西日本支社
2016年4月22日 17:11
(テニスプレーヤー原田武一選手)
みなさん、こんにちは。
西日本支社の周です。
今日は、「なぜ私は「旧原田邸」を引き継いだか」というテーマで、
有限会社くまの辻さんから伺った内容をご報告しようと思います。
やや長文とはなりますが、是非ご笑覧頂ければ幸いです。
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ー今回のプロジェクトはファンド資金を活用して、「旧原田邸」を「ジャム工房」などに改装するプロジェクトです。そもそも、「旧原田邸」の持ち主であった原田武一さんはどういう方だったのですか?
辻さん:今回のクラウドファンディングは、地域の宝を次世代に繋ぐ仕事です。
今回のプロジェクトの舞台は「旧原田邸」ですが、実は原田家は国内外でいろんな商売を手掛け財を成した旧家なんです。その原田家の当主で、戦前戦後とテニスプレイヤーとして、世界で活躍したのが、原田武一さんです。世界シングルランキングの最高位は7位。岡山県で最初のオリンピック選手として、1924年のパリオリンピックに出場しています。全豪、全仏、全米、ウィンブルドンでも活躍し、世界中にファンがいたそうです。国別対抗のデビスカップには、選手としても監督としても出場しています。
現役引退後も倉敷市酒津のこの場所に住み、岡山三菱自動車販売の初代社長になりました。テニスでは、ジュニアの育成に力を入れ、原田杯を開催しました。この大会は、後にクルム伊達公子選手や錦織圭選手など世界へ羽ばたくジュニアが一番に目指す大会になったんです。今も、全日本ジュニア大会として原田さんのスピリッツが生き続けているんです。
旧原田邸は明治23年に建てられた母屋に蔵や長屋門を構え、500坪の敷地内にはテニスコートもあったんですよ。
ーファンド資金は「旧原田邸」の改装費用に利用される予定ですが、このプロジェクトはどのような形で始まったんですか?
辻さん:ある時、この建物、いえ、土地ですね、土地が売られることになり結果として建物が潰されることを聞いたのがきっかけです。
ニュースを聞いてすぐに感じたことは、「旧原田邸」に限らず、これが戦後ずっと繰り返された瞬間的な経済活動の縮図だということなんです。こんな大きな家を維持管理しながら活用したり住むことって、家主にとって経済的負担が大きすぎます。増して、相続のタイミングになれば税金の対象として子孫にのしかかってきますしね。
人は誰も、生まれ育った生家やふるさとを愛する気持ちは、いつの時代も変わることはないでしょう。しかし、地方創生と叫ばれながら、地域の宝を守り繋ぐ仕組みも制度も地域にはないんです。一部の中心市街地活性化事業や商店街などには、いろんな省庁からの補助金制度がありますけど・・。
2年前、この「旧原田邸」の運命も不動産業者に渡り、家屋を潰して更地にして分譲地や投資の対象としてアパートを建てる計画などが持ち上がっていました。残念ながら、この家を活用する買い主がいなかったんです。今の時代の経済的活用方法として、分譲地やアパートにすることは決して悪いことではないと思います。しかし、地域の歴史文化、日本らしさ、地域の命を生かし繋げるには、この場所、この建物、この原田家を残さないといけないと思っています。
ーなぜですか?
辻さん:私は、これまで倉敷市、総社市、玉野市の全ての小学校区を自ら企画・出演した「朝ぶら」という番組で歩いて巡りました。延べ3000~4000㎞歩いています。
ー4000㎞!
