被災地応援ファンド
2019年2月12日 11:17
【阿蘇地獄温泉 すずめの湯復興ファンド】河津代表から聞く、復興の現状とこれから
去る2月5日(火)、6日(水)に行われました「セキュリテ熊本地震被災地応援ファンドセミナー2019」。
事業者の皆さまの想いや、被災地の現状、事業計画等を直接聞くイベントとなりました。
今年3月末まで一般人の立ち入りが出来ない中で復興を進めてきたこと、どのような想いが河津様を突き動かしているか、河津様が描く復興後のシナリオとは、等々をお話しされています。
その様子や言葉を、参加がかなわなかった方にもお伝えしたく、記事にまとめました。どうぞご覧ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆さまこんばんは。地獄温泉からやってまいりました、河津(かわつ)と申します。
「地獄温泉」というと、何やら怖い響きですが、けがなどを癒すお湯として利用されてきました。
地獄温泉清風荘 代表取締役社長 河津 誠 (かわつ まこと)様
私は、血をたどると7代目、216年の歴史を持った旅館でございます。
ちょうど九州のど真ん中くらいに阿蘇がありますけど、またそのど真ん中くらいにあります。
古い古い、湯治場としてやってきた温泉でございます。
阿蘇五岳の中の本当に中心部ですね、国立公園の中の特別地域に入ってしまっていて、競合の旅館は二度とこの周りには作れないという場所で営業しておりました。
私たちは、掘った温泉ではありませんので、「開湯」という言い方はしておりませんで、温泉が発見されたときのことを呼んで「発見」という風に呼んでおります。
発見されたのが1803年、江戸時代の末期のあたりだと思います。温泉自体はもっと前からあったようですけど、この時代から文献として残っていますので、この時代から216年という風に数えております。
ありがたいことに、自然湧出の泉質の違う源泉が3つ、3万坪の敷地の中で、離れたところから湧いておりまして、それぞれ色んな特徴を持っております。
岩状のところから湧いたものが「元湯(もとゆ)」といい、湯舟に注いでおりました。そして川底から湧く源泉がございます。そちらは「新湯(しんゆ)」と呼んで木造(きづくり)の湯舟に溜めておりました。
そしてこれが一番、私が自慢して、地獄温泉の歴史を作ってきたと言っても過言でない「すずめの湯」というお風呂です。これは濁った硫黄泉で、源泉でございます。普通硫黄泉の源泉というのは80~90℃になって、人間が入れる温度では湧かないんですけど、奇跡的にですね、冷泉も一緒に湧いておりました。
源泉が下から湧くのに、冷泉が混ざってちょうどいいお風呂になっている、ということでございます。
地獄温泉の代名詞 すずめの湯
(筆者注:80~90℃で湧く源泉は、加水するか空気にさらすことで人が入れる温度に下げる必要がある。加水したり空気にさらして酸化すると温泉の成分が薄まるため、成分を全く薄めず人が入れる地獄温泉は「奇跡の湯」と呼ばれている)
このお風呂はですね、非常に酸性の強い温泉でございまして、非常に万病に効きますし、古くからの言い伝えによると、いわゆる戦で怪我したとかですね、けがや痛みにとてもよく効く温泉として、代々受け継がれてきております。これはコックも蛇口もございませんので、止めることができない。地震の間も滾々とずっと湧き続けているというお風呂でございます。
これが、湧口(わきぐち)ですね。ここに直接入るんですけども、温泉ガスと一緒にお湯も沸いてまいります。ここに冷泉が入り込んでちょうどいい温度になっている、「奇跡のお湯」でございます。
この、音が聞こえますでしょうか。こういう音をたてながらどんどんどんどん湧いてきます。
硫化水素ガスとかいろんなガスが湧いておりますので、仕切りを作ってしまいますと、人が亡くなってしまうレベルのガスが溜まります。
(会場少し驚く)
ですのでどうしようもなく、混浴のお風呂になっております。混浴の、皆さん男女分け隔てなく入るという湯治のスタイルをずっと貫いてまいりました。
ところがですね、皆さんもご存知のように、2016年の4月ですね大きな地震を2回経験してしまいました。
私たちが住んでいるところが、南阿蘇村でも旧長陽(きゅうちょうよう)地区というところで、地震の被害はこの長陽地区に集中して起こりました。特に山間部にある私どもの旅館はですね、とてもひどい状況を迎えて、地震だけでも1年半は営業ができない状態、道路インフラが全然復旧しない状況が続きました。
