えこふぁーむニュース 2009年11月
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社長コラム2009年11月19日 21:56
キューバ視察報告 Chapter11
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メキシコシティのバスの車窓からの光景です。
信号待ちになるとパンとか水とか雑貨とかいろんな物売りの人が車の間を縫って歩きます。
トロリーバスも走っていました。
排気ガスはそれ程、気になりませんでした。
大気汚染に関しては、そんなに深刻さは感じませんでした。
同 意 見⇒ http://www.y-asakawa.com/mekishiko-gazo/mexico_city.htm
一般的見解⇒ http://www.clean-kids.net/warming/03sekaikakuchi.html
ただ、のんびりとした印象はなく気ぜわしく感じました。
地下鉄もあって大きな街です。
メキシコシティの地下鉄網⇒ http://www.jametro.or.jp/sekai/02cont/15mexicocity.html
メキシコの警察官の制服がかっこ良かったです。
デザインもですが、黒色がほんとうの真っ黒で引き締まって見えます。
新型インフルエンザ発生前のメキシコシティの様子です。とにかく人が一杯でした。
サボテンとヘビと鷲はメキシコのシンボルだそうです。
帰国前の最後の夜に、食事を済ませてほろ酔い気分のまま、同行した知人と2人で街中の散歩に出掛けました。
時間にして1時間程度の外出だったと思いますが、迷子になって帰り道が分からず困っていると、
丁度巡回中の警察官に道を聞いて無事に帰ることが出来ました。
特に怖い目にも遭いませんでしたし、治安は良かったと思います。
(運が良かっただけなのかもしれません・・・)
宿泊したホテルは「ホテル カリンダ・ヘネベ」で、ロビーには古い電話機のコレクションが沢山陳列されていました。
大統領府とその中庭、大聖堂です。
とにかく誇らしげに国旗が大きい。
日本ではあんなに大きな国旗はサッカーの試合の時位じゃないとお目にかかれません・・・。
信号待ちで窓拭きをする子供達。
排気ガスで霞んでいるのではなく、バスの窓越しに写真を撮っているのでこのような映りになっています。誤解無きよう。
バスルームのティッシュとトイレットペーパー。
この折り方は、波型の部分が独立して折られていて、受け側に乗っかっていました。
ですから、ワンピースではなくツーピースです。
バスタオルで白鳥の形を作ったり、色々、もてなしの心とか遊び心を学んだような気がします
メキシコシティ空港へ降りるときに、モニター画面の高度計を見ていて3000mの表示があったので、
もう暫くだと思ったらいきなり強い衝撃が!! アッという間に着陸でした。
それもそのはず、空港自体が標高2000mを超える高地にあるのです。
帰国後一週間経って、新型インフルエンザ騒動が湧き起こり一瞬冷や汗をかきましたが、熱も出ずに事なきを得ました。
ニュースの中で、テオティワカン遺跡の立ち入り制限も伝えられていたので、お気の毒でした。
こちらはネット上で見つけたキューバの写真集です。
⇒ http://littlemore.bccks.jp/viewer/20382/1/A/VIEW#
実際にキューバに住まわれている方のレポートもありました。
⇒ http://www.geocities.jp/quebolachibichana/dificultad.html
さらにキューバ詳細情報・・・急場しのぎ
⇒ http://pub.ne.jp/cubaorganic/
⇒ http://www.t.hosei.ac.jp/~otadashi/travel_cuba2003.html
⇒ http://cuba2008.cocolog-nifty.com/blog/
~ お し ま い ~
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スタッフ日記2009年11月19日 21:46
キューバ視察報告 Chapter10
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早朝、ハバナ空港を発ってメキシコのリゾート地カンクン空港で乗り換えて「メキシコシティ」へ到着しました。メキシコで一泊してから成田へ向かいます。写真は車窓からの風景です。
キューバと比べると、商業用看板がやはり多く感じました。
中南米はまだまだ知らない国が沢山あるので、魅力的です。
国自体は裕福ではないかもしれませんが、人々の幸福度は結構高いのではないでしょうか??
足るを知る生活が大事だと思います。
日本はいろんなチャンスがあり、恵まれすぎていると思います。
ありがたみに感謝!!感謝!!
