立ち上げましたが、会社といっても本当に小さな家族経営の規模でして、漁師と兼業しながらわかめの塩蔵品などの半加工品や、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」といった加工品をほそぼそと作っていました。当初は盛岡のスーパー等で「むきホヤ」を直接納品に行ったり、近くの産業まつりなどの物産展のイベントに出店したりと、そんな商売をしていました。 いまどきの言葉でいうと、一次産業(漁業)、二次産業(製造業/水産加工)、三次産業(サービス業/小売)の全てを行う六次産業(一次+二次+三次)だったわけです。

やがて私たちが作る味が評判となり、仙台の老舗百貨店の藤崎さんにお声がけ頂くことが出来まして、常設の店舗を構えるようになったのが平成5年(1993年)。その時に、私たち自身のブランド名を作り、その名前を町名の歌津と創業者の千葉小太郎を合わせて“歌津小太郎”と名付けました。直営店舗を持つようになってからは、味付けした「めかぶ」や「くきわかめ」に加えて、海藻類の煮もの製品のラインナップも充実させていきまして、昔は各家庭で作っていたけれど手間がかかるのであまり作らなくなってきた『昆布巻』なども歌津小太郎商品としてお出しするようになりました。この海藻類の煮もの製品は我々にとっては歌津のどこの家庭でも定番のメニューであり、色合いも地味ですからデパートで売れるのかと当初は半信半疑でしたが、仙台という宮城県内での“都会”のみなさんには懐かしい味としてご指示を頂いたのでした。


小太郎社長の昔の漁師姿の写真(15年ほど前に「藤崎」の直営店舗での宣伝用に撮影)  


 【歌津小太郎の震災前と現在】
歌津小太郎をもっと良く知って頂くために、震災の直前と現在のビフォー・アフターを比較したいと思います。こちらも依然にブログで掲載したものを再編成して、数字を若干、新しくしています。

◎震災前の歌津小太郎(有限会社橋本水産食品-2010)
会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
震災前の住所:宮城県本吉郡南三陸町(旧・歌津町)
      歌津字馬場82  (本社、兼自宅)
      字中山59-4(工場) ※海まで5歩
従業員数(社長も含む): 14人(うち歌津メンバーが9人、仙台の販売スタッフが5人)
取り扱い商品: 季節商品も含め全30品目  
     代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ・あなご・たらこ)、めかぶ漬、ほや醤油漬、陸中漬 など
販売チャンネル:  
    仙台・藤崎における直営店舗での対面販売  7割
     提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 2割
     その他催事販売、通販など  1割
震災前の3年間の平均売上額:  1.1億円   


 <<<2011年3月11日、東日本大震災とその後の津波により全ての生産資源を失ったのですが、 全従業員は無事でした!!!>>>



◎震災後の歌津小太郎(有限会社橋本水産食品-2014)
会社概要: 有限会社橋本水産食品(商品ブランド名: 漁師歌津小太郎)
本社住所: 宮城県本吉郡南三陸町(旧・歌津町)歌津字馬場82  
              (本社兼自宅でして震災前と変わりません)
震災後の新工場住所: 南三陸町歌津字管の浜55-1 (海からは1kmほど内陸)
              ※震災から丸2年経過した2013年4月27日に新工場を再建しました!
従業員数(社長も含む): 12人(うち、歌津メンバーが8人、仙台の販売スタッフが4人)
取り扱い商品: 季節商品も含め全20品目くらいまで回復   
     代表商品 こぶ巻(さんま・にしん・さけ)、めかぶ漬、陸中漬 など
     復活を望まれる商品 ほや醤油漬の通年販売、めかぶ漬の各種アレンジ商品(イカめかぶ等)
販売チャンネル:  (割合は2013年6月-2014年5月の概算)
     仙台・藤崎における直営店舗での対面販売       7割
     提携先 ㈱カドヤ加藤物産による首都圏の百貨店での対面販売 1.5割
     南三陸直売所『みなさん館』での委託販売      1割   
     その他催事販売とセキュリテセットなどでの通販  0.5割
震災後の1年間の売上実績:  ※ファンド募集期間中なので数字の公表が出来ないのですが、
  2013年6月-2014年5月の概算では、震災前の5割強くらいでした。原材料が揃わずに立ち上がりの前半で品数が揃えられなかったため、当初予想を大きく下回りました。
備考: 現在、製造スタッフが9名(8月に一人増員)ですが、全ての製品が手作りという歌津小太郎では、スタッフがフル稼働しても各所から頂くご要望に十分に応えられないというのが現状です。ネックとなるのが、2013年4月に再建した新工場の加工スペースでして、震災前の半分の面積なので製造スタッフを増員するのも厳しい状況です。そこで、南三陸町からの企業に対する補助事業の支援を受けまして、現在の工場のお隣に第二工場を増設する計画を進めています。2015年6月完成予定です。



震災前も後も変わらないのが私たちの作る思いでして、創業者の千葉小太郎が“漁師が食べている「うまいッ」を限りなくそのままをお届けする”ただそれだけを追及して参りましたし、これからも方針を変えずに作り続けて参ります。

こんぶ炒りを調理中のあさ子(小太郎夫人)

