今回のインタビューは、セキュリテストアで「歌津小太郎」ブランドを展開する橋本水産食品の千葉孝浩社長です。1975年創業の橋本水産食品では、4月1日、東日本大震災から10年が経過し、創業者である父親が80歳となったことから、息子の孝浩さんが社長に就任しました。コロナ禍の長期化、漁業資源の枯渇といった厳しい社会を社員とともにどう乗り切り活路を見出していくのか。東日本大震災でのセキュリテとの出会いに関するエピソードと共に、お話していただきます。
1972年宮城県歌津町(現南三陸町)生まれ。2021年4月代表取締役就任。南三陸・歌津の魅力を一人でも多くのお客様に知っていただくことが自分の使命だと捉え、家業に取組む。
まずは、ブランド名「漁師 歌津小太郎」について教えてください。
「歌津小太郎」は、宮城県の北東にある南三陸町・歌津の地名と、小太郎は創業社長の千葉小太郎からとっています。歌津の海を知り尽くした「歌津小太郎」が漁師の面子をかけて、「三陸のうまいものを都会に暮らすお客様に伝えていこう」と考え、製品を提供しているというコンセプトです。
セキュリテストアでは、主力商品の「さんま昆布巻」、「めかぶ漬」、「ほや醤油漬」を扱わせてもらっています。「三陸の方々が食べている味を伝えていく」ということですので、まさに、地元の方々が食べている味を、提供されているのですね。
そうですね、私たちが日頃から食べている本物の「うまいッ!」という状態に限りなく近いものを、お客様に届けようと考え、安易に流行の商品などに手を出さないようにしています。いいのか悪いのかは別にして自分たちが食べているものを、私たちの品質、味で、しっかり伝えていこうと、頑なにやっております。
歌津小太郎こぶ巻ファンドめかぶ漬とほや醤油漬セット
企業理念を拝見しました。「経営者やお客様でなく、従業員や従業員の家族の幸せを願う」とおっしゃっているのですね。
企業理念は、事業を始めてすぐに作ったものではありません。消費税が3%から5%にあがる1997年頃、これまで緩やかに右肩上がりを続けてきた私たちのメインの仕事である、百貨店の催事販売による売上高が伸びなくなったのです。
それで、これまでは売上実績を会社のモチベーションとして、事業に取り組んできましたが、それができなくなったのです。まわりの経営者の先輩方に教えを請いにいったところ、「理念が会社にないといけない。理念があれば強い会社になれる」と、教えていただきました。
それで、おやじ、おふくろ、私からなる会社の経営陣で、私たちの企業理念を作りました。
その経営方針の中に、「会社は、経営者やお客様のために存在しているのではなく、従業員や従業員の家族の幸せを守る為に存在しています」という一文を書きました。「歌津小太郎」が、従業員とその家族に支えられてやってきた事業であることを、しっかり肝に銘じ、忘れないために、企業理念に書き込みました。
本社にて従業員の皆様と
「会社は株主のもの」という考えが上場企業の間では広まる中で、「会社は社員のもの」という御社の理念は、とても印象的です。
立派なことを書いたつもりもないし、理念がしっかり実践できているかどうかについて、従業員さん1人1人が、どう思っているかは、わかりません。しかし、東日本大震災から10年たち、弊社では、震災前からのベテランスタッフと震災後に加わった新しいスタッフがうまく融合しています。もちろんやめる方はいらっしゃいますが、自慢なのは、本人の意思でなく、家族の事情でやめるという理由が目立つことです。もちろん、私たちから、解雇をしたことは一度もありません。それだけ従業員は、結束力があり、チームワークがいいのが私たちの強みであることは間違いありません。現在、19名の社員に支えられています。