ピラミッドのある「テオティワカン遺跡」へ向かう車窓からの風景です。
バスの窓ガラス越しに写真を撮っているので、発色が悪いです。
砂漠とサボテンが目に付きます。
現地で、なぜかテキーラは呑まなかったような気がします・・・。
何故か が思い出せません。呑み過ぎでしょうか??
テキーラ工場 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=_HmK6rWhk5E&feature=fvst .
途中、昼食タイムでローカルホテルに立寄りました。ビュフェスタイルでしたが、もちろん本場のタコスも頂きました。
メキシコ料理はもっと辛いのかな??って想像していましたが、それ程でもなかったです。
キューバの料理の方が日本人向けじゃないかなと思います。
メキシコは日本の国土の5倍の広さがあるそうです。意外でした。
ここでは男女のショータイムがありました。
メキシコ料理の特徴⇒ http://caimanpendejo.web.fc2.com/cocina/frmcaractel.html
上の写真の手前にあるものは、豚の耳を揚げたものです。
陶器の色が綺麗でした。
車窓からピラミッドが見えてきました。
観光地定番のお土産屋さんが並んでおります。
壁画が描かれている赤色の色素は昆虫由来のものでした。
滞在中はすっかり高地に居ることを忘れてしまったくらい、息苦しさはありませんでした。
階段の上り下りで、息がはずんでも単なる肥満のせいだと思っていました・・・。
今になって思うと、高地のせいもあったのかもしれませんネ。
居住区にはオウムやジャガーやヘビの模様が彫られていました。
テオティワカン遺跡⇒ http://allabout.co.jp/travel/
worldheritage/closeup/CU20070606A/
こちらの方は同じレストランで昼食を食べたようです。
⇒ http://martierra.blog.so-net.ne.jp/2009-03-10
絵葉書を売るおじさんが、余興で面白いものを見せてくれました。
壁画に使われている赤い色素の種明かしです・・・。
ウチワサボテンに付いている「カイガラムシ」を紙にこすり付けると、ア~ラ不思議、綺麗な赤色に発色します。 コチニール色素と言うそうです。
他にも植物の茎を直接、紙にこすり付けると鮮やかな黄色に発色しました。
月のピラミッドと規模の大きな太陽のピラミッド、そしてウチワサボテンです。何世代もの人々がこの地を聖地として生活していたようです。 ピラミッドは神への服従のための生け贄の祭祀をする場所だったようです。
私の年代では、思わずNHKで放映していた「ブーフーウー」を思い起こしました。
昼食タイムではサボテン料理も頂きました。
ブーフーウー⇒ http://www.youtube.com/watch?
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スタッフ日記2009年11月19日 21:27
キューバ視察報告 Chapter9
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ピナールデルリオという所にある「バイオ農薬再生センター」を訪問しました。小さな研究施設です。
ガイドさんの通訳で女性主任の説明を受けましたが、私の知識では結局理解不能でした・・・トホホ。
オートクレーブ等の器具機材はあんまり充分とはいえないものでしたが、問題解決の心意気だけは十分に伝わってきました。
「キューバ バイオ農薬」のキーワードで検索。
結果⇒ http://www14.plala.or.jp/Cuba/Cubaene20060801.htm
http://www14.plala.or.jp/Cuba/Cuba19991010.htm
http://www.okinawa-sumu.com/index.php?page_id=412
http://www.okinawa-sumu.com/index.php?page_id=414
http://www.casa-de-cuba.com/relayessay/main020415.html
http://www.actio.gr.jp/culture/20050925-1.htm
結局、2種類あるうちの違いも判らないままになってしまいましたが、見た限りでは籾殻の表面にカビのようなものを付着培養しているようでした。
色が違うので、使用用途や効果にも違いがあるのかもしれません。
どんな作物に対して、どのような効果が期待できるのか?? 判らずじまいでセンターを後にしました・・・。
その場では判ったつもりだったのですが、今となっては忘却の彼方です(泣)。
もう一度、行ってみたいです。
「ビニャーレス渓谷」へ行きました。
もともと「先史時代の壁画」があるのでしょうけれど、そこに色を塗ってしまうところがラテン系です。
それとも、近代に人工的に作られたものなのかも知れません。やっぱり、不思議の国です・・・。
↑上の写真の下部には、人影が写っているので壁画の壮大さが判ると思います。
この建物はレストランで、やっぱり生演奏&ビールでした♪
山肌に見える横穴が「インディオの洞窟」といわれるものです。
「鍾乳洞」内ではボートで移動する区間もあるほど大規模なものです。
鍾乳洞を出たところにある土産物屋さんでは、音楽が鳴っていて自然と踊りが始まりました。いつも笑顔でノリノリです。アミーゴ♪
トイレ休憩で立寄った展望ドライブインからの風景です。
隣にはプール付きの瀟洒なホテルがありました。
ハバナからちょっと離れると、緑豊富な光景が広がります。
いよいよキューバでのラストナイトです!!