また、震災前後で変わらないもう一つは“対面販売”でほとんどを売り上げるという昔ながらの商売です。今は通信販売でなんでも買える時代ですので、時代遅れのビジネススタイルかもしれませんが、顔の見える販売を行っていたことが震災後の再建を後押しする結果となったことから得た教訓です。全く通信販売を行わないというよりは、今後、チャンスがあって通信販売の販路を開拓することになりましたら、出来るだけ“対面販売”の良さを取り入れたスタイルで、私たち“歌津小太郎”を良く知ってくださってからお買い上げ頂くようなそんな運営をしたいと考えています。セキュリテセットでの10月30日までの“昆布巻限定販売”は遠くにいても既に私たちを良く知って下さっている“被災地を応援する皆様”に歌津小太郎のこだわりの味をお届けできるチャンスとして取り組んでおります。


 【歌津小太郎のある旧・歌津町とは?】
宮城県の旧・歌津町は大まかな位置関係でいいますと気仙沼と石巻のちょうど中間あたりにあります。歌津半島といって細長く太平洋に伸びる半島があり、その北側の根元あたりに、千葉家の自宅と旧工場のある歌津/馬場・中山地区があります。仙台からでいうと距離で100km、車で2時間程度のところです。

平成17年(2005年)に、歌津町(うたつちょう、人口約5000人)とその南隣の志津川町(しづがわちょう、人口約12000人)が合併して南三陸町が誕生しました。人口比で判るように旧・志津川町のほうに町の行政機関の中心が置かれました。この二つの町はいずれも沿岸漁業が盛んですが、あえて違いを挙げるとすれば、志津川町のほうが比較的平地の面積が大きいために水産加工業が発達したけれども、歌津町のほうはそういった加工場を設ける場所が少ないので、古くからの漁業で生計を立てる家が多いということ、それに加えて、歌津町のほうは山の面積も多い分、林業も盛んである、そういった特徴があります。双方の町もともにわかめ養殖をしており、タコも獲れるのですが、ブランドイメージとしては、志津川町のほうは“タコ”(オクトパス君というキャラクターでも有名)、歌津町は“わかめ”というのが定着しています。いずれにしても合併して誕生した南三陸町全体が海の恩恵を受けて生活を営んでいるのだといえます。

震災の前から抱える南三陸町周辺の課題は、次の世代が働く場所があまりにも少なく、近くに救急病院が無い(石巻の緊急病院まで救急車で1時間かかります)、子供たちの教育環境もなかなか改善されない― ―そこに2011年の震災・津波が押し寄せました。特に働く場所の問題は、この地に住み続けたくても暮らしていけないという諦めにもつながり、働く世代の人口流出となっています。自分たちでは気づきませんでしたが、震災で支援に来た方からの一言が今でも脳裏に焼き付いています…「限界集落」。ここに住み続ける私たちにとって、震災が有る無しに関わらず、早かれ遅かれ免れようのない現実に今、直面しています。地域の疲弊は、私たち歌津小太郎の事業にとっても深刻な問題です。次の担い手となる世代への製造技術や食文化の継承はもちろん、特に深刻な問題は原材料の調達先である地元漁師さん達の後継者不足の問題です。これを解決するには安定した収入源を確保するため、南三陸の素材が持つそもそもの値打ちを、適正に評価される仕組みを地域全体で作り出さなくてはなりません。産業間の垣根を越えて、みんなで支え合うことを大事にしてきた田舎の文化の良さを、今こそ原点に立ち返って見直す必要があると感じています。私たち歌津小太郎としても、その一翼をしっかりと担えるよう、微力ながら地域に貢献してまいります。

【今回のまとめ】
今回の記事、“歌津小太郎の『由来と沿革2014』”を書いていまして、大変に遅ればせながら、昭和50年(1975年)創業ということは、来年の2015年が有限会社橋本水産食品の創業40周年にあたることに気がつきました。同時に、もう過ぎてしまったのですが、昨年の2013年が“漁師歌津小太郎”というブランド名が誕生して20周年であったことに気がつきました。昨年春に新工場で再スタートしてからあまりに目の前のことでいっぱいいっぱいで、大事なことに気がつくのが遅かったことに反省しきりです。

津波で全てを失っても諦めずに再建する道を選んだ一番のきっかけは、仙台/藤崎に何度も足を運んで下さっていた“歌津小太郎ファン”のお客様からの復活を望む声を沢山頂いたことですが、結果として小さい会社ながらも大家族のような従業員のこの地での生活を守れたことを改めて感慨深く思い起こしました。

小太郎社長と母のあさ子が一念奮起して漁師自ら海の幸を加工して販売するという商売に踏み切った40年前。それから長い年月が経ちましたが、今も変わらず笑顔で調理場に向かい“漁師が食べている「うまいッ」”を作り続ける製造スタッフさんを見ますと、津波で失ったのは形のあるモノだけであって、歌津小太郎の味を作りだす“無形の生産資源”は全く失っていなかったと思えてきました。津波被害を受け、丸2年間のブランクを経たものの復活させることが出来た無形の「うまいッ」資源を50年目、60年目の歌津小太郎につなぎ続けていくべく、頑張りたいと思います。

引き続き皆さまの応援をよろしくお願いします!

