【第3回】食の安全を願う生産者ファンド2016~生産者紹介連載~
2016年12月20日
食の安全を願う生産者ファンド2016
お世話になっております。
現在募集中の【食の安全を願う生産者ファンド2016】をより身近に感じていただくために、素晴らしい商品を作っている生産者の方々をご紹介する連載第3回目の今回は、岩手県九戸村にて農薬や除草剤、化学肥料を一切使用しない「自然農法」を用いて品質を重視した山ブドウの栽培・生産を行っている、「下田澤山ぶどう園」の下田澤榮吉さんを2回に亘りご紹介致します。
一般的なブドウの約3倍のポリフェノールとビタミンB6、4倍のカルシウム、5倍の鉄分、5・5倍のリンゴ酸が含まれ、栄養価が非常に高く、酸味も甘みも強いという特徴を持つ山ブドウ。日本の在来種で、縄文時代からワインやジュースにして飲まれていたそうだ。疲労回復、滋養強壮に効果的で、貧血にも良いといわれている。
冷涼な岩手県は全国の約半分の生産量を占める日本一の山ブドウ産地。県北地方では、「さんと見舞い」(出産見舞い)として搾った山ブドウを瓶に詰めて贈ったり、風邪予防にお湯割りで飲んだりと、古くから愛用されてきた。
岩手の山林に自生する野生種に惚れ込み、九戸村で誰よりも早く山ブドウの栽培化を始めた下田澤榮吉さんは、 30年かけて珠玉の山ぶどうジュースを作り上げた。太陽の恵みに光り輝く果汁には天然の抗酸化成分であるポリフェノールが豊富で、その機能性は各種疾病や老化の予防に大いに期待されている。
農家の長男だった私は中学校を卒業後、岩手県立の浄法寺経営伝習農場で1年間、牛飼いの技術と牧草の管理を学びました。いまブドウ畑となっている傾斜地は当時、山を開拓した牧草地で、多いときには 15 頭ほどの牛を放牧していたのです。昭和 39 年に酪農を始めた当初は好景気でしたが、全国的に牛乳がだぶつき、出荷制限をされた時期があり、パートで林業の仕事を始めました。
ある晩秋の晴れた日、 30 年もののカラマツを間伐していたときに空を見上げると、大木においしそうな山ブドウが絡みついていました。そのころ山ブドウが豊作で、隣村では山ブドウを採って300万円稼いだ者がいるという噂がありました。採るよりも栽培したほうがいいと考えた私はそのとき、「ブドウをやる」と決意しました。それはそれは見事な山ブドウに一攫千金を夢みたのです。
林業で一緒に働いていた同僚たちは、9月の末から 10 月ごろは松茸やシメジなどのキノコを昼休みに採りに行くのですが、私は立派な実がなる山ブドウの木を探し歩きました。霜が降りて雪が少しちらつくころ、葉っぱが全部落ちてしまったブドウの穂木を山で採取し、翌年の春に1500本ほど挿し木したところ、翌年のお盆のころに300本くらい芽が出ました。
連載第3回目は「下田澤山ぶどう園」の下田澤榮吉さんが山ブドウに出会うまでのエピソードをご紹介致しました。
次回は下田澤山ぶどう園の山ブドウがどのようにして現在の味に辿り着いたのかをお伝え致します。
https://www.securite.jp/fund/detail/2673
現在募集中の【食の安全を願う生産者ファンド2016】をより身近に感じていただくために、素晴らしい商品を作っている生産者の方々をご紹介する連載第3回目の今回は、岩手県九戸村にて農薬や除草剤、化学肥料を一切使用しない「自然農法」を用いて品質を重視した山ブドウの栽培・生産を行っている、「下田澤山ぶどう園」の下田澤榮吉さんを2回に亘りご紹介致します。
太古の時代から脈々と伝わる天然完熟山ブドウ果汁
一般的なブドウの約3倍のポリフェノールとビタミンB6、4倍のカルシウム、5倍の鉄分、5・5倍のリンゴ酸が含まれ、栄養価が非常に高く、酸味も甘みも強いという特徴を持つ山ブドウ。日本の在来種で、縄文時代からワインやジュースにして飲まれていたそうだ。疲労回復、滋養強壮に効果的で、貧血にも良いといわれている。
冷涼な岩手県は全国の約半分の生産量を占める日本一の山ブドウ産地。県北地方では、「さんと見舞い」(出産見舞い)として搾った山ブドウを瓶に詰めて贈ったり、風邪予防にお湯割りで飲んだりと、古くから愛用されてきた。
岩手の山林に自生する野生種に惚れ込み、九戸村で誰よりも早く山ブドウの栽培化を始めた下田澤榮吉さんは、 30年かけて珠玉の山ぶどうジュースを作り上げた。太陽の恵みに光り輝く果汁には天然の抗酸化成分であるポリフェノールが豊富で、その機能性は各種疾病や老化の予防に大いに期待されている。
探究心が未来を拓く
天然山ブドウとの偶然の出会い
昭和56年、岩手県の九戸村では私がいちばん最初に山ブドウの栽培を始めました。農家の長男だった私は中学校を卒業後、岩手県立の浄法寺経営伝習農場で1年間、牛飼いの技術と牧草の管理を学びました。いまブドウ畑となっている傾斜地は当時、山を開拓した牧草地で、多いときには 15 頭ほどの牛を放牧していたのです。昭和 39 年に酪農を始めた当初は好景気でしたが、全国的に牛乳がだぶつき、出荷制限をされた時期があり、パートで林業の仕事を始めました。
ある晩秋の晴れた日、 30 年もののカラマツを間伐していたときに空を見上げると、大木においしそうな山ブドウが絡みついていました。そのころ山ブドウが豊作で、隣村では山ブドウを採って300万円稼いだ者がいるという噂がありました。採るよりも栽培したほうがいいと考えた私はそのとき、「ブドウをやる」と決意しました。それはそれは見事な山ブドウに一攫千金を夢みたのです。
林業で一緒に働いていた同僚たちは、9月の末から 10 月ごろは松茸やシメジなどのキノコを昼休みに採りに行くのですが、私は立派な実がなる山ブドウの木を探し歩きました。霜が降りて雪が少しちらつくころ、葉っぱが全部落ちてしまったブドウの穂木を山で採取し、翌年の春に1500本ほど挿し木したところ、翌年のお盆のころに300本くらい芽が出ました。
連載第3回目は「下田澤山ぶどう園」の下田澤榮吉さんが山ブドウに出会うまでのエピソードをご紹介致しました。
次回は下田澤山ぶどう園の山ブドウがどのようにして現在の味に辿り着いたのかをお伝え致します。
現在募集中のファンド
【食の安全を願う生産者ファンド2016】https://www.securite.jp/fund/detail/2673