4月1日に、千葉孝浩さんは、創業者のお父様から社長の座を引き継がれました。新社長としての抱負を聞かせてください。
経営方針は、これまでと変わりません。ただ、コロナ禍の状況で、これまで私たちが得意としてきた商売のスタイルが、通用しなくなってきていることを切実に感じています。自分たちが得意な部分は残しながらも、勇気を出して、変えるべきところは変えなきゃいけないと思っています。
じゃあ何を変えるのかということです。まずは現状把握です。これまで、私たちが得意としてきた対面販売で商品の魅力を伝える方法、試食販売のような武器が、全く今、使えなくなっています。感染対策、接触の機会を控えるなどといって、どこの店頭にいっても、今、それができないのです。
そこで、通販を強化していこうという考えは、もちろんあります。ただ、今、持っている商品を通販にしたから、それが評価してもらえるかというと、そんなに世の中、甘いものではないと思っています。
例えば、「昆布巻」です。これまでのセキュリテの出資者様からは、「こぶ巻ファンド」ということで、「歌津小太郎」は愛していただいてきましたが、いつまでも「昆布巻」に偏った発信でいいのかどうか考えています。というのも、おそらく、「昆布巻」は、通販では魅力を伝えづらい商品だと思うからです。
先日、東京の上野駅でのイベント会場に出店した時も、改めて、そう感じました。というのも、「昆布巻」を買ってくださるお客様は、最初、おいしいのかどうか半信半疑で、関心を持たれるんですね。
そこをどうやって説得するかというと、試食していただいて、商品の魅力を伝え納得してもらい、「これならば、隣の婆ちゃんにおみやげで買っていってもいいねえ」というイメージをお客さんが持ってくれて、商品をご購入いただけるのです。この「昆布巻」の魅力を、通販で伝えるのは、現状の私たちの発信力ではなかなか難しいと思うのです。
通販に力を入れる場合、今のままでは、「歌津小太郎」の思いは、伝えきれないのだろうと、
感じています。今、会社では、新しい顧客層を開拓するために、これまで「歌津小太郎」で伝えていなかったものや、試食がない時代でも魅力が伝わりやすい商品がないかという掘り起こしをしています。
昆布巻詰合せ
念のため申し上げますが、決して「昆布巻」をメイン商品から外すということではありません。これまでの私たちのスタイルを継続しながら、「昆布巻」に勝るとも劣らない、通販だからこそ魅力が伝わる「歌津小太郎」らしい商品を、私たちは、これから生み出していかなければいけないと、強く感じています。
実は3月から社内で、横断的なプロジェクトチームを初めて立ち上げました。今回は、売る人も、作る人も、お客様からの電話を受ける人も、すべての部署からメンバーを選抜して、プロジェクトリーダー、工場長と私の3名で意見を吸い上げる体制をとり、新しい商品や仕組みを作ろうということで、今、動いています。
昆布巻きの製造過程
というわけで、遠回しな表現となりましたが、社長就任の抱負としては、一人一人の社員の意見を反映していくことに重きをおいて、事業の舵をきっていきたいと思います。
企業理念には、「社員にはやりがいと安心して働ける環境を」という一文があります。
「安心して働ける環境」というのは、収入や売上、原料調達などに依拠する要素があり、 私たちだけでは対処できないところもありますが、「やりがい」は、会社で作っていけるものだと思っています。本当に一人一人にやりがいを感じてもらえるような会社を作っていくのが、社長の最優先事項だと思っています。
SDGsへの関心が高まり、漁業資源の管理も声高に叫ばれるようになりました。どう対処していきますか?