はい、12年間の番組放送では、学区を三巡し、延べ300近くの小学校区を巡ったことになります。その中で、地域の宝にたくさん触れてきました。昔ながらの土や木をふんだんに使い、匠の技や粋な暮らしぶりを伺わせる日本家屋。その土地ならではの素材や技術力を生かしたものづくりなどです。
しかし、地域ならではの街並みやものづくりも昔のものとなり、寂れ朽ちるのを待つだけになっているのが現状です。一方、そこには地域の本質、地域の命がまだ息をしているんです。代わりがきかない、唯一無二な大切なふるさとがそこにあると思うんです。
その命を感じ、地域を次の時代に繋ぐことが今求められていると思います。学区を三巡するたった12年の間にも、地域の宝が次々と潰され、命を消されてきたのを沢山この目で見てきました。昔であれば、大きな家、地主、商家、旧家などは代々家を継ぐこと、地域を継ぐことが当たり前でした。更にお宮や寺を守ったり、地域の旦那としてリーダー的役割を果たして来たんです。
しかし、戦後、農地解放により地域の財力は分散しました。地域の宝をその家だけの負担にし続ける今までのやり方では、地域の宝、日本の宝は時代時代の瞬間的な消費経済の名の元に潰され、地域も時代も消費され続けるでしょう。
ーそのような中、今回のプロジェクトはどのような意味を持つのでしょうか。
地域の宝を「みんなで支える仕組み」を作る、「旧原田邸」プロジェクトはその新しいチャレンジなんです。どんな時代になっても、地域の宝となる場所を地域の素材を生かしたものづくりの場所として、これからの時代と繋がって行く。その時代で、地域の宝に経済的自立をさせて行く「仕組み」を作って、次世代に繋ぐチャレンジをします。
昨年の2月、原田武一さんのご子息から「旧原田邸」を引き継ぎました。みんなで地域の宝を支える仕組みづくりを、ぜひ皆さんとご一緒にしたいですね。
小さくともメーカー、酒津ブランドとしてしっかり全国に発信して経済的自立を計り、原田邸をものづくりの拠点として、地域のまちづくりにチャレンジしていきたいと思います。
ーありがとうございました。
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【ファンドの詳細・お申込みはこちらから】
https://www.securite.jp/fund/detail/1366
地域の宝を次世代に繋ぐ-私が県内4000㎞を歩いて気づいたこと-
(テニスプレーヤー原田武一選手)
みなさん、こんにちは。
西日本支社の周です。
今日は、「なぜ私は「旧原田邸」を引き継いだか」というテーマで、
有限会社くまの辻さんから伺った内容をご報告しようと思います。
やや長文とはなりますが、是非ご笑覧頂ければ幸いです。
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ー今回のプロジェクトはファンド資金を活用して、「旧原田邸」を「ジャム工房」などに改装するプロジェクトです。そもそも、「旧原田邸」の持ち主であった原田武一さんはどういう方だったのですか?
辻さん:今回のクラウドファンディングは、地域の宝を次世代に繋ぐ仕事です。
今回のプロジェクトの舞台は「旧原田邸」ですが、実は原田家は国内外でいろんな商売を手掛け財を成した旧家なんです。その原田家の当主で、戦前戦後とテニスプレイヤーとして、世界で活躍したのが、原田武一さんです。世界シングルランキングの最高位は7位。岡山県で最初のオリンピック選手として、1924年のパリオリンピックに出場しています。全豪、全仏、全米、ウィンブルドンでも活躍し、世界中にファンがいたそうです。国別対抗のデビスカップには、選手としても監督としても出場しています。
現役引退後も倉敷市酒津のこの場所に住み、岡山三菱自動車販売の初代社長になりました。テニスでは、ジュニアの育成に力を入れ、原田杯を開催しました。この大会は、後にクルム伊達公子選手や錦織圭選手など世界へ羽ばたくジュニアが一番に目指す大会になったんです。今も、全日本ジュニア大会として原田さんのスピリッツが生き続けているんです。
旧原田邸は明治23年に建てられた母屋に蔵や長屋門を構え、500坪の敷地内にはテニスコートもあったんですよ。
ーファンド資金は「旧原田邸」の改装費用に利用される予定ですが、このプロジェクトはどのような形で始まったんですか?