これだけならまだよかったんですけど、この年の6月の大雨でですね、やっぱり大きく揺れた地震が山を柔らかくしてたんですね、大きく崩壊して土石流が起きました。
地獄温泉の敷地内ですけど、こういう風に土石流に襲われて、この川が全部埋まってしまったことによって、敷地内に川が流れ込んでしまう。水の被害をダブルで受けてしまいました。この時点で、復興の目処が全くつかない状況になってしまいました。
裏山(夜峰山)の大規模崩落で土石流に埋まった敷地。土石流がダム化して川の流れが変わり、敷地内を流れている。
真ん中に立っているのが私です。ちょうど(土砂が)サッシ、天井のあたりまで来ていますので1m70~80cmくらいの土石が敷地内を覆ってしまったということになります。
お風呂もですね、地震だけだと修理をして、お湯をためて、ボランティアさんだけには入ってもらおうよ、ということでお湯をいっぱいいっぱい張ってました。で、入ってもらってたんですけど、一夜にしてこういう状況が全館に及んでしまった、というところです。こういう状況ですので、この建物8割解体してしまいました。江戸時代から長く続いた建物もございましたけど、壊さざるを得ないという状況です。
泥で埋め尽くされ、崩壊した元湯
それから、道路インフラがですね、この雨の被害によってさらに深刻になりました。実は今でも一般の方は入れない場所です。今年の3月末で、やっと砂利道で信号を使って入ってもらう形で道路はやっと開くことになりました。私たちの復旧もですね、じつはそこからが本格的になってまして、この2年半を10分で喋れって言われたときにどう喋ったらいいのか悩みましたけども、とりあえず私たちがこういう被害の中で、諦めずに、こういう未来図をスケッチして、そして先ほどご案内した「すずめの湯」を足掛かりに、なんとか復興のステップを踏みたいと、今日はそこをご説明したいなと。
色んな商品、まだ整っておりません(苦笑)。今日はすずめの湯の湧いたのを直接採ってきましたので、あとで触ってもらったり、においをかいでもらったり、体験していただきたいと思います。
今日お集りの(事業者の)皆さんのように商品を持たずに来てしまったことが、少し残念なんですけども、今このすずめの湯を一所懸命復旧しております。
道路開通に合わせて今年の4月、これはこだわりたいんですけど、2回目の地震があった4月16日に、このお風呂に入るだけの営業をなんとか再開したいなと。ここを皆さんに応援していただきたいなと。
先ほども少し出てまいりましたけど「グループ補助金」※というので、私たちも復興をしてまいります。4分の一の自己資金を、どうぞ応援してください。
4倍の建物を作って、4倍のお客様をお迎えして、私たちが毎日毎日やってきた「お客様をもてなす」という行為を取り戻したいと、今日はこの説明がしたくてやってまいりました。
※同社は熊本県が実施する被災復興に係る補助金制度「グループ補助金」を活用されています。
活用に際して必要となる補助金額の自己負担(1/4)相当分をファンド募集資金で充当します。
すずめの湯はこの夏場で解体があって、いったんサラの状態ですね、建物が無い状態にして、古い建物を新しい技術で支えようと。その新しい技術も、今までと同じように200年磨けば、伝統になりませんか?というコンセプトで全館作ってですね、今から1年かけて、来年のオリンピックがある4月に旅館すべてをオープンしようという風に、歩き出したところです。
平成31年1月30日現在
まだこれくらいしかご説明ができないんですけれども、「すずめの湯」というのは本当に先ほども申しましたように奇跡の湯です。200年間、私たちを支え続けてきたお湯です。誰も訪れなくても、誰も見に来なくても、誰もお客様が入らなくても、ずっとずっと湧き続けています。復興というのはやっぱり、こういう道のりです。
1日1日があまりにも進まないことが多いんですけれども、この毎日を重ねることでしか復興に届かない。
この「毎日」を取り戻すことを、今日は応援していただきたいと思いまして、熊本からやってまいりました。
本当は商品の説明とかパワポでいっぱい用意してきたんですけども、10分では届きませんでした。
後程、興味のある方は後ろの方でご説明させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
(会場拍手)
【阿蘇地獄温泉 すずめの湯復興ファンドページはこちら】
【阿蘇地獄温泉 すずめの湯復興ファンドページはこちら】
事業者の皆さまの想いや、被災地の現状、事業計画等を直接聞くイベントとなりました。
