歌津小太郎こぶ巻ファンド ファンドニュース 2014年02月

被災地からのレポート2014年2月28日 10:26

【水揚げのその日に発送!】めかぶ漬けとさんま昆布巻き

【お待たせいたしました!歌津小太郎の商品を販売致します!】
 



【期間限定販売】とれたてをお届けします!!

三陸の今が旬!春一番の磯の香り 初物 めかぶ漬です!!
冷凍しないでお届けするので歯ごたえと香りが違います

 


三陸に春を告げるわかめ漁(わかめ刈り)は、2月中旬から始まります。このまだ寒い時期の新芽の「めかぶ」だけを使って製品にしているのが歌津小太郎の【めかぶ漬】です。今回の商品は、旬の時期だからこそ味わえる磯の香りをご賞味いただけるよう、その日に水揚げした「めかぶ」をその日のうちに製品にしてご発送までするという、茹でたて、出来立ての特別な製造管理のもとでお届け致します!

さらに、震災前からの人気No.1商品【さんま昆布巻き】をセットにしてお届け致します。歌津小太郎の魅力がつまった特別なセット商品になっております。

ご注文を頂いてから水揚げして製造しますので、お届けまで1週間のお時間を頂いております。新鮮な商品をお届けするため、ご注文時にご注文日から1週間以降の日付でお届け日をご指定ください。お振込み決済をお選びの場合は、お振込み日から1週間以降の日付でご指定ください。

旬のめかぶ水揚げ時期だけの限定商品となっており、3月末まで(予定)の限定販売となっております。
 

今しか味わえないとれたての旬のめかぶ、歌津小太郎自慢の昆布巻き、ぜひこの機会にご賞味ください!





 

 
【原材料・成分表記】
 
めかぶ漬:
めかぶ(宮城県産)、醤油、調味料(アミノ酸等)、
保存料(ソルビン酸k)、甘味料(ステビア)、酒精
(原材料の一部に大豆、小麦、ゼラチン、サバを含む)

 

さんま昆布巻:
さんま(三陸産)、昆布(三陸産)、
かんぴょう(栃木県産)、醤油、砂糖、
酒精、みりん、調味料(アミノ酸等)、
(原材料の一部に大豆、小麦、サバを含む) 

 

【賞味期限および保管方法】
 
めかぶ漬:10℃以下で7日間 / さんま昆布巻:10℃以下で60日間

 


歌津小太郎 とれたて!めかぶ漬とさんま昆布巻きのセット 

【セット内容】
めかぶ漬(200g) x 2
さんま昆布巻き x 1


価格:3,000円(税込・送料込)

 

こちらの商品は3月31日をもって
ご注文受付を終了させて頂きました。
沢山のご注文まことにありがとうございました。 

 



三陸の旬の味覚をどうぞお楽しみください!

 
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【お支払い方法】
(1)お振込み
以下の銀行へのお振込みが可能です。
お申込後、当社からお送りする確認のメールに記載の口座へ、以下期日までにお振込をお願い致します。

