百年の森を育てる - ニュース - インタビュー・メッセージ
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インタビュー・メッセージ2013年1月21日 19:20
トビムシ&森の学校 牧大介氏インタビュー 販路の拡大に取り組んだ4年目
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軌道に乗る株式会社西粟倉・森の学校を通じた販売
Q. まず西粟倉村共有の森ファンドの根幹である間伐に関して、うまくいっている部分やうまくいっていない部分も含めて、進捗状況を教えていただけますか。
A. うまくいっている部分と足踏み状態の部分と両方があります。
うまくいっている部分としては、山から出てきた間伐材の販売面での管理ができるようになってきました。具体的には、森林組合は出荷量の6割くらいを合板メーカーに販売し、残り4割くらいを共有の森ファンドの営業者である株式会社トビムシの子会社である株式会社西粟倉・森の学校(以下、森の学校)に販売しています。どうしても森の学校が商品化するには難しいサイズや曲がり具合というのがあるので、そうした間伐材が合板メーカーに販売されています。
原木市場の価格が全国的に大暴落していますが、原木市場を通さずに森の学校または合板メーカーに直接行きますので、原木市場の影響をうけないように流通させられるようになってきました。
Q. 足踏み状態の部分というのは、具体的にはどういうところですか。
A. 間伐の面積が思ったようには伸びていないところです。「百年の森林構想」に関与していただける村民の方が増えてきたので、面積自体は増えています。
一方で、森林組合に退職者が出てチーム編成が変わったことなどもあり、少し足踏み状態です。早期に体制を立て直して、雪が解けて間伐が再開する2013年春ごろには、目標とする300ヘクタールに近づけていきたいです。さらに、できるだけいい条件で間伐材を買って販売していくことで、森林組合で働いている方がたに安心して働いていただけるような場作りに貢献していきたいと考えています。
進む住宅メーカーとの連携も
Q. やはり現状の課題でいうと、間伐材を高く売るというところなのですね。
A. そうですね。森の学校が設立されてから3年が経過して、ようやく、安定して、かつ、いい値段で買ってくださるお客様の開拓ができつつあります。具体的には、いま岡山市内や大阪、広島、神奈川などの住宅メーカーと連携を進めています。こうした住宅メーカーの一社から森の学校へ、2012年12月末に出資していただけることも決まりました。
こうした住宅メーカーは、各地域でトップのシェアをもっていらっしゃり、それぞれ年間数十棟を建築されています。床材に加えて内装材なども、注文していただけるようになりました。森の学校は、工場設備にだいぶ投資をしていますし、人件費や水道光熱費など、毎月の固定費を回収できるようにすることは重要な経営課題でしたが、毎月、安定して一定量の発注をいただけるお客様が見つかってきたことで、ひと安心しています。Q. ここに来て、そうした住宅メーカーが増えてきた原因というのは何かあるのですか。
A. まず森の学校が3年前に設立された実績のない企業でしたので、プロの方には相手にしてもらえませんでした。ですので、個人の一般消費者向けの商品の販売を、当初は中心に行っていました。認知度が向上し、技術レベルも上がってきたなか、プロの人から見ても、質のよい材料を出す企業として見ていただけるようになってきたというところだと思います。
Q. 取引の始まった住宅メーカーというのは、元々、国産材を使っていたのですか。それとも、外材だったのですか。
A. 両方ありますね。外材を使っていたのを、全部、国産材に切り替えるにあたって、森の学校を選んでくださった方もいます。他の産地から買っていたのを、森の学校に切り替えていただいこともあります。
ファンドのことも含めて、いろんな人が応援してくれてがんばっている林業地ということで、住宅メーカーも、お客様に「こういう地域の材料を使っているんです」と説明しやすいというところがあると思います。
ストーリーだけではなく、価格も、それほど高くはなく買っていただける値段に合わせていくという努力もしています。価格面、品質面の両面で勝負できるようになってきています。林業業界は、まだまだ昔ながらの商慣習が残っていますので、通常ですと、あいだに製品市場や問屋が入って、都度、手数料が必要になります。
一方で、森の学校の場合、丸太から製品にして直接、住宅メーカーに卸します。そのため、森の学校にとって、そこそこの価格で販売したとしても、住宅メーカーにとっては、それほど高くありません。
いま地域密着型で、特定された商圏のなかで高いシェアをとっているという住宅メーカーというのは、年間数十棟くらいの規模です。そういう規模の会社に、ストーリーもあって、品質や価格の面でも、競争力をもてるようになってきた森の学校は非常にいいパートナーになれるのではないかと考えています。販路が拡大するユカハリ パタゴニアの京都店舗などでは西粟倉の間伐で店舗設営
Q. 販売先として、具体的に住宅メーカーとの連携が進んでいるというのは、とてもいいですね。ユカハリファンドでターゲットとしているオフィスなどへの営業はいかがですか。
ユカハリ・タイルについては、ホームセンターなどでも取引が始まる予定です。これまではインターネットでの販売が中心でしたが、今後はインターネットを見ない人へも販売できるようになるのは非常に大きいです。インテリアシップや雑貨ショップなどでも取り扱ってもらえるよう販売チャンネルの開拓も行っていきます。
また、最近では、パタゴニアの京都店やらでぃっしゅぼーや株式会社でもユカハリなど、西粟倉の間伐材を利用してもらえるようになってきました。パタゴニアは、新規出店や既存店の改装の際に、西粟倉の木材を入れてくださる予定です。Q. オフィスや企業での利用が広がると信頼性の向上にもつながりますね。オフィスビル等で一定割合の国産材を利用するよう促している港区での成果はいかがですか。