ホテルのラウンジでは毎夜、生演奏が行われていましたが、この夜は女性だけで編成されたグループのライブがありました。
ノリノリの音楽にのせられて、皆さん踊りまくっていました♪
キューバの皆さんありがとう!!
ビバ キューバ!!!
サルサダンス入門
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=uR79VR8IzJg
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スタッフ日記2009年11月19日 20:42
キューバ視察報告 Chapter8
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ビナールデルリオ地区へ移動しました。
ハバナからの移動途中の車窓風景です。
牛が放牧されていました。
畑から椰子の木が生えています。
広大な野菜畑もありました。
標高の高い山はあんまり見当たりませんでした。
田舎で見られるごく普通の一般住宅と痩せた犬です。何故か、キューバで目にした犬は痩せていました。
犬は別として、社会主義国なので、一応皆さん公務員というかたちだと思います。貧富の格差はあるようですし、とにかく不思議な国です。一週間や十日の滞在では、わからないことだらけです。それでも、もう一度行きたくなる魅力があります。
地方都市の集合住宅とまわりにある畑の風景です。ハバナ市内と違い、派手な色使いは少ないようです。
工場とかの見学は無かったので、工業面の状況は何とも言えません・・・。
海岸端で細い煙突の先から火が出ていたので、天然ガスか原油がある程度採掘されるのかもしれません。
エネルギーを自給しているという循環式の農家さんを訪問しました。タンクトップ姿の人が世帯主です。ニワトリが放し飼いされていました。奥が豚舎で、庭木のマンゴーが実を付けていました。
空中を左右に横切るのが、バイオガス(メタンガス)のパイプラインです。
豚小屋から糞尿をバイオガスタンクに誘導して、発生したメタンガスを普段の生活の煮炊きに使用していました。
特別な装置は必要なく、半地下に埋めてあるゴムシートのタンクに溜まった糞尿から太陽熱と地熱によって自然にメタンガスが発生します。
ガスタンク(・・・というより袋状)の上部に溜まったガスを縦管のパイプラインで家屋に引き込んで、コンロに繋がっています。
炎は青くきれいな完全燃焼した炎でした。
パイプラインの途中には、半分程度水を入れたペットボトルがぶら下がっていて、そこで発生する泡によってガスの発生状況を目視することが出来ます。爆発の危険は0ではないと思います。
シートのタンクにタバコの吸殻等が接触したら大変なことになりそうです。
つぎはキューバの農業やバイオマスに関する情報です。
こちら⇒ http://blog.livedoor.jp/m1939923/archives/50656878.html
http://28275116.at.webry.info/200809/article_38.html
御自宅の横に浄化槽(汚水処理施設)らしきものがありました。 こちらからも、パイプが立ち上がっていたのでバイオガス(メタンガス)を回収しているものと思われます。
先端技術ばかりが先進国のバロメーターのように思われていますが、まだまだ学ぶべきことは多いようです。
オレンジジュース工場
野球場
車窓からキューバ滞在中に初めて線路を見ました。
野球場はナイター施設が完備されていました。
野球場は結構目にしましたので、やはり人気のスポーツなのだと思います。 -
スタッフ日記2009年11月19日 20:24
キューバ視察報告 Chapter7
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自宅内部です。狩猟と釣りが好きだったヘミングウェイは、アフリカで獲った獲物の剥製を壁に飾っていました。さすがに蔵書の量も大量です。
室内は立ち入り禁止で、建物の窓越しに写真を撮る事が出来ます。中ではスタッフの女性が掃除をしていました。雨の日は湿度から所蔵品を守るために休館だそうです。
米国のキーウエストにもヘミングウェイ記念館があるようです。
ゲバラはアルゼンチン人、ヘミングウェイは米国人ですが、国籍に関係なく功績のあった人は今でも尊敬されています。
寝室とクローゼットです。靴もほこりを被らず綺麗に保管されていました。
余談ですが、孫のマーゴ・ヘミングウェイ(女優・モデル)は、偶然にも祖父の命日と同じ日に亡くなったそうです。
邸宅は郊外の高台にありました。
ヘミングウェイ愛用のタイプライターと邸宅から見えるハバナ市街地。 望遠鏡で海の状態を調べて、コンディションが良かったら魚釣りに出掛けたそうです。
この写真の部屋は邸宅に隣接して立てられている物見やぐらのような塔の中です。
ヘミングウェイ愛用の船です。米国フロリダのキーウエストで購入してキューバへ持って来たそうです。
手前のお墓は愛猫のお墓だそうですが、ヘミングウェイは3度結婚したので、口の悪い人達は別れた奥さんの墓じゃないの?? と言うそうです。
ヘミングウェイと猫に関する逸話
こちら⇒ http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/8485/hemingway.html
カフェレストラン「バルカ」で昼食タイムでした。道路に面したオープンテラスで食事が出来ます。
昼からビール♪ 最近、日本人から笑顔が失われていませんか?? キューバ人はハッピーでした!!