私たちが歌津という地域の名前を借りて看板にしている以上、地域貢献が一番大切で一丁目一番地なのだと思っています。その延長線上に、従業員に喜んでもらうところがあると思うので、社員のやりがい、達成感を、よりうまく引き出すために、地域にどれだけ役立てるかだと思っています。
ご指摘のように、とにかく資源管理が大事な時代に入っています。海の中の温暖化が進んでいて、これまでとれたものがとれなくなっているのは皆さんもご承知の通りです。特に「小太郎」の中では、「さんま昆布巻」という主力商品のひとつが、さんまの不漁が続く中で、近い将来には、製造できなくなる危機感を持っています。
そういったことを考えて、自分たちが、今後、どういったものづくりをしていかないといけないかを日々考えています。まだまだ隠れた逸材が絶対にあるし、まだ私たちが磨き切れていない素材もあると考えていて、先ほど、お伝えしたプロジェクトチームで掘り起こしたいと考えています。
商売道というような大それたものではありませんが、変革の時期であると感じるアンテナだけは常に研ぎ澄ませていないといけません。従業員を路頭に迷わせてしまうかどうかも、私の判断ひとつだと思いますので、しっかりとした判断が下せるように、アンテナは立てていきたいなあと思っています。
最後に、「セキュリテ被災地応援ファンド」に始まるミュージックセキュリティーズとの交流について、教えてください。
私たちが「被災地応援ファンド」を存じ上げたのは、震災から、半年後位、まだ当時、私たちの事業を、正直再開しようかどうか迷っていたところです。工場、自宅、事務所、倉庫、車両が津波で流され、半分、あきらめている状況でした。
どうしようかなと思っていたときに、地域で同じ水産加工を生業としている社長さんたちから、「一度、ミュージックセキュリティーズに相談してみたらどうだ」と、言われました。当時、南三陸町でも、何社か、「セキュリテ被災地応援ファンド」にエントリーしている会社がありました。
私が電話で問い合わせをしたところ、「ぜひ、事情をお聞きしたい。今度、そちらにいったら声をかけます」と言ってくれたのです。まだ、工場が再建できていませんでしたが、「思いが一番大事で、どこに行きたいかという思いがあればミュージックセキュリティーズは応援しますよ」と言われたので、藁をもつかむ、すがる気持ちで、失うものは何もないと思い、エントリーさせてもらいました。
やっぱりファンドって、田舎者なので、全く抵抗感がないわけではなかったんですよね。
また、当時、「被災地応援ファンド」だけでなく、複数の震災復興に向けたファンドの情報が、私の耳にも入ってきていました。
その中で、セキュリテは、「支援」じゃなくて「応援」ファンドなんですよね。「復興」ファンドや「支援」ファンドですと、何か成果がないとダメなのではないかという気がしました。
一方で、私は、セキュリテの「応援」という言葉に、ものすごく共感しました。見ず知らずの出資者の方々から応援してもらえることが、心に響きました。これならば、私たちにもできるかなあと思いました。
で、ご一緒させてもらうと、皆さん、とてもアットホームな感じで、わからないことも
聞きやすく教えていただけました。こうして「被災地応援ファンド」とのつながりが生まれました。
歌津小太郎こぶ巻ファンド
結局、私たちのファンドは、震災から1年以上経過した2012年6月に募集が始まりました。被災地から離れているところに住む方々からすると、この時期は、既に、東日本大震災の被災、復興というイメージが湧きづらくなっていました。さらには、画像で魅力を伝えづらい「こぶ巻ファンド」ということもあり、募集しても、なかなか出資者の方の数が増えなかった記憶があります。
ですが、色々サポートしてもらい、約3年かかって、希望金額が集まりました。合計4,240万円を、再開するための資金として応援していただきました。「半分応援、半分投資」というスタイルだったので、本当に応援なんですよ。再スタートするには、ありがたすぎるシステムだと、今でも感じています。
償還は、来年(2022年)です。どんなことがあっても、出資者の皆様に、感謝の気持ちを込めてお返しできるようにしたいなあと。それをしっかりと目標にして今後の事業に取り組みます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
日本の中小企業が元気になるようセキュリテ出資を続けたい
温かい消費を通じて共感資本社会を作りたい
地方の企業にも直接金融を利用した経営の醍醐味を伝えたい
ウニを通じて「利益・環境・社会貢献」の両立を目指す
私たちの「うまいッ!」を伝えたい
地方創生や「ファイナンスの地産地消」に共に取り組みたい
私たちにできることを やっぺー
セキュリテは、授業料が返ってくる学校
別腹の玉手箱を持つイメージで投資を
自分のお金が循環しながら社会を豊かにしている実感