(2)クレジットカード
VISA、MasterCard、JCB、DinersClub、AMEXのクレジットカードがご利用可能です。

(3)支払留保金のご利用
支払留保金額もご利用頂けます。

※お振込手数料は、ご負担下さい。
※送料は商品代金に含まれます。
※支払留保金額をご利用の際は、申込確認メールに詳細を記載致します。
※クレジットカードをご利用の際は、以下【クレジットカードをご利用頂く場合のご注意】をご確認の上、ご利用下さい。
【お振込期日】
ご注文受付のメールをお送りしてから3営業日以内にお願い致します。
※必ず期日までにご入金頂きますようお願い申し上げます。ご入金期日を過ぎますと、キャンセルとなりますのでご注意下さい。
※購入代金をお振込頂く際は、必ず期日までに、当社からのメールに記載の口座へお振込頂きますようお願い致します。
万が一出資金お振込口座へご入金をされた際は、 返金となりますのでご了承ください。
その際の返金は、振込手数料を除いた額を返金致します。
【商品発送時期】
ご入金確認後、随時発送致します。
※配送は日本国内のみとさせていただきます。
※日時指定の場合、お振込みを頂く5営業日以降でご指定下さい。
※状況によって、多少前後する場合がございます。何卒ご了承下さい。
※遠方など、ご指定頂いた期日の配送が難しい場合は電子メールにて別途ご連絡致します。
【商品発送までの流れ】
1.(お客様)お申し込みフォームより購入情報のご入力
2.(当社)お申込後、振込口座が記載された確認メールを送付
3.(お客様)当社指定の口座へ購入代金をお振込 ※ご注文から3営業日以内
4.(当社)ご入金確認完了のご連絡
5.(当社)随時発送致します。 ※お届け日指定はご入金から5営業日以降でご設定下さい。
【ご注意事項】
※未成年者に対しては、酒類の販売は致しません。申込みフォームにて年齢を確認致します。
※当社理由による不良品(破損等)につきましては、商品到着後7日以内のご連絡にて交換致します。
※お客様のご都合による返品・交換はご遠慮下さい。
また、ご不在やご指定の住所不明など、お客様のご都合により、指定日に商品を受け取れなかった場合、再送や返金は対応致しかねます。
※複数個購入頂いた場合も、送料込の価格×購入セット数の金額となります。
【クレジットカードをご利用頂く場合のご注意】
※ご本人様名義のカード以外はご利用頂けません。
※ご決済は一括払いのみご利用頂けます。
※1商品ごとのご決済となりますので、他商品を合わせて購入頂いた場合も、都度ご決済が必要です。(1商品を複数セット購入頂く際は、まとめてご決済頂けます)
※ご購入代金は、各クレジット会員規約に基づき、ご指定の預金口座から口座振替にてお支払いいただきます。
※クレジットカード決済にあたっては、より安全性の高い環境をサービスとして提供するために、暗号化技術(SSL)を使用しておりますが、当社は、その安全性を保証するものではなく、データ漏洩等の事故が起こった場合、当社はその責任を負いかねますのでご了承ください。

 

※クレジットカードはご注文時に即時決済されるカードとなります。リピート商品など初回ご注文時に複数回の商品代金をいただく場合がございます。また、キャンセル・返品に伴う返金の時期につきましては、お手元のクレジットカード発行会社へお問い合わせください。 

 

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被災地からのレポート2014年2月24日 08:57

小太郎社長インタビュー:歌津の漁師

”歌津小太郎こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。 今回は、震災の話題でも歌津小太郎の現状のお話でもないのですが、出資者の方からときおり質問を頂く話題で“歌津小太郎のホームページに掲載している小太郎社長の昔の漁師姿”とそれに関連しまして昭和30年代頃までの昔の歌津の漁師のお話をご紹介したいと思います。



(小太郎社長の漁師姿の写真)


 まず、小太郎社長の漁師姿ですがこれは戦後間もない頃、昭和25年くらいまでの漁師の姿です。歌津だけでなく三陸一帯の漁師がこういったスタイルだったようです。歌津のあたりでは戦後の数年間くらいまで残っていました。子供さんが見ると浦島太郎みたいと思うようです。


写真自体は仙台の藤崎にて常設テナントとして出店するようになってから広告用に撮影したもので、親戚が大切に残していた漁師衣装を借り15年ほど前に撮影しました。写真ではよく映っていませんが、下半身につけているのが「ムグ(モク)」という海藻を干して編み込んだ「ムグ前掛け」という作業衣で、現在の漁師が履いている漁業合羽と同じような役割をしていたらしです。(ムグ前掛けの性能は濡れるし、重たいしで今の合羽とは比べ物にならない作業衣のようですが…)


これまでは父親である小太郎社長に改まって昔話を聞くことなどありませんでしたが、こうして出資者の方に意外な質問を受けたりしたことから、私も興味が湧いてきました。そこで昭和16年生まれの小太郎社長に昔の歌津の漁師の様子をインタビューしてみた次第です。私の解説も含めましてつれづれなるままにご紹介します。


