内山味噌の由来
2017年12月27日
内山味噌店 味噌蔵の熟成肉ファンド
こんにちは。
内山味噌の内山です。
今回は当店の起源・由来についてお話しします。
創業は今から145年前、明治5年(1872年)です。
当蔵のある茨城県日立市水木は、阿武隈山脈の最南端に位置する風神山を背に、
眼下に太平洋を臨む、古来より海の幸と山の幸に大変恵まれた土地です。
またすぐそばには、「泉が森」という清水の湧き出る泉があり、
奈良時代に記された「常陸風土記」にも当時の様子が記述されている古くからの町でもあります。
そのような地で、創業者の内山庄之允(うちやましょうのじょう)が漁の仕事から退き、
隠居仕事として醤油・味噌の醸造を始めたのが当蔵の起源と言われております。
私で6代目。
余談ですが、私の名前は庄栄。父が庄一、祖父が庄司と言うように、長男の名前には代々「庄」の字が付くんです。
今ではスーパーやお店で買うのは当たり前の味噌ですが、創業当時は、
「味噌かう家には蔵は建たぬ」ということわざがあったほど、
味噌と言えば自分で作ることが当たり前だった時代です。
そんな時代に、お祭りや客人をもてなすための特別な味噌の醸造技術として生まれた
「大豆玉麹造り」という醸造方法。
初代庄之允のこだわりが凝縮した当時の最新の醸造技術だったそうです。
当蔵では、今なお「古式醸造」という名を冠し、創業以来変わらぬ技と味を守り続けています。
なかでも当蔵人気NO1の「古式醸造 手造りみそ」は、創業の味を忠実に再現している味噌です。
つまり145年も経った現在でも、お客様に受け入れ続けられる味なんです。
これを考えると、味噌のおいしさと言うものは、まさに日本人のDNAに刻まれている
遺伝子情報なのではないかとさえ思わされます。
そのような醸造技術、そして創業者の精神を受け継ぎつつ、「味噌屋の熟成肉」作りは
作られています。
皆様にご満足いただける製品ができるように頑張ります。
引き続きの応援をお願いいたします。
内山味噌の内山です。
今回は当店の起源・由来についてお話しします。
創業は今から145年前、明治5年(1872年)です。
当蔵のある茨城県日立市水木は、阿武隈山脈の最南端に位置する風神山を背に、
眼下に太平洋を臨む、古来より海の幸と山の幸に大変恵まれた土地です。
またすぐそばには、「泉が森」という清水の湧き出る泉があり、
奈良時代に記された「常陸風土記」にも当時の様子が記述されている古くからの町でもあります。
そのような地で、創業者の内山庄之允(うちやましょうのじょう)が漁の仕事から退き、
隠居仕事として醤油・味噌の醸造を始めたのが当蔵の起源と言われております。
私で6代目。
余談ですが、私の名前は庄栄。父が庄一、祖父が庄司と言うように、長男の名前には代々「庄」の字が付くんです。
今ではスーパーやお店で買うのは当たり前の味噌ですが、創業当時は、
「味噌かう家には蔵は建たぬ」ということわざがあったほど、
味噌と言えば自分で作ることが当たり前だった時代です。
そんな時代に、お祭りや客人をもてなすための特別な味噌の醸造技術として生まれた
「大豆玉麹造り」という醸造方法。
初代庄之允のこだわりが凝縮した当時の最新の醸造技術だったそうです。
当蔵では、今なお「古式醸造」という名を冠し、創業以来変わらぬ技と味を守り続けています。
なかでも当蔵人気NO1の「古式醸造 手造りみそ」は、創業の味を忠実に再現している味噌です。
つまり145年も経った現在でも、お客様に受け入れ続けられる味なんです。
これを考えると、味噌のおいしさと言うものは、まさに日本人のDNAに刻まれている
遺伝子情報なのではないかとさえ思わされます。
そのような醸造技術、そして創業者の精神を受け継ぎつつ、「味噌屋の熟成肉」作りは
作られています。
皆様にご満足いただける製品ができるように頑張ります。
引き続きの応援をお願いいたします。