今年3月末まで一般人の立ち入りが出来ない中で復興を進めてきたこと、どのような想いが河津様を突き動かしているか、河津様が描く復興後のシナリオとは、等々をお話しされています。
その様子や言葉を、参加がかなわなかった方にもお伝えしたく、記事にまとめました。どうぞご覧ください。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
皆さまこんばんは。地獄温泉からやってまいりました、河津(かわつ)と申します。
「地獄温泉」というと、何やら怖い響きですが、けがなどを癒すお湯として利用されてきました。
地獄温泉清風荘 代表取締役社長 河津 誠 (かわつ まこと)様
地獄温泉清風荘とは
私は、血をたどると7代目、216年の歴史を持った旅館でございます。
ちょうど九州のど真ん中くらいに阿蘇がありますけど、またそのど真ん中くらいにあります。
古い古い、湯治場としてやってきた温泉でございます。
阿蘇五岳の中の本当に中心部ですね、国立公園の中の特別地域に入ってしまっていて、競合の旅館は二度とこの周りには作れないという場所で営業しておりました。
私たちは、掘った温泉ではありませんので、「開湯」という言い方はしておりませんで、温泉が発見されたときのことを呼んで「発見」という風に呼んでおります。
発見されたのが1803年、江戸時代の末期のあたりだと思います。温泉自体はもっと前からあったようですけど、この時代から文献として残っていますので、この時代から216年という風に数えております。
ありがたいことに、自然湧出の泉質の違う源泉が3つ、3万坪の敷地の中で、離れたところから湧いておりまして、それぞれ色んな特徴を持っております。
岩状のところから湧いたものが「元湯(もとゆ)」といい、湯舟に注いでおりました。そして川底から湧く源泉がございます。そちらは「新湯(しんゆ)」と呼んで木造(きづくり)の湯舟に溜めておりました。
そしてこれが一番、私が自慢して、地獄温泉の歴史を作ってきたと言っても過言でない「すずめの湯」というお風呂です。これは濁った硫黄泉で、源泉でございます。普通硫黄泉の源泉というのは80~90℃になって、人間が入れる温度では湧かないんですけど、奇跡的にですね、冷泉も一緒に湧いておりました。
源泉が下から湧くのに、冷泉が混ざってちょうどいいお風呂になっている、ということでございます。
地獄温泉の代名詞 すずめの湯
(筆者注:80~90℃で湧く源泉は、加水するか空気にさらすことで人が入れる温度に下げる必要がある。加水したり空気にさらして酸化すると温泉の成分が薄まるため、成分を全く薄めず人が入れる地獄温泉は「奇跡の湯」と呼ばれている)
このお風呂はですね、非常に酸性の強い温泉でございまして、非常に万病に効きますし、古くからの言い伝えによると、いわゆる戦で怪我したとかですね、けがや痛みにとてもよく効く温泉として、代々受け継がれてきております。これはコックも蛇口もございませんので、止めることができない。地震の間も滾々とずっと湧き続けているというお風呂でございます。
これが、湧口(わきぐち)ですね。ここに直接入るんですけども、温泉ガスと一緒にお湯も沸いてまいります。ここに冷泉が入り込んでちょうどいい温度になっている、「奇跡のお湯」でございます。
この、音が聞こえますでしょうか。こういう音をたてながらどんどんどんどん湧いてきます。
硫化水素ガスとかいろんなガスが湧いておりますので、仕切りを作ってしまいますと、人が亡くなってしまうレベルのガスが溜まります。
(会場少し驚く)
ですのでどうしようもなく、混浴のお風呂になっております。混浴の、皆さん男女分け隔てなく入るという湯治のスタイルをずっと貫いてまいりました。
2度の大地震と、その後の豪雨
ところがですね、皆さんもご存知のように、2016年の4月ですね大きな地震を2回経験してしまいました。
私たちが住んでいるところが、南阿蘇村でも旧長陽(きゅうちょうよう)地区というところで、地震の被害はこの長陽地区に集中して起こりました。特に山間部にある私どもの旅館はですね、とてもひどい状況を迎えて、地震だけでも1年半は営業ができない状態、道路インフラが全然復旧しない状況が続きました。
これだけならまだよかったんですけど、この年の6月の大雨でですね、やっぱり大きく揺れた地震が山を柔らかくしてたんですね、大きく崩壊して土石流が起きました。