○小太郎社長インタビュー写真①

● 昭和22-25年頃…小太郎社長の小学校低学年時代
2011年の津波で完全に流されてしまった旧・工場の地、宮城県本吉郡歌津町中山(当時の市町村名)の“海まで5歩”というところが元々の家でした。2013年9月10日の被災地レポート「由来」でも触れていますが、すぐそばに海に流れ込む小さな川があり橋がかかっていたので屋号が“橋本”。小太郎社長は“橋本んトコの小太郎”でした。


 この地域がみんなそうであるように千葉家も何代も前から半農半漁で生計を立てていました。小太郎社長は5人兄弟の長男でして、当時、戦争に出兵していた父(私からは祖父)の栄太郎の文字にあやかって、「小太郎」と名付けられたようです。


 歌津町は三陸海岸特有のリアス式海岸という地形であるので、複雑に入り組んだ海岸線があり、船をつけられる入り江や、浜に昔から漁師達が住んでいたわけです。平地が少なく、海岸から300mも入るとすぐに山という地形ですので、林業をなりわいとする人々もいて、半漁半林業という家もありました。いずれにしても“漁”すなわち海となんらかの形で関わっている家ばかりでした。それは現代の歌津もあまり変わりませんね。


 この当時は戦争中ということもあり日本全体が食糧難の時代でした。歌津は海の幸には恵まれていましたから、男の子は小学生になると浜の軽作業の手伝いを始め、海藻を干したり磯の貝を採ったりと、おかずになる食糧調達の一部を担っていました。また、女の子も台所の手伝いや、兄弟たちや近所の子供たちの世話など大人と同様の家事を任されていました。


 ○小太郎社長インタビュー写真②

「海の幸があっても食糧は足んねがったなぁ~、
よく近所の柿だの大根だの採って食べだっけなぁ~」…小太郎談話

ちなみに、歌津には小学校が二つあり、歌津町の東側にあたる馬場地区・中山地区(私たちが住む)あたりは名足小学校(なたり)に通っていました。もう一つは町の西側地区の人が通う伊里前小学校(いさとまえ)で、中学生になると町で唯一の歌津中学校で両方が一緒になります。歌津で生まれたならば必ず中学校でみんな一緒になるわけです。だから同学年も上下の学年もほとんど顔見知り。今でも下の名前やあだ名(ニックネーム)で呼び合っています。家業の漁の手伝いだけでなく、小学生だけで磯のものを採ってはおやつ代わりに食べていた、子供がそうやって食べる分には暗黙の了解で怒られることはなかった、そんな時代でした。


 ●昭和26-30年頃…小太郎社長の小学校高学年~中学生時代


海には漁師の厳しいルールが沢山あります。そのなかでも沿岸で漁を行う者に一番重要なのが「開口(かいこう)」。(今でも漁業権を持つ世帯にのみ与えられた、漁を許されている権利)
 「明日は朝5時から8時までウニを採ってよい」、「今日は12時まで磯草を採ってよい」、そういったルールがあって地域の漁協が、海産物の収穫時期と海の透明度や天候などの要因から厳密に漁の出来る日時を決めていました。乱獲を防ぎ資源を守るためというのが主な目的ですが、天候の悪い危険な日に一人だけで出漁しないようにという安全のためでもあります。

 養殖が始まる前は、天然モノを限られた時間でいかに多く採れるかが勝負です。そこで小学校高学年であっても「開口」となると、授業に遅れてでも親の船に乗り、漁の手伝いをしていたので、立派な稼ぎ手に数えられていました。学校側も判っていて認めていたようです。多いときで年間に100日間も海に出てから学校に通っていたと言います。都会で生まれ育った方には、なんともおおらかに感じられますかね? (開口で学校が公休扱いになるのは、私が小中学生の時代もありましたし、現代の学生にも通用します。) ________________________________________