A. いくつか進んでいる話はありますが、残念ながら、当初想定したよりは時間がかかりそうだなという印象を持っています。一つは、港区自体がビル本体部分でどれくらい木材を使うかというところに注目していることが理由です。内装は、オフィスビルに入居するテナントが決めることが多いので、港区が内装を管理することが難しいという現状があります。そこで、コンクリートにおが粉を混ぜるなどをしているようです。
一方で、もう少し時間がかかりそうだと思っていた住宅向けの方が早いペースで成長しているので、住宅向けをしっかり対応していくことを優先しながら、オフィス向けの販売を徐々に伸ばしていきたいと考えています。4月からは新たに地域の高校卒業生を1人採用予定
Q. 最後に、森の学校の今期の売上げの見込みを教えていただけますか。
A. 1億2千万くらいになりそうです。昨年より20%ほど伸びました。
一般の個人の方を中心に販売していくことから、住宅メーカーへの販売と拡大してきたなかで、少しずつ結果が見えてきました。来年は単年度黒字にもっていきたいと考えていますし、そのためには平均2,000万/月の売上を達成していくことが必要です。
また、住宅メーカーとの連携が進むと、既存の設備では生産量が頭打ちになってしまいます。そこで、来年の4月には新人を入れて作業時間を増やしたりすることで、生産量を拡大していきたいと考えています。 -
インタビュー・メッセージ2011年1月7日 00:00
成果をみんなで分かち合えるよう、最後までやり切る
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「100年の森林構想」開始3年で、人口1600人の村に60人の雇用を創出
Q. 最初に、トビムシの役員でもある牧さんが代表を務めていらっしゃる「森の学校」の役割と事業の進捗状況を教えていただけますか。
A. トビムシが株主となっている森の学校の主たる役割は、山で伐られた木材を、地域のなかで加工して付加価値をつけて販売していくことです。
[トビムシ 取締役 牧大介氏]
トビムシや森の学校が関わるようになって、2008年時点で年間50ヘクタールしかなかった間伐の面積が、年間300ヘクタールと6倍に増えました。ファンドメンバーの力で機械も入って動き出していますので、50~60立方メートル/日くらいの間伐材が出てきています。おおよその目安で、40~50年の間伐材を4~5本で1立方メートルですので約200本/日、ちなみに、太さでいいますと、だいたい20センチメートルくらいと、建築用の柱になるかどうかという材です。
「100年の森林構想」というものを2008年から地域で実施しているなかで、関連する事業も含め、だいたい60名くらいの雇用を生み出しています。森林組合では3年のあいだに20名強、加工に携わる人も、ワリバシ事業も含めて30名以上増えてきています。既存の雇用を守っていくというところにも寄与していますし、新しく外部から雇った人もいます。
移住者は、家族も含めると、40名程度です。西粟倉村の人口は1600名ですので、40名という数字は大きいのではないかと思います。小学校の1学年の生徒数がどんどん減っているなかで、子どもを連れて移住してきているので、1学年10人くらいを維持できています。これから結婚する若い人たちも来ているので、結婚して子どもが増えていくのではないかと期待しています。
販売について言うと、「DAIKプロジェクト」では、現在は、サンプル商品を作成しているので、来年からは本格的に市場に出せるのではないかと考えています。まずはニシアワーのウェブサイトとトビムシのバイテンで販売することを検討しています。
商品のコンセプトは、「西粟倉の時間」というものをお客さんと共有していきたいということです。時間をかけて森をつくって、そこから出てくる木を長くお客さんに使っていただくなかで、森とお客さんの関係がつくられ、熟成した味わいが生まれればと思っています。西粟倉の時間とお客様の時間を重ね合わされていくといいですね。
森や自然を守りながら、人の生活を成り立たせる
Q. 森の学校、トビムシ、森林組合、行政が連携されることで、事業は順調に進まれているのですね。そもそも、親会社であるアミタホールディングス株式会社を含めて、どのような経緯で、今回のような取組が始まったのですか。また、牧さんご自身が、こうした分野に身を投じられることになった経緯を教えていただけますか。
A. 私自身は、何となく自然とか生き物に関心がありましたので、そういう分野について学べる農学部林学科に入学しました。「森や自然を守っていかないと」という気持ちはもっていましたが、そこには同時に人がいるので、「人の生活も成り立っていかないと」ということに学生になって、ようやく分かりました。自然だけの研究をやっていても解決できないし、自然も守れないし、人の暮らしも、社会も守っていけないということがわかってきたんです。
[小口所有されている林地が集約化された箇所の施業の進捗状況]
森と人のつながりを再生させていく取り組みをしていきたいと、最初は、シンクタンクに入社しました。林業に関係するコンサルティングなどをしていたのですが、いい提案をしたとしても実行されないと意味がありません。そこで、ある程度リスクをとって、自分で事業をつくって、最後までしっかりやり切れるような仕事のスタイルをとりたいなということで試行錯誤していたときに、アミタと出会い、2005年に転職しました。
総務省の「地域再生マネージャー事業」というものがあって、西粟倉の地域事業に総務省から派遣されるというかたちで、アミタと西粟倉は、2004年からお付き合いが始まりました。この2004年は、西粟倉が美作市に入らない、自立していくということを決断した年でもあります。