地獄温泉の敷地内ですけど、こういう風に土石流に襲われて、この川が全部埋まってしまったことによって、敷地内に川が流れ込んでしまう。水の被害をダブルで受けてしまいました。この時点で、復興の目処が全くつかない状況になってしまいました。
裏山(夜峰山)の大規模崩落で土石流に埋まった敷地。土石流がダム化して川の流れが変わり、敷地内を流れている。
真ん中に立っているのが私です。ちょうど(土砂が)サッシ、天井のあたりまで来ていますので1m70~80cmくらいの土石が敷地内を覆ってしまったということになります。
お風呂もですね、地震だけだと修理をして、お湯をためて、ボランティアさんだけには入ってもらおうよ、ということでお湯をいっぱいいっぱい張ってました。で、入ってもらってたんですけど、一夜にしてこういう状況が全館に及んでしまった、というところです。こういう状況ですので、この建物8割解体してしまいました。江戸時代から長く続いた建物もございましたけど、壊さざるを得ないという状況です。
泥で埋め尽くされ、崩壊した元湯
それから、道路インフラがですね、この雨の被害によってさらに深刻になりました。実は今でも一般の方は入れない場所です。今年の3月末で、やっと砂利道で信号を使って入ってもらう形で道路はやっと開くことになりました。私たちの復旧もですね、じつはそこからが本格的になってまして、この2年半を10分で喋れって言われたときにどう喋ったらいいのか悩みましたけども、とりあえず私たちがこういう被害の中で、諦めずに、こういう未来図をスケッチして、そして先ほどご案内した「すずめの湯」を足掛かりに、なんとか復興のステップを踏みたいと、今日はそこをご説明したいなと。
新生「地獄温泉青風荘.」に向けて
色んな商品、まだ整っておりません(苦笑)。今日はすずめの湯の湧いたのを直接採ってきましたので、あとで触ってもらったり、においをかいでもらったり、体験していただきたいと思います。
今日お集りの(事業者の)皆さんのように商品を持たずに来てしまったことが、少し残念なんですけども、今このすずめの湯を一所懸命復旧しております。
道路開通に合わせて今年の4月、これはこだわりたいんですけど、2回目の地震があった4月16日に、このお風呂に入るだけの営業をなんとか再開したいなと。ここを皆さんに応援していただきたいなと。
先ほども少し出てまいりましたけど「グループ補助金」※というので、私たちも復興をしてまいります。4分の一の自己資金を、どうぞ応援してください。
4倍の建物を作って、4倍のお客様をお迎えして、私たちが毎日毎日やってきた「お客様をもてなす」という行為を取り戻したいと、今日はこの説明がしたくてやってまいりました。
※同社は熊本県が実施する被災復興に係る補助金制度「グループ補助金」を活用されています。
活用に際して必要となる補助金額の自己負担(1/4)相当分をファンド募集資金で充当します。
すずめの湯はこの夏場で解体があって、いったんサラの状態ですね、建物が無い状態にして、古い建物を新しい技術で支えようと。その新しい技術も、今までと同じように200年磨けば、伝統になりませんか?というコンセプトで全館作ってですね、今から1年かけて、来年のオリンピックがある4月に旅館すべてをオープンしようという風に、歩き出したところです。
平成31年1月30日現在
まだこれくらいしかご説明ができないんですけれども、「すずめの湯」というのは本当に先ほども申しましたように奇跡の湯です。200年間、私たちを支え続けてきたお湯です。誰も訪れなくても、誰も見に来なくても、誰もお客様が入らなくても、ずっとずっと湧き続けています。復興というのはやっぱり、こういう道のりです。
1日1日があまりにも進まないことが多いんですけれども、この毎日を重ねることでしか復興に届かない。
この「毎日」を取り戻すことを、今日は応援していただきたいと思いまして、熊本からやってまいりました。
本当は商品の説明とかパワポでいっぱい用意してきたんですけども、10分では届きませんでした。
後程、興味のある方は後ろの方でご説明させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
(会場拍手)
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ここでプレゼンは終了ですが、その他のプレゼン資料を以下にご紹介します。【阿蘇地獄温泉 すずめの湯復興ファンドページはこちら】
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