記事担当: 千葉孝浩


2012年6月、元の歌津小太郎工場の場所で撮影した写真です。

津波で海の中にもガレキが沈みましたが、漁師さんが海中清掃を行い、豊かな海が戻ってきています。 千葉家は専業での漁師はやめましたが、この地に古くから住む既得権として地域の漁港周辺での“漁業権”を今でも持っています。そして今でも年に数回だけ、アワビ漁などで海に出ます。 (奥から小舟を操作する母のあさ子、オレンジ色のカッパを着た小太郎社長、アワビカギを使って海中うぃ覗き込んでいる私(孝浩)、写真を撮影しているのが弟・カオル。海での家族写真です。2013年12月撮影)



歌津/馬場中山地区の高台からは海から上がる太陽がキレイに見えます。豊かな海とこの風景――震災直後は、絶対にこの地での暮らしを諦めないと日の出に向かって何度も誓いました。(馬場中山カオル商店HP20141009)

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被災地からのレポート2014年10月3日 10:03

復活2年目~8月のまとめ報告と“9月”~なりわいの復興に向けての歩み

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。
 8月下旬から9月は全国各地で大雨の被害が報告されていますが、皆様の地域では大丈夫でしたでしょうか? 2011年に津波被害を受けました南三陸町/歌津・馬場中山地区の元の工場がありました場所は地盤沈下していることもあり一時的に冠水したところもありますが、幸いにも大きな被害はありませんでした。現在の工場があります管の浜(海岸線より1kmほど内陸)は被害を受けることなく通常業務を行っています。

9月初旬、波の荒い日の様子です。 馬場中山カオル商店HP20140903


さて、秋といえばサンマですが、歌津小太郎では『新物サンマ昆布巻』の季節となります!


写真は2011年9月のもの。アウトドア好きでテントで過ごすボランティアの方に歌津の漁師さんたちがサンマを差し入れたときのものです。こうやってワイルドに焼いて食べるのもオイシイです。 馬場中山地区HP20110918

本当は毎月11日前後の配信を目標にしていますが、今回の記事はすっかり遅くなってしまい、とうとう10月になってしまいましたので直近の歌津小太郎の活動報告は8月後半と9月前半の分をお伝えします。震災後の3年間の振り返りでは震災から半年を経過した9月くらいになりますとそれぞれの『なりわいの復興』に向けて取り組むようになりましたので、そういった話題に重点をおいてお伝えしたいと思います。このブログでは紹介しきれないほど沢山の出来事がありました。歌津小太郎だけでなく南三陸町/歌津・馬場中山地区での生活を絶対に諦めないと決め、それぞれの仕事・暮らしを粛々と取り戻していこうとする地域の皆さんの姿を、嬉しいことももちろんですが辛いことも含め、出来るだけありのままにお伝え出来ればと思います。


● 2014年8月(および9月前半)の歌津小太郎活動報告  ~今年もサンマが来てくれました~
 昨年は異常気象(海水温が高い)の影響でサンマの南下が遅くなりましたので、今年はどうなることかとやきもきしながら、8月後半から北海道でのサンマの水揚げのニュースに地元の漁師さん達の最新情報にとアンテナを張り巡らせていました。幸いにも今年のサンマは丸々と太って脂の乗りが良いとのことで昆布巻には最高の品質! そんなサンマの初荷が9月12日に届きました。サンマが届いたとなると製造スタッフも私も『新物サンマ昆布巻』の作業に集中します。

一本一本愛情を込めて巻きます。


そして、歌津小太郎秘伝の手法で味付けし、煮上げてパック詰めし完成!

9月下旬より仙台市内の老舗百貨店『藤崎』と南三陸町の『みなさん館』(歌津小太郎工場のお隣)で『新物サンマ昆布巻』販売をしております。出資者の皆様で、昨年のシーズン中に出資者特典発送期間の後に参加された皆様、そして追加出資の皆様には10月上旬から特典の発送をさせて頂きます。是非、是非、楽しみにしてお待ち下さい。

首都圏で歌津小太郎商品を扱って下さっています(株)加藤物産さんによる10月の販売は、小田急百貨店新宿店、伊勢丹浦和店を予定しています。詳しくは歌津小太郎ホームページの「販売会のお知らせ」をご覧下さい。
 ……しかし……誠に申し訳ないのですが、『新物サンマ昆布巻』は生産数量が限られる関係で首都圏での販売では扱っていない場合がほとんどです。旧・歌津小太郎工場の半分の規模の生産設備しかないという現状ゆえに看板商品さえも満足な数量を作れないというのが実情なのです。これまでにも加藤物産さんの販売スタッフから「昆布巻が欲しいという要望が来ている」と何度も報告を受けているのですが、対応できておらずに本当にゴメンナサイ! ただいま改善のための第二工場増設計画に入っておりますので、ご理解頂ければと思います。

また、順番が前後してしまいましたが、8月23日(土)に開催されました『はすだ市民祭り』での販売の様子も、後半の写真特集のほうで掲載していますのでご覧頂ければと思います。

●3年間の振り返り
2月のブログより、毎月ごとに3年間の同じ月は何をしていたか思い出して書き綴っています。 書き残しておくことで未来の自分達へのメッセージであったり、非日常的な体験をした私達の経験が今後の教訓につながったりなど、そういった出来事を皆様と共有できたらと思います。