笑顔は周りの人まで幸せにしますネ!!
ハバナクラブ(ラム酒)の工場を訪問しました。ラム酒の原料になるサトウキビと、搾り機です。工場見学コースの最後にちゃんとカウンターバーがしつらえてあって、しっかり製造元のラム酒を堪能させて頂きました♪
キューバに行く前はジンが好きだったのですが、すっかりラム酒に開眼しました。
ハバナクラブ情報⇒ http://www.ne.jp/asahi/bar/stolas/havana-club.htm
http://www.siregenuine.com/bottle/rum/rum_002.htm
鹿児島県 徳之島で製造されているラム酒「ルリカケス」も美味しいですヨ♪
ルリカケス⇒ http://blog.livedoor.jp/fed_bar/archives/51042004.html
ラム酒工場の模型です。労働力としてアフリカ大陸から多くの人達が船倉にギュウギュウ詰めで連れて来られました。
船の定員もオーバーし、衛生状態も栄養状態も悪かったために生きてキューバにたどり着いたのは十分の一ほどだったと言われています。
ガイドさん曰く「オリンピックで小国キューバが活躍できるのは、生き残った健康で丈夫な遺伝子を受け継いでいるからです・・・」
いろんな犠牲の歴史のお陰で今があるのですネ。
想いを馳せるとか思いやるとか、感謝の気持ちが大切です・・・。
革命広場です。毎年5月1日のメーデーには多くの人々で賑わうそうです。
左の写真は革命広場に面してそびえる内務省ビル。英雄、チェ・ゲバラの肖像がデザインされています。
とにかく、メキシコでもキューバでも、どでかい国旗をあちこちで目にすることが出来ました。
レストラン「エル・アルヒーベ」で夕食を頂きました。このレストランは鶏肉料理が名物だそうです。「エル・アヒルーべ」では無いので、お間違い無きよう・・・。
ガイド氏によると、鶏肉よりも使われているソース(秘伝のタレ)が美味いんだとしきりに力説されていました。
食事中、野良猫(?)が足にまとわり付いてくるので気が散ってしまいましたが、猫が狙うくらいですから味は太鼓判でした。 -
社長コラム2009年11月19日 20:09
キューバ視察報告 Chapter6
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前置きが長くなりました。
いよいよ主目的の「アラマール有機農園」を訪問しました。
組合組織で、案内して下さった男性は代表理事ということでした。
『キューバ有機農業ブログ』
『キューバ紀行』
ハバナ市のはずれに有機農園がありました。
日本のような畝(うね)たてはしないで、木枠で囲んだところに苗を植えていました。
スウェーデン製のスプリンクラーが完備されていました。 霧状(ミスト状)の細かい噴霧をしていて、水分補給と温度を下げる役割を果たしていました。
端っこにマリーゴールドやトウモロコシを植えていましたが、虫除けあるいは、逆に虫を一手に引き付けて本体の被害を防ぐような配慮がされていました。ほんとレンガを崩したような赤い土でした。
日差しが強いのでネットを張っていました。
昔の人が偉かったのは、農作業を通じて植物や小動物の在り方をみて感じて、哲学的な人生観を知らず知らずに形成していったからかも知れませんネ。
可愛いTシャツを着ている方が農園のミゲル・サルシネ・ロペス代表です
黒板に書いてある数字が賃金で、右から勤続1年目の人から5年目の人の賃金が段階的にオープンになっています。
共産国なので、働く人も働かない人も平等の悪平等かと想像していましたが、公平な制度だと思いました。
この代表の方は、目元が先代の林家三平師匠に似ていました。 「皆さんがあと一週間早く到着していたら、私はあなた方のお相手はするつもりはありませんでした!!」と、キッパリと言われたので何のことかと思いきや、野球のWBCでキューバが日本に負けたことを揶揄されているところでした。
今は亡き、林家三平師匠を知らない人のために・・・。 ⇒ こちら
写真で見るように、単一作物(モノカルチャー)で畑一面大量に栽培するようなことはしていません。
各作物の特性や相互作用を考慮して、隣同士の配列を工夫しているように見えます。
マリーゴールドは線虫除けだと思われますが、トウモロコシは風除けなのか虫除けなのか、はたまた害虫を誘引して我が身を自己犠牲で虫に食わせて主要作物を守るのか、興味は尽きません。