この3年間のプロジェクトで、最後の年には「木薫」という会社を立ち上げることができました。森作りから最終製品作りまで、西粟倉の森とお客様をつなぐところまで踏み込んでいかないといけないと、若い人たちが決心して覚悟を決めて始めた会社です。そこで掲げられた「100年の森林構想」という旗を村全体に拡大していこう、村全体の森を蘇らせてたくさんのお客様と森をつないでいこうと、そういう挑戦を始めていこうという大きな展開が2008年から始まることになりました。
私自身、何とか成功させるべく、サポートをしっかりしていきたいということがあって、2008年末から専従として仕事をさせていただけるということになって、トビムシという会社を2009年に立ち上げました。
期待して見守ってくださるファンドメンバーがいるから、村は応えようとがんばれる
Q. 2004年から約6年が経過しているわけですが、いろいろな課題があると思います。どのような課題があるかを教えていただけますか。特に地域の方たちの関係作りは、苦労されることが多いと推測するのですが、いかがでしょうか。
A. 地域の人たちとの問題はないことはないです。それは当然のことだと思います。けれども、地域のなかにも、応援してくださる方もたくさんいらっしゃいます。「よくわかんないな」と疑心暗鬼になられる方もいないわけではありません。そうしたなかで、誰かが何かをしていかなければならないので、応援してくださる方が大変だと思います。
[ファンドメンバーと西粟倉村民との交流]
ファンドメンバーの方が西粟倉に来ていただいて、村の方と一緒に交流会をやったりするなかで、「こんなに村のことを応援してくれる人がいるんだから、応えていかないと」と、私自身も、森林組合長、現場で作業をしておられる方々も思っています。お金を払って来られるわけですから、われわれが「がんばりましょう」と言うよりも、精神的な支えになっています。いろいろな課題があるなかで、そういう人たちがいることで、難しいことだけど頑張ろうと思えます。
期待して見守ってくださっている方がいて、村は期待に応えようとしています。これまでは交付金を使っていくことだけでした。たとえば、村は過疎債というものを使うことができました。これは1億円起債すると、6000万くらいは交付金でチャラになるという、プレッシャーのかからない国からのお金です。
地域には、きちんと価値を生み出して、お金を出してくださる人から価値の対価としてお金をいただくということはあまりありません。ビジネスをやっている人であれば、喜んでくださるお客さんがいないとお金が儲からないのは当然ですが、地域では、そうではないことが当たり前です。
ある意味、村が始めた事業の資金の一部を民間から投資というかたちで、しかも小口でたくさんの人に出資してもらうのは、村でも「恐ろしいことだ」と、「ものすごい責任を負うことだ」と、「国からもらう方がいくらか気持ちが楽だ」という議論もあったくらいです。でも、あえて、そこに踏み込まなければいけないと村サイドにも思ってもらえたのだと思います。
実際、村の将来に期待してくれる人たちとお酒を飲むなかで、「何とかこの人たちの期待に応えていかなきゃいけない」と思うことは、今までよりも元気になるんですね。顔の見えないお金が地域に降ってきて、ただそのなかでお金を消化するように仕事をしてきた人たちが、自分たちがいい仕事をすることで、この人たちが喜んでくれると思うようになります。
一生懸命いい仕事をすれば都会の応援団の方々も喜んでいただけて、それが嬉しい、そういう気持ちでできるというのが日本の田舎でちゃんとできている。しかも一部ではなく、村全体の取組のなかでできているのは非常に大きいんじゃないかと思います。本当の意味での村の自立、精神的な意味での自立というのも、そこから始まるんじゃないかなと思っています。西粟倉は、共有の森ファンドというものを導入するなかで、一歩、前に進み出すことができたんじゃないかなと思います。
10年後の成果をみんなで分かち合えるよう、やり切る
Q. 「西粟倉村共有の森ファンド2009・2010」の契約期間は2019年6月30日までと、昨年から考えると10年間と長期間にわたるファンドです。ファンドが終わったときのイメージを教えていただけますか。
A. 「ファンドのメンバーになって、10年間、応援していてよかったな」と五感で感じていただけるような状態にもっていきたいと考えています。
[ファンドメンバーが現地ツアーで訪れたときに提供される鹿肉や野菜など、森の恵み]
今は間伐を何とか効率よくやろうというところをやっているのですが、10年間やると、地域全体の森が蘇ってきて、本当に自然が回復してきているんじゃないかと思います。森が再生されていくなかで、山菜や魚が戻り始めているところだと思います。商品作りも進んでいると思いますし、素敵な宿が生まれていると思います。
そういうなかで、人もたくさん集まってきていたり、いま集まっている人たちも家族をもって子どもも生まれたりしているんじゃないかと思います。活気がって、誰かのためにがんばろうと思えている人たちがたくさん集まっている、そういう空気が伝わる場所になっているんじゃないかなと思います。
今の状態を見ていただいている方にしか、10年間でこれだけ変わったねということを確認していただけないので、ファンドメンバーの方には、今のうちに、1回、来ていただきたいですね。何回か来ていただいている方からは、来るたびに「変わった」と言っていただけていますので、変化を楽しんで欲しい。10年後の成果を、ファンドの皆さんと分かち合えるようにやり切りたいと思います。
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西粟倉村共有の森ファンドの詳細はこちら:
https://www.securite.jp/fund/detail/145