歌津小太郎の旧工場及び千葉家の自宅のあった南三陸町(旧・歌津町)馬場中山地区は地域全体が壊滅的な津波被害を受け、どうにか津波を被らなかった公共施設・馬場中山生活センターという高台にある建物で200人が避難生活を送ることになりました。一階の天井まで津波を被った千葉家でしたが、6月中旬にはなんとか修復して住める状態になりましたので、避難所を出ることが出来ました。これまでの報告では7月には地域の全員が仮設住宅や元の家に戻るなどしまして、7月11日(震災の日からちょうど4ヶ月)の日に避難所の解散となりましたことをお伝えしました。バラバラとなった地域の人々がその後どうなっていったか、私たちのストーリーに是非じっくりお付き合いいただければと思います。

とある日、支援センターではボランティアさんが撮影してきた歌津中学校(旧・歌津町唯一の中学校)の運動会の映像と写真を見せて貰いました。この後、閉会時の映像で不意に流れてきた中学校の校歌を聞いて、地域の男性陣は涙ぐんでいました。  馬場中山HP20110905


☆ 2011年9月: それぞれのなりわいの復興に向けて
2011年9月の出来事を思い出すと、あまりにも沢山のことがあり、どのように整理しようかと悩ましく、それが今回の記事をなかなかアップできなかった理由の一つです。そんなわけで大変にごちゃ混ぜな状態でご紹介することをお許しください。

この頃の大きな出来事の一つが9月10日に我らが歌津/馬場中山地区の強力な応援団である“はすだ支援隊”の埼玉県蓮田市さんから直々にご招待いただき、我々の被災の状況からこれまでの半年の歩みをお話しする場を作っていただきました。題して、『どっこい生きる!!馬場・中山地区』――この“どっこい生きる”というキャッチフレーズと申しますか枕詞は、実は被災した当初、4月か5月頃にNHKさんが我々の孤立集落状態2週間という経験談をつぶさに取材した結果、ニュースで長めに取り上げてくださったときにつけられたタイトル、『孤立集落、どっこい生きる!』からきています。それ以来、追加取材を頂いて放映されるたびにこの“どっこい生きる!”という表現がよく使われました。

会場の蓮田市役所前です。こんなに立派な看板まで用意して頂きました。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110910



蓮田市の中野市長です。市長も我々のことを非常によく知ってくれています。


馬場中山地区から参りました4人です。大勢の前で話すことはないので緊張しています。


埼玉はすだ支援隊リーダーのトシさんの質問に答える形で進行します。


左から、私(千葉孝浩)、お隣がスリムで精悍な若手漁師のカズヒコさん


この写真の左より、震災の時が漁師3年目だったというヒデユキさん、そして右はしが弟の千葉馨です。


未来道の説明を航空写真で説明しています。どのように道が分断され、孤立集落となったか、航空写真での説明が一番わかりやすいです。未来道プロジェクトでは“はすだ支援隊”の方といっしょに汗を流しました。


こんな大きな会場いっぱいの参加者です。


漁師さんのお二人は馬場中山の漁師のなりわいについてお話させて頂きました。津波で多くの船が失われたこと、港の設備が破壊されたこと、あまりの津波の脅威にヒデユキさんは一時は海を見るのも辛かったといいます。


後半にはサプライズがありました! 漁師のカズヒコさんはいち早く新しい漁船を手に入れて、間もなく進水式のため、はすだ支援隊より大漁旗を頂きました。


みんなで記念撮影です。


この写真は……津波の波の引いた後、あちこちで煙が上がっている写真です。今見てもあのときの絶望感を思い出す悲しい写真の一つです。この写真をご覧いただいたのちに、会場のみなさんに黙とうをして頂きました。


多くのみなさんに我々の本当の状況を知っていただくことが出来ました。そして、遠くからも我々を気にかけて頂く沢山の『思い』を頂くことが出来ました。


会場の外では“はすだ支援隊”のみなさんが馬場中山地区で活動している様子を写真展示して下さっていました。



参加して下さった蓮田市の行政側の方々や一般市民の皆様にも直接、温かい言葉をかけて頂くことが出来ました。このときから馬場中山地区応援団は、蓮田市エリアの土木建設業のみなさんを中心にした約20人の“はすだ支援隊”から、人口62,000人の“拡大はすだ支援隊”になったように思います。

終了後、市役所の外に出たところでも参加者の方に声をかけて頂きました。若手漁師さん二人が説明をしています。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20110910

このように直接私たちの話を聞いていただく機会を得たことが、その後、年に3回(4月・8月・11月)の蓮田市でのイベントにお声がけ頂けるキッカケとなり、震災から3年半を経た現在も続いています。もちろん、つい先日の今年の8月23日のイベントにも沢山の蓮田市民にブースに立ち寄って頂きました。本当にありがたいことです。

[漁師達のなりわいの復興]
7月中には避難所が解散し、仮設住宅で暮らす人々は慣れない仮住まいながらも最低限の家財道具を一通り揃えますと、地域の皆さんはようやくそれぞれの家族単位で今後の暮らしをどう再建していくかを考えられるようになってきました。歌津/馬場中山地区の9割ほどは漁師さんですから、遠い仮設住宅のくじを引いてしまった方などは10kmも内陸から馬場地区・中山地区の漁港に通い、作業することになります。

これまでも漁師さん達は、漁協の管理下のもと、共同で漁場の清掃作業を行ってきました。9月に入りますと例年であればワカメ養殖の準備がスタートするのですが、3月の津波で大小合わせておよそ100隻あった船のうち、無傷だったのは3隻。あとは津波にさらわれてどこに行ったか皆目判らないものもあれば、小船に船外機がついたくらいのものは、多くは港の中に沈みました。ごくごく簡単な造りの船は、船体に傷がついていなければ、船外機を取り替えれば使えますから、極力、海から引き上げてなんとか使える船を増やしていきました。

