被災地応援ファンド
2014年2月10日 10:05
◆この1年間を振り返り、事業全体の進捗を教えて下さい。
◆進んだこと、進まなかったこと、その原因など、具体的に教えてください。
皇紀2674年2月11日。建国の日を迎えた本日は東日本大震災より2年と11カ月が経ちました。
今、弊社の周りの環境は第1種市街地再開発法に基づいた、
被災地復興へ向けた街づくりへと邁進しております。
瓦礫はなくなり、倒壊・半壊した建物が取り壊されて
「見通しの良い」空き地が目立つ市街地になってから2年半が経とうとしています。
この間、国と県と自治体と一体となった復興を形にするためにあらゆる努力を注いでまいりましたが、
駅を中心とする復興開発は人件費の高騰、人区の不足等によってその進捗を阻んでおります。
しかしながら、2015年度春までの着工へと向けて準備を重ねながら邁進しております。
自社の取り組みとしては、外へと販路をとっていくための販売促進を強化していくものの、
地元への販売が復興のスピードと比例しているのか、思いのほか伸び悩んでいるのが現状です。
その要因としてあげられるのが、決済機能を含めた自社ホームページ確立です。
進めては来ているものの出来上がっておりません。
それと、まだまだ風評被害とのたたかいが挙げられます。
◆現在、直面している課題を教えてください。
資金調達, 原発・風評被害, 販路の開拓, 仮店舗の確保、市街地再開発事業の遅れによる商店街としての機能の喪失(→中途半端な仮設商店と街の位置づけによる販売力、接客力の低下)
57人の権利者の中で商売を続ける方、続けるのであればお店を修復してその場で続けている方と、
車で5分ほど離れたところで仮設店舗にて商われている方とに分かれています。
離れているお店は、仮設店舗の継続期間が3年と暫定で定められているため街づくりのスピードと
合わないところも出てきており、早急な調整が必要です。
自店的には、ひとえに自助努力が足りないだけだと思っております。
◆課題の中で、出資者もしくは弊社がお役に立てそうなことがあれば教えてください。
震災は3年後からが本当の苦しみのはじまりだと思っています。
神戸の震災の時も3年目から相当数の企業や商店がその経営をたたんでしまっています。
全国の皆様に是非にお感じいただきたいのは、あの「命」に関わる支援から、「生き抜く」ためのものへ
忘れていただかないように何とかお力をお貸しいただきたいということです。
こちらからしっかりと発信しなければならないことも解ってはおりますが、
日々の生活の中で東北を取り入れていただければ幸いです。
御社へは、日本という国民への情報発信を。
そして、ご出資者様へは、生活の中に東北を。だと思います。
経済が動かないことにはなかなか全体が動きません。どうか、お力をお貸しいただければと存じます。
上記の通りです。
昨年夏に「銀ぶら」で、銀座の皆様へ2000杯の弊社オリジナルブレンド茶を氷水仕立てにて
チャリティー配布をさせていただいた際に、出資者の方々3名がお手伝いに来て下さいました。
心から嬉しく感じました。
また、御社の呼びかけでMS本社会議室にて、お茶の楽しみ方について実演させていただきました。
7,8名の出資者の方々においでいただきました。
3年目の「覚悟」の年です。
我が街の骨格を創り上げながら、自社の発展を応援者の皆さまと一緒に歩んでいきます。
「数字=応援者の皆さま」という意識を忘れずに、「数字」にこだわってスタッフ一同、心を遣います。
2020年の東京オリンピックは本当に応援したいと思います。
しかし、東京オリンピックの開催目的の一つは2011年3月11日の震災以来、
全世界からいただいた返せないほどのご支援に対して、
「9年の月日を越えて、日本は、東北はおかげ様でここまで元気になりました」
と世界に感謝を伝える場なのではないでしょうか?