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インタビュー・メッセージ2011年1月6日 00:00
林業の再生なくして地域の再生はない トビムシ 竹本代表取締役インタビュー
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事業リスクをとって、「やれることをやれるやり方でやる」ことを決意
Q. 最初に、コンサルタント的な役割を果たされていた竹本さんやトビムシの他のメンバーの方々が、トビムシをつくられ、自ら事業リスクを取られる主体になられた経緯を教えていただけますか。
[トビムシ 代表取締役 竹本吉輝氏]
A. 私自身のことでいうと、もともとの専門は行政法だったんです。生まれ育ったのが横浜の鶴見という京浜工業地帯のド真ん中で、公害や健康被害が少なくなかった。そのため、隣町の、やはり公害に苦しんでいた川崎などを中心に、市民運動などが盛んでした。そういう町で育ったので、地域の特殊事情を汲んだ固有のルールをどうやって地域自ら決めていけるのか、ということに漠然と関心をもつようになりました。
そうした地域独自のルール化が必要とされ、ケースが増えていっているのが環境公害分野だったんですね。だから、行政法のなかの環境公害分野に関心があった。よく勘違いされるのですが、環境問題に関心があったから現在のようなキャリアを歩んでいる、というわけではないんです。地域独自のルール化、その法律論に関心があって、たまたま環境公害分野をやり、その研究過程において公害や環境問題を引き起こす社会背景に触れ、環境問題が大変だということに、どんどん引っ張られていったんです。結果、地域が独自にルール化を進めていくという話と、環境を持続可能なものにしていくという話しが、同じような比重で重要になっていきました。
そして、「環境」といった価値がどんどん毀損されていくトレンドがあるなかで、価値が毀損するのを防ぐ仕組みとして必要な法令整備の支援などをしてきました。けれども、「(これ以上価値を毀損するのを防ぐ仕組みとしての)法律をつくっていても埒が明かないな」と感じるようになり、発想を変えて、価値を創造していく仕組みをつくっていくことにしました。そのためには自ら事業を興すしかないという仮説のもと、アミタに合流したわけです。
私が、結果的に環境問題にもかかわるようになったのと同じように、トビムシも直接的に環境問題を手がけているわけではありません。トビムシの属するアミタグループでは、コンサルタント的に、地域再生など、いろいろと環境問題の解決を目指した事業のお手伝いをしていました。ただ、当り前ですが、どんな提案や支援も、実施組織体が採用、実行しなければ動かないということがあるわけです。
他方で、日本の森は、ここ10年(場所によっては、それ以上)手入れされずに放置されたままで、これからの3年~5年が、その経済的価値を取り戻すのに極めて重要な時期にあるということがありました。そこで、「やれることをやれるやり方でやる」ということを追求していこう、自分たちもリスクをとってやってしまおうと決断し、トビムシをつくったわけです。
[私たちの親や祖父母が子どもや孫のために植えたにもかかわらず、放置され日が入らない森]
トビムシの目的は、持続可能な地域社会を創ることです。日本で地域といったときの多くが中山間地域ですので、経済基盤を強めるのにメインとなる舞台は林業なんです。つまり、「林業の再生なくして地域の再生はない」状況下にあるため、トビムシは林業の再興を命題としてやっています。あくまでその結果として、森林再生につながり、更には地球温暖化防止につながるという話です。
木材量は、2年間で2,000立方メートルから12,000立方メートルへと6倍に拡大
Q. トビムシが2009年2月に誕生してから約1年半が経過しました。現在の西粟倉の状況、林業を通じた地域活性化は進んでいますか。「西粟倉村共有の森ファンド」が開始して1年以上が経過しましたが・・・
A. 林業を中心とした西粟倉村地域の活性化は、少しずつ進んでいるのではないかと思います。
今回の「共有の森事業」の前提として、小口化されてしまっている山林所有の集約化があります。複数年かけて1,500ヘクタールを取りまとめることを目標として掲げており、現在、500ヘクタール弱の集約化ができています。集約化により効率が上がり、木材の出荷量でみると、私たちが事業に関与し始めた頃の2,000立方メートルから、その6倍になる12,000立方メートルを出荷できる体制を整えつつあります。
[集約化した森の施業状況を示す地図]
また、雇用の面でも成果があり、集約化を行える体制が整い、今後10年間の事業計画を立てることができたことから、村では、この2年間で約40人の新たな雇用を生むことができています。
こういう事実の積み重ねによって、集約化に協力してくれる山主さんも増えていくことになると思います。
森林組合と民間が組んで、リスクとリターンをシェアする西粟倉村モデル
Q. 仮に12,000立方メートルの出荷体制を整えられることになれば、「西粟倉村共有の森ファンド」では、約24,000立法メートルの木材を6,000円で新規の売り先に販売すると、林業機械のレンタル収入と合計して出資者の元本が返る予定ですので、大まかに半分程度の達成見込みがみえてきた、ということですね。事業が順調に進みすぎていて怖いくらいですね(笑)。もちろん色々あるとは思いますが、それでも事業が進んでいる理由を教えていただけますか。
(注:分配シミュレーションはこちらをご確認ください。なお、分配シミュレーションは、売上を保証するものでもなければ、出資者に対し、分配金額を保証するものでもありません。
https://www.securite.jp/fund/detail/145)
