システムの力
どうもこんにちは。
ミュージックセキュリティーズの影山です。
ちょっと時間が経ってしまいましたが
先日のセキュリテオープンセミナー
金曜の夜であるにも関わらず駆けつけてくださったみなさま
本当にありがとうございました。
その際にお話しさせていただいた内容ともつながるのですが
今日、ちょっと書いてみたいのは「システムの力」ということ。
大学時代、ゼミでジョン・トムリンソンの「文化帝国主義」という本を読みました。
えらく前置きが長く
でもそれだけ、何かを断定することに慎重で
とても好感を持って読んだことを覚えていますが
その本の主題は、世界中にマクドナルドがあり
コカ・コーラが飲めるという今日を、
どのように理解すればいいかということ。
ときにそれは、「アメリカによる文化の押し付けである」と
単純化されて話されてしまうこともあるように思うのですが
それは少し一面的であるように思います。
理解が間違っていたら
ぜひご指摘いただきたいとも思うのですが
ジョン・トムリンソンがその本を通じて語っていたのが
近代資本主義というシステムの力学とでも言うべきもの。
つまり、世界中にマクドナルドやコカ・コーラを普及させることを
推進している「意志」とは、一体誰のものなのか?
「各社の経営陣がそれを志向しているのだ」と語ってしまうのは
それはそれで分かりやすいわけですが
本当にそうなのでしょうか?
その要素はもちろんゼロではないと思いますが
各社の企業行動をより強く動機付けているのは
実はシステムそのものなのではないのかと思うのです。
ジョン・トムリンソンはそれを
「近代資本主義による発展の無目的性」と呼んでいます。
つまり、誰か個人の意志によってそれが実現されているというより
システム自体が持っている企業行動への期待感こそが
世界中にマクドナルドやコカ・コーラを普及させる
原動力になっているのではないか、という考え方です。
近代資本主義が企業に期待する成果とは
「できるだけ短期に、売上・利益を成長させること」と
捉えることはできないでしょうか。
とすると、やはりマクドナルドもコカ・コーラも
誰が望むともなく、
自然とフロンティアを目指さなければならなくなる。
結果、副産物として
各国・地域固有の文化が喪失されるリスクが生じてくる。
このような捉え方はできないでしょうか。
こうした考え方は
明確に非難すべき「悪者」がはっきりしない分だけ
むしろ対処が難しい、という面があるかもしれませんね。
ちょっと話が大きくなってきてしまいましたが(笑)
実はセキュリテのこれからを考えるとき
こうした物事の捉え方も必要なのではないかと
思っているのです。
ですが、ちょっと長くなってしまいましたので
この話のつづきは、また後日!
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