7月のことでしたが、船外機を支援頂いたこともありました。我々のニーズをしっかりとらえた支援の品に漁師さん達が大感激した瞬間でした。 馬場中山地区HP20110704


船外機とはこのトラックに乗っている船でいいますと、船尾についているコレです。馬場中山地区HP20110704


8月にその概要に触れました「なじょにかなるさープロジェクト」は、まずは歌津/馬場中山地区の漁業の中心であるワカメ養殖をなんとか2014年シーズンに向けて復興させようということで、複数の支援団体が協力を申し出てくれてスタートしたものでした。プロジェクトに参加する漁師さんは主に4人。震災前まではそれぞれが良い意味でライバルとして、競い合っていた漁師仲間でした。ワカメ養殖の『仕込み』の始まりは10月です。ですから、何が何でも5トンという規模の養殖に使える船を1隻、9月中に手に入れたかったのでした。

8月にかすかな情報を頼りに訪れた北海道でなんとかその5トンの船を手に入れられる道筋が出来、各種の手続きを経て、いよいよ北海道から歌津へ船を回送します。こうして、手に入れた船は福が倍になって帰ってくるようにと『福福丸』と名付けられました。この福福丸関連の写真は、後半の特集写真のコーナーにまとめて掲載します。

北海道の港を出る直前の『福福丸』です。馬場中山地区HP20110910


[ガレキ除去×未来道プロジェクト]
8月にはほぼ完成した未来道ですが、2011年も9月に入って雨が降ったりやんだりという日が続きました。最低限の出来る範囲でルート全体に砂利を敷き詰めた未来道は、少しの雨でもぬかるんで水がたまったままのところがところどころ出来ます。しかし、まだまだ物資が乏しい中、行政の力を借りずに地域住民で作った未来道には充分な砂利を敷き詰めるお金がありません。にわか工事の避難道としてはこれで充分かと思っていたのですが、そこにまたプロの助言が届きました。

 「砂利は買わなくても良い。地域のアチコチにころがる大型コンクリート片を砕いて敷き詰めれば良いのだ」と――。歌津/馬場中山地区にこれまでにも沢山の支援物資を提供してくれた福井県・大野市の建設業組合の名物社長の一人、石塚さんは説明をするよりも早く、コンクリートクラッシャーをトレーラーで運んできてくださいました。

9月4日朝、2台の輸送車に乗せられてコンクリートクラッシャーがやってきました。馬場中山地区HP20110904

石塚さんのすごいところはスピードです。私たち地域のものが困ってマゴマゴしているうちに、石塚さんが経験を持っていて大得意とするところは、驚くべき速さでスマートにプロジェクトを前進させてくれることでした。そんな強力な支援のおかげで、地域のあちらこちらに転がるコンクリート片を片付けると同時に、未来道に敷き詰める砂利が出来ていったのでした。後から道路建設のプロにきくと、平常時であれば建設資材として売っている砂利を買ったほうが安かったのだと言います。しかし、いずれにしてもどこかにどかして処理しなければならない、堤防の残骸などと大きなコンクリート片をこのように処理することが出来たのは、未来道の砂利確保とコンクリート処理の一石二鳥どころではなく、塞ぎがちなあの時期に共同作業に没頭できた喜びと、その目に見える効果を加えると三鳥も四鳥も得られた、それが「未来道プロジェクト」の後半戦でした。


大きな塊だったコンクリート片をあっというまに砕きます。後半の写真特集で、砕くまでの工程をご紹介します。馬場中山地区HP20110904

[地域の伝統行事と生活]
9月といえばお彼岸です。私たちの地域は漁師町ということが強い理由だと思いますが、やはり昔から操業中の事故で命を落とす人が少なくなかったので、お彼岸の地域行事が根強く残っています。彼岸の中日は女性たちの行事として『お念仏』を行います。後半の特集写真のコーナーではそういった地域行事の写真なども取り上げてみました。


☆ 2012年9月: 震災から1年半――事業再開に向けてスタッフミーティングを開催しました!
震災から1年半を経過した頃は、陸上のガレキは片づけられていましたが、まだ護岸の改修にまでは手がつけられていませんでした。秋は台風の襲来で海が荒れる日が増えます。


2012年9月撮影の海岸線の様子です。多くの海岸線は大きな土嚢で応急補修をしているだけという状況です。歌津小太郎HP20120915



波が高い時の入江の様子です。台風のときはこんなものではありません。歌津小太郎HP20120915


そんな地域の状況ではありましたが、2012年9月14日、歌津小太郎再開に向けて大きな節目がありました。10月より南三陸直売所「みなさん館」のオープンに伴い、そのなかのレンタル工房をお借りして歌津小太郎の商品を作ることが出来るめどがたったことをお伝えするため、再び元従業員のみなさんに集まって貰いました。




レンタル工房の図面と見ています。元の工場の1割くらいの規模での再スタートです。


歌津小太郎再スタートのメンバーです。歌津小太郎HP20120915


震災前の従業員数が13名でしたが、それぞれの事情で歌津の地を離れてしまった方もいらっしゃいます。 家族同様で長年いっしょに働いてきたメンバーの数人はこの場に集まれなかったのですが、いつかまた環境が変化し一堂に介することが出来るように、少しずつ歌津小太郎を震災前以上に盛り上げていこう、そう誓った日でした。