A. 林業の問題点は何かを考えると、多くの森林組合に、林業が持続的な発展市場であるという意識が薄くなっていることがあげられます。この背景には、山主から施業委託される山林が減少トレンドにあるなかで、森林組合が中長期的な事業リスクや投資リスクをとることが難しくなっているということがあるわけです。
たとえば、1,000人の山主さんがいて、単位は抜きにして1,000の山林があったとします。昔は当たり前のように木材価格も上がっていたので、山主は、今はお金がかかっても中長期的には自分たちの利益になると考え、森林組合に山林の整備を委託します。そうすると森林組合は、その1,000というものを、向こう10~20年間にわたって受託できると考えていますから、雇用もできて機械も入れられるわけです。
ところが木材価格の減少などにより、1,000人の山主さんの中に儲からないと判断する人が出てくると、1,000あった山林は、800、400、300になっていきます。しかも、その減少の量も速度も正確には分からない。来年、いきなりゼロになるかもしれない。こういう不確実な中で、森林組合は「自前の施業リスク」は取り難いと判断するようになっています。
結果、森林組合は、自前の施業班をもたなくなり、補助金申請手続きだけをやったり、あるいは施業を外注したりすることで、リスクを取らないような組織になっていくわけです。
つまり、元の契約が取れるか取れないかという不確実性を払拭することが解決しなければいけない問題でした。いままでの林業では、こうした問題を、たとえば、境界線確定ができないだとか、不在山主の人たちも多いだとかといった問題があるからできませんよねというところで、思考停止していた、といっていいと思います。
ここを解決したのが、今回の長期森林管理契約という仕組みです。この契約があることによって、森林組合は新規雇用など、未来への投資ができるようになるわけです。
とはいえ、問題が解決したから、リスクが減ったから、「今すぐ森林組合が全部やってください」といってもできません。そこで、民間と森林組合がしっかりタッグを組んで、相互にリスクをシェアしながら、役割をシェアしながら、その代わり、利益というものもシェアしながらやっていく仕組みが必要じゃないですか、という仮説の下、実践しているのが西粟倉ですね。
[ファンドで購入した林業機械を森林組合で利用し、作業の効率化を進め木材の供給体制を構築]
価値がないとされてきたものに価値を見出し、林業再興を中心にした地域再生を実現
Q. 仰るとおりですね。リスクとリターンのシェアというのは、とても大切な考え方と思います。リターンという意味では、きちんと利益を上げていく必要があると思います。木材の出荷量も増え、順調に進んでいるようにも思いますが、今後の課題は何でしょうか。
A. 課題を考えていくと、森林組合でいえば、計画通り間伐のみを粛々とやっていけば、一定の補助金収入があり、そこから手数料をもらえるので、やっていけます。逆にいえば、間伐材を搬出して高く売ってというふうにならなくてもいいんですね。
ですから、マクロ的な課題としては、施業の効率化と流通(販売出口)のところの2つが大きいと思います。効率化については、まず第一に現時点では、高性能林業機械を入れる前提となる林道、作業道が入っていないこともあり、その機械化が進んでいない。そのため、効率的な施業ができていません。
もう1つは森からの搬出です。木材というのは原木のまま移動させる距離が短ければ短いほどコスト圧縮ができるので、効率的に材を出し、あまり移動させずに製材加工現場に、移送させるのが重要なのですが、そのような仕組みが整っていない林業地域がほとんどです。
もちろん最後は出口の話になると思います。ただ、この出口という話も、安定的に山から材を出せるようになり、きっちり流通に載せられてはじめて、競争力が出てくるんだと思います。量と品質、そして価格が安定すれば、ハウスメーカーさんを含め、大口顧客が使ってくれるようにもなってくると思います。
西粟倉では、集約化を進めることによって、10年間での最適施業態勢が整いましたし、ファンドを活用し、林業機械を導入することができた結果、施業効率化が進み、生産搬出できる木材を相当量増やすことができるようになってきています。
後は、とにかく結果を出すことですね。結果というのは、これまで材として出せなかった小径木のような、お金にならなかったものをお金にするということと、今まで売れていた普通の構造材、内装材を、より安定的に、適正な価格で販売していくということの2つです。特に、ファンドの分配原資となっているのは、トビムシが新規に開拓した売り先のものですから、前者はとても重要です。
価値のないものとされてきたものに価値を見出すことができていけば、本当に、林業再興を中心にした地域再生ができていくはずです。
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西粟倉村共有の森ファンドの詳細はこちら:
https://www.securite.jp/fund/detail/145
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インタビュー・メッセージ2010年12月15日 00:00
言葉が変わるということは、社会が変わったということ ワリバシカンパニー 池田取締役
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近づくワリバシのターニングポイント
Q. 国産間伐材を活用したワリバシの生産・販売を行うことで、林業の活性化、森林保全の促進を目指すワリバシカンパニーを7月の終わりに立ち上げられてから、約4ヶ月が経過しました。営業の状況はどうですか。
[WAREBASHIを世界共通語にすることを目指す ワリバシカンパニー 池田 取締役]