詳しい説明を聞く機会を逃してしまいました。もう一度、行ってみたいです。
果樹の苗木も育成していました。トロピカルフルーツも農園内で実がなっていました。
ピンボケ写真だったので載せませんでしたが、可愛い「ハチドリ」の姿も果樹園で見る事ができました♪
農園内でミミズを養殖していました。 土作りと落ち葉や生ゴミの処理を兼ねているそうです。ブロックで囲んでいたのは土竜(モグラ)除けだったのかもしれません・・・。 とにかく、ミミズはうじゃうじゃ居ました。ミミズはまさしく生きた「造粒機」ですネ。
世の中に不要な生き物はいないと信じています。 シロアリも腸内細菌が水素を作り出したり、木質系のリグニンやセルロースを分解したり・・・。 寄生虫も宿主の免疫を高める物質を分泌したり・・・。 ゴキブリだって人類や地球を救う何かを持っているかもしれません・・・。
ミミズは漢字で「地竜(または地龍)」と書くそうです。 調べてみると日本だけで300種類いるとか・・・。
ご参考⇒ http://www.supplerank.com/tv/09.html
結構役に立っているのですネ。 我々もミミズに負けないようにしなくては♪
ゴキブリの薬効についても調べてみました・・・。
こちら⇒ http://www.jinseido.co.jp/kanpo/manpo/971019.html
番外で「昆虫食」のお話・・・
すごい写真が載っています⇒ http://musikui.exblog.jp/m2006-12-01/
http://musikui.exblog.jp/i0/
ゴキブリにも負けないようにしなくては♪
他の人の訪問紀です⇒ http://homepage1.nifty.com/oj-hiroba/200607/200607_7.htm
ノーベル賞作家、ヘミングウェイの自宅を訪問しました。自宅玄関と妻&子供達が寝泊りする別邸、邸宅の庭です。
入場する際に、カメラの持ち込み料約500円を払いました。
家の中も庭も綺麗に管理されていました。
端の方では家庭菜園も作られていました。
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スタッフ日記2009年11月19日 20:00
キューバ視察報告 Chapter5
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日本では車検が通りそうも無い車や古い車、新しい車が混在しています。 共通点が一つあって、バンパーやボディにほとんど傷が付いていないのです。 よっぽど運転が上手なのか、すぐに修理してしまうのか・・・。
面白かったのが、ナンバープレートの色分けによる分類で、ナンバープレートの色である程度その車の所属が分かるようになっている点です。 例えば、青⇒政府関係者 茶⇒社長・副社長 白⇒大臣・副大臣 緑⇒防衛省・内務省 赤⇒レンタカー 黒⇒大使館員 等々。
所ジョージが喜びそうな、1940~1950年代のアメ車が現役で走っています。
中には、日本製のエンジンに乗せ換えている車もあるそうです。
海に囲まれた島国なのに、よくもマァ錆びないで長持ちさせているものです。
小林旭がキューバに行ったら涙を流して喜ぶかも・・・。
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=nkyRbp2YXag
日本でも見かけなくなったワーゲンとガソリンスタンドの風景。 旧ソ連製の車には、リアウインドに何故か「愛」というステッカーが貼ってありました。
ほんとうに不思議の国です・・・。 車を見ているだけでも楽しいです。 当初はアメリカのフロリダ半島からは百数十kmしか離れていない隣国同士で仲の良かった蜜月時代もあったのですが、ある時キューバ政府が米国資本の石油会社を一方的に国営化したことが発端で、米国は報復で経済封鎖をして食料や肥料やエネルギーの供給をストップしてしまいました。
その後、キューバは同じ共産国のソ連の庇護を受けて生き延びましたが(軍事面でも)、東西冷戦の終結によってロシアはキューバへ物資を援助するほど国力がなくなりました。
日本と同じ島国のキューバは当時、食料自給率も今の日本と同じ30~40%位しか無く、泣く泣く自立自興の道を歩むしかなかったのです。 東西の壁が崩壊後、わずか20年ほどで食料自給率も改善し、医療費・教育費無料の音楽と笑顔溢れる今のキューバに至る訳です。