※今シーズンのアワビの開口の写真を何枚か紹介します。(2013.12・8撮影)



 箱メガネでアワビを探しています。


 こちらでは、長竿の先にあるカギに引っ掛けたアワビを引き上げています。


 「アワビカギ」…このカギでアワビを引っ掛けます。


 採れたてたてのアワビは箱にくっ付くと、はがれないので網を掛けおかないと大変なことになります。



(もちろん我が家でもアワビ漁に〝いざ出陣!!〟手前で竹竿を構えているのが私、オレンジの合羽が小太郎社長、奥の櫂(かい)押しがおふくろのあさ子 撮影者が弟の馨)  

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 箱メガネを使い、海のなかを覗きこみながら狙いを定め、あわび漁には「アワビカギ」、ウニには「ウニカギ」、ワカメには「ワカメ刈りカマ」と昔ながらの道具を使って漁をしました。網を使うときは重労働ですが、それ以外は子供でもセンスがよければ大漁を狙える、そんな漁法が多かったのです。それぞれの家で、海産物ごとに良く採れる漁場を知り、他の漁師には絶対に教えませんから、おのずと親兄弟で漁をすることになるわけです。


 採ったものは地元の漁協を通して業者が買い上げます。アワビは特に高額で売れるので自家消費用に回すことはほとんどありませんが、海藻類は乾燥すれば保存できるので沢山取れたら自家用に残しました。だから歌津の漁師の食卓は海藻料理がのぼることが多かったのです。


 ○小太郎社長インタビュー写真③

 「昔は多いときでアワビが4時間で80kgも採れだんだぁ~。そんな大漁のときや冠婚葬祭のときだけは我が家でもアワビを食べだっけなぁ~」…小太郎談話


当時の漁師は、このアワビ漁(11月~12月頃)で向う半年分の収入源を確保していたそうです。今でもアワビの開口はありますし、震災後も再開しています。しかし、当時と今とでは比べようがないほど水揚量が違いすぎています。少なくても、現在はアワビ漁だけでは1ヶ月の生活費にもならないことだけは確かです。


 いかがでしたでしょうか? 昔の歌津の漁師ばなし…
 今後も皆様からいただいた疑問にお答えしながら、もっと歌津小太郎を知っていただけるような記事もお伝えしていきたいと思います。今回は小太郎社長の幼少期を通じて、当時の歌津の文化や習慣をイメージしていただければと思って、記事にしてみました。



これかも、応援よろしくお願いします。

 (記事担当 千葉孝浩)

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被災地からのレポート2014年2月12日 13:46

歌津小太郎の復活2年目~1月のまとめ報告と“2月”~

”歌津小太郎 こぶ巻ファンド”の有限会社橋本水産食品の千葉孝浩です。 2014年もあっという間に一ヶ月が過ぎました。宮城県南三陸町の歌津地区は今が一番寒い時期。半島になっている分、周りの地域よりも少しだけ温かいのがこの地の特徴ですが、さすがに先週の大雪は想像を絶する降り方で、今でも雪がたくさん残っています。歌津の漁師さんたちにとっても、益々寒さがこたえる時期ですが、この寒さが旨さを育んでいます!…2月後半には“初物わかめ”の収穫がはじまりますよ~!

 さて、今回からは出来るだけ毎月ご報告をアップして参りたいと思いまして、後半のほうにちょっと工夫をしています。一か月分の内容をまとめて報告ですのでまた長くなってしまいましたがお許し下さい。

●2014年-歌津の初日の出とお正月 ぜひ、地図で確認して頂きたいのですが歌津/馬場中山地区は東向きの海に面しているので初日の出を見るには絶好のポイントです。今年の元日は曇り模様でしたが、初日の出の時間だけ雲が晴れました。  

(1月6日のブログ、2014年元日 南三陸町歌津、中山漁港より撮影した初日の出)  


 さて、お節料理にかかせない“昆布巻”を作っている歌津小太郎の千葉家のお正月料理の定番は何かと申しますと、実は漁師町である歌津の地での習慣としては、もちろん海の幸をメインとしたご馳走を、お正月というよりは大晦日(年越し)に頂くというのが通例でして、特に今年は、南三陸町の名物でもあるタコ(水タコ)を大歳の市で販売したこともあって、我が家用にもいくらか残っていましたので、久しぶりに懐かしい味を楽しむことが出来ました。(もちろん昆布巻もいただきました!)