☆ 2013年9月:  3年ぶり、『さんま昆布巻』の復活に涙
2013年4月には歌津小太郎新工場が再開できましたが、原材料が揃わず看板商品の『さんま昆布巻』を作れずにいました。9月になりますと、初物のさんまを使って『さんま昆布巻』のフル生産体制に入れるのですが、2013年は肝心のさんまがなかなか来てくれませんでした。鵜の助さんの最高品質の昆布を用意して準備万端の体制で臨んでいたのに! 海水温が高い状態が続き、さんまが南下してくるのが遅くなったのです。
この間、仙台・藤崎/歌津小太郎売り場では、うまいものの時期を知っている常連のお客様が「昆布巻はまだ…?」と何人もやってきました。ここに来て看板商品である昆布巻をさらにお待たせすることになるとは…。
最終的には計画よりも3週間ほど遅れて、9月下旬からさんまの昆布巻作りに取りかかりました。藤崎に訪れる歌津小太郎ファン(特に昆布巻ファン)のお客様たちには、9月の終わり頃ようやく昆布巻をお届けすることが出来ました!
  「この味を待っていたのよぉ!」
お客様のお声を頂き、ようやく歌津小太郎復活の第一段階をクリア出来たように思い、同時に涙が溢れてきました。製造を担うベテラン従業員さん達も、長年培った自分たちの技術が、まだまださびれていないことを確認できて、ほっと一安心といった感じでもありました。

写真は2012年12月の仙台/藤崎の歌津小太郎売り場です。『昆布巻』が復活してようやく歌津小太郎らしくなってきました。 被災地からのレポート20130121


● 2014年9月~10月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
9月下旬から三陸沖では漁船漁業に携わる漁師さん達による秋サケ漁が漁期に入り、南三陸町志津川市場は秋の味覚の訪れで、震災前と変わらぬ賑わいを取り戻しています。歌津小太郎でもこの秋サケを使った『さけ昆布巻』も『さんま昆布巻』同様、新物の時期を迎え、工場スタッフの生産体制も連日フル稼働の状況です。皆さんご存知のようにサケは3年をかけて自分の生まれた川に戻ってくる習性があります。3年前と言えば震災の年にあたりますので、サケが順調に水揚げできるのかと、漁師の皆さんは不安の中での操業を今年は強いられています。3年半を過ぎた今なお、震災の爪痕が漁業にも大きく残っているのだと思うと、改めてこの災害の大きさを思い知るところでもあります。




20141002撮影 脂の乗ったサケが今日は大漁です。




20141002撮影 1匹が8kgを超える大物を漁師のお母さんたちの熟練の技でさばきます。

歌津小太郎では10月下旬より仙台藤崎百貨店と南三陸直売所みなさん館にて『新物さけ昆布巻』が店頭に並び始めます。『さんま昆布巻』共々、今後控えるお歳暮商戦、年末商戦には欠かせない商品として万全の態勢で臨みたいと思います。

<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂ければ今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

今回の教訓ですが、2011年9月10日に蓮田市でお話をさせていただいたことが、参加した4人にとってはちょうど『合宿』のような効果があったように思います。合宿のイメージは学生の頃の部活などで泊まりがけでトレーニングに行くといったことに代表されると思いますが、とにかく普段と環境を変えた一泊二日の時間というのは大変に多くの貴重な体験となって印象に残ります。

2011年3月11日のあの日から、私自身の生活の多くは歌津と仙台を往復し物資の調達を、そしてこの頃、9月になってからは歌津小太郎の再建に向けての相談で地方事務所のある気仙沼市へと、この3ヶ所以外に行くことはほとんどないという生活でした。他の3人は歌津から出ることもほとんどなかったと思います。そんな4人がガレキだらけの宮城県沿岸部を出て他県の『本当に日常の風景』の場所に行きますと、別世界に降り立ったような感覚というか、いやいやこれが普通の状態なのだと再認識するというか、長い道中で同行したメンバーととりとめのない話をしたり、数年先の歌津のことを話し合ったりなど、とにかくいろんな話をしました。

蓮田市での夜の部では、今回のブログに写真は掲載しませんでしたが、はすだ支援隊のみなさんと遅くまで語り合いました。その時に語り合ったことが3年を経て実現できていること、まだ未完のことなど様々ですが、あの合宿的な経験があったからこそ、その後、進みが早まったことが沢山ありました。年代は近くとも経験値・分野が大きく異なる土木建設業の“はすだ支援隊”のみなさん達は、とにかくいろんな悩みに直面する我々を第三者の視点で導いてくれる『良きコーチ』でした。物事の節目節目でのこうした合宿的経験を良きコーチを迎えて行うのは、何か停滞したような場面で大変に重要だと感じました。

2011年9月はこの他にももっと沢山の出来事がありましたがあまりに長くなるので、多くの重要場面を割愛してしまいました。またの機会に再び振り返ってご紹介したいと考えております。ここまでおつきあい頂きありがとうございました!