日本にとっても非常に参考になる島国ということです。今の日本を眺めると、どのような国作りを目指しているのか方向性が見えません。物質的には豊かかもしれませんが、今のままで良いとは決して思いません。
例えばこんな国・・・
新生日本の国家ビジョン
『グレイト・コラボレーション=偉大なる共生』社会の建設
―違いが強さになる国創り―
「オクシデンタル・ミラマール」ホテルのエレベーターホールから見える風景と、ベッドメーキングの妙技(ハートと白鳥)です。
枕元にチップ(1兌換ペソ≒100円)を置いておいたらメードさんが披露してくれました。カミさんはチップを置くのを忘れたところ、このようなサービスは無かったそうです。ホスピタリティ(もてなし)の高さを感じました。
ホテルで働いているの人懐っこい笑顔が今でも目に浮かびます。
バレーボールや野球の指導で交流があるせいか、たしかに親日家が多いように感じました。但し、米国に隷属している日本の姿勢は尊敬されないかも・・・。
ヘミングウェイ行きつけのレストラン「フロリディータ」の外看板と銘板です。 カウンターではいつでもヘミングウェイが出迎えてくれます。
ヘミングウェイは自由奔放に生きた人というイメージがあります。 従軍記者時代もあったようです。膝が悪くて、立ったまま原稿を書いたという話も耳にしました。
ヘミングウェイの像が座るカウンターを通り越した奥には、シックな部屋があります。
↑上の写真が、めっちゃ美味しいラム酒ベースの「フローズンダイキリ」です。 帰国後は地元のお店でこれにハマッています・・・。
ヘミングウェイが注文するものは「パパダイキリ」とよばれ特大サイズだそうです。
鹿児島の名物「白熊」もビックリです!!
白熊⇒ http://www.mujyaki.co.jp/
メインディッシュはシーフードと野菜の盛り合わせでした。
「フロリディータ」でもやっぱり生演奏のサービスがありました。
キューバ滞在中、昼食と夕食時にはほとんど生演奏&お酒を楽しむことが出来た贅沢な旅でした。幸せ者です♪
物価は思っていたよりも高くて、日本とほとんど変わりません。 多分、外貨獲得のために現地の人と外国人とでは料金体系が違うのでは??と思います。 ビールやカクテルは3~6兌換ペソなので、約300円~600円です。 トイレでも入るときにはチップが必要です(1兌換ペソ)。
このお店には、写真のように葉巻専従のスタッフが居て常にベストコンディションになるように、つきっきりで葉巻のお世話をしていました。
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スタッフ日記2009年11月19日 19:45
キューバ視察報告 Chapter4
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カフェレストラン「ボデギータ デルメディオ」はモヒート(ラム酒ベースのカクテル)発祥の店で、ランチタイムでした。 一階の入り口横から既に生演奏の音がこぼれてきます♪
二階にもまたまた生演奏のお出迎え!! ♪グアンタナメ~ラ~ ~ ~
ノリノリのバンドでした。
飲み物の写真はモヒート(MOJITO)です。ミントの生葉が入っているのがポイントです。砂糖も入っているのか甘口です。
このお店で購入したCDのジャケットにはモヒートのレシピが書かれてありました。
モヒートも旅行中、お店によって違う個性を楽しむことが出来ました♪
「グアヒーラ・グアンタナメラ」は、どのようにつくられたか。
「Guantanamera」いろいろ・・・
⇒ http://www.youtube.com/watch?v=FYXLQT6Kdk8&feature=fvw
http://www.youtube.com/watch?v=Dew27E-x_b4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=sz1udTDnLnA&feature=related
♪Guantanamela guahira gantanamela
グアナタナモの娘よ、田舎者よ
Yo soy hombre sincero
オレはまじめな男
de donde crece la palma.