● 2014年1月の歌津小太郎活動報告
歌津小太郎復活1年目の12月はおかげさまで31日まで大賑わいの仕事納めとなりました。元旦の一日はお休みしましたが、歌津小太郎が直販コーナーを設ける仙台市内の老舗百貨店「藤崎」での初売りは1月2日朝8時ですので、すぐに2014年が始動!!!
「もっと休めたら良いのにね~」と言って頂くこともありますが、デパ地下にお店があるということは年末年始のお休みは元旦だけというのが普通のこと。それに歌津小太郎売り場には、大晦日に来ていただいたお客様の多くが初売りにも顔を見せてくれますから、小太郎社長か私(孝浩)が必ずお店に立ちます! 「年末商戦+初売り」を3年ぶりに経験するのですから、久しぶりのこの感覚を小太郎社長ともども楽しみました。

さて、12月は完全に土日返上パワー全開で昆布巻作りに奮闘してくれた製造スタッフのほうは1月6日より仕事始めとなりました。  

(1月6日ブログの集合写真)

 1月の製造スケジュールは12月分の休日の消化ということもあり少しペースダウンしての営業となりました。その一方で、原材料調達の関係で2013年中に復活させることが出来なかった商品を、どのように優先付けして復活させるか、以前の工場に比べ広さも機材も不足な現状で、品目数を増やすにはどうしたらよいか、漁師の奥さん達でもあるので、南三陸の旨いものと、そのシーズンを熟知しているベテラン製造スタッフと相談しながら模索しました。1月にちょっと進展したのは地元産の「焼きのり」が初入荷しまして、商品アイテムにまた一つ仲間が増えました。ほんの少しの変化ですが、積み重ねて一歩でも着実に震災前の状況にまで回復させていきたいと思います。

● 震災から3年、今思うこと
2014年1月26日付けでミュージックセキュリティーズさんによる事業者への共通アンケート「震災から3年。現在の課題と求められるもの」歌津小太郎の場合 をアップして頂きました。

当社の場合は2013年4月に念願の工場が再建できましたので、それまでの2年間に比べ2013年は大きく前進することが出来た一年でした。直面している課題などそちらのほうで詳しく書いていますので、是非、ご覧頂ければと思います。

 震災から3年を経過しますと、一般の皆さんから震災の記憶や関心が薄れると同様に、我々も直面している課題の近視眼的な解決だけにとらわれてしまい、震災の記憶を決して忘れることはないのですが震災直後に感じた強い思いや教訓が日々の暮らしの流れのなかで薄まってきているように思います。

 そんなわけで今回のブログより、3年前・2年前・1年前の“今月”はそれぞれ何をしていたか思い出して書き綴りたいと思います。歌津小太郎のことに加えまして地域のこともお伝えしたいと思います。

● 3年間の振り返り
 ☆2011年2月のこと
3年前の2月は当然ながら震災前のこと。歌津小太郎では、こんな商品ラインナップを展開していました。 <歌津小太郎売上No1>
昆布巻(さんま・鮭・にしん・)→2013年10月に復活しました!
 特徴: いわずと知れた歌津小太郎の看板商品です! (…他にも、あなご・たらこがありました)  

(昆布巻の写真)

 <売上No2>
ひと味ぼれ(ひとみぼれ)(ほたて・かき)→2013年8月にホタテ入り、11月にカキ入りが復活!
特徴:昔ながらの素朴な味で作る「やわらかい昆布のお煮しめ」として、単品販売数では昆布巻をしのぐ人気商品です。

(ひと味ぼれの写真)

 <売上No3>
いかめかぶ→2013年3月にめかぶ漬として復活! ファンド資金を活用した「めかぶスライサー」で仕込み作っています!
 特徴:そのままの味で、ごはんにかけて「めかぶ丼」が一番のオススメ!! 薄味なので、お好みの味(お酢を加えたり、めんつゆを少々加えたり)に調節して、自分だけのオリジナルの味としても楽しめます!