記事担当 千葉孝浩


■□■□■今月の特集写真コーナー「なりわいの復興に向けて歩む」■□■□■□■□■□
いつも後半に特集写真のコーナーを設けています。「なりわいの復興に向けて歩む」と題しまして、2011年9月の地域の皆さんの姿とそれを支えて下さる強力な支援者の方をご紹介したいと思います。写真素材は全て、馬場中山地区ホームページ(歌津小太郎第三の男・カオルが運営)の中でご紹介したものを再掲載しています。今回は、地域の者にとっては当たり前の姿の地域の行事の様子も取り上げてみました。

[1.わかめ養殖の復活を目指した“なじょにかなるさープロジェクト”編] まずは地域の漁師さん達の9月頃の日常の様子です。


もちろん、震災前は個々のお宅で車を持っていましたが、まだ、このころは全員が車の調達が出来ていたわけではないため、こんな風に集合します。これが津波被害沿岸部のあちこちでの日常だったと思います。ここからの写真は、馬場中山HP20110909


中山地区の海岸の休憩所です。あのはすだ支援隊の作品です。手前は万能選手の『暖助』。暖も取れるし煮炊きに焼き物も出来る薪ストーブです。馬場中山HP20110909


9月30日、この日の作業は――  馬場中山HP20110930


自分達で出来ることは自分達でやります! 自ら漁港の船着き場にセメントを埋めていました。






船着き場作業の後、一旦、大きな仕事が終わった打ち上げで、バーベキューをしました。 避難所生活以来、こうした外での食事の手際が早くなっています。 ここまで、馬場中山HP20110930



ここからが『なじょにかなるさープロジェクト』のメンバー、船を取りに行く写真です。

出発の日、9月9日です。馬場中山地区HP20110909




仙台のフェリー乗り場まで送って行きました。ここまで、馬場中山地区HP20110909


9月10日、これが『福福丸』です。  馬場中山地区HP20110910


天候の見込みを考慮すると、すぐの出港が最良ということで、歌津に向けて港を出ました。


北海道の島影が遠くなっていきます。 ここまで、馬場中山地区HP20110910



『福福丸』を回航中の漁師さん達から、携帯がつながるタイミングで写真が届きます。津軽海峡は一日で越えられました。馬場中山地区HP20110911


海峡を越えたころから海が荒れ始め、こんな写真も届きました。馬場中山地区HP20110911


早朝に港に立ち寄ると、いました!『福福丸』です。 馬場中山地区HP20110913

近くでみるとこんな感じです。養殖作業で活躍するクレーンがついています。


船上はこんなかんじです。


北海道から帰ってきた漁師さん達がくつろいでいます。みなさんには判りにくいことかもしれませんが、沿岸漁師さんは船の操縦免許は持っていても、いつもは見慣れた山影の見える沿岸海域で操業するだけ。「航海」という経験は全くなかったので、この4日間の津軽海峡越えの航海は大冒険だったのでした。 馬場中山地区HP20110913


[2.未来道プロジェクト編]

9月4日、早朝にすごいものが届きました。またまたこの方の登場。福井県大野市の石塚さんです。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110904

届けられたものは、想像をはるかに超えるすごいものでした。

本当に大きいです。一般道をよく通れたなと驚きます。


左手奥にコンクリートクラッシャー、そして砕いたコンクリート片をコンベアで持ち上げて、トラックの荷台に直接落とし込むのが手前の部分です。


あっという間に位置決めして設置していきます。

コンクリートクラッシャーの試運転用にコンクリート片を運びこみました。


判りにくいですが、コンクリートクラッシャーの投入口を覗き込んで試運転準備中です。


砕かれたコンクリートが出てきました。









コンクリートクラッシャーを運んできたのは、超低床トレーラーという特殊車両です。荷台部分は地上から50cmくらい。背の高い設備を運ぶ専用車です。役目を終えると颯爽と帰っていきました。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20140904


まとまった量のコンクリートガレキ製の砂利が出来上がったところで、未来道への砂利敷き作業を再開しました。 馬場中山地区HP20110912


8月の作業では道の中心部に砂利を敷いたので、今回追加する砂利は道の崖側を補強するように敷きます。中央で後ろ姿を見せているのが私(孝浩)です。


重機できれいにならしています。オペレーターさんが器用です。


[3.地域の生活と伝統行事編]
ある日の夜、高台への集団移転についてのお話を聞くための集会がありました。

南三陸町全体に共通するお話です。ここからの写真は、馬場中山地区HP20110904

場所は、馬場中山生活センター(避難所だったところ)です。

お話はすばらしい歌津をつくる協議会会長さんからでした。話し合いは夜遅くまで続きました。ここまでの写真は、馬場中山地区HP20110904

ここからは地域の行事の様子です。

9月23日、彼岸の中日ということで馬場地区の女性陣が『お念仏』を行っていました。馬場中山地区HP20110923


大きなお地蔵様を正面にして、

輪になって座り、綱をつかんでいます。

久しぶりに地域の女性たちがこれだけの人数集まります。ご先祖様を思い、そしてこの地の再建を見守って欲しい、そんな願いを込めて祈り、念仏を唱えます。ここまで、馬場中山地区HP20110923

次の話題は『苗プロジェクト』

こちらは別の日です。苗プロジェクトの蛯名さんがいらして、今後の苗プロジェクトの運営方法に関して話し合いを提案しています。話し合いの場は支援センター(旧・第二避難所)です。馬場中山地区HP20110904