椰子の生える村からきた
y antes de morirme quiero
死ぬ前におまえに
echar mis versos del alma.
心をこめた言葉を捧げたい
♪Guantanamela guahira gantanamela
グアナタナモの娘よ、田舎者よ
Mi verso es de un verde claro
オレの言葉は鮮やかな緑
y de un carmi'n encendido.
オレの言葉は燃える紅
Mi verso es un ciero herido
オレの言葉は傷ついた鹿
que buscar en el Monte Amparo.
奥深い山の麓でみつかる
やはりお米が主体なので、日本人の口には良く合います。
もともと宮殿だったところが「革命博物館」になっていました。
博物館の外には、キューバ革命の際に使用された戦車や飛行機が飾られていました。
今年はキューバ革命から50周年の記念すべき年だそうです。
革命成功の演説をしたときに一羽の鳩が何かを暗示するように肩にとまったそうなんですが、それがカストロだったかゲバラだったか・・・。
さすがに元宮殿だけあって、内部は豪華絢爛の造りでした。
お馴染み、チェ・ゲバラのタペストリーも飾られていました。
ゲバラはアルゼンチン人の医学生だったのですが、中南米を放浪していて、キューバ革命時にはゲリラの指導者&軍医として活躍したそうです。
日本にも来た事があるらしく、広島へもお忍びで訪問しているそうです。
世界中にゲバラファンがいるせいか、訪問先のお土産屋さんではゲバラのポスターや絵葉書やTシャツが氾濫していました。
ゲバラの愛車はTOYOTA製でした。
小学生の頃にプラモデルを作ったソ連製の戦車「T-34」と対面できました。
革命の炎は燃え続けています。
建築物は派手な色使いが気になりません。むしろ似合っています。
共産国だからでしょうか? 派手な広告が無いので街の景観がスッキリしています。
同じ共産国でも中国沿岸部は看板だらけですが・・・。
街の薬屋さんと配給所、ペンキ塗りたての家。(宝石店ティファニーのイメージカラーのようです・・・)
コンビニみたいなところは目にしませんでしたが、スーパーや飲み物や軽食を売っているキオスクのようなお店はありました。
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えこふぁんど20112009年11月19日 19:04
キューバ視察報告 Chapter3
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支倉常長(はせくら つねなが)は、伊達政宗のもとに仕えた藩士でローマ教皇謁見への航海の途中に、1614年、日本人として初めてキューバの地を踏んだ人です。 (当然一人旅じゃないはずなので、他にも名前が挙がっても良さそうなのですが・・・) 1614年というと関が原の戦いが終わってまだ14年しか経っていない時代です。 行ったのも偉いですが、無事に帰って来たのも凄いことだと思います。
この像は、仙台育英学園の有志の方々によってこの地に建立されたそうです。 高く上げた右腕は、遠く日本を指しているとか・・・。 背景の対岸には、モロ要塞が遠望できます。
★ 一口メモ・・・「法王」と「教皇」の違いとは?? (以下、カトリック中央協議会HPより転載)
「ローマ法王」と「ローマ教皇」、どちらが正しい?