(いかめかぶの写真)

<売上No4>
 ほや醤油漬→2014年6月、復活予定! 今シーズンからが震災後、初水揚げの予定です。
 特徴:歌津小太郎ファンからの復活を待つ声ではナンバーワンの「ほや醤油漬」。ホヤは臭くないのだと言うことを証明できる驚きの味です。

<売上No5>
 焼うに→ほや醤油漬にも言えることですが、港の荷さばき場(1次加工処理施設)が整備されていないので、水揚げは6月からの予定ですが、製品に出来るのかは不透明な状況です。
 特徴:ウニそのものが持つ濃厚な甘みを引き立たせるためにも、特殊な技術を使って直火で焼き上げました。旬の大粒のウニで盛り付けるのが歌津小太郎流です。


 ざっとこんな感じで季節商品も合わせると、全30品目からなる商品ラインナップで営業していました。 今後の予定としては、2月から磯草(ふのり、まつも、ひじき等)が収穫できる時期なので、初物の海藻類も入札が始まります。歌津小太郎では天日干しの状態で、乾物商品として扱っています。

☆2012年2月のこと
2011年3月11日の大震災後の津波で、“海から5歩”という歌津/馬場中山地区にあった歌津小太郎工場は全ての生産資源を失ってしまいました。当時、小太郎社長と専務の私(孝浩)がともに不在の中、従業員はなんとか全員生き延びてくれたのがせめてもの救いでした。

 震災からおよそ1年後の2012年2月の時期は、2011年11月の時点でいわゆる「グループ補助金」の申請を行い、ある程度の再建資金を国と県から補助して頂けることが決まったものの、地域全体の被災状況が甚大でしたので再建を進めるための土建工事の見積もりにも着手できない状況でした。もともと千葉家の家族を中心に全部で十数名、従業員の多くは近隣の漁師の奥様というアットホームな小さな小さな水産加工会社である歌津小太郎は、この震災で解雇せざるを得なかった従業員の皆さんがバラバラになってしまうのが一番辛く、一日でも早い再建を目指し気持ちだけが焦っていました。本当に思うようにはコトが進まず、心が折れそうになることの連続でした。
 一方、歌津/馬場中山地区の地域全体としての状況を思い出しますと、震災直後に数週間の「孤立集落状態」を経験し、震災直後は約200名で始まった避難所生活が、その年の8月くらいまでには50名ほどになりましたが、地域の集会所で集団避難生活を送っていたときに苦労を分かち合ったことから、それぞれが修復した自宅や避難所に移ってしまってからも強い結束力を維持していました。諸問題を地域全体で解決しようという気運がおこり、沢山の困難がありましたが様々な「プロジェクト」を行いました。

 震災直後から地域にボランティアで入っていただいた、多くの皆さん達の強力な支援があって、わかめの養殖を細々ながら再開できていましたので、2月の下旬には震災後初のわかめ収穫にまでこぎつけることができました。こちらは「福福わかめ」と名付け、地域の海産物の復興第一号として売り出しました。

 2012年2月の頃にチャレンジし始めたのが、手芸が得意な女性達に地域のオリジナルキャラクター「ワカメンジャー」の編みぐるみを作ってもらい、それを販売しようというプロジェクト。これは首都圏の手芸作家さんの提案で始まりました。