A. 飲食店の反応は思ったよりもいい。「いけるな」という感触はあります。皆さん環境意識は高いので、興味は示してくださいます。議論になるのは、コスト。たとえば、「プラスチック箸に変えてしまったばかりなので、ちょっと待って欲しい」と言われることがあります。ただ、プラスチック箸の利用にはランニングコストもかかるし、ワリバシは森林保全に直接的に貢献できるというメリットもあるはずなので、ここをお話している。ターニングポイントが近づいてきていると感じています。
日本の森をよくするために日本の箸を使う
Q. いまプラスチック箸の利用にはランニングコストがかかるということと、ワリバシの利用が森林保全に貢献するとありました。もう少し具体的に教えていただけますか。
A. 大量の箸を必要としている外食チェーンがプラスチック箸に変えた背景には、中国産のものを大量に買い付け続けるのが、先行き不透明になってきたということがあります。もう1つは、割箸ですと調達費がかかってきてしまうことがありますね。プラスチック箸は1回買ってしまえば繰り返し使えますから。
ただ、プラスチック箸は、維持管理にコストがかかります。ちゃんと高温煮沸をしないと菌が残るとも言われています。つまり、問題ないように使うための食洗器や、ランニングコストも必要で、私たちの試算では、3円程度/日かかっています。つまり、1日のランニングコストでは、1膳を買うよりも多くかかってしまいます。私たちはワリバシを2.5円/膳で販売しようと思っていますので、経済的にも優位性があると思っています。
ワリバシカンパニーが生産・販売するワリバシは日本の森の木を使います。日本で使われている割箸の95%は中国から入ってきているものですが、これは、中国で伐られているわけではないと言われています。シベリアか東南アジアで伐った木を中国に持っていって箸になっていると。それと、箸の匂いを嗅いでもらうと分かると思うのですが、漂白剤を使っているので、「つーん」と臭いんですよ。
他方で、使われていない木が日本にはあるわけです。使われないがゆえに伐られていない木が日本にはあるんです。少しでも使われれば、木は伐られて、森に光が差して、ちゃんとCO2を吸ってくれる森になります。年間250億膳が、ほとんど中国から来ているなかで、日本の森をよくするために、日本の箸を使いましょうということですね。
[既に実施した割箸の回収プロジェクトでは手応えあり]
それと、利用したワリバシは回収することを考えています。回収のために、飲食店に別途コストを負担していただくことはありません。使い終わったものを、もれなく回収させていただいて、オガコにします。カビが湧かないかと聞かれましたたが、夏の間、使用済みの国産材割箸を倉庫に1ヶ月置いておいたが、何の問題も発生しませんでした。
今後、第3者機関による検証は行っていきたいと思っていますが、まず問題ないだろうと思っています。その後、オガコにして堆肥にしていきたい。つまり、土に還るということですね。ペレット化することは、現時点でも問題ないので、すぐにできます。
間伐をしないと日本の森は死んでいくと聞いてショックを受けた
Q. 壮大な話ですね。木からワリバシを作って、飲食店が使ったものを回収し、オガコにして、堆肥(土)にするというのは!これだけの仕組みを、どのように考えられたのですか。
A. そうですね。ちょっと長いのですが、自分と割箸との関係を、ちょっとお話したいと思います。
博報堂に勤めていた2001年に「広告」という雑誌をやっていました。雑誌そのものがプロジェクトを生み出すインキュベーターになろうという考え方でした。いわゆる世の中情報的なものを一切なくして、すべてオリジナルのプロジェクトの活動報告だけでできている雑誌です。そういうなかで、アースデイマネーとか、春の小川を再生させようというプロジェクトといったものが生まれました。
雑誌は、社会を変えていくためのプロジェクトというふうに称して、「フューチャー・ソーシャル・デザイン」というコンセプトを打ち出していて--当時、どうも日本で一番最初に、「ソーシャル・デザイン」という言葉を利用したそうなのですけれども(笑)――「自分がエコをやっている」という意識は全然なかったんですね。当時、一番、興味をもっていたのは、地域通貨でした。
まったくなかったんだけど、これからプロジェクトをやっていく雑誌を立ち上げることをやってきいきますということでお披露目した号が、環境系の人たちの目にとまりました。それが、「アースデイ」というイベント、4月22日が世界的に「アースデイ」と呼ばれている日なんですね。日本でも、代々木公園でこのイベントを主催している人たちから、「この雑誌はよい」とお褒めの声をいただきました。
たまたま坂本龍一さんから――ニューヨーク在住ですけれども――ちょうど日本に行くんだと連絡があった。坂本さんが、2000年のニューヨークのアースデイを見て、非常に感銘を受けていたんですね。それで、東京のアースデイを一緒に行くことになって、いろんなものを見ているなかで、そのときの1つの主張が「日本の森を守ろう」だった。
自分が知っていたことは、せいぜいアマゾンの熱帯雨林が消えているから、森を増やさなきゃいけないという程度でした。世界的にはそうだが、日本では、伐られないといけないんですよ、間伐というものをやっていかないと、死んでしまうんですよ、というのを初めて聞いて、大変ショックを受けました。
そのときに、森林のNGOをやっているある人から割箸の話をきました。たとえば、割箸というものを1つとってみても、国内の自給率は5%にも満たないと。箸は日本の文化のはずなのに、決して日本では作られていないと。ほとんど95%が中国から入ってきていると。とはいえ、当時は中国の箸は1円/膳なのに、日本のは5円/膳。
そうすると、さすがに、どんなにいい話でも、誰も見向きもしてくれないだろうと。だったら、箸袋に広告を入れてはどうかと話になった。広告主の協力によって、価格を下げるわけですね。「中国のものに比べて、少しでも競争ができる価格にできませんか、広告会社の池田さん」と、とある方から、ご相談を受けたのです。