私はそれができない恥ずかしい日本ではあってはならないと心の底から思うのです。
そのために覚悟を持って最大限の努力をして参ります。
矢部園(宮城県塩竈市/お茶等の製造・販売)
東日本大震災から3年。
被災地の37社の事業者に現状と課題、必要としていることは何かを聞きました。
今私たちに求められているもの、できることは何でしょうか。
【矢部園の場合】
◆この1年間を振り返り、事業全体の進捗を教えて下さい。
(a)ファンド募集時に作成した事業計画に比べ、いかがですか
当初の計画より進んでいない。
(b)昨年に比べると、いかがですか。
ほぼ同じ。
◆進んだこと、進まなかったこと、その原因など、具体的に教えてください。
皇紀2674年2月11日。建国の日を迎えた本日は東日本大震災より2年と11カ月が経ちました。
今、弊社の周りの環境は第1種市街地再開発法に基づいた、
被災地復興へ向けた街づくりへと邁進しております。
瓦礫はなくなり、倒壊・半壊した建物が取り壊されて
「見通しの良い」空き地が目立つ市街地になってから2年半が経とうとしています。
この間、国と県と自治体と一体となった復興を形にするためにあらゆる努力を注いでまいりましたが、
駅を中心とする復興開発は人件費の高騰、人区の不足等によってその進捗を阻んでおります。
しかしながら、2015年度春までの着工へと向けて準備を重ねながら邁進しております。
都市計画決定を3月に経て、10月中旬に向けての事業計画決定、そして
来年2月までの権利変換決定を目指して覚悟をもってすすめます。
土地権利者主導の再開発としては、被災地沿岸部のロールモデルとなって同じ被災地の皆様の
心の力となることができるようにやるしかありません。
来年2月までの権利変換決定を目指して覚悟をもってすすめます。
土地権利者主導の再開発としては、被災地沿岸部のロールモデルとなって同じ被災地の皆様の
心の力となることができるようにやるしかありません。
自社の取り組みとしては、外へと販路をとっていくための販売促進を強化していくものの、
地元への販売が復興のスピードと比例しているのか、思いのほか伸び悩んでいるのが現状です。
その要因としてあげられるのが、決済機能を含めた自社ホームページ確立です。
進めては来ているものの出来上がっておりません。
それと、まだまだ風評被害とのたたかいが挙げられます。
春の新茶の時期が間もなくまいります。この時期に合わせて全ての照準を向けていきます。
◆現在、直面している課題を教えてください。
資金調達, 原発・風評被害, 販路の開拓, 仮店舗の確保、市街地再開発事業の遅れによる商店街としての機能の喪失(→中途半端な仮設商店と街の位置づけによる販売力、接客力の低下)
全体的には、市街地再開発事業に関わっている土地権利者の中で、開発を進めている
被災した地区とは離れたところで商いをしているお店と、そうでないお店があります。
被災した地区とは離れたところで商いをしているお店と、そうでないお店があります。
57人の権利者の中で商売を続ける方、続けるのであればお店を修復してその場で続けている方と、
車で5分ほど離れたところで仮設店舗にて商われている方とに分かれています。
離れているお店は、仮設店舗の継続期間が3年と暫定で定められているため街づくりのスピードと
合わないところも出てきており、早急な調整が必要です。
自店的には、ひとえに自助努力が足りないだけだと思っております。
もっと、地元に密着しながらPRを続けていくことと、東京よりの情報発信をして、
その逆発信効果を取り込んで行くことにもっと注力していきます。
情報の発信と商品との連動についてもっと精度を高めなければならないと感じています。
その逆発信効果を取り込んで行くことにもっと注力していきます。
情報の発信と商品との連動についてもっと精度を高めなければならないと感じています。
とりわけ、自社ホームページには力を入れて参ります。
◆課題の中で、出資者もしくは弊社がお役に立てそうなことがあれば教えてください。
震災は3年後からが本当の苦しみのはじまりだと思っています。
神戸の震災の時も3年目から相当数の企業や商店がその経営をたたんでしまっています。
全国の皆様に是非にお感じいただきたいのは、あの「命」に関わる支援から、「生き抜く」ためのものへ
忘れていただかないように何とかお力をお貸しいただきたいということです。
こちらからしっかりと発信しなければならないことも解ってはおりますが、
日々の生活の中で東北を取り入れていただければ幸いです。
御社へは、日本という国民への情報発信を。
そして、ご出資者様へは、生活の中に東北を。だと思います。
経済が動かないことにはなかなか全体が動きません。どうか、お力をお貸しいただければと存じます。
◆今後、事業を進める上で、国や行政、金融機関や企業、個人等から期待する施策や取り組み、関わり方等、あれば教えて下さい。
上記の通りです。
◆この1年、出資者とのつながりの中から起きたことで、何か印象に残っていることはありますか。
昨年夏に「銀ぶら」で、銀座の皆様へ2000杯の弊社オリジナルブレンド茶を氷水仕立てにて
チャリティー配布をさせていただいた際に、出資者の方々3名がお手伝いに来て下さいました。
心から嬉しく感じました。
また、御社の呼びかけでMS本社会議室にて、お茶の楽しみ方について実演させていただきました。
7,8名の出資者の方々においでいただきました。
これからも、出資者の方に有益なイベントや情報を開催、発信していければと思っています。
◆2014年の抱負を教えてください。
3年目の「覚悟」の年です。
我が街の骨格を創り上げながら、自社の発展を応援者の皆さまと一緒に歩んでいきます。
「数字=応援者の皆さま」という意識を忘れずに、「数字」にこだわってスタッフ一同、心を遣います。
2020年の東京オリンピックは本当に応援したいと思います。
しかし、東京オリンピックの開催目的の一つは2011年3月11日の震災以来、
全世界からいただいた返せないほどのご支援に対して、
「9年の月日を越えて、日本は、東北はおかげ様でここまで元気になりました」
と世界に感謝を伝える場なのではないでしょうか?
私はそれができない恥ずかしい日本ではあってはならないと心の底から思うのです。
そのために覚悟を持って最大限の努力をして参ります。
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