 編みぐるみもわかめも、震災ボランティアで馬場中山地区に来てくれたことをキッカケにその後も気にかけてくれている日本中の皆さんたちのご好意で購入して頂くところからスタートしました。震災直後から馬場中山地区の情報発信を毎日行い、こういった企画商品の販売のWebサイトも運営していたのが、震災前は歌津小太郎の従業員で“第三の男” であった弟のカオル。 (注: 歌津小太郎は社長と私とカオル以外は全て女性の力で運営していました)
いずれも1個(1袋)数百円というものですが僅かながらでも現金収入を得る最初の一歩となりました。 全体でみれば、港の復興も進まずに決して芳しい状況ではなかったですが、小さな喜びの数を数えている、そんな暮らしぶりでした。

 「なじょにかなるさ~」(なんとかなるさ~)
 これが地域のプロジェクトのネーミングの一つですが、私も何度となく、「なじょにかなるさ~」と言い聞かせ、地域の皆さんとともに一歩ずつ進んでいました。

 ☆2013年2月のこと: 歌津小太郎新工場の内装工事中!
 一年の単位で経過を見ますと、ものすごく進捗があると感じますが、震災から丸2年という2013年の2月は元の工場から3kmという位置に新工場を建設しており、ちょうど内装工事に入っているところでした。震災後にようやく心からの喜びを感じられるようになってきました。
 (ここに至るまでの詳細な経緯は、今後、毎月ご報告していきたいと思います)

 また、この頃には震災前に歌津小太郎の直販コーナーを設けていた仙台の老舗デパートの「藤崎」にコーナーを2年ぶりに復活させる計画が決まっており、再開に向けた打合せで仙台を頻繁に訪れ、昔のデパ地下の仲間の皆さん達に激励を頂いていました。

●2014年2月の歌津の海・港・漁師・旨いものそして歌津小太郎情報
そして今は――歌津の浜では、これからが1年でも1番活気づく季節「初物わかめ」の収穫(わかめ刈り)を迎えます。以前の工場があった場所(南三陸町歌津 馬場、中山地区)でも港の復旧(わかめの作業が出来る程度)が整い、漁を待つばかりとなりました。例年ですと、早い方は漁がはじまっている時期にもなっていますが、今年はわかめの生育が少し遅れているようで、漁師さん達も気をもんでいるようです。

(現在の港の写真)


(船引き場はあの時のままです。)

 歌津小太郎でも「初物わかめ」の収穫に合わせて、直営店の藤崎でもいち早く「湯通し塩蔵わかめ」の販売を予定でいます。さらに、わかめの「めかぶ」だけをシンプルに味付けした、春一番の磯の香りたっぷりの人気商品「めかぶ漬」の販売も始まります。わかめは2月から4月までが収穫期ですので、「めかぶ漬」はこの時期に1年分の仕込みを済ませます。特に、歌津小太郎では新芽のやわらかい時期の素材(地元漁師が食べている「めかぶ」)にこだわって仕込むため、3月中旬には完了させなくてはなりません。そして現在、「初物めかぶ漬」を「買って応援、セキュリテセット」での販売を目指し計画しているところです。旬の時期でしか味わえない逸品として、是非、皆様の食卓にお届けできるよう実現したいと思います。


(めかぶ漬、ご飯と一緒の写真)
 【セキュリテセットでの販売は3月中旬の予定です。】


今回、「被災地応援ファンド」のシステムを使わせていただくことで、皆様からのご要望にやっとお応えできる通販事業として、震災後、初めて発信できるようになります。今できる私たちの技術を存分に発揮して、自慢の磯の宝たちを驚きの鮮度でお届けすることをお約束いたします。どうぞご期待ください!

今回の報告はこのへんで閉めさせていただきます…これからも応援よろしくお願いいたします!!

<あとがき>
いつも長~くなってしまう歌津小太郎のブログの一部は、我々を気にかけてくださる 出資者の方などからの情報発信に対するアドバイスを元に構成しています。 自分達にとっては当たり前すぎてこれまでお伝えできていなかった歌津のことに漁師 の仕事や海の旨いもののことなど、「こんなこと知りたい!」とリクエストを頂けれ ば今後のブログで反映していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
 (すぐには全てに対応出来ないかもしれません。そのときはゴメンナサイ!)

○記事担当 千葉孝浩

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