そのとき、雑誌のコンセプトが社会変革を起こすようなプロジェクトを立ち上げることだったので、さっそくやってみましょうということで始まったのが「アドバシ」です。広告の力で、日本の森を変えていこうと。
その後、2003年から打ち水大作戦を始めました。みんなでいっせいに打ち水をして、真夏の温度を下げようという取組ですね。打ち水大作戦が、国産の木材利用に道を開いてくれました。
打ち水が単に気温を下げるというだけではなく、日本のよき文化を取り戻すものでもありたいと考えていまして、江戸情緒を引き立てるものとして、桶やひしゃくという道具を国産の木で作りました。2005年の「愛・地球博」で、大々的にやることになりました。私が桶のデザインをして、円ではなく八角形のカタチにしたことで、量産もできるようになって、今では各地の打ち水大作戦イベントの会場で利用されるようになりました。
[国産間伐材を活用した打ち水用の桶]
それで国産材の木を使うということにグッと興味をもちまして、港区から地球温暖化対策のために都心のわれわれになにができるかと問われたときに、森林整備をしてCO2吸収に貢献して、なおかつ整備の過程で出てくる間伐材を使うことが最善の策であるということを話した。最初は、なかなか理解を得られなかったのだけれども、だんだんわかってもらって、あきる野に「みなと区民の森」(※平成19年に港区はあきる野市の森を借り、整備する活動を始めた。ご参考:
http://www.city.minato.tokyo.jp/kurasi/kankyo/kangaeru/moridukuri/index.html)ができるに至った。
割箸からワリバシへ ~言葉が変わることは社会が変わること~
エコプラザでは、その区民の森の木を使った割箸を作って、配布していました。それに目をつけたのが、ワリバシカンパニーの発起人の1人である藤原孝史。2009年1月に初めてエコプラザに来られたときに、たまたま置いてあった割箸を見て、「これだ」と思ったそうです。畜産農家は、いまオガコが足らずに困っているそうです。
2008年から外材が高騰してしまって、オガコが手に入らなくなってしまったわけです。牛や豚の寝床をつくるときに、オガコをつかって、糞尿を混ぜて、いわゆる動物性堆肥を作るわけですが、難しくなっていると。昔はただ同然だったのが、3,000円/立方メートルの高値になったというのです。
だったら、お箸をくだいて、オガコにしにしたらいいじゃないかと。藤原の目の色が変わってきました。そもそも、割箸を作るところから始めたらいいんじゃないかと。
山側の事情を考えると、若い木から間伐をしていかないといけない。若くて細い木だから、切り捨てられている。「この木を何とかできれば、割箸が作れるのではないか」と、藤原は主張しました。これまで日本では背板を使って割箸を作ってきたので、細い間伐材から作られた前例はない。
だったら、自分たちでやるしかないじゃないのかと。そこで、藤原が伝説の割箸の製造技師・尾崎と会った。尾崎は戦後の日本の割箸工場の多くに携わっています。一線を退いていた尾崎を、藤原が訪問した。
尾崎は「できない」と思ったが、プライドもあるので、「できない」と答えるのは嫌だからと、まずはやってみた。知り合いの吉野の工場の一角を借りてやってみたところ、できてしまった(笑)。ここから、今回のプロジェクトがスタートしたわけです。
[これまで価値がないとされ放置されてきた細い間伐材を利用した国産間伐材ワリバシ]
Q. 長かったですが、まさに、今回のプロジェクトにつながる10年間だったわけですね。では、今後、ワリバシカンパニーが活動の結果、社会がどんなふうになったらよいなと思われているか教えていただけますか。
A. ワリバシカンパニーは、各自が専門性を持ち寄って平等に会社をやっていくという意味で「ワリカン」なんですが、当然わたしには、これまでコピーライターとしてやってきたという自負もあります。ですので、言葉の文化に一石を投じていきたいと思います。
具体的には、「割箸」がはやく「ワリバシ」にならないかなとか、英語で書くときも「WAREBASHI」にならないかなと思っています。あと、「橋渡し」を「箸渡し」にしたい。「お客様の箸渡し」とかね。こう書いても、テストで○(マル)がつくようにしたいですね。
言葉が変わるということは、社会が変わったということだと思います。
ラジオで聞きたいという方はこちら:
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(1/6)~ソーシャルデザインからアドバシへ~
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(2/6)~水→ 桶→木遣い→やっぱり箸~
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(3/6)~役者はそろった!~
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(4/6)~プラバシにも3円かかります。~
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(5/6)~「打水」を「打ち水」にした男~
池田正昭 「ワリバシとともに歩んではや10年」(6/6)~今はボランチ、いずれゴール前に!~
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ワリバシファンドの詳細はこちら:
https://www.securite.jp/fund/detail/149
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インタビュー・メッセージ2010年12月15日 00:00