「新聞を見ると『ローマ法王』と書いてあり、教会の文書には『ローマ教皇』と書いてあります。 どちらが正しい表記ですか?」 このような質問が多く寄せられます。簡単に説明します。
教会では「ローマ教皇」を使います。
以前はたしかに、日本のカトリック教会の中でも混用されていました。そこで日本の司教団は、1981年2月のヨハネ・パウロ2世の来日を機会に、「ローマ教皇」に統一することにしました。「教える」という字のほうが、教皇の職務をよく表わすからです。
その時以来、たびたびマスコミ各社に「ローマ教皇という名称を使ってください」とお願いしていますが、残念ながら実現していません。
「カテドラル広場」と「アルマス広場」界隈を散策しました。
写真の門柱の上には、パイナップルの飾りが乗っかっています。
窓枠も青のパステルカラーでおしゃれでした。 キューバの民族衣装を着ている女性も歩いていました。
原則的に街中の写真は自由に撮れますが、例えば写真の民族衣装の女性と改まって並んで撮るとなるとチップは必要だと思います。
葉巻工場内は撮影禁止でしたし、ヘミングウェイの自宅や革命博物館はカメラの持ち込み料(撮っても撮らなくても)を500円ほど支払いました。
ヘミングウェイが定宿としていたホテル「アンボスムンドス」。 お気に入りの部屋は最上階の角部屋だったそう。
床屋さんのサインは万国共通のようですネ。ホテル近くにある「いかりや長介」氏がTVロケに来た時にお世話になったという床屋さん。
その写真の右側に写っている人が、現地ガイドのオスワルドさん。(チェ・デバラ(出腹)の名付け親) ガイド業の人は一種の制服なのか、どのガイドさんも赤いポロシャツを着ていました。
アンボスムンドスホテルの屋上からは市街地が一望に出来ます。
ちょっとしたオープンカフェバーもあり、心地よい風にあたりながらビールを頂きました。
左の写真は最上階にあるレストランの表札と格子状のクラシックなエレベーター。
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街中では特別なお祭りでもないのに、竹馬姿の楽団がノリノリの音楽を奏でながら闊歩していました。(キューバ版チンドン屋さん??) 街全体がテーマパークのようです。
左側の2枚の写真はセピアカラーで描かれた壁画です。 キューバの偉人(芸術家や科学者・哲学者・文学者)の人々だそうです。
街角で犬と組んで稼いでいるお兄さんが居ました。
面白かったのは、キューバ紙幣を犬の口先に持っていくとパクッと咥えるのに、ドル紙幣を口先に持っていくとフンッとそっぽを向くように躾けられている点でした。
犬にまでアメリカは嫌われているようです・・・。
為替レートも米ドルは良くないので、日本からは円をユーロに替えて持っていったほうが良いようです。
反米主義は徹底していました。
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えこふぁんど20102009年11月19日 18:44
キューバ視察報告 Chapter2
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港町首都ハバナを護る「モロ要塞」からの市街地の風景です。 河口部に位置して、出入りする船を監視します。 要塞内の通路にも音楽が溢れていました♪ 大砲は現在使われておりませんが、迫力満点でした。
スペインの支配下にあった時期があり、市街地は古いヨーロッパ風の町並みと、 ガラス張りの近代的なビルが同居していました。
モロ要塞に隣接している、「カバーニャ要塞」の大砲と、チェ・ゲバラの執務室です。チェ・ゲバラは今でも英雄で、街中のいたるところで絵やモチーフを見る事ができました。ゲバラの写真が絵葉書で売られていたり、Tシャツに似顔絵がプリントされていました。
私は現地のガイドさんから「チェ・デバラ(出腹)」とあだ名を付けられてしまい、滞在中ずっと、デバラさんとよばれていました(トホホ)。
「メリア・パラデロホテル」の室内です。
旅行中、私はいびきがうるさいということで、個室になりました。
ハバナ市内では古い伝統ある建物と、近代的なビルディングが調和していました。建物の色使いもパステルカラーが多く、トロピカルムードに溢れていました。
鹿児島でもパステルカラーは似合うような気がするのですが、もう少し遊び心が必要なのかも・・・。
キューバは遊び心満載な、トロピカルアイランドでした♪
荘厳な建物もさることながら、空の青さが素晴らしいです。
「オールドハバナ」ということで世界遺産になっているようです。街全体がテーマパークのような感じでした♪
常に音楽がそばにあるというか、サルサのライブを楽しみながらの「タベルナ・ソン」での夕食は「食べて・得」といった感じでした。
日本では考えないくらい音楽が身近に感じられます。 ノリの良い音楽が流れてくると現地の人は踊りだします。
ハバナ市内にある葉巻工場の入り口と手作業の様子と、工場隣の機関車捨て場の写真です。
街中では馬車も普通に走っています。
葉巻工場は4階建てで、内部には作業工程を教えるための学校もありました。全て手作業なので、葉巻が高いのも頷けます。 葉っぱの色毎や太さや長さ等々、何十種類もの規格や分類がされていて、検品も非常に厳格に行われていました。
キューバでの禁煙意識ですが、レストランでは灰皿があるところとないところがありました。ホテルではロビーは禁煙で、玄関の外の脇に灰皿がありました。タバコの自動販売機は、ホテル内では見かけました。街中にはジュースの自販機もタバコの自販機も見かけませんでした。
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