蛯名さんです。苗プロジェクトを立ち上げたときの個人としても思い、そしてそれに賛同して下さった有志の方々の思いを伝えています。苗プロジェクトを資金面で支援しているのは、神戸を中心に阪神淡路大震災で全国の人にお世話になったからその恩を『恩送り』という形で返したい――そういった関西エリアの個人の方や中小企業経営者の方が多いのだということでした。


仙台市の沼田種苗さん(中央)です。沼田種苗さんは、仙台市内沿岸部で農家を営んでいた多くの顧客が津波の塩害でしばらく耕作できなくなってしまったのだそうです。野菜の苗を生産する農家さんたちは仙台の内陸部が多かったので被害を受けていませんが、野菜苗を作っても売り先がない、そういった状況だったのでした。








ざっと数えて20人ほどの女性達が苗プロジェクトの話し合いに集まりました。話し合いの論点は、いかに公平にルールを決めて堆肥を分配するかです。苗に関しては希望数をとりまとめ役が聞いて、苗プロジェクト運営者にお伝えしていましたが、堆肥は早いもの順で好きなだけ持っていくということで、これまでルールがなかったのです。それぞれの畑の規模がバラバラですし、全員が避難所にいた6月の頃と違い、近くの元の家に住む者と遠い仮設に住む者では苗プロジェクトの堆肥分配の情報が届くにも情報格差があります。重たい堆肥を運ぶにも、高齢で車を運転できないおばあさんも多くいます。話し合いは当事者である女性たちで行って貰いました。


苗プロジェクトの運営をしているみなさんの集合写真です。左から苗屋さんの二人、有機農家さん、堆肥を作るお二人、とそれぞれ青空の下で汗を流すことが多く、いっぺんに集まることはめったにないそうです。女性たちの話し合いがまとまり、支援する側と支援を受ける側とで今後もうまく運営できそうです。


トラック満載の苗です。


堆肥も荷降ろしします。

秋に植えるものといえば、白菜です。(箱はレタスですが…)


早速、植えつけます。
ざっと数えて20人ほどの女性達が苗プロジェクトの話し合いに集まりました。遠くの避難所にいて参加できなかった人も含めると、約60名(60軒)ほどが苗プロジェクトの苗と堆肥を活用して、自給用の野菜を作っています。 ここまでの写真は、馬場中山HP20110904


[4.今年(2014年)の8月23日 はすだ市民祭り編]  



今回は歌津から漁師の佐々木英幸さんが助っ人で参加してくれました。(真ん中のピンクのタオルを首に巻いたのが佐々木くんです)




今年で3年目ですので、はすだ支援隊との役割分担もきっちり…息もピッタリです!!


夕方4時 最後のお客様は蓮田市の郵便局員さんでした…ありがとうございます。




完売御礼…みんな集まってバンザーイでイベントを締めくくりました。

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被災地からのレポート2014年9月22日 11:29

秋です!『初物さんま昆布巻』はじめました~!!!

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の渡邊です。今回は歌津と100km離れた仙台をめまぐるしく行き来する専務の千葉に代わりまして、普段は製造と事務を担当しております私がご報告いたします。

9月に入りましてこちらはめっきり涼しくなり秋の景色となりました。“秋”といえばサンマです! 歌津小太郎では9月12日に今シーズン初となるサンマが到着しました。サンマが届いたとなると我々製造スタッフは小太郎夫人のあさ子さんを筆頭に臨戦態勢に入ります。そうです!絶大なファンの方がいらっしゃる『新物さんま昆布巻』作りがいよいよ始まるのです。   


取れたてのさんま登場!


昨年は海水温が高かった影響でサンマの南下が遅くなったために9月の後半まで皆さんをお待たせし、そのままお歳暮商戦に突入しましたので、てんやわんやの状態でしたが、今年は昨年よりも10日ほど早く取りかかることが出来ました。正直、ほっとしております。


サンマの昆布巻作りは他の商品に比べ手間がかかりますので、昆布巻きを作る日は朝から製造メンバー全員が昆布巻だけを作ります。いつもいつも丁寧に作ってはいますが、特にこの『初物』を作るときには、新鮮なサンマの柔らかな身を傷つけないようわが子に衣を着せるような気持ちで昆布を巻きます。

一本一本愛情を込めて・・・


みんなで作り上げていきます。

この後は歌津小太郎秘伝の調理方法で時間をかけてゆっくり煮まして、夕方に完成となります。 そんな風に作りました昆布巻の仕上がり具合を早速味見しました。 今年は昆布の質感が冬場の積雪量の影響で例年に比べ若干柔らかいため、多少の微調整が必要となりましたが、その辺は熟練スタッフの特殊技術で納得の出来栄えに仕上がりました。昨年よりもトロっとした食感でサンマの旨みがギッシリ詰まった昆布巻に満足度120%です!!


こちらは、煮あがった状態の昆布巻です。

というわけで今シーズンの『新物さんま昆布巻』のご用意が整いました! 9月23日(火)より仙台市内の老舗百貨店『藤崎』と南三陸町の『みなさん館』(歌津小太郎工場のお隣)で販売をしております。皆様、是非いらしてください。


最後に、
“今の時期のサンマは丸々と太って、脂の乗りがなんだもね~(脂の乗りは文句のつけようのない出来だ~)”


スタッフみんなで、『新物さんま昆布巻、食べてけさい~ん。』



記事担当: 渡邊@製造兼事務担当

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