辻さん:ある時、この建物、いえ、土地ですね、土地が売られることになり結果として建物が潰されることを聞いたのがきっかけです。
ニュースを聞いてすぐに感じたことは、「旧原田邸」に限らず、これが戦後ずっと繰り返された瞬間的な経済活動の縮図だということなんです。こんな大きな家を維持管理しながら活用したり住むことって、家主にとって経済的負担が大きすぎます。増して、相続のタイミングになれば税金の対象として子孫にのしかかってきますしね。
人は誰も、生まれ育った生家やふるさとを愛する気持ちは、いつの時代も変わることはないでしょう。しかし、地方創生と叫ばれながら、地域の宝を守り繋ぐ仕組みも制度も地域にはないんです。一部の中心市街地活性化事業や商店街などには、いろんな省庁からの補助金制度がありますけど・・。
2年前、この「旧原田邸」の運命も不動産業者に渡り、家屋を潰して更地にして分譲地や投資の対象としてアパートを建てる計画などが持ち上がっていました。残念ながら、この家を活用する買い主がいなかったんです。今の時代の経済的活用方法として、分譲地やアパートにすることは決して悪いことではないと思います。しかし、地域の歴史文化、日本らしさ、地域の命を生かし繋げるには、この場所、この建物、この原田家を残さないといけないと思っています。
ーなぜですか?
辻さん:私は、これまで倉敷市、総社市、玉野市の全ての小学校区を自ら企画・出演した「朝ぶら」という番組で歩いて巡りました。延べ3000~4000㎞歩いています。
ー4000㎞!
はい、12年間の番組放送では、学区を三巡し、延べ300近くの小学校区を巡ったことになります。その中で、地域の宝にたくさん触れてきました。昔ながらの土や木をふんだんに使い、匠の技や粋な暮らしぶりを伺わせる日本家屋。その土地ならではの素材や技術力を生かしたものづくりなどです。
しかし、地域ならではの街並みやものづくりも昔のものとなり、寂れ朽ちるのを待つだけになっているのが現状です。一方、そこには地域の本質、地域の命がまだ息をしているんです。代わりがきかない、唯一無二な大切なふるさとがそこにあると思うんです。
その命を感じ、地域を次の時代に繋ぐことが今求められていると思います。学区を三巡するたった12年の間にも、地域の宝が次々と潰され、命を消されてきたのを沢山この目で見てきました。昔であれば、大きな家、地主、商家、旧家などは代々家を継ぐこと、地域を継ぐことが当たり前でした。更にお宮や寺を守ったり、地域の旦那としてリーダー的役割を果たして来たんです。
しかし、戦後、農地解放により地域の財力は分散しました。地域の宝をその家だけの負担にし続ける今までのやり方では、地域の宝、日本の宝は時代時代の瞬間的な消費経済の名の元に潰され、地域も時代も消費され続けるでしょう。
ーそのような中、今回のプロジェクトはどのような意味を持つのでしょうか。
地域の宝を「みんなで支える仕組み」を作る、「旧原田邸」プロジェクトはその新しいチャレンジなんです。どんな時代になっても、地域の宝となる場所を地域の素材を生かしたものづくりの場所として、これからの時代と繋がって行く。その時代で、地域の宝に経済的自立をさせて行く「仕組み」を作って、次世代に繋ぐチャレンジをします。
昨年の2月、原田武一さんのご子息から「旧原田邸」を引き継ぎました。みんなで地域の宝を支える仕組みづくりを、ぜひ皆さんとご一緒にしたいですね。
小さくともメーカー、酒津ブランドとしてしっかり全国に発信して経済的自立を計り、原田邸をものづくりの拠点として、地域のまちづくりにチャレンジしていきたいと思います。
ーありがとうございました。
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【ファンドの詳細・お申込みはこちらから】
https://www.securite.jp/fund/detail/1366
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