ワリバシサポーターの声
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ワリバシサポーターの皆さまから寄せられたメッセージを更新しました。
熱い気持ちの込められた声の数々・・・
ぜひ、ご一読ください。
ワリバシサポーターのメッセージ
http://warebashi.com/support/
ワリバシサポーターも引き続き募集中
https://www.securite.jp/fund/detail/149 -
インタビュー・メッセージ2010年12月13日 00:00
ファンドへの出資は10年間の約束 出資者インタビュー
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ファンドへの出資は10年間の約束
Q. 「西粟倉村共有の森ファンド2009」( http://www.tobimushi.jp/ )に参加いただいていて、現地を7回も訪れていらっしゃる亀田さんに、お話をおうかがいしたいと思います。出資をしていることで、事業者であるトビムシや、西粟倉村の人たちと、ちょっと普通とは違う関係かな、というようなところはありますか。
「共有の森ファンド2009に出資いただいており、インタビューに応じていただいた亀田さん」
A.出資者と言う立場ではありますが、トビムシや森の学校、西粟倉村と「仲間」になったという感覚でいるところが、普通の投資とは、ちょっと違うかもしれません。
最近ファンド仲間とよく話すのは、「ファンドに投資したっていうのは『10年間の約束』だよね」ということです。つまり、「10年間しっかりお付き合いしますよ」ということで、出資者である私の立場からすれば、「ちゃんと見ているよ」、「応援しているよ」というプレッシャーをかけ続ける約束なのかもしれません。トビムシや現地の方には、よく冗談で「(出資金が)返ってくるか見てますから(笑)」とは言うんですが。
とはいえ、決して上下関係という意識ではないのが面白いです。
もちろん、投資家割引をしてもらったり、希望すればツアーのアレンジをしてもらったりと、たくさん助けていただいています。それに、事業者であるトビムシからは、ちゃんとニュースレターや郵便物で報告が来るので、安心感がありますし。
私としては、面白そうというか、ぜひ実現して欲しいというプロジェクトなので投資をしたので、変な話、ファイナンシャルリターンは私にとっては、どうでもいいというか、最悪返ってこなくてもいい。返ってきたらオマケでラッキーくらいのイメージで始めました。でも、寄付したくらいの気持ちとはいえ、返ってこなかったら、たぶんがっかりするんですよ(笑)。
こういう気持ちは、出資をしていない場合とは違うのかなと思います。ただ面白いから西粟倉村へ行ったりするのとは、やはり違って、5万円でしかないですけど、本気感はあります。
自然・プロジェクト・人間が西粟倉の魅力
Q. 『10年間の約束』というのは良い言葉ですね。そういう約束のなかで、現地に7回も訪れられているわけですが、縁もゆかりもない場所に、それだけ行かれるのは、何らかの魅力が「西粟倉村」にあるのだと思うのですが、魅力はどんなところにあるのですか。
A. 私にとっての魅力は、3つほどあるように思います。1つは、"自然が美しい"ということですね。ブナの原生林や、地元の方がしっかり管理している山は美しくて、訪問するのが楽しいです。
「西粟倉の原生林を訪れているところ」
2つ目は、"林業を帰る先進的な取り組み"に感動したことです。初めて西粟倉を訪れたときに、トビムシの方から、スキーム図を見せてもらったんことにあるんですよ。
まだファンド募集が始まる前の昨年2月に、1つのパソコンを皆で囲んで「これ本当にできたら凄いよね!」ということを言い合いました。その時まだ「絵」でしかなかったものが、本当に実現するのかどうかを見たい、出来る範囲で協力したい、と強く思いました。
3つ目は、やっぱり"人との出会い、つながり"だと思います。西粟倉への熱い想いを持った地元の人たち、寝食を忘れて頑張る森の学校のスタッフや役場、森林組合、Iターンした職人さん。なかには、始めに、「西粟倉村共有の森ファンド2009」へのお金の投資をして、時間を投資して、就職をして、人生を投資してしまった私の友人もいます。皆さんすてきな方なので、「最近どうしているかなぁ」と思うと、つい会いに行ってしまいますね。
「西粟倉共有の森ファンドに出資をし、西粟倉で就職をし、人生を賭けてしまった坂田さん」
日本全国を変える可能性があるイノベーションの種を見られるのが醍醐味
Q. 面白そうなことをやっている場所には、人が人を呼ぶという連鎖が起こっていくのですね。亀田さんも「面白そうなこと」を西粟倉村や今回のファンドに見つけたので出資をされたと思うのですが、具体的には、どういうことですか。
A. トビムシや森の学校の皆さんの姿勢に共感しています。もちろん西粟倉で頑張ろう、何とか突き抜けていこう、というのを大前提とした上で、日本全体の林業、第1次産業をどうしようかというところまで考えているのが、とても興味深いです。
だから、「西粟倉村共有の森ファンド2009」に参加している醍醐味は、イノベーションの種を初期段階から見守っているところにあるのかなと思います。
日本の林業というのは、いろいろ難しい問題をたくさん抱えていそうなんですが、だれかが変えていかなくてはならないのだと、西粟倉を見ていて改めて痛感します。そのためには、様々な地域での成功事例というのがあって、それをモデルにして、どう法制度を変えていくのかとか、そういうところまで踏み込んでいくことも必要なのかもしれません。西粟倉が成功モデルとして輝いていくのが、パイオニアのあって欲しい姿ですし、これからも都会に住んではいても、「仲間」として、出来る範囲で応援していきたいと思っています。
「出資者と西粟倉